シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

女子高

2009-04-28 | おもうこと
最近始めたプロジェクト(何かはまだ秘密)によって、自分の中に

「女性性をアピールしてはいけない」
「美しくなってはいけない」
「目立ってはいけない」

という非常にもったいない思考パターンがあることが分かりました。

日本の社会は「出る杭を打つ」文化でもあるので育った社会背景も原因の一つだけど、でもそれだけじゃないなあとぼ~っと考えていました。

おそらく、原因の一つには女子中高での6年間もあるなあと思いました。あの社会で私は目立ったら裏で何を言われるやら・・というパターンが身についていたような気がします。

そんなことを一人で考えていたら、面白いことに昨日母校の中学高校に行くことになりました。大学一年の時に訪れて以来。

今年、姪が母校に入学したので、母が文化祭に行こうと誘ってきたのでした。お昼から用事があり実質15分ほどしか学校に居られなかったのだけれど、不思議な時間でした。

不思議と懐かしさが湧き上がりませんでした。通ってもないのに母はえらい懐かしがっていたけれど・・。母校の大学に久しぶりに行くと懐かしいって思うし、母校の小学校でさえ懐かしいと思うんだけど。

あまりにも昔のことでその頃の感情もとけていったのか、抑え込んできたのか。

はたから見たら、私は今と変わらず先生のものまねやって笑わせたり、いたずらいっぱいして楽しそうに見えたと思うし、実際友達とけらけら笑うのは楽しかった。

でも、いつも不思議な感覚だったし、居心地が悪かった。

授業中に教室を見渡せば女ばっかり。世界中には男と女が居るのになんでここには女しかいないんだろう?それは、今感じる色んな人種がいるところが一番落ち着く感覚に似ているのかもしれない。

なんだか、あの頃は鳥籠の中に居るようだった。広い世界に出たいって思ってた。同級生のほとんどが、鳥籠の中で幸せだったらいいって思ってたような気がする。でも私には、いろんな世界があって、いろんな人がいるのに、ちいさなちいさな自分の世界だけで問題なかったらいいとは思えなかった。

単純に考えても「よいお嬢さん、よいお嫁さん、よいお母さんを作る」のがモットーの学校が私に合うわけはないんだけど。高3の時の担任には、家が出たくて東京の大学に行きたかった私に「東京の大学いってどうするの。親御さん心配するでしょ。」と言われ、大学生のときに参加した同窓会で「アメリカ行きたい」という私に先生は「そんな親御さん心配させることしないで、早くお嫁にいきなさい」って言ってた。父親は東京もアメリカ行きも猛反対したけれど、東京はあきらめついてもアメリカはあきらめられなかった。

文化祭のパンフレットを見て、生徒会長の言葉なんかを読んでいると「そう、私本当はこういうのしたかったんだよな」って思った。でも薄々分かっていたのに、認めることをしてこなかった。だから初めて認めた。私にはそんなパワーはないから・・てずっと思いこんでいたから。もしかしたら、共学の学校に行っていたらやっていたような気がする。でも、女子の世界で私はうまく立ち回れずにいたな。自分のパワーや自分自身をどう表現していいか分からず、無理をしていた6年間だった。

そんなことで、その場に居ても楽しいという感覚は得れず、悲しかったり辛かったりする出来事ばっかり思い出してたから15分で十分だった。

大人になってこの中高時代の友人とは一切連絡を取ってなかったんだけど、偶然再会した友達が何人かいて今ではとっても大切な友達。その友達がつながりで今東京に住んでいる高校時代仲よかった友達がGWに神戸に戻り会うことになった。高校卒業以来かなあ。

最近、女子高時代を顧みる時間みたいです。