むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

裁かるるジャンヌ

2006-10-22 00:37:51 | 映画
Jeanne「裁かるるジャンヌ」(La Passion de Jeanne d'Arc)
1928年 フランス
監督・脚本:カール・ドライヤー
撮影:ルドルフ・マテ
出演:ルネ・ファルコネッティ、ウジェーヌ・シルヴァン、
モーリス・シュッツ、アントナン・アルトー他

 

スヴェン・リンドムの「暴君の失墜」を映画化した「あるじ」がフランスで成功を収めたことによって、カール・ドライヤーはフランスに招かれ、フランス史上有名な女性についての映画をつくるよう依頼された。映画会社からは三人の女性(マリー・アントワネット、カトリーヌ・ド・メディシス、ジャンヌ・ダルク)が提案され、この中からドライヤーはジャンヌ・ダルクを選び、のちにサイレント映画の最高傑作と評される「裁かるるジャンヌ」が製作されたのであった。
ドライヤーはジャンヌ・ダルクの裁判記録のなかに、老獪な異端審問官たちの尋問に立ち向かう信仰心の厚い一人の少女を見た。彼はこの裁判記録を映像化することで、勇ましい英雄として偶像化されたジャンヌ・ダルクではない、等身大のジャンヌ・ダルクを描くことができると考えた。ドライヤーはジャンヌ・ダルクの裁判記録を翻訳、出版した歴史家のピエール・シャンピオンの協力を得ながら、脚本を書き進めた。ジャンヌ・ダルクの裁判は5ヶ月間にわたり、29回の尋問が行なわれたが、ドライヤーはそれらを一日の出来事に凝縮することによって余計なものを取り除き、緊密な構成(三一致の法則)にした。

「裁かるるジャンヌ」は顔のクローズ・アップの多用と大胆なカメラ・アングルによって、映画史上特異な位置を占める作品である。この映画に出演した俳優はメイクを禁じられ、顔の傷やそばかす、しわなどが露になっているが、それらは演技以上にさまざまな感情を見る者に伝える。アンドレ・バザンはカール・ドライヤーを「絵画の傑作がもつ尊厳や品位や力強い優雅さをそなえた作品を生んだ映画作家の一人」であるとし、「裁かるるジャンヌ」については「究極の精神的な純化が、カメラという顕微鏡の下でもっとも微細な写実主義の中にのびやかに示されている」と評した。

肉眼で見えないものを顕微鏡が映し出すように、クローズ・アップもまた肉眼で見えないものを映し出す。このクローズ・アップこそがサイレント映画において必要不可欠な技術的条件であるとして、ここから文学でも演劇でもない、映画独自の美学を確立しようと試みたのがベラ・バラージュであった。
バラージュは若い頃にベルリンやパリで、ベルグソンやディルタイなどのいわゆる「生の哲学」を学んだが、彼の映画理論には、人間の具体的な生そのものを認識しようとする「生の哲学」からの影響が明らかである。バラージュは「印刷術の発明以後、言葉が人と人との間の主たる媒体となったために、見える精神は読まれる精神に変わり、視覚の文化は概念の文化に変わった」と言う。このような言葉の文化は人間の顔をわかりにくいものにしてしまったが、バラージュにとっては、概念と言葉の下で生き埋めにされてしまった人間を再び見えるようにするのが映画なのである。

映画の中で、クローズ・アップによって映し出された顔は、心をそらすようなまわりのものから切りはなされ、見る者に近づく。そこでは「顔の皺の一本一本が決定的な性格の特徴になり、ピクリと動く筋肉の震えも、重大な心の中のできごとを示す驚くべきパトスを持つ」ようになる。

「表情の動きは、感情を表現する。だから、それは抒情詩である。表現手段がどんな文学よりも比較にならぬほど豊かで洗練されている抒情詩である。言葉の数より表情の数の方がなんと多いことだろう。一つの眼ざしは一つの叙述より感情のニュアンスをなんとより正確に表現できることだろう。顔の表情は、他人も使う言葉より、なんと個人的だろう。相貌は、つねに抽象的で一般的な概念より、なんと具体的で明瞭だろう。
 ここに映画のもっとも固有な、もっとも深い詩がある」

クローズ・アップで映し出された顔は、目元や口元のすべての輪郭が一つ一つ解きほぐされ、緩み、変化していく。そこにバラージュは人間の感情の抒情詩を、人間の感情の有機的な発展史というべきものを見るばかりか、音楽をも聴き取る。

「よい映画はクローズ・アップによって多声的な生の総譜を読むことをきみに教えるだろう。また大交響曲がそれによって組み立てられているあらゆる事物の、それぞれの肉声を聴き取ることをきみに教えるだろう」

人間の表情はポリフォニックな構造を持ち、様々なものが出現する。それらは重なり、豊かなハーモニーや転調を生み出すが、言葉によるリネラルな叙述ではそれを表現することができない。言語表現が心理的スナップのスタッカートだとすれば、人間の表情はレガートであり、「過去の表情は現在の表情の中にまだ続いており、未来の表情はすでに現在の表情の中にふくまれている」(生の構造連関の形成過程としての内的時間)。

いずれにしても、サイレント映画を見ることで、観客は「言葉の助けを借りることなく人間のあらゆる種類の運命、性格、感情、情緒を眼を通して体験している」のであり、それによって映画が文化を再び根底から転換させようとしているのであり、人は映画を通じて人間の具体的な生そのものに触れるのである。

「全人類は今日すでに何度も忘れ去られた表情や身振りによる言語を再び習得しようとしている。聾唖者の言語のように言語の代用品ではなく、直接に形象となった魂の視覚的交信をである。人間は再び眼に見えるものになるだろう」

概念と言葉の下で生き埋めにされてしまった人間とは、数々の体系に通じた、そして、体系によって、つまり、形態と、記号と、表象によって考えるような人間のことでもあるだろう。アントナン・アルトーはこのような人間を「行為を思考に一致させる代わりに行為から思考を引き出すというわれわれの持つ能力がばかばかしいまでに発達してしまった一個の怪物にほかならない」と言う。この怪物は「行為によって押しすすめられる代わりに、それらの行為をただ眺め、行為の理想的な形態を夢見ることのうちに自らを見失う」のである。人間の生は失われつつある。アルトーが目指したのは演劇によって生の感覚を革新することであった。

「生に触れるために、言語を破壊することこそ、演劇を作ること、あるいは作り直すこととなる。そして、大切なのは、この行為がいつまでも神聖なもの、つまり特別な人たちのものであると思い込まないことだ。しかしまた、誰にでも出来ることではないこと、そのためには準備の必要なことに思いをいたすことも大切だ」

「生という言葉を口にする時にも、いろいろな事実の外側によって認められた生のことではないと理解しなければならない。諸形態が触れることの出来ない、こわれやすい、動きやすい一種の根源のことである。そして、今の時代に、さらに地獄のような、真に呪われた何かがあるとすれば、それは、火あぶりにされようとして、薪の山の上で合図している死刑囚たちのように振舞う代わりに、いつまでも芸術的に、形態にかかずらっていることであろう」

アルトーは西洋の演劇について次のように書いた。

「演劇における言葉の絶対的優位という考え方は、われわれの中にあまりに根強く、また、演劇が、われわれには戯曲の単なる物質的反映としてあらわれすぎるため、演劇において戯曲を超えるもの、戯曲の限界の中に含まれていないもの、戯曲によって厳密に規制されていないもの、それらすべては、演出の分野に属し、その演出は、戯曲とくらべた場合、なにか劣等なものと思われているのである」

アルトーはこのような考え方を否定し、演劇には分節言語から解き放たれた物理的で具体的な言語を語らせることが求められているとした。この物理的で具体的な言語とは、舞台に場を占めるものすべて、舞台の上に物質的に現れ、表現を行なうすべてから成り立っているものであり、五感に訴え、感覚を満足させるものである。それは身振りや態度の言語でもあるが、分節言語の場合でも、それが通常表現しないことを表現するために使ったり、例外的で習慣に反したやり方で使ったりすることで、言語に生理的な動揺を惹き起こす力を返し、なにかを実際に引き裂き、示威する力を返すようにするというものでもある。

バラージュとアルトーは、一方は映画という新しいメディア、もう一方は演劇という古くからあるメディアという違いはあるが、ともに従来の分節言語による従属から人間の身体を解放しようとしたという点で共通している。しかし、バラージュがクローズ・アップという手法に映画独自の可能性を見たのに対し、アルトーはフィルムに限界づけられたものとして映画を否定した。

「<映画> 存在するものの粗雑な視覚化に対して、演劇は、詩によって、存在しないものの映像を与える。それに劇的行為という点から言っても、映画の映像は、いかに詩的な場合でも、フィルムによって制限されている点で、人生のあらゆる要求に従う演劇の映像(イマージュ)とは比較にならない」

「ラシーヌ以来の心理的演劇の害毒は、演劇が持たなければならない直接的で激烈な行動をすっかりなじみのないものにしてしまった。そして今度は映画が、その反射光でわれわれを生殺しにし、機械に濾されて、われわれの感受性に達することも出来ぬくせに、十年来、われわれを無為な麻痺状態の中にとじ込め、われわれのあらゆる能力は、その中に沈んでしまったように見える」

このように映画を否定したアルトーではあったが、「裁かるるジャンヌ」には俳優として出演し、ジャンヌ・ダルクに同情的な修道士を演じた。ジャンヌ・ダルクの裁判は百年戦争時の政治的な要因があるにせよ、神学者たちによって代表される上級文化とジャンヌ・ダルクによって代表される農村の民衆文化との衝突でもあり、煩瑣な神学論争に耽る、概念と言葉の下で生き埋めになった怪物たちと行動者として自発的な生を生きた者との闘争でもあっただろう。その意味で、ジャンヌ・ダルクに同情的な修道士はアルトー自身でもあるだろう。

「裁かるるジャンヌ」はジャンヌが火刑台にかけられてから、それまでのクローズ・アップの連続から一転し、エイゼンシュテインばりの群衆劇となる。うごめく群衆と追い立てる兵士たちをドライヤーは真上から、あるいは真下からと信じがたいカメラ・アングルを駆使しつつとらえるとともに、燃えさかる炎に取り巻かれながら焼け焦げていくジャンヌ・ダルクを何度も繰り返し挿入する。この一連のシーンを見る者は、フランス兵を鼓舞し、フランスを救ったジャンヌ・ダルクの、死してなお、人を行動に駆り立てる不思議な力を疑うことができなくなる。

→小松弘「裁かるるジャンヌ」日本版DVDオリジナルリーフレット(紀伊国屋書店)
→アンドレ・バザン「残酷の映画の源流」(新樹社)
→ベラ・バラージュ「視覚的人間」(岩波文庫)
→アントナン・アルトー「演劇とその形而上学」(白水社)