むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

フランソワーズ・アルディと散乱する紙くず

2005-01-29 23:30:44 | 音楽その他
hardyLes Annees Vogue
Francoise Hardy Best Selection 
 
 
Francoise Hardy



このアルバムは「男の子女の子」でデビューした1962年から67年までのヴォーグ・レーベルに残した音源からセレクトされたベスト盤。60年代のフランスでは従来のシャンソンにロックンロールをかけあわせた音楽、いわゆる「イエイエ」が流行したが、アルディも最初はイエイエを歌うアイドル歌手としてスタートした。彼女はブリジット・バルドーやフランス・ギャルとは違った、アンニュイで中性的な魅力が持ち味で、自分で曲作りもするアーティスティックな面も備えていた。hardy00
70年代に入るとアイドルから脱皮し、シンガー・ソングライターとしてより充実した音楽活動をするようになるが、フォトジェニックなルックスに加えて大人の女としてのカッコよさを体現するようになっていく。例えば「私生活」というアルバムの裏ジャケのように、紙くずが散乱し、酒のビンが置かれた部屋というやさぐれたシチュエーションであってもギターを抱えている後姿がとてもサマになっている。
ango1このようなやさぐれたシチュエーションはその昔の日本においては原稿用紙を前に格闘する、やさぐれを通り越した生き様のすごみを見せつける文士にのみ許された領域であった。この林忠彦が撮影した坂口安吾の写真はそういう文士のイメージを決定づけたものだろう。
minercところが、この領域をポップに侵してしまったのが嶺川貴子で、「roomic cube」のジャケットでの紙くずの散乱した部屋はやさぐれたシチュエーションではもはやなく、アルディへのオマージュであることを示す記号でしかない。だから彼女がギンガムチェックのシャツを着ていたとしても別に違和感はない。それは様々なノイズ、調子はずれの音、そして時に絶望的なまでの破壊的なサウンドを繰り広げながら、あくまでもロリータ・ポップであるアルバムのイメージにマッチしている。
散乱する紙くずは、かきむしられてぐしゃぐしゃになった髪の毛、酒や煙草のにおい、眠らずに迎えた太陽のまぶしさとともに、創作する過程における生みの苦しみを表わすものだったはずだが、それはもう遠い昔のこと。



アポロンの地獄

2005-01-24 23:29:53 | 映画
edipore「アポロンの地獄」(Edipo Re)
1967年イタリア
監督・脚本・音楽:ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演:シルヴァーナ・マンガーノ、フランコ・チッティ、ニネット・ダヴォリ 他
原作:ソポクレース(「オイディプス王」と「コロノスのオイディプス」に基づく)

 
 
●災厄に満ちたテーベ
オイディプスの悲劇の舞台となるテーベはカドモスによって建国され、隆盛を極めたが、もともと建国のときに軍神アレースの息子である大蛇を殺したということがあり、ことあるごとに神々からの災いを受けていた。カドモスはその罪を償うために隷従の身となって仕え、アレースの怒りを宥和すべく努力し、アレースの娘ハルモニアを娶るが、カドモスの一族には彼女の首飾り(自然の鬼子としての金属)に起因する災いが次々とふりかかった。テーベとは災厄に満ちた国なのだ。

●オイディプスの父ライオス
オイディプスの父であるライオスは一時期国を追われてペロプスのもとに身を寄せていた。ライオスはペロプスから息子クリューシッポスの教育を任されていたが、ライオスはクリューシッポスの美しい姿に思いを寄せるようになる。しかし、受け入れられなかったため誘拐し、その挙句死に至らしめてしまった。クリューシッポスは死ぬときにライオスが自分の息子に殺されるようにゼウスに祈り、それはアポロンの神託となってライオスにふりかかった。オイディプスの悲劇はこのときからすでに始まっていたのだ。それにしてもライオスが同性愛の傾向を持っていたということは興味深い。
ライオスはイオカステーを娶ってからも子を生まないように気をつけていたが、酒に酔ったときにイオカステーを妊娠させてしまう。ライオスは生まれた子を殺すように命じたが、子は殺されずにテーベとコリントの境に捨てられた。

●「アポロンの地獄」
この映画はオイディプスの悲劇を挟むようにして現代を舞台にしたプロローグとエピローグを持つ。プロローグでは赤子の誕生から始まり、母親に抱かれながら乳を飲む、まだ自然と未分化の状態が示されるとともに、自分からすべてを奪っていく息子に対する父親の複雑な感情が描かれることによって家族のエディプス・コンプレックス的関係が示される。この父親が息子の両足をつかんだシーンから古代ギリシャへと場面が転換し、オイディプスの物語が始まる。

●オイディプスの悲劇
捨てられたところをコリントの羊飼いに拾われた赤子は、オイディプスと名づけられ、コリント国王の子として育てられた。
成長するにつれてオイディプスは自分の出生に疑問を持ち、デルポイへ行くと「父親を殺し母親と交わるだろう」との神託を受ける。オイディプスは神託から逃れようとコリントに戻ることなく各地を放浪することになるが、その道中で知らずに父であるライオスを殺してしまう。
オイディプスがテーベの王となり、母であるイオカステーを娶ることになった契機は、テーベを苦しめていたスフィンクスの謎を解いたことによる。映画では謎を解くまでもなく、一瞬のうちに勝負がついてしまうが、その謎の答えは「人間」で、同時にオイディプスの運命を暗示しているものでもあった。すでに父を殺してしまったオイディプスは二本足で立つ青年でありながらも四本足の獣に堕しており、続く運命によって盲目となり先導者なしでは歩けなくなる、つまり三本足になるという運命を。このスフィンクスの謎の真意は「汝自身を知れ」というものだが、自分を知ることの残酷さがここに示されている。
オイディプスはテーベの災厄を取り除くためにライオス殺しの犯人を探索するが、すればするほど自らが犯人であることを次々と暴露していく。そしてすべてが明るみに出されたとき、イオカステーは首を吊り、それを見たオイディプスは自分の目を自ら突き刺し、彼はテーベを去る。人間はいかに逃れようとも運命からは逃れることができないが、それでも運命に抗して生きていかなくてはならず、その不条理を生きるところに人間の尊厳がある。
ソポクレースの悲劇ではここから先は「コロノスのオイディプス」へ続き、盲目となったオイディプスの放浪には娘のアンティゴネーが従うのだが、映画ではオイディプスの4人の子どもたちは登場しないため、鈴のついた帽子をかぶって伝令役を務めていた青年アンジェロが彼の目の代わりとなる。

●アンチ・オイディプス
エピローグでは古代から再び現代に戻り、オイディプスとアンジェロが都市をさまようが、まるで古代と現代が空間的に地続きのように見える。古代から現代へ追放される、あるいは排除されるために古代にやってきた存在としてのオイディプス。やがて彼らは、オイディプスがかつて母親に抱かれて乳を飲んだ場所にたどり着き、「人生は始まったところで終わるのだ」の言葉とともに、ここを最終の地とする。
近親相姦のタブーは「自然」と「文化」の分水嶺とされる。そしてエディプス・コンプレックスは近親相姦と父殺しの二重の禁止により、規範を内在化することで、子の主体が形成されていくというものだが、このようなエディプス的な家族を基盤としてパラノイア的蓄積の近代文明があるとして、このような文明を批判し、スキゾフレニックな逃走を示したのがドゥルーズ=ガタリだったとすれば、パゾリーニはむしろそれ以前の、母親に抱かれながら自然と一体化した状態へ回帰するという不可能な望みを望んでいるようだ。いくら光を望んだところで盲目のオイディプスにはもはや闇しかないように。鍵となるのは原初的な悪であり、自然と文化の裂け目にある物語としてのオイディプスの悲劇になるだろう。ソポクレースの悲劇では、コロノスに着いたオイディプスは「自分を受け入れるものには恵みを、追い払うものには呪いを」と言う。恵みか呪いか、オイディプスは今も地下にあってその力を失っていない。


豚小屋

2005-01-20 21:48:35 | 映画
D110476286「豚小屋」(Porcile)
1969年イタリア・フランス
監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
音楽:ベネデット・ギッリア
出演:ピエール・クレマンティ、ジャン=ピエール・レオー、
アンヌ・ヴィアゼムスキー 他


この映画は二つの物語が交互に展開する構成になっていて、ひとつはカニバリズム、もうひとつは獣姦を扱っている。パゾリーニによれば「豚小屋」は社会に反抗する若者とその若者を食い尽くす社会を描いたという。
ひとつめの物語。時代背景は不明。火薬や銃があるので14、15世紀あたりと考えるのが妥当かもしれないが、神話的な雰囲気は古代のようでもある。ピエール・クレマンティ演じる青年は火山の火口付近の荒地を餓死寸前の状態でさまよい、蝶や蛇さえ口にする。あるとき青年は白骨死体の傍らにあった甲冑と銃を手に入れる。そして一人の若い兵士に出くわす。青年は兵士を殺害し、死体の頭部を切り離し、蒸気を吹き上げる穴の中にその頭を放り投げたあと、兵士の肉を食べる。
やがて青年には仲間ができ、通りかかる人々をグループで襲うようになり、人肉食を繰り返していたが、その結果青年たちは捕まってしまう。そのとき青年は着ているものをすべて脱ぎ、裸形のまま連行される。青年たちは裁かれるが、その刑罰は荒地に縛りつけられ、野犬に食われるというものだった。青年はこの刑罰を静かに受け入れる。
この青年の姿には餓死寸前の極限状況のなかで究極の葛藤をくぐりぬけた者だけが持つある種の崇高さを感じさせる。青年は「私は父を殺し、人肉を食い、喜びにうち震えた」と呟く。パゾリーニはこのカニバリズムにスキャンダルなまでに拡張された青年の反抗を表現したという。キリスト教においては聖餐のパン(イエスの肉)とワイン(イエスの血)がカニバリズムと深く結びついているし、ユダヤ教においてカニバリズムはタブーとされ、人肉に近いという理由で豚肉さえ食することを禁じているが、イエスは「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」と言った。タブーを犯す青年の姿にイエスの姿が重なるゆえんだが、この青年にはイエスだけでなく、プロメテウスやエムペドクレスも重なるように見える。
カニバリズムというタブーを犯したことによって、青年は自然とダイレクトに一体化する境地に至ったのではないか。捕まったときに裸形をさらしたのは、自然の本質をつつみかくさず明るみに出したということではないか。その青年に対して再び衣服を着せ、剥き出しにされた本質を覆い隠してから、キリスト教の制度は青年たちを裁くのだが、青年にとっては制度上の裁きは何事でもない。自然と一体化した青年は自分もまた食われることを受け入れることができるからだ。

もうひとつの物語は第二次世界大戦後のドイツにおけるブルジョワ青年をめぐる話だ。ジャン=ピエール・レオー演じる青年ユリアンにはアンヌ・ヴィアゼムスキー演じるアイーダという許婚がいる。しかしユリアンは曖昧な態度を示す。彼は父親に対しても従順でも不順でもない曖昧な態度を示し、彼の母親とアイーダに対してはまるで正反対の顔を見せているなど、曖昧で複雑な多重性を持っている。こうした曖昧さはブルジョワであること、つまりすべてが与えられ退屈な毎日を過ごし、革命にシンパシーを感じながらも自分は打倒される側にいるというところから由来するものかもしれない。ユリアンは饒舌であるが肝心のことは何も話さない。彼にとって話すということは聞かれてはいけないことを隠すためのようで、彼が隠していることは屋敷の敷地内にある豚小屋に入っては飼育されている豚と交接を繰り返していることだ。
ユリアンの父親である実業家のクロッツはヒトラーのようなひげを生やし、一人のときはハープでナチス党歌を演奏する。彼は豚と呼ばれていて、それは「資本家=ファシスト=豚」というステレオタイプを示す。クロッツはライバルとして台頭してきたヘルトヒッツェという実業家の身辺をスパイを雇って調査させている。スキャンダルになるものを嗅ぎつけ、それをネタに脅すつもりでいるのだ。そして、ヘルトヒッツェが戦時中にユダヤ人の死体を大量に調達し解剖学の実験に使用していたことを突き止める。しかしヘルトヒッツェもまた、クロッツの息子が豚との獣姦を繰り返していることを知っていた。互いに弱みを握った二人はそれを抑止力として、互いに協力することを決める。その合併披露のパーティーの日の朝、ユリアンは豚小屋に出かける。しばらくするとパーティー会場にクロッツの使用人たちが来て、何かを伝えようとしているがなかなか言い出さない。ようやく一人(ニネット・ダヴォリ)が口を開き、ユリアンに起こった出来事を告げる。一部始終を聞いたヘルトヒッツェは他言しないよう指示する。
この物語はシンメトリックな画面で構成されるが、あえて古典的な様式で描くことにより、腐敗したブルジョワの空虚さをよりいっそう際立たせている。
パゾリーニの生涯をもとにした小説も書いたドミニック・フェルナンデスは「シニョール・ジョヴァンニ」というヴィンケルマンの死の謎にせまる小説の中で、「18世紀末、市民階級の勃興とともに始まるその時期、新しい生産性と利潤のモラルが公の性生活から無秩序、奢侈、遊び、無償といった要素をいっさい取り除いてしまった」と書いた。市民生活は二重化され、快楽と同時に罰を求め、高尚な感情に捧げられた精神生活と卑しさを宿命づけられた肉体の生活に分裂する。市民の良識は互いを抑圧し、臭いものには蓋をしていく。蓋のしかたは権力によってもみ消したり、社会的要因、あるいは生理的、心理的要因など挙げ連ねてこちらとあちらの境界線を引いては安心したりと様々あるが、ここでは若者の反抗はついに崇高さへ至る契機を失ってしまう。

二つの物語をつなぐのはパゾリーニの作品の中で常に天使的な役割を果たしてきたニネット・ダヴォリであり、彼だけが両方の物語に登場する。




ウィークエンド

2005-01-19 19:28:08 | 映画
weekend1967年フランス・イタリア
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
音楽:アントワーヌ・デュアメル
出演:ミレイユ・ダルク、ジャン・ヤンヌ他

いわく、「宇宙にさまよった映画」、「鉄屑から見つかった映画」。

ロランとコリンヌはそれぞれが愛人を持ち、互いの死を望んでいる。今はコリンヌの父の遺産を手に入れるためだけに夫婦生活を続けているようなもの。その父の死期がいよいよ迫ったというので、二人はワンヴィルにあるコリンヌの実家に車を走らせる。ここから映画は二人の道中を妨げる出来事ばかり起きる。

交通事故が原因の大渋滞。
延々と鳴らされるクラクション。
無造作に転がる死体。
ジョゼフ・バルダモ(詐欺師カリオストロ)による車の占拠。
二人の車を巻き込んだ衝突事故。
無残に炎上する車。
フランス革命の大天使サン・ジュストの唐突な登場。
アリス化したエミリー・ブロンテとの噛み合わない会話。
モーツァルトのピアノ・ソナタ第17番の演奏(360度のパン)。
モルガンとエンゲルスを引用したゴミ清掃員の演説。
ワンヴィルでの遺産相続をめぐる事件。
セーヌ・オワーズ解放戦線という名のゲリラ。
ドラム演奏とともにロートレアモン「マルドロールの歌」の朗読。

これらの出来事は二人を疎外された状況に置く。ゴダールはブレヒトの異化(映画であることを常に意識させることにより、感情移入を許さない)を導入し、不自然さと唐突さで、疎外された状況をグロテスクなまでに誇張する。疎外の克服もなく、当然、カタルシスもない。こうして、映画では疎外された状況を際立たせながら、その手法においては従来のやり方をことごとく打破することで映画の革命を成し遂げようとした。しかし、このことはサン・ジュストが断頭台に消えたように、ロランとコリンヌの為した暴力が暴力によって無意味にされたように、ゴダールにとっても自らをアンビヴァレンツな状況に置くことになったのではないか。
「自由とは犯罪と同じく暴力である」(サン・ジュスト)

子どものように残虐で、結びつきようのないことを結びつけることによる「衝撃的な出会いの美しさ」を語ったロートレアモンの引用は、「ウィークエンド」の交通事故のような編集を支持するだけでなく、この後にゴダールが商業映画から退き、単独の作者としてではなく、匿名的な映画集団である「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成したことを考えると極めて重要なことに思う。ロートレアモンはまた、イジドール・デュカス名義で他人からの剽窃も厭わず「詩は万人によって作られるべきだ」(ポエジー)と言ったのだ。主体としての作者を消滅させることによる疎外論自体の無効化。




ブリキの太鼓

2005-01-17 01:48:04 | 映画
blecht「ブリキの太鼓」(Die Blechtrommel)
1979年西ドイツ・フランス・ポーランド
監督:フォルカー・シュレンドルフ
音楽:モーリス・ジャール
主演:ダヴィッド・ベネント
原作:ギュンター・グラス




これはギュンター・グラスが1959年に発表した小説を映画化したもの。醜悪な大人に嫌気がさし、3歳で成長を止めたオスカルを主人公とした問題作「ブリキの太鼓」のドイツ文学上の位置づけとしては、市民社会の成熟とともに書かれるようになったビルドゥングスロマン(教養小説)の伝統をグロテスクに歪型化したことで、17世紀のバロック小説であるグリンメルスハウゼンの「阿呆物語」につながるものと言える。後年、グラスは「テルクテの出会い」という三十年戦争当時を題材にした歴史小説を書き、そこにグリンメルスハウゼンを登場させている。この小説の意図は三十年戦争当時の作家たちと第二次大戦後のいわゆる47年グループとをパラレルに捉えることにあり、グラスの中でこの二つの時代は重なり合っている。
シュレンドルフによる映画化は三部構成であるこの小説の第二部までで、オスカルの祖父母のおおらかで奇妙ななれそめから始まり、ナチスの台頭、自由市ダンツィヒの制圧、そして第二次世界大戦という激動の時代のなかで翻弄される人々の悲喜劇が描かれている。
生まれたときのことを覚えているばかりか、すでに精神的に完成された状態で生まれたオスカル誕生のエピソードは三島由紀夫の「仮面の告白」を髣髴とさせるし、生まれることを拒否して胎内に戻ろうと考えるところでは芥川龍之介の「河童」を思い出させもするが、何よりもクライストの「私たちは無垢の状態に立ち返るためには、もう一度認識の木の実を食べなければならないのですね?」(マリオネット芝居について)に呼応する。
3歳にして身体的な成長を止めたオスカルは3歳の誕生日にもらったブリキの太鼓を常に離さない。本物の楽器ではなく玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、この太鼓とともに精神的に成熟した子どもとして生き、サーカスの芸人たちとフランスを回ったりもする数奇な運命(放蕩息子の帰還)のなかで、オスカルは市民社会にひそむ臆病で打算的な人間の邪悪さや退廃、ナチズムのキッチュさを明るみに出していく。その視点は例えばテーブルの下や演台の下からといったように低く、上からでは見えない部分を見る。これに対して、レニ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」に典型的に示されるように、ナチの場合は上からの視点ということになるだろう。
この映画には一度見たら忘れられないシーンがたくさんあるが、興味深いシーンとして、ナチの集会が行われているとき、演台の下に潜んだオスカルが叩く太鼓によって鼓笛隊の演奏が次第に変化し、最後にはウィンナ・ワルツの舞踏会になってしまうという場面がある。ユダヤ人の音楽でありながらナチでさえも禁止できなかったヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツが噴出するとき、ナチが抱えていた欺瞞性が一気に露呈される。
一般に文学作品の映画化はあまり成功することはないが、この映画は原作の雰囲気を忠実に映像化している。主演のダヴィッド・ベネントの存在が夢とも現実ともつかない世界にリアリティーを与えている。


アルス・スブティリオール

2005-01-16 02:47:35 | 音楽史
arssubtilisARS SUBTILIS YTALICA Polyphonie pseud francaise en Italie,1380-1410
Pedro Memelsdorff
MALA PUNICA
Musica nell'autunno del medioevo

fleursdevertusFleurs de vertus 
chansons subtiles a la fin du XIV siecle

Crawford Young
FERRARA ENSEMBLE

14世紀後半になると、フランスのアルス・ノヴァとイタリアのトレチェントは相互に影響を与えあうようになった。ランディーニがアルス・ノヴァ的な複雑なリズムを取り入れたり、マショーの死後、より一層複雑なリズムを追求するようになった後継者たちが、それを表わすためにトレチェントの記譜法の影響を受けながら音符の形を変えたりした。
このような相互影響から生まれた14世紀末の極端に複雑で技巧的、知的な特徴を持つ音楽のことをアルス・ノヴァの範疇を逸脱しているものとして、ウルスラ・ギュンターが「アルス・スブティリオール」と名づけ、ひとつの様式とした。スブティリオールとは「繊細、優美」を意味するが、フィリポクトゥス・デ・カセルタの音楽理論書の中にある表現を借りたものである。
cordier2アルス・スブティリオールの主な音楽家にはソラージュ、トレボール、マッテオ・ダ・ペルージャ、ボード・コルディエなどがいる。この音楽は、教会大分裂(シスマ)や王家の分裂、様々な災害、百年戦争などによりもたらされた時代の不安を反映したものとされ、複雑なリズムに憂いを帯びた旋律がからみあう様式は、現実から逃避して技巧に溺れた閉塞した音楽だと言われる。楽譜は難解なものとなり、極端な例になるとハートや円などの変型楽譜まで作られるようになる。ボード・コルディエによるこのような変型楽譜はアルス・スブティリオールの自閉的、退廃的な側面を示すものとされるが、洗練された知的遊戯としてみれば、さほど深刻に考えるものではないかもしれない。いずれにせよ、アルス・スブティリオールの音楽は洗練された美しさを持ち、中世の音楽はここにおいて頂点を極め、爛熟の果てに終わった。
このアルス・スブティリオールの音楽に精力的に取り組んできたマーラ・プニカとフェラーラ・アンサンブルのアルバムはいずれも優れた演奏力と憂いのある雰囲気が素晴らしい。



イタリアのトレチェント

2005-01-15 00:02:10 | 音楽史
landiniLANDINI AND ITALIAN ARS NOVA
(14th Century)
 
 
Alla Francesca


14世紀のイタリアはペトラルカやボッカチオなどがあらわれ、ルネサンスへ発展していく人文主義が勃興した時期であるが、音楽においてはそれまでの単旋律の楽曲に代わってポリフォニーがさかんに作られ始めた時期である。「イタリアのアルス・ノヴァ」という言い方は、この時期のイタリア音楽の新傾向を表わすものだったが、現在ではフランスのアルス・ノヴァとの差異を強調し、この時期の音楽を「トレチェントの音楽」と言うようになっている。
アルス・ノヴァという新たな記譜法を手にしてから、14世紀のフランスの音楽はモーダル・リズムに代わる新しいリズムを生み出した。この時期、フランスの音楽家の技巧的な関心はリズムを複雑に組み合わせ多様化することにあった。しかしイタリアの音楽にはそれほど複雑なリズムはなく、音楽家の関心は叙情的に歌う旋律を華麗な装飾によって強調することにあった。
このアルバムはイタリアのトレチェントを代表するフランチェスコ・ランディーニを中心に、ヤコポ・ダ・ボローニャ、マギステル・ピエロ、ギラルデッロ・ダ・フィレンツェらのバッラータ(踊りのための音楽)やカッチャ(カノン形式の音楽)、マドリガーレ(イタリアのポリフォニーの形式では最も古いもので、2拍子のスタンザのあと3拍子のリトルネッロでしめくくる)といった世俗歌曲を収録したもので、ボッカチオの詩 Non so qual i mi voglia にロレンツォ・ダ・フィレンツェが曲をつけたものも収められている。


ギョーム・ド・マショー

2005-01-13 02:47:59 | 音楽史
mndGuillaum de machaut 
Messe de Notre Dame
Liturgie:Messe de la Purification de la Vierge
Marcel Peres
Ensemble Organum

ギョーム・ド・マショー(1300-1377)は、フィリップ・ド・ヴィトリと並んで14世紀フランスを代表する知識人だが、両者は類似したキャリアを重ねながらも対照的に語られることが多い。作品に自分の名前を出さなかったヴィトリと個人全集のような写本を作っては献呈し、自分の作品を後世に残そうとした自己顕示欲の強いマショーというわけだ。
マショーは抒情詩において、トルヴェールの伝統を受け継ぎながらロンドーやヴィルレーなどの定型化を完成へ導いた。この定型化は詩の技法を洗練化したが、詩そのものは誰にでもわかるトポス化された常套句となっている。これは、詩が曲と一体となることで完成するため、歌詞はあまり目立たないほうがよいからだ。詩人固有の表現があらわれるのは、マショーと彼の甥であるデシャン以降、詩と音楽が分離してからのことになる。
マショーはアルス・ノヴァを代表する存在で、イソリズムを用いたモテトゥスなど、140曲ほどが残っているが、ミサで用いられる通常文のすべてを一人で作曲する「通作ミサ」として最初の作品となる「ノートルダム・ミサ」の作者として知られる。「通作ミサ」はその後ブルゴーニュ楽派からフランドル楽派などのルネサンス音楽において数多く書かれることになる。
このアンサンブル・オルガヌムの演奏はマショーの「ノートルダム・ミサ」に固有文の演奏もあわせて2月2日に行われる聖母マリアの清めの祝日(キャンドルマス)を再現している。この団体らしく野太い男声による演奏には異様な感銘を受ける。とりわけホケトゥスの部分は迫力がある。壮絶なるしゃっくり。


フィリップ・ド・ヴィトリ

2005-01-12 00:21:10 | 音楽史
vitryPHILIPPE DE VITRY
Motets & Chansons


Sequentia
Benjamin Bagby & Barbara Thornton

フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361)は14世紀フランスを代表する知識人であり、「アルス・ノヴァ」という全24章からなる論文の著者として知られている。「アルス・ノヴァ」は1320年頃のもので、前半部分で中世の伝統的な音楽理論を説明し、後半部分で新しい記譜法の説明をしている。その記譜法は二分割リズムを許容し、メンスーラ記号を用い、ロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィスといった音符のほかに、より短い音価のミニマ、セミミニマなどを加え、さらにはプンクトゥス(点)や赤符も使うなどして、小さな音符を複雑に組み合わせることで、より自由で微妙な表現を可能とするものだった。ヴィトリのモテトゥスもこのような記譜法について記述した者にふさわしく、細かい音の動きが面白いものとなっている。
このセクエンツィアのアルバムはヴィトリ生誕700年を記念したもので、ヴィトリの楽曲という可能性があるものを20曲、モテトゥスやシャンソン、ヴィルレーなども含め録音しているが、実のところ、ヴィトリによる楽曲であると現在確定しているものは12曲で、すべてモテトゥスであるとのこと。
このなかにはヴィトリが音楽を担当したとされる風刺劇「フォーヴェル物語」からの楽曲もある。この劇は1314年頃、ジェルヴェ・デュ・ビュスによって書かれたフォーヴェルという驢馬の立身出世の寓話で、出世したあとのフォーヴェルの傲慢な生活を描くことにより、教皇や国王などの権力者を批判する内容となっている。中世では鹿毛色の牝驢馬は邪悪と裏切りの象徴であり、これを絵画の主題としたものも多く、この物語はそうした絵画の注釈のようなものでもあるという。


中世イギリスの音楽

2005-01-11 00:46:27 | 音楽史
siiiSUMER IS ICUMEN IN
Medieval English Songs


Paul Hillier
The Hilliard Ensemble

1066年のノルマン・コンクェストから300年ほどの間、イギリスはフランス文化の影響を強く受けた。英語もフランス語の影響を受けて大きく変化していった。この期間、英語は文学用語としてはほとんど存在せず、もっぱらラテン語やフランス語が使われていた。音楽においても世俗歌曲は北フランスのトルヴェールから影響を受けていたし、宗教音楽もフランスの影響を受けていて、英語の歌詞を持った楽曲はほとんど残っていない。
そうしたなか、13世紀後半から14世紀初頭にかけてひとつの歌曲が突然変異的に生まれた。それがタイトル曲の「夏は来たりぬ」である。この曲は15世紀以前に書かれた6声の楽曲として最初のものであり、またカノンとしても最初のものである。この詩はラテン的な明るさが特徴で、それまでのアングロ・サクソンの北方的な暗さとは対照的なものでもある。「夏は来たりぬ」は世俗歌曲だが、ラテン語の歌詞(Perspice Christicola)もあり、宗教的な場面でも用いられていた。(contrafactum)
イギリス音楽の特徴は3度、6度の和声を用いることと、従来の旋法ではなく長音階を用いることが挙げられる。
このヒリアード・アンサンブルのアルバムには、その他にノートルダム楽派からの影響が顕著な楽曲や聖ゴドリック(貿易商で成功した後に信仰の生活を送るようになったヴィジョネールな傾向があった人)の楽曲やチョーサーの「カンタベリー物語」にある「粉屋の話」にも出てくる、当時非常にポピュラーだった「ガブリエルは天父から」などが収録されている。