先日、初めて伊勢神宮の正式参拝をさせていただきました。
イスラエルの旅の同窓会としての集いでしたが、早朝参拝のため前日夜から集まりました。正式参拝なので正装、スカートは膝下といわれていたのですがこれが結構大変で、スーツは膝ぎりぎりくらいのものしかなく、結局お葬式にも着れる本物の礼服で参りました。
伊勢神宮は本当に素晴らしい場所ですね。本当に「気」もちがいいところです。森の木々の色の緑が目から体に流れていくエネルギーを感じます。ゴテゴテと装飾のある外国の教会と比べるとすっきりしていて、シンプルな美しさを感じると共に日本人の美意識は素晴らしいなと感心してしまいます。
この正式参拝のお世話をしてくださったのが、伊勢修養団の中山先生。(「4分の1の奇跡」映画にも出てらっしゃいます。http://www.yonbunnoichi.net/ 修養団はこちら http://www.syd.or.jp/index.html)
当日はお体の調子がお悪いとのことで奥様が引率してくださったのですが、参拝後先生も出てきてくださってお話をしてくださいました。
その時、一番強く言われていたこと。
「ありがとう」の反対は?
「あたりまえ」。
そして、今「あたりまえ」崩しの時代になってきている・・当たり前だと思ってたきれいな空気がなくなりつつあり、きれいな水が飲めるのも当たり前ではなくなってきている。
「あたりまえ」だと思っていたら感謝の言葉「有難う」が出てこない。
実は世の中に何一つ「あたりまえ」のものはなく、全てのもの、ひとは「ありがとう」の対象なんですよね。
私にとって(おそらくほとんどの人にとってもそうだろうけど)身近な人になればなるほど感謝の気持ちを常に持つのが難しくなっちゃう。自分の調子がイマイチのときなんかは、感謝の気持ちなんてふっとんでしまい、後で後悔することしきり。まあだから、いつもあらわせない感謝を伝える為、父の日、母の日、誕生日やいろんな記念日があるのかもしれません。
読んでくださってありがとうございます。
イスラエルの旅の同窓会としての集いでしたが、早朝参拝のため前日夜から集まりました。正式参拝なので正装、スカートは膝下といわれていたのですがこれが結構大変で、スーツは膝ぎりぎりくらいのものしかなく、結局お葬式にも着れる本物の礼服で参りました。
伊勢神宮は本当に素晴らしい場所ですね。本当に「気」もちがいいところです。森の木々の色の緑が目から体に流れていくエネルギーを感じます。ゴテゴテと装飾のある外国の教会と比べるとすっきりしていて、シンプルな美しさを感じると共に日本人の美意識は素晴らしいなと感心してしまいます。
この正式参拝のお世話をしてくださったのが、伊勢修養団の中山先生。(「4分の1の奇跡」映画にも出てらっしゃいます。http://www.yonbunnoichi.net/ 修養団はこちら http://www.syd.or.jp/index.html)
当日はお体の調子がお悪いとのことで奥様が引率してくださったのですが、参拝後先生も出てきてくださってお話をしてくださいました。
その時、一番強く言われていたこと。
「ありがとう」の反対は?
「あたりまえ」。
そして、今「あたりまえ」崩しの時代になってきている・・当たり前だと思ってたきれいな空気がなくなりつつあり、きれいな水が飲めるのも当たり前ではなくなってきている。
「あたりまえ」だと思っていたら感謝の言葉「有難う」が出てこない。
実は世の中に何一つ「あたりまえ」のものはなく、全てのもの、ひとは「ありがとう」の対象なんですよね。
私にとって(おそらくほとんどの人にとってもそうだろうけど)身近な人になればなるほど感謝の気持ちを常に持つのが難しくなっちゃう。自分の調子がイマイチのときなんかは、感謝の気持ちなんてふっとんでしまい、後で後悔することしきり。まあだから、いつもあらわせない感謝を伝える為、父の日、母の日、誕生日やいろんな記念日があるのかもしれません。
読んでくださってありがとうございます。
全ての人やまわりのこと、すべてのことにありがとう、なんだね。
それが真実だね。
すべてに愛が、宿っているんだね。
ありがとう!!!!!
全然当たり前じゃないのにね。
すっごい納得したわ
そう思うと一日何万回ありがとう・・と言っても足りないくらいだな。
とりあえずコメント書いてくれてありがとう
ミュウさま
コメント書いてくれてありがとう。
そういってもらると、書いてよかったと思います。
目の前のペンも誰かが作ってくれなければ、届けてくれなければここのいはなかったものだもんな。全てのものに人の手が入ってるってことだね