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父の命日に思う!

2009年05月30日 20時00分01秒 | インポート

 昨日は、農業委員会(私は4月で退任)の皆さんが歓送迎会をしてくれました。私は議会選出(3人のうち2人が市議会議員)の農業委員として、ご縁があって2回4年間農業委員会に所属していました。歓送迎会では話が弾みちょっと飲み過ぎて、朝目覚めると「2日酔い」とまで言えませんがちょっと頭が痛かったです。

明日は、私のが亡くなって51回目の命日。朝食時、母から「祖母(今日が命日)、父、長男のために、供物と花、そして祖母が好物(さくらんぼ)を買いたい、ので(店に)連れて行って・・・」と頼まれ久々のお手伝い(親孝行?)をしました。店内に入ると91歳とは見えない足取りで、目的のものを次々に買い物かごに入れ、「私は、別のところでお菓子を買ってくるので、これ精算をして置いて」と(お客で)賑わう店内のなかをすたすた歩いて行ってしまいました。「前向き思考」が元気の源になっているようで、歩く後ろ姿は「しゃきっと」していて改めて感心しました。

我が家には「仏壇」はありません。母は、自分の部屋のタンスの上に、祖母、父、長男の小さな写真立てを置いて毎日お参りしているようです。母から聞くと、私の長男は樺太生まれですが、終戦の1ヶ月前に「はしか」が原因で短い生涯(6歳)を終えました。当時の医療事情は薬の確保も困難だけに、最善の治療を望んで40日間の入院でサラリーマンの年収分の医療費がかかったそうです。私は写真でしか顔を見ていません。でも、当時の写真が残っていることも驚きです。

写真と言えば、私の幼少(小・中学生)時代は「卒業アルバム」しか残っていません。父か亡くなってから写真をとる機会がなく、そうした意味では、父の存在は大きかったものだった、と改めて考えさせられました。

 5月とは言え、東京の気温は連日25℃前後。こうしたなかで、原爆症認定を求める集団訴訟の原告らは「全員救済を」(全国306人)と国会要請や座り込みを続けている、との報道があります。その点では、明るい話として28日に出た東京高裁での原爆症認定訴訟で原告勝訴の判決は重要です。「判決は、これまでの17の地裁・高裁判決の集大成」と原告団が声明を出しました。日本共産党の志位委員長は「政府は判決を重く受け止め、全員一括救済の政治決断を下すべき。国の審査方針に欠陥があり、判断基準それ自体に合理性を欠くと判決は認定。審査の基準の見直しを求め、訴訟の全面解決への指針を示す中身。長い間たたかい『もう待てない』という原告の方々の思いを政府は受け止めるべき」との指摘に拍手を送りました。