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シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

おはらい

2008-08-09 | いいこと
先週末からヘルペスはできるは、食欲はないわ、家にいててもしんどくて、この夏乗り切れるんだろうか・・と不安になっていましが、見事復活。とっても元気です。気狂うほど腸がよじれるんちゃうかと思うほど笑う機会があったので、あれで暑気払い(祓い・・この暴力的な暑さに対してはこの字の方がいいかも)になったのかなって思います。機会を提供してくださった方には深く御礼申し上げます。

考えれば、「笑い(おわらい)=祓い(おはらい)」ですね。きっと。

イスラエルでマサダの砦というユダヤ人が自決をし、その後2000年流浪の民になってしまった・・という場所があるのですが、その場所を訪れ話を聞いたとき、一生懸命自分を保とうとしつつも、体が重くなりちょっとやばいかな・・とこういうこともあろうかと持ってきたホメオパシーのレメディー、ラカシス(霊的アタックにいい)を口にしていたら、出口のところで線香の匂いがするではありませんか。

前回の旅行でここの場所に来てから体調不良になった人がいたので、旅の企画者小林さんが、線香の束でお祓いをしていたのでした。みんなで煙をかぶっていたのですが、だんだん調子にのって跳んだり跳ねたり、お坊さんの真似したり、気づいたら皆でおなか抱えて笑ってました。

そうしたら、あれ?って感じで体の重さが消えていました。ああ、なんだ、笑ったら不必要なエネルギー、浮遊霊は逃げて行くのだと実感。笑いはお祓い。幽霊屋敷にお祓いに行って、いきなり笑うのもちょっと大変かもしれませんが、日常生活では暑気払い(祓い)には笑いです。

今日は淀川花火大会。
以前、見にいったときは友達が席取りをしてくれて私は夕方から出かけたのですが、それでも気狂うほど暑くておそらく二度とここには来ないだろうと思っていたのですが、先月「VIP席の横に確保する素晴らしい席で飲み放題とお弁当もあるし行きませんか。すごい感動しますよ」とお知り合いからの誘いがありました。以前のことを考えると「う~ん」と考え込んだのですが、ちょっとは華々しいイベントもあってもいいか・・と行くことにしました。

浴衣で行きたいところですが、前回浴衣が暑くてたまらんかったので、体力温存のために涼しい服でいきます。暑気祓いに花火と共に叫んできます。


はかなきもの

2008-07-22 | いいこと
もりあがってますなあ、セミさんたち。

私は動物は怖いけれど、昆虫類は怖くないのでよく網もってセミは捕りました。なんだか100年くらい前の話のよう。

さて、このセミ。南仏では幸福のシンボルで土産物屋さんでは、セミのクリップだの、セミ柄の布などセミグッズがたくさん売っています。

なんで幸福のシンボルなのでしょう?

答えは、夏の間しか生きられないセミ。その生きている間じゅう、ずっと歌っていられるから。生きている間ずっと歌ってられるなんてなんて幸せな生き物なんでしょう・・ということで幸福のシンボルなのでした。


日本では、夏の間しか生きられないセミ。ここまでは一緒。たった短い夏しか生きられないのに、その間ずっと鳴いていて(泣いていて)、鳴くことしかしなくて、夏が終わったら死んでしまう・・なんて儚いのでしょう・・となるわけです。「鳴く」という単語が「泣く」と同じ音だというのもあって、なんだか切なくなります。

「儚さ」「もののあはれ」から「わび・さび」に繋がるんだろうから、これが日本のバックボーン。考えれば桜もたった一週間だからこそ花見も盛り上がり、桜が散るころになると、なんだか儚い感じがするし。

しかし、ところ変わればセミの解釈もここまで変わる。

セミの声をききながら、私にはう~ん、どっちだろ? やっぱり儚さかな。うるさい!と思うけど、「がんばれ!」とも思うなあ。あんまり楽しそうに歌っているようには思えないなあ。しっかり日本人のDNAです、私。

お神楽のとき・・

2008-07-07 | いいこと
今日は七夕でしたね。
♪ささのはさらさら~♪

この音楽は小学校の頃「ささ」と呼ばれていた私をからかう為に男の子によく歌われた歌なので、なんとなくマイテーマミュージックのような気が・・。

昨日初上映された映画「光彩の奇跡」では「主人公の寺田のりこさんは余命を宣告される・・」のですが、

「余命」ってなんなんでしょうね。

6月18日、ここにも書きましたが、伊勢神宮の正式参拝をイスラエルの旅の仲間達とさせていただきました。その時、お神楽も見せていただいたのですが、お神楽を見ているときすごいメッセージ、気づき? 文? 名称は何でもいいのですが、やってきました。

それは、
「あなたは明日死んでもいいって思える生き方してる?」
っていうものでした。

すごくびっくりしたと同時に、ああなるほど・・とも思いました。

その頃、お祈り、瞑想、これまた名称はなんでもいいのですが、その最中「死」ということと向き合うこと、考えること・・いつもそんなことがでてきました。でも、私は嫌だったので逃げていました。

伊勢参拝の前日、旅の団長であった赤塚さんのログハウスで楽しい前夜祭がありました。今回の一連の同窓会はイスラエルツアーで私達のガイドをしてくれた「バラさん」がお嬢さんと一緒に日本に来ていたからこの時期に集まったのです。そして、その時バラさんが皆に話をしてくれました。

バラさんは、数年前家のすぐ近所であった自爆テロに、忘れ物を気づき家に帰ったおかげで逃れられたのでした。

そして、お嬢さんは3年ほど前に世界的ニュースにもなったイスラエルでの結婚式場の床が抜け多数の死傷者が出たその場に居合わせてたと。ダンサーだった彼女はアルバイトでその結婚式に出演していたのです。お嬢さんはなんとか救出されたけれど、植物人間になるのは免れないと宣告されました。それが、奇跡を呼び8日で退院できるほどに・・そして、今はNYでダンサーとして踊っているのです。

バラさんは、寸でのところで死を免れた二人がこうして日本を旅しているというのが感慨深いとおっしゃっていました。

そういった話も前夜にあったから、お神楽の時に天から質問されたのですが、もうひとつ大事なことを受け取りました。

例えば私達は「余命xxx」と言われた人は、自分よりも死に近いところに居るように感じるし、自分が言われたら急に死が近いものだと思うでしょう。でもどの人間も明日のことなんて分からないのだよ。だから皆が「死」と隣あわせなんだよ。誰が近いか遠いかなんて分からないのだよ。そんなことにまぎらわされてはいけないよ・・と。

そして、続けて「明日死んでもいい生き方をします・・てここで決めちゃったら?神様の前だしちょうどいいんちゃう?」と。

ちなみに私は優秀な通訳なんで、自分に分かりやすいように訳しているので大阪弁になっています。おどろおどろしい言葉に訳すと怖くなってしまうから。

確かにここで「はい、そうします。コミットします」って言ったらすごいだろうなあと思ったけれど、さすがに言えませんでした。私まだそこまでの覚悟のある生き方はできない。

でも、その時、今私がここで死んだら何を後悔するだろう?と考えたら、大好きな人に大好きって言ってない、伝えてないことだなって思いました。例えばその一緒にお神楽を見ていた仲間たち、私はこの人たちが大好きだからもっともっと伝えたいって。

といいつつお神楽見ている最中だし急に叫ぶわけにもいかんし・・お神楽の後もひろ~い伊勢神宮をぞろぞろ歩きながら、そんなことを考えていました。そして、そういえばそんな詩があったなあって思い出しました。

NYの貿易センタービルのテロで、救助のために最初にビル内に突入した数百名のレスキュー隊のお一人で、行方不明になってしまった29歳の消防士、ローラホートンさん。この詩は彼が生前書いていたものだそうです。

2日続けて詩の紹介ですね。



■最後だとわかっていたなら■


ローラ ホートン




あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことはいつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

(訳:佐川 睦)


どうなんだろう

2008-07-03 | いいこと
先日、伊勢神宮に正式参拝させていただいたことは書きましたが、その時お世話してくださった修養団の中山先生にお礼状を出したところ、奥様からご丁寧に葉書をいただきました。

葉書の裏(表?)には

「天から見れば」

という言葉が書いてありました。


天からみたら私はどう見えるんだろう。

喜んだり、苦しんだり、あーでもないこーでもないって悩む私はどう見えるんだろう。

時には自分を天から見たらどうなんだろうって思うことも大事かも。今の私にちょうどいいお言葉をいただけました。


ありがとうの反対は。

2008-06-20 | いいこと
先日、初めて伊勢神宮の正式参拝をさせていただきました。

イスラエルの旅の同窓会としての集いでしたが、早朝参拝のため前日夜から集まりました。正式参拝なので正装、スカートは膝下といわれていたのですがこれが結構大変で、スーツは膝ぎりぎりくらいのものしかなく、結局お葬式にも着れる本物の礼服で参りました。

伊勢神宮は本当に素晴らしい場所ですね。本当に「気」もちがいいところです。森の木々の色の緑が目から体に流れていくエネルギーを感じます。ゴテゴテと装飾のある外国の教会と比べるとすっきりしていて、シンプルな美しさを感じると共に日本人の美意識は素晴らしいなと感心してしまいます。

この正式参拝のお世話をしてくださったのが、伊勢修養団の中山先生。(「4分の1の奇跡」映画にも出てらっしゃいます。http://www.yonbunnoichi.net/ 修養団はこちら http://www.syd.or.jp/index.html)

当日はお体の調子がお悪いとのことで奥様が引率してくださったのですが、参拝後先生も出てきてくださってお話をしてくださいました。

その時、一番強く言われていたこと。

「ありがとう」の反対は?

「あたりまえ」。

そして、今「あたりまえ」崩しの時代になってきている・・当たり前だと思ってたきれいな空気がなくなりつつあり、きれいな水が飲めるのも当たり前ではなくなってきている。

「あたりまえ」だと思っていたら感謝の言葉「有難う」が出てこない。


実は世の中に何一つ「あたりまえ」のものはなく、全てのもの、ひとは「ありがとう」の対象なんですよね。

私にとって(おそらくほとんどの人にとってもそうだろうけど)身近な人になればなるほど感謝の気持ちを常に持つのが難しくなっちゃう。自分の調子がイマイチのときなんかは、感謝の気持ちなんてふっとんでしまい、後で後悔することしきり。まあだから、いつもあらわせない感謝を伝える為、父の日、母の日、誕生日やいろんな記念日があるのかもしれません。

読んでくださってありがとうございます。

固体

2008-03-19 | いいこと
最近、ちょっとへこむことがあったのだけれど、そういうことって本当はステップアップするために存在するんだなってつくづく思います。

誰でも元気なとき、平穏無事に暮らしているときに「こういう風に考えましょう」とか言われたり、本で読んだりしても「そうそう。まさにそう!」って思えるけど、ダウンしているときはとてもそこまで思えない。だからこそ、そのダウンしているときに感情をリリースして、学ぶことをさっさと学ぶ人は起こってくることのスピードが速くなって、自分の思うことを実現して、シークレットの本に出てくる人みたいになるんだろうな・・て思ったりしました。

勿論、そうならないといけないこともないし、自分のペースでゆっくり落ち込んでもいいし、いい悪いはないからね。でも、私も昔に比べたら落ち込む出来事から学ぶことの本質が早く分かるようになってきました。というか分からなければ宇宙に「分からせてください」と頼んでおけば、色々な場面でヒントがたくさん潜んでいることに気づくようになりました。

私は体関係(肉体ではなく。日本語ムズカシイネエ)で落ち込んでいたのですが、唯一相談した相手に「体に何があっても、どんな状態でもそれはとしえ(あ、私ね、かえるの事)の一部だよ。それを含めてとしえなんだよ。」という言葉を聞いて、その言葉、考え方が静かにじわじわ体にしみこんでくる感じがしています。

今までも「痛みをも愛する」という言葉を聞いたことはあるし、痛みがあるときにそう考えようともしたけれど、なんていうか自分の中で無理があったというか・・・。

でも、今はちょっと違う風に捉えることができます。例えば今、吹き出物、おできがでたとします。この吹き出物は、私の細胞が何かを私に伝える為にこうやって表現してくれていると思えば、愛しくなるわけです。お医者さんから見たら、「悪」「敵」であるものでも、私にとっては私の一部。私の大事な一部なのです。痛みだってそう。

そして、こんな話を思い出しました。粒子物理学の世界では、粒子レベルでは全てが繋がっていて、本当はみ~んな繋がっていて、でも目に見える形にしようと必死になって私の細胞が目に見える形として手となり足となり内臓となり・・・つまり、私になろうとして、私という物体をつくらせんがために、この手の細胞が手の形になり、目になり・・と考えると自分の体が愛おしくて涙がでてきました。難しい話だし自分がどこまで分かっているかはハテナだけれど、でもそうやって自分の体をつくってくれている粒子、細胞・・それに対して、自分に不都合があるからといって敵扱い、悪に仕立てるのはおかしいなって思いました。

今日、ちょうどこの粒子や細胞の話をしてくれた人に会ったから「あの話して~」とリクエストすると「それこそが生命そのもの」だと教えてくれました。なるほどねえ。

今まで「自分を愛せない者が他人を愛せない」という言葉を分かったつもりでいたけれど、一番身近な自分の体を愛せていなかったなって感じました。いや、愛せていなかったというよりは、分かってなかった・・かな。

勿論、以前に比べて自分を大切にできるようになり、体と対話するようになりそうなると体のセンサーもより精妙になり、面白い関係ではあるのですが、この体という固体が全て私・・どんな状態でも、その固体に何が入っていても私。人に何を言われようが、全て私の一部。

そして、この「私たらしめている体」を大事にするってことは、自分が100%、200%輝くことをするってこと。

じゃあ私が200%、1000%(どんどん大きくなる数字)輝くことは何なんだろう?と深く探り気づく機会になりました。

今、私の体からのメッセージは「ええ感じやけど、まだまだいけんで。もっともっとやったらええねん(なぜか大阪弁)」と勝手に受け取っています。せやな、がんばるわ。



天職

2007-10-28 | いいこと
この週末は、通勤ラッシュでの京都通いもなくなり、楽しいイベント満載。
通勤ラッシュ・・・よく外国人ヒーラーたちは日本人のオーラが、例えばアメリカ人に比べたら小さいとよく言うのですが、オーラが大きかったらあんな通勤ラッシュは存在しないと思います。人のエネルギーが邪魔になってしょうがないでしょ。

以前ならラッシュを見ただけで吐きそうな私でしたが、今回は「人には影響されない」という修行だと思って頑張りました。満員電車でお祈りしていた私。しかし、一ヶ月が限度です。

さて、週末イベントとして昨日は月一の「英語でシークレットを読む会」。毎回、色々な面白い楽しい人達が集ってくれて、むちゃくちゃ楽しい時間を過ごさせてもらっています。今日はレインドロップマッサージの練習会。お互いやり合いっこをする会で、はああ・・・とため息が漏れる・・むちゃくちゃ気持ちよい時間でした。

これはレインドロップ、雨だれのようにオイルを垂らし、背骨に沿って潜伏する微生物、それが骨格の変形、痛み、炎症などを起こしているそうですが、それを浄化し解毒作用やバランスをとってくれるマッサージです。

その後、タロットデパリのタロットのミニリーディングをしてもらい、ご飯を食べて帰ってきました。充実の一日。

ご飯を食べながら、色々な話をしていてお互いがたくさんの気づきを得て、素晴らしい時間を過ごしました。色々もがくことはあっても、皆前に進む、前を向いてあるいているんだなあって・・そういう仲間がいることが人生の何よりの財産だよなあってほのぼの感動し帰って来ました。

そのときに、最近気づいたあることをシェアーしたら受けたので、ここでもシェアーしようと思います。

私はこの一ヶ月で成長させていただいたお陰か、いつかやってみたいこと、いつか行ってみたいところ・・がどんどん目の前にやってきました。

しかし、新しいことにチャレンジするには、たくさんの思考パターン、恐れが私を引っ張ります。「そんなことしないでいいって」て。「いいやん、今のままで。」って。

そういった思考パターンには必ず原因があるので、それを一つずつ紐解いては解放している最中ですが、その中で「本来もっている自分のパワーを出すことに対する恐れ」というのが出てきました。この手の問題も今までもよく出てきましたが、底の底まで、深いところの思考を変えていなかったからでしょう。


皆さんはパワーと聞いて何を連想しますか?

私の場合、コントロール、戦争、パワーゲーム・・そういったものと結びついていました。だから、自分のパワーを本気で出すと、人の領地を侵略したり戦争したり・・という結果になると無意識に思い込んでいたのです。

でも気づいたのです。

仕事とは私のパワーを表現するのではないのです。
宇宙のパワーを私の体を通して外に出すだけなのです。
自分が幸せになって、周りの人も幸せになる・・それは、自分のパワーではなくて宇宙のパワー。

自分のパワーだけでやっていたら限度がありますが、宇宙のパワーを流せば制限がありません。

サッカーラもよく言ってました。
古代マヤ文明の人がピラミッドを作るときに、銀行に行ってローンくんだんか?と。古代ペルー人がマチュピチュ作るのに銀行からお金借りてきたんか?と。

彼らは自分たちの望むものをしっかりイメージし宇宙に伝えただけです。だから宇宙から必要なものを与えられたのです。宇宙銀行だからリミットが無いのです。

衣食住が足り物が溢れる現在の日本では多くの人が「自分の天職はなんだろう?」と探し回っています。「一体何がやりたいのだろう?」って。

でも上の上の上の方から見ていたら、何をやっているかってそんなに大差ないんじゃないかなって思います。その人が事務をやっていようが、販売をやっていようが、絵を描いていようが・・。

それよりもどんな風に生きているのかを見ているような気がします。what でなくってhow。選んだ仕事に対して、宇宙のパワーを流しているのかって。私が私が・・私のパワーが・・でなくって、宇宙のパワー。

実際、私が関わる映画「4分の1の奇跡」の翻訳プロジェクトでも(制作過程でもそうだったとききますが)、よくこれだけパーフェクトなことが起こるなあ~と思うのです。現在ネイティブチェックをしてもらっていますが、またこのアメリカ人が「よくこんな人みつかったねえ」というくらいパーフェクトな人。それは、この映画を広めることが宇宙の仕事だからでしょう。私が実際それを体験できたことは何よりのギフトでした。

天職っていうのは、職種でなくって「宇宙のお仕事をしているかどうか」なんだなろうなあ~って思います。

ご無沙汰

2007-10-27 | いいこと
1ヶ月の京都勤務も終わり、ほっと一息。
このブログをご無沙汰していた一ヶ月、いろんな意味で成長させていただきました。

こういった海外からのヒーラー通訳をさせてもらうこと自体、新たな気づきを得、多くのことを学ばせていただくのですが、今回は間に入った人がちゃんとしていなかった為「どんな状況でもかき回されない。」という修行もさせていただきました。

今回担当したサッカーラさんと「どんなことがあっても私たちはセンターに居ること」と二人手を取り合い頑張りました。自分の言うべきことは言い、出てくる怒りは勿論ありますが、その感情を持っていても自分の体を壊すだけので、それをリリースする術まで学ぶ機会も持てました。

そういう意味では、大変なこと・・というのは、人間を大きく成長させてくれるものですね。お陰で最近会う人会う人に綺麗になったね~といわれるご褒美までいただいています。「大変なこと(自分にとって)」に向き合うのは、相手、状況に向き合うのではなくって、自分に向き合うということ。もう要らなくなったものを手放しなさい、次の段階に行きなさいということ。おかげさまで今回はそれを潜り抜け私は「自信」というギフトをもらいました。

サッカーラは、カリフォルニアのシャスタ山から「今こそ日本が大事なとき」と日本の特に日本女性のハートを開ける使命で来日しました。その人の男性性、女性性のバランスを取ること。私も一ヶ月セッションを見てきて日本の意識が変われば世界は変わるだろうなとひしひし感じました。

そして今は古いパラダイムから新しいパラダイムへ移行する時期であり、今までのマインド(頭)で考え創りだす世の中からこれからはハートで感じ行動する世界になっていく。

そこでは、自己犠牲(日本人は特に強い)つまり、「私が我慢したらいい。みんなが楽しかったらそれでいい(それが我慢であることすら麻痺して分からなくなっている)」ではなく、自分がまず第一。自分が人生を楽しみ、喜ぶことができたときに、周りにどんどん楽しみ、喜びがさざ波のように広がるということ。

そして次にパターンの解除。サッカーラの言葉でいうと「プログラム」シータヒーリングで言うところの「思考パターン」に私たちは支配されています。それは、過去世からの物や今生での幼い頃から「これはできない」「それは無理」「そんなことしたらお化けでるよ」とあの手この手で親から社会から恐れにより「いかに自分が無力であるか」をプログラムされているわけです。

特に女性は「女性であるからお金を欲しいだけ稼ぐことができない、あるいはしないでいい」というプログラムを入れられている人が多いです。私は無力です、だから誰かに依存して生きていかないといけない・・というプログラム。私も確かにあるなあと気づきました。

考えてみると私の育った家系は父方も母方も「女は嫁に行ってそこでどんなことがあっても耐える・・それが女の道」と教えられ育ちました。幼心に「なんでおんなじ人間なのに、おんなじ女なのに、嫁、あるいは嫁の家のものは婿の家の者にぺこぺこしないといけないのだろう」と思ったりもしていました。勿論、大人になって「そんな人生まっぴらごめんだ」と外に出ましたが、根底にあるこのプログラムを変えないといけないのです。この環境で育った私は「女性であってもな~んにもいいことがない」という意識を持ち、知らず知らずのうちに自分の女性性を抑えるようになっていたのだな・・そして婦人科系の問題になるのも当たり前だったんだと気づきました。

ただ、これは私が選んだ親です。家系です。ということは、私は今生でこれをクリヤーにするぞ~と意気込んできたはず。この一年この問題にしっかり取り組んだ私は「女はつらいもの。女は無力です。女だから稼げない。」という思考パターンはチェックしたらしっかり取れていました。やったあ!!ただ、なぜ自分がこうなったかを確認できたことは大きかったです。

そして、「自分のパワーを取り戻す」ことの重要性も色々な人生を見て気づきました。「xxさんが怖い、嫌だ。この状況が嫌だ」というのは、そのxxさん、その状況に自分のパワーを譲り渡しているのです。つまり、自分はパワーレス、無力の存在になっています。しっかり自分のパワーをその人から取り戻すことが大事なんですね。

コントロールがとけ、自分のパワーを取り戻したら、ど~んな人も自分の望む人生を送れるはず。ぜったい。それが本当の自分に戻る、源に繋がるということ。

それを大きく確信した1ヶ月はとても貴重なものとなりました。


楽しかったあ。

2007-08-24 | いいこと
今日でオーストラリア人でカリフォルニア、シャスタから来たオマカユさんのセッション通訳が終わりました。とても素晴らしい時間を過ごさせてもらったので、今はちょっと淋しい・・な。

彼の事は「すっごいスイートハートな人だよ」とか「優しくって天使みたいだよ」とか色々聞いていたけど、ほんとにそんな人でした。穏やかで愛がいっぱいで、でも彼のヒーリングはすごくパワフルでした。

今話題のリコネクションのヒーリングワークもしていました。エネルギーワークが主で話さないのでその場に必要のない私はその間、隣の別室に居てましたが、クライアントさんの様に毎回深い眠りに入っていました、私。離れていても関係なし。とっても気持ちよかった~。

8月始めに通訳をしたサマンサのパートナーでもあるのですが、二人とも同じような柔らかい、優しいピースフルなエネルギーでした。さすがカップル。

オマカユは昨日ブログに書いた「全ての行動は愛」というのを実践している人のようにも思えました。クライアントさんもみんな彼のエネルギーに溶けるように喜んで帰っていってたし、いつでもどこでもニコニコして「こんにちは」と言う彼は、よくいくカフェでも滞在していたマンションの管理人さんにも人気者でした。(高級マンションなんで管理人さんでなくてコンシエルジェという名になっていた)

今日、マンションを最後に出るときにコンシエルジェの女の子に挨拶をすると、彼女は英語で書いた手紙を彼に渡しました。どうも2,3日前夕食にカリフォルニアロールを食べたかった彼はお寿司屋サンが辺りに無いか尋ねたのだけど、彼女もこの仕事入ったばっかりで知らなくて、彼は一人でお寿司屋サンを探したそうです。

そして、帰りにそのお店のカードを彼女に「誰かまたお寿司屋サンのことを尋ねるかもしれないから」と渡したのですが、彼女としては忙しかったとはいえ、ネットで調べることもせず悪かったなあと思っていたところだったので、その心遣いに感動したそうです。そして、英語ができないので友達にヘルプしてもらい英語の手紙を彼に書いたのでした。

ちょっとしたことだけど、でも彼がニコニコと愛を振りまくからそれに触れた人も優しい心になるんだな~と私も胸が熱くなりました。

今回、サマンサとオマカユの通訳依頼が全く別口から来たという面白いご縁だったのですが、二人とも私はだ~いすきになりました。そして、早くまた二人に会いたいな~と今から思っています。

オーストラリアへの旅に向けてオーストラリアづいています。私が受けたシータヒーリングの先生はオーストラリア在住のす、す、すごい科学者でしたし。数日間一緒に居ただけですが、今日の帰りにはオマカユに私のアクセントがオーストラリアンになってきた・・と言われたし、旅の準備はOKなのかしらん。実際の準備はな~んにもしていませんが。

来週は夏休みの宿題の翻訳です。映画「4分の1の奇跡」の分担翻訳のトップバッターに自ら手を上げ「8月中にします」と言ったもののなんやかんやと忙しく・・・。8月中に仕上げるってこれって全く夏休みの宿題していない子と同じだわ・・来週はがんばります。



風水実践

2007-08-03 | いいこと
9月にオーストラリアのワークショップに参加するので飛行機を調べたりしはじめたのですが(もうちょっと早くしとけよ~って毎回思いますが)、燃油特別付加運賃とやらが3万円弱となっていてびっくりしました。しばらく海外行かないうちにこんなに上がってたとは。

今回はブリスベン、ゴールドコーストと下って、その南のバイロンベイというところであるので、そこへ行くバスを調べたりしています。オーストラリアは以前観光でケアンズとシドニーにちょろっと行ったことがあるくらいなので、全然地理感がなく州の名前も全く分からないので全体地図が離せません。しかし広い。帰りのバイロンベイからブリスベンへのバスの時刻表を見ていて、「あれ、シドニーへ行くのもそんな時間変わらないじゃん」と思ってよく見るとAMとPMを見てなかったことに気づきました。そうです、12時間かかってました。今気づいてよかった。

調べるまでは面倒くさいな~と思いますが、始めると旅のプランを立てるのは楽しい。今ではネットのお陰でバスや時刻表が手に入るんですからね~便利な世の中です。そういえば、今月はオーストラリアの人の通訳が入っているし、面白い引き合わせです。

7月はとても忙しかったのですが、今週は結構ゆったりなので、この間聞いてきた風水を実践すべく家具屋さんや雑貨屋さんに行ったりしているのですが、なんかこれ面白いですよ~。

私は木の家具が好きだし、落ち着いた雰囲気が好きなので、木の色やベージュ、黄色をメインに、そして植物を置いて緑をアクセントにしています。ただ、自分でもバランス的には赤がもうちょとあってもいいかな~と思うので、花を買うときは赤っぽい色にしているのですが、風水でも赤は必要とのこと。アクセント的でいいから使え~というアドバイスがあったので、赤いものをちょこちょこ出してきて飾ったりしています。

授業後の10分間のコンサルテーションの間、先生の目が鋭くきらっと変わった瞬間、それは「ベッドルームの窓に赤や紫の綺麗なカバーみたいなのをかけろ」と言ったときでした。「ぜ~ったい『財』が変わるって」とまさしく力説。(目の力が違った)これは実践しなくっちゃと布屋さんで探したり楽しんでいます。いつの間にか家中赤いハートグッズがいっぱい・・ていうのは、避けたいですけど、アクセント的にちょっとね。

そして、トイレには「道の絵か写真、ポスターがいい」と言われていたけれど、「ポスターなんてどこで買うん?」と思いつつ今日何気なく入った本屋の写真集のコーナーで目に飛び込んできました「道のつづき」という写真集。

よっしゃ、これでだいぶそろってきた。しかし、トイレのカバーやマット、タオルが私の欲しい物がなかなかなくて・・現在は大好きなグリーンにそろえているのですが、先生に「おなかの調子はどうや?」ときかれて、妙齢の男子だしどうやってソフトに答えようかしら・・と思ってたらすかさず"releasing too much?"(手放しすぎ?)と言われ、「げええ、なんで分かるの?」と私びっくりしました。

トイレは古い考えを手放す場所ではあるけれど、うちの間取りでは緑はそのエネルギーを加速させるそうです。火の要素である赤のタオルなどは良いって言われたけど、私としてはちょっと・・ピンクも可愛すぎだし・・ということで、白地(白はメタルの色で水をホールドしてくれる)に赤い刺繍のものがあったらなと思っているのですが、ない。自分で作るしかないかなあ。しかし、刺繍なんて中学生の時以来やってないから、慣れるまで下手だろうし・・。

以上の風水はうちの間取りに関してのアドバイスなんで、全てに適応する訳ではないですからね。あ、でもトイレ(水)に対しては、火(赤とか)の要素をもってくるのはどこのお宅でもOKです。

風水が面白いなって思うのは、まだ何も目に見えるレベルでは起こっていないのですが、前にも書いたように例えば「道=キャリア」について言われていると自分のキャリアに対する不安が浮上してきたり、愛、縁のスペースにペアものを置くのがいいと言われ実際置いてみると、パートナーシップに関する大きな気づきや癒しが起こったり・・面白い!!のです。

先生の話で面白いお話が・・ある女性から家を売りたいのだけどなかなか売れないと相談されたので、家具の位置のアドバイスをしました。彼女は家に帰ってさっそく家具を動かそうとしたのですが、その瞬間不動産屋から「売れました」という電話がかかってきたそうです。

そんなアホな・・と思う人も居るだろうけど、でも全てはエネルギーですからねえ。物理的に変化をもたらすっていうのは、大きくエネルギーを変えることだと私も思います。また楽しみが増えましたわ。