むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

ウィークエンド

2005-01-19 19:28:08 | 映画
weekend1967年フランス・イタリア
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
音楽:アントワーヌ・デュアメル
出演:ミレイユ・ダルク、ジャン・ヤンヌ他

いわく、「宇宙にさまよった映画」、「鉄屑から見つかった映画」。

ロランとコリンヌはそれぞれが愛人を持ち、互いの死を望んでいる。今はコリンヌの父の遺産を手に入れるためだけに夫婦生活を続けているようなもの。その父の死期がいよいよ迫ったというので、二人はワンヴィルにあるコリンヌの実家に車を走らせる。ここから映画は二人の道中を妨げる出来事ばかり起きる。

交通事故が原因の大渋滞。
延々と鳴らされるクラクション。
無造作に転がる死体。
ジョゼフ・バルダモ(詐欺師カリオストロ)による車の占拠。
二人の車を巻き込んだ衝突事故。
無残に炎上する車。
フランス革命の大天使サン・ジュストの唐突な登場。
アリス化したエミリー・ブロンテとの噛み合わない会話。
モーツァルトのピアノ・ソナタ第17番の演奏(360度のパン)。
モルガンとエンゲルスを引用したゴミ清掃員の演説。
ワンヴィルでの遺産相続をめぐる事件。
セーヌ・オワーズ解放戦線という名のゲリラ。
ドラム演奏とともにロートレアモン「マルドロールの歌」の朗読。

これらの出来事は二人を疎外された状況に置く。ゴダールはブレヒトの異化(映画であることを常に意識させることにより、感情移入を許さない)を導入し、不自然さと唐突さで、疎外された状況をグロテスクなまでに誇張する。疎外の克服もなく、当然、カタルシスもない。こうして、映画では疎外された状況を際立たせながら、その手法においては従来のやり方をことごとく打破することで映画の革命を成し遂げようとした。しかし、このことはサン・ジュストが断頭台に消えたように、ロランとコリンヌの為した暴力が暴力によって無意味にされたように、ゴダールにとっても自らをアンビヴァレンツな状況に置くことになったのではないか。
「自由とは犯罪と同じく暴力である」(サン・ジュスト)

子どものように残虐で、結びつきようのないことを結びつけることによる「衝撃的な出会いの美しさ」を語ったロートレアモンの引用は、「ウィークエンド」の交通事故のような編集を支持するだけでなく、この後にゴダールが商業映画から退き、単独の作者としてではなく、匿名的な映画集団である「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成したことを考えると極めて重要なことに思う。ロートレアモンはまた、イジドール・デュカス名義で他人からの剽窃も厭わず「詩は万人によって作られるべきだ」(ポエジー)と言ったのだ。主体としての作者を消滅させることによる疎外論自体の無効化。