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ゴシック期の音楽

2005-01-09 21:18:47 | 音楽史
imagesMUSIC OF THE GOTHIC ERA
  
 
David Munrow
The Early Music Consort of London


12世紀後半のノートルダム楽派から14世紀のギョーム・ド・マショーまで、いわゆるアルス・アンティクヮとアルス・ノヴァの音楽が一望できるアルバム。
ノートルダム楽派はサンマルシャルタイプのメリスマティック・オルガヌムをさらに発展させた。オルガヌムは「オルガヌム様式」と呼ばれるメリスマティック・オルガヌムをより長く引き伸ばした部分と「ディスカントゥス様式」と呼ばれるテノール声部が対旋律と同じように速く動く部分の二つになり、この二つの部分で構成されるポリフォニックな部分と聖歌隊全員で斉唱するモノフォニックな部分が交互に現れて一つの大きな楽曲になる。レオニヌスは2声のオルガヌムを作ったが、その後のペロティヌスは4声のオルガヌムを作り、その響きはノートルダム大聖堂のような荘重さに至る。このペロティヌスによりオルガヌム形式は頂点を極め、それ以降の発展はなかった。
その代わりに13世紀後半から数多く作られるようになったのはモテトゥスと呼ばれる形式で、もともとモテトゥスはディスカントゥス様式で書かれた部分のドゥプルム声部の旋律に新しい歌詞をつけることから始まった。この歌詞はラテン語でも俗語でもよく、また内容は宗教的なものでも世俗的なものでもよかった。この新しく歌詞をつけられたドゥプルム声部をモテトゥスと呼んだのだが、次第にディスカントゥス様式の、特にクラウズラと呼ばれる部分全体をモテトゥスと呼ぶようになり、そのうちオルガヌムとは独立して作られるようになった。
モテトゥスは俗語を用いても、世俗的な内容を歌ってもよいため、当然のことながら世俗化していったが、その背景にはトルヴェールの世俗音楽があった。最後のトルヴェールと呼ばれたアダン・ド・ラ・アルは最初に世俗歌曲をポリフォニーで作曲した人でもある。ここにおいてトルヴェールの伝統とポリフォニーの伝統が融合した。
モテトゥスはドゥプルム声部、トリプルム声部それぞれに違う歌詞をつけて歌われる。それを聴き分けることはほとんど不可能だが、それをうまく利用して権力批判的な内容を歌うといったことがなされるようになった。
次にアルス・ノヴァだが、これはフィリップ・ド・ヴィトリの音楽理論書のタイトルから取られている。その意味は新しい記譜法といったもので、それまで使われてきたフランコ式記譜法の問題点(基準音価の三分割法)を改善するものだ。ちなみにアルス・ノヴァの記譜法を実際に使ったのは事実上ヴィトリとギョーム・ド・マショーの二人しかいないとされている。マショーのアイソリズムやホケトゥスなどの技法はアルス・ノヴァの記譜法あってのものだそうだ。