むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

瀧口修造

2005-04-12 01:40:01 | アート・文化
瀧口修造は1903年生まれ。彼の生誕100周年を記念して、2003年頃から様々な企画展や催しがあちこちで開かれていたようだが、2005年2月5日から始まり4月10日で終了した世田谷美術館の「瀧口修造 夢の漂流物」は、そうした催しの集大成であったと言えるだろう。瀧口修造によるデカルコマニーやバーント・ドローイング、あるいはロトデッサンの展示のほかに、彼の書斎で、彼だけが知りうる自由な結合を繰り広げていたオブジェがその数も夥しく展示されていた。

アンドレ・ブルトンの詩「自由な結合」は、 マルクスの価値形態論をあてはめれば、Ma femme(私の女)の価値表現として全体的な、展開された価値形態である。この連鎖はばらばらな寄木細工であり、未完成のものであるが、 Ma femme を等価物とした一般的価値形態になおすことができる。一般的価値形態から貨幣形態へ。社会的な慣習によって金という商品が貨幣としての機能を独占したが、これに対抗するオルタナティヴな貨幣形態として Ma femme を貨幣とすること。クロソウスキー的に言えば「生きた貨幣」となること。

瀧口修造は「オブジェの店」を出すことを考えていた。

年譜より
1959年
ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめる
1963年
職業として文章を書くことに深い矛盾を感じる
この頃より「オブジェの店」を開くことを夢想しはじめる
1964年
架空のオブジェの店の名前としてデュシャンから「ローズ・セラヴィ」を贈られる

市場における流通形態とは全く別の、市場価値のないものを内的な要請だけで、プライベートなかたちで流通させようとするこの「オブジェの店」の構想の背後には、職業として文章を書くことに矛盾を感じ、書くことに障害を感じていたということがあった。瀧口修造と彼の書斎にあるオブジェ群との関係が、瀧口修造を等価物とする一般的価値形態になるためには、彼自身がオブジェ群との同等な妥当性を持たなければならない。貨幣に従属した職業としてジャーナリスティックな評論を書くことはここにおいて放棄されなければならない。

バラ色の人生と散文奴隷制度
Rrose Selavy の文字をしばらく眺めていると、そこに Prose Slavery の文字がゴーストのように浮かんでくる。
Prose Slavery 散文奴隷制度、あるいは苦役としての散文といったニュアンス。あるいは Slavery を Slobbery の古語とした場合には、よだれのような散文といった意味も含むことになる。幸田露伴を想起するまでもなく、駄文を牛のよだれとする慣用表現は古くからある。

世田谷美術館を訪れたのは3月20日のことだった。そのときは図録ができあがっておらず、予約をしてきたが、それが届いたのが3月30日だった。白地に「瀧口修造 夢の漂流物」とだけある表紙は、いかにも瀧口的なシンプルさである。中を開いてみると展示品の図版部分は全体の3分の1ほどで、残り3分の2には何人もの学芸員のテクストが掲載されている。この図録にあっても Rrose Selavy と Prose Slavery が二重化していることに驚きを禁じ得なかった。