シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

無人島以来

2009-10-09 | カラダとこころ
今日は定期的に行く整骨へ。この時間は私の至福の時間。大好きなお友達でもある先生と話すこともすごく楽しいし、体も心もくにゃくにゃになったり、まどろみの中、夢を見たり、終わった後は変化を感じてキャアキャア喜んでしまうほど。変化という部分では最近一回一回の変化がかなり大きい気がします。

今日も体も飛躍的に変わっちゃって楽しかったんだけど、面白いことがありました。

いつもコンタクトをはずして施術してもらっていて、帰りにはちゃんと入れてかえります。私の視力は0.1もなく0.04とかそんなレベル。

今日終わった後でお話をしていたときに、「コンタクト要らんかも」ってふと思ったのです。

今日は頭がい骨をいっぱい治してもらったから目も変わったのかなあ。でも言うても視力は0.04。全然見えてないから普段ならほとんど見えない目で歩くのは不安がいっぱい。

実はこの感覚前にも経験したことあったのです。シンガポール時代に行ったマレーシアの無人島(正確に言うとその島は人も少人数ながら住んでいました。無人島は近くにあるので遊びにいったけど。まあそれくらい自然の中という意味です)に行ったときの感覚だ!って思ったのです。

その島に降り立ってロッジまで低い山道のようなところを歩いていくのですが、「あれ?メガネもコンタクトも要らないや」って思ったのです。つっかけサンダルだし一応砂利道だし・・と思ったけど、でも目の矯正が不自然に感じたのです。

勿論視力は悪いし目が急によくなったわけではないだろうけど、何か分からないけど「要らない」って思ったのです。

そして、その島に居る間じゅう、私はメガネもコンタクトもしなかった。そして、何にも不自由なかったのです。その時、きっとここにしばらく居たらこのド近眼でも治るだろうなって漠然と思いました。

そういう体験をしたことが私にとってはすごくセンセーショナルでした。

でも勿論都会に戻ると字を読むことが必要になるから、コンタクトをする生活に戻っちゃったけど、あの時の感覚はなんだったんだろう?と時々思いだすことがありました。

最近、コンタクトを新調したにも関わらず「合ってない」感がありました。でもこういうことを言うと一般地球人たちはこういうに違いない「老眼だよ」って。

でも悪いけど私DNAの活性化しょっちゅうやっているし老眼ではないんですよ・・でも言ってもしょうがないので誰にも言ってませんでした。シータやっているとDNA活性化もするし、仲間たちは「目がよくなった」とか体もどんどんよくなっていってるので、私も目よくなりたいなあと思っていたのですが、コンタクトを入れちゃうとどうしても目がそれに合わそうとするしどうしよう・・と思っていたのです。

今日の感覚は別にはっきりと見えるわけではないんだけど、不自然なことをしたくないというか、視力で見えたわけじゃないけど「見えるから大丈夫。必要なものは見えるはず!」みたいな感覚なのかなあ。うまく言えないけど。要するにいつもだったら出てくる「見えないから危ない」という不安がなかったのかもしれません。

結構遠い京都から無事先ほど帰ってこれました。確かに字が読めないけど近くに行ったり目を細めたらそれほど不自由ではなかったです。買い物もしたし。本屋さんはさすがに何のこっちゃらか分からなくってすぐ出てきたけど。

これを毎日続けられるかというとハテナだけど、でもこの感覚がとても面白かったのです。頭がい骨を触ったら無人島以来の感覚が戻ってきたって、なんとも面白いのでした。