むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

野獣死すべし

2019-11-07 21:59:47 | 映画

「野獣死すべし」1980年日本
監督 村川 透
出演 松田優作 室田日出男 鹿賀丈史 小林麻美

この映画は大藪春彦の同名小説が原作ということになっているが、内容は全く違ったものとなった。しかし、だからといって駄作というわけではなく、それはそれとして見るべきものが多い問題作たりえている。そうなったのは松田優作という個性的な俳優によるところが大きいだろう。

彼がこの映画のために体重を10㎏落とし、奥歯を4本抜いたのはよく知られているが、脚本も彼によって大きく変えられているのである。そのためこの映画は破綻寸前となっているが、言い換えれば、破綻一歩手前で踏みとどまることができたということでもあり、ここにこの映画の魅力もあるのである。

この映画はガード下の映像から始まる。スクリーンの奥から現れる一人の男。彼はすぐに刑事であることがわかるのだが、どことなく周囲を気にしているようだ。

次の非合法カジノの場面でも店員が外の不審な気配に気づき、そのことを報告している。

これら二つの場面からわかることは、この映画は見えない存在の気配を描くことでスクリーンの外を意識させているということである。

主人公伊達邦彦がようやく現れるのはその次の大雨のシーンからである。まるでスクリーンの外から中へ飛び込むように現れ、転げまわりながら刑事を刺殺し、非合法カジノを襲撃し、のたうちまわりながらもその売上金を手に入れる。

伊達邦彦。東京大学卒。射撃部。学生時代は図書館と名曲喫茶を往復するような生活で、半年でニーチェを読破し、チャンドラーやハメットを読み散らかす。通信社に勤務し、カメラマンとして各国の激戦地をくぐりぬける。日本に帰国後は通信社をやめ、知り合いの出版社で翻訳の仕事を手伝う。それ以外はクラシック音楽を聴くか、読書をするかで社会とはかかわりを持たないように生活している。しかしその心中では銀行強盗を企てている。これが我々のアンチ・ヒーローである。

ここで、この映画に使用された楽曲をみてみると、自宅のオーディオ装置から鳴り響くショスタコーヴィチ「交響曲第5番『革命』」、そしてほんの一瞬聞こえるモーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」、レコード店の試聴室でのベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」、コンサートホールでのショパン「ピアノ協奏曲第1番」(ピアノは花房晴美)。この曲にはショパンの、故郷への決別と飛翔への想いがこめられているという。

理想的な美は現実の汚辱にまみれなければならないとでもいうように、クラシックコンサートの後、伊達は全裸女性の自慰行為を眺めながらトマトジュースをちびちびと舐め、頭の中で萩原朔太郎の「漂泊者の歌」を吟じている。この詩はニーチェからの影響を強く受けたものであるが、この中には伊達とこの映画をとらえるための重要なキーワードが散りばめられている。例えば「かつて何物をも汝は愛せず」という詩句は、伊達の孤独な生活と結びつく。また、「石をもて蛇を殺すごとく/一つの輪廻を断絶して/意志なき寂寥を踏み切れかし」という詩句は、この映画の転回点の一つである、相棒の真田に向けられた「あの輪廻という忌まわしい長い歴史をたった一発の銃弾できみは否定してしまったんだ」という一節と結びつくだろう。

しかしながら、松田優作が脚本を書き換えた部分には、この映画と伊達にとって重要なキーワードがちりばめられているものの、超人思想を披歴した長広舌は概念が短絡したものでしかない。人を殺すことで神をも超越する?この思想に共感できるものは少ないだろう。こうして伊達邦彦は我々のアンチヒーローから逸脱し、何を考えているのかわからない存在になっていく。

萩原朔太郎の「漂泊者の歌」とニーチェというよりは、ドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフに近しい超人思想と、後半に出てくるリップ・ヴァン・ウィンクルの伝説(どんな狩りでも許されるという素晴らしい夢)はこの映画を破綻寸前でつなぎとめる紐帯の役割を果たしている。

日本映画史に残るロシアン・ルーレットの場面から伊達に撃たれるまで、伊達を追い続けた柏木は刑事として、つまりは体制側として伊達に対峙していたが、ついに伊達に勝つことができなかった。権力からも逃れてますます野獣性を開放していく伊達。我々を遠く置き去りにし、ここから映画は現実とも夢ともつかぬ、映画としか言いようのない展開を見せる。繰り返し挿入される戦場の惨劇と銃声、戦闘機の爆音。そして伊達は狂乱の中、自らが経巡った戦場の記憶と今ある現在を混沌の中に落とし込み、日常を戦場化していくのだった。

ラストシーンについて
伊達邦彦がコンサートホールで居眠りをし、一人きりで取り残されたとき、大声を2回出して自分がいる場所のリアリティを試す場面がある。リップ・ヴァン・ウィンクルの眠りのように、眠っているうちに何十年も経過してしまったのかどうか。

この映画のラストシーンは、伊達邦彦が見えない銃弾に撃たれ、もんどりうって倒れこむところで映像が止まり、カメラが次第に引いていくというものである。このシーンが「明日に向って撃て!」のラストシーンにインスパイアされたものだということは否定できないだろう。ブッチとサンダンスが外へ飛び出した瞬間、待ち構えていた州兵たちから一斉射撃を受ける。その射撃音は次第に遠ざかり、映像もまた次第に小さくなっていく。

西部開拓時代は反抗するものと抑圧するものとの関係がわかりやすいものであった。60年代後半であってもそれは同様で、反体制運動は権力によって抑圧されていった。この図式はしかし、1980年代の日本においてはすでにあてはまらないものになっていた。個人の中に奥深く内面化された管理、自らを抑圧するものたち、ニーチェ的に言えば現代の末人たちに反抗は抑圧され、野獣は殺されるのである。つまり、伊達邦彦を殺したのは、スクリーンの外で息をひそめている存在、つまり、映画を見ている我々なのである。我々が何食わぬ顔をして日常生活に戻るために、自らの野獣性を封じ込めるために、我々が伊達邦彦を殺したのである。

裁かるるジャンヌ

2006-10-22 00:37:51 | 映画
Jeanne「裁かるるジャンヌ」(La Passion de Jeanne d'Arc)
1928年 フランス
監督・脚本:カール・ドライヤー
撮影:ルドルフ・マテ
出演:ルネ・ファルコネッティ、ウジェーヌ・シルヴァン、
モーリス・シュッツ、アントナン・アルトー他

 

スヴェン・リンドムの「暴君の失墜」を映画化した「あるじ」がフランスで成功を収めたことによって、カール・ドライヤーはフランスに招かれ、フランス史上有名な女性についての映画をつくるよう依頼された。映画会社からは三人の女性(マリー・アントワネット、カトリーヌ・ド・メディシス、ジャンヌ・ダルク)が提案され、この中からドライヤーはジャンヌ・ダルクを選び、のちにサイレント映画の最高傑作と評される「裁かるるジャンヌ」が製作されたのであった。
ドライヤーはジャンヌ・ダルクの裁判記録のなかに、老獪な異端審問官たちの尋問に立ち向かう信仰心の厚い一人の少女を見た。彼はこの裁判記録を映像化することで、勇ましい英雄として偶像化されたジャンヌ・ダルクではない、等身大のジャンヌ・ダルクを描くことができると考えた。ドライヤーはジャンヌ・ダルクの裁判記録を翻訳、出版した歴史家のピエール・シャンピオンの協力を得ながら、脚本を書き進めた。ジャンヌ・ダルクの裁判は5ヶ月間にわたり、29回の尋問が行なわれたが、ドライヤーはそれらを一日の出来事に凝縮することによって余計なものを取り除き、緊密な構成(三一致の法則)にした。

「裁かるるジャンヌ」は顔のクローズ・アップの多用と大胆なカメラ・アングルによって、映画史上特異な位置を占める作品である。この映画に出演した俳優はメイクを禁じられ、顔の傷やそばかす、しわなどが露になっているが、それらは演技以上にさまざまな感情を見る者に伝える。アンドレ・バザンはカール・ドライヤーを「絵画の傑作がもつ尊厳や品位や力強い優雅さをそなえた作品を生んだ映画作家の一人」であるとし、「裁かるるジャンヌ」については「究極の精神的な純化が、カメラという顕微鏡の下でもっとも微細な写実主義の中にのびやかに示されている」と評した。

肉眼で見えないものを顕微鏡が映し出すように、クローズ・アップもまた肉眼で見えないものを映し出す。このクローズ・アップこそがサイレント映画において必要不可欠な技術的条件であるとして、ここから文学でも演劇でもない、映画独自の美学を確立しようと試みたのがベラ・バラージュであった。
バラージュは若い頃にベルリンやパリで、ベルグソンやディルタイなどのいわゆる「生の哲学」を学んだが、彼の映画理論には、人間の具体的な生そのものを認識しようとする「生の哲学」からの影響が明らかである。バラージュは「印刷術の発明以後、言葉が人と人との間の主たる媒体となったために、見える精神は読まれる精神に変わり、視覚の文化は概念の文化に変わった」と言う。このような言葉の文化は人間の顔をわかりにくいものにしてしまったが、バラージュにとっては、概念と言葉の下で生き埋めにされてしまった人間を再び見えるようにするのが映画なのである。

映画の中で、クローズ・アップによって映し出された顔は、心をそらすようなまわりのものから切りはなされ、見る者に近づく。そこでは「顔の皺の一本一本が決定的な性格の特徴になり、ピクリと動く筋肉の震えも、重大な心の中のできごとを示す驚くべきパトスを持つ」ようになる。

「表情の動きは、感情を表現する。だから、それは抒情詩である。表現手段がどんな文学よりも比較にならぬほど豊かで洗練されている抒情詩である。言葉の数より表情の数の方がなんと多いことだろう。一つの眼ざしは一つの叙述より感情のニュアンスをなんとより正確に表現できることだろう。顔の表情は、他人も使う言葉より、なんと個人的だろう。相貌は、つねに抽象的で一般的な概念より、なんと具体的で明瞭だろう。
 ここに映画のもっとも固有な、もっとも深い詩がある」

クローズ・アップで映し出された顔は、目元や口元のすべての輪郭が一つ一つ解きほぐされ、緩み、変化していく。そこにバラージュは人間の感情の抒情詩を、人間の感情の有機的な発展史というべきものを見るばかりか、音楽をも聴き取る。

「よい映画はクローズ・アップによって多声的な生の総譜を読むことをきみに教えるだろう。また大交響曲がそれによって組み立てられているあらゆる事物の、それぞれの肉声を聴き取ることをきみに教えるだろう」

人間の表情はポリフォニックな構造を持ち、様々なものが出現する。それらは重なり、豊かなハーモニーや転調を生み出すが、言葉によるリネラルな叙述ではそれを表現することができない。言語表現が心理的スナップのスタッカートだとすれば、人間の表情はレガートであり、「過去の表情は現在の表情の中にまだ続いており、未来の表情はすでに現在の表情の中にふくまれている」(生の構造連関の形成過程としての内的時間)。

いずれにしても、サイレント映画を見ることで、観客は「言葉の助けを借りることなく人間のあらゆる種類の運命、性格、感情、情緒を眼を通して体験している」のであり、それによって映画が文化を再び根底から転換させようとしているのであり、人は映画を通じて人間の具体的な生そのものに触れるのである。

「全人類は今日すでに何度も忘れ去られた表情や身振りによる言語を再び習得しようとしている。聾唖者の言語のように言語の代用品ではなく、直接に形象となった魂の視覚的交信をである。人間は再び眼に見えるものになるだろう」

概念と言葉の下で生き埋めにされてしまった人間とは、数々の体系に通じた、そして、体系によって、つまり、形態と、記号と、表象によって考えるような人間のことでもあるだろう。アントナン・アルトーはこのような人間を「行為を思考に一致させる代わりに行為から思考を引き出すというわれわれの持つ能力がばかばかしいまでに発達してしまった一個の怪物にほかならない」と言う。この怪物は「行為によって押しすすめられる代わりに、それらの行為をただ眺め、行為の理想的な形態を夢見ることのうちに自らを見失う」のである。人間の生は失われつつある。アルトーが目指したのは演劇によって生の感覚を革新することであった。

「生に触れるために、言語を破壊することこそ、演劇を作ること、あるいは作り直すこととなる。そして、大切なのは、この行為がいつまでも神聖なもの、つまり特別な人たちのものであると思い込まないことだ。しかしまた、誰にでも出来ることではないこと、そのためには準備の必要なことに思いをいたすことも大切だ」

「生という言葉を口にする時にも、いろいろな事実の外側によって認められた生のことではないと理解しなければならない。諸形態が触れることの出来ない、こわれやすい、動きやすい一種の根源のことである。そして、今の時代に、さらに地獄のような、真に呪われた何かがあるとすれば、それは、火あぶりにされようとして、薪の山の上で合図している死刑囚たちのように振舞う代わりに、いつまでも芸術的に、形態にかかずらっていることであろう」

アルトーは西洋の演劇について次のように書いた。

「演劇における言葉の絶対的優位という考え方は、われわれの中にあまりに根強く、また、演劇が、われわれには戯曲の単なる物質的反映としてあらわれすぎるため、演劇において戯曲を超えるもの、戯曲の限界の中に含まれていないもの、戯曲によって厳密に規制されていないもの、それらすべては、演出の分野に属し、その演出は、戯曲とくらべた場合、なにか劣等なものと思われているのである」

アルトーはこのような考え方を否定し、演劇には分節言語から解き放たれた物理的で具体的な言語を語らせることが求められているとした。この物理的で具体的な言語とは、舞台に場を占めるものすべて、舞台の上に物質的に現れ、表現を行なうすべてから成り立っているものであり、五感に訴え、感覚を満足させるものである。それは身振りや態度の言語でもあるが、分節言語の場合でも、それが通常表現しないことを表現するために使ったり、例外的で習慣に反したやり方で使ったりすることで、言語に生理的な動揺を惹き起こす力を返し、なにかを実際に引き裂き、示威する力を返すようにするというものでもある。

バラージュとアルトーは、一方は映画という新しいメディア、もう一方は演劇という古くからあるメディアという違いはあるが、ともに従来の分節言語による従属から人間の身体を解放しようとしたという点で共通している。しかし、バラージュがクローズ・アップという手法に映画独自の可能性を見たのに対し、アルトーはフィルムに限界づけられたものとして映画を否定した。

「<映画> 存在するものの粗雑な視覚化に対して、演劇は、詩によって、存在しないものの映像を与える。それに劇的行為という点から言っても、映画の映像は、いかに詩的な場合でも、フィルムによって制限されている点で、人生のあらゆる要求に従う演劇の映像(イマージュ)とは比較にならない」

「ラシーヌ以来の心理的演劇の害毒は、演劇が持たなければならない直接的で激烈な行動をすっかりなじみのないものにしてしまった。そして今度は映画が、その反射光でわれわれを生殺しにし、機械に濾されて、われわれの感受性に達することも出来ぬくせに、十年来、われわれを無為な麻痺状態の中にとじ込め、われわれのあらゆる能力は、その中に沈んでしまったように見える」

このように映画を否定したアルトーではあったが、「裁かるるジャンヌ」には俳優として出演し、ジャンヌ・ダルクに同情的な修道士を演じた。ジャンヌ・ダルクの裁判は百年戦争時の政治的な要因があるにせよ、神学者たちによって代表される上級文化とジャンヌ・ダルクによって代表される農村の民衆文化との衝突でもあり、煩瑣な神学論争に耽る、概念と言葉の下で生き埋めになった怪物たちと行動者として自発的な生を生きた者との闘争でもあっただろう。その意味で、ジャンヌ・ダルクに同情的な修道士はアルトー自身でもあるだろう。

「裁かるるジャンヌ」はジャンヌが火刑台にかけられてから、それまでのクローズ・アップの連続から一転し、エイゼンシュテインばりの群衆劇となる。うごめく群衆と追い立てる兵士たちをドライヤーは真上から、あるいは真下からと信じがたいカメラ・アングルを駆使しつつとらえるとともに、燃えさかる炎に取り巻かれながら焼け焦げていくジャンヌ・ダルクを何度も繰り返し挿入する。この一連のシーンを見る者は、フランス兵を鼓舞し、フランスを救ったジャンヌ・ダルクの、死してなお、人を行動に駆り立てる不思議な力を疑うことができなくなる。

→小松弘「裁かるるジャンヌ」日本版DVDオリジナルリーフレット(紀伊国屋書店)
→アンドレ・バザン「残酷の映画の源流」(新樹社)
→ベラ・バラージュ「視覚的人間」(岩波文庫)
→アントナン・アルトー「演劇とその形而上学」(白水社)


パンドラの箱

2006-09-24 17:49:00 | 映画
Brooks316_1「パンドラの箱」(DIE BUCHSE DER PANDORA)
1929年 ドイツ
監督:ゲオルク・ウィルヘルム・パプスト
脚本:ラディスラウス・ヴァイダ
撮影:ギュンター・クランプフ
原作:フランク・ヴェーデキント
出演:ルイーズ・ブルックス、フリッツ・コリトナー、
    フランツ・レーデラー 他


G.W.パプストは第一次大戦後の新しいリアリズムであるノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の旗手であった。彼はインフレ下のウィーンで没落した中産階級の人間たちを冷徹にとらえた「喜びなき街」で衝撃を与えた。この映画はイギリスでは一般公開を禁じられ、そのほかの国では大幅に削除されたうえで公開された。彼は現実の生活に関心を持ち、その映画手法上の特徴は、まるで演出されていないできごとをそのまま記録したかのように撮り、象徴的な意味を生成するような構成を排し、素材そのままを写すというもので、一連のできごとが自発的に行なわれるのを見つめる。それは画家というよりは写真家に近い視点であり、「観客は<いかに美しいか>より、むしろ<いかに真実であるか>を感じさせられる」と評された。そしてパプストは現実を絶え間ない流れにおいてとらえ、観客に一つの現象をじっと見つめることを許さない。この特徴は、「パンドラの箱」においては、レビューの舞台裏のめまぐるしい動きに端的に示されている。
彼には社会的な崩壊と性的な側面での不行跡を関連づけた一連の作品(「邪道」、「パンドラの箱」、「淪落の女の日記」)がある。「パンドラの箱」製作時のエピソードに、主役ルルを演じる女優が見つからず、1600人もの女優をテストしてようやく見つけ出したのが、ルイーズ・ブルックスであったという話がある。苦労は報われた。類稀なる才能を持ちながらハリウッドのシステムに馴染めずスポイルされてしまった伝説の大女優。彼女なしにはこの映画が永遠の名作として映画史上に残ることはなかっただろう。
しかし、ジークフリート・クラカウアーが記すところによれば、この映画は当時、失敗作とされた。その理由としては、台詞の微妙なニュアンスに頼る文学的な戯曲からサイレント映画を撮ったことにあるというものであった。クラカウアー自身もこの映画を失敗作とみなしたが、それを戯曲の抽象性に起因するものとし、「内容のない<雰囲気>にすぎない」映画であるとしている。

「パンドラの箱」はフランク・ヴェーデキントの戯曲「地霊」と「パンドラの箱」(ルル二部作)を原作としている。山口昌男によれば、ヴェーデキントがルルを生み出すにあたりその起源となったものとして、フェリシアン・シャンソールの一幕物のパントマイム「ルル」がある。これはアルルカンとコロンビーヌ(ルル)、そしてピエロ(哲学者)というイタリア喜劇仕立ての三角関係劇で、ここにはコロンビーヌ=踊り子=永遠の誘惑者としての原型が示されているという。また、「パンドラの箱」というタイトルが示すように、ルルは神々が創った最初の女性であり、災いをもたらすべく人間界に送り込まれたパンドーラーでもある。開けることを許されていなかった箱を好奇心から開けてしまったために、あらゆる災厄を撒き散らしたパンドーラーが女性の起源であるとギリシャ神話は伝える。
ピエロ(哲学者)を誘惑し翻弄するコロンビーヌ(ルル)、そして女性の起源であるパンドーラー。これらはニーチェの「善悪の彼岸」序言にある冒頭の一節へと我々を導く。

「真理が女である、と仮定すれば――、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らがこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠絡されなかったのは確かなことだ。――そこであらゆる種類の独断は、今日では悄然として意気阻喪した恰好で立ちつくしている。それがなお立っているとすればだ!」

ニーチェの女性についての問いを受けて、デリダは「尖鋭筆鋒の問題」のなかで次のように語っている。

「女性というものは、引き離すものであり、自分自身からおのれを引き離すもので、女性の本質は存在しないのです。女性は、あらゆる本質性、あらゆる同一性、あらゆる固有性を、終わりなく、底無しに、呑み込み、底から投げ出します。ここでは哲学的な言述(ディスクール)は、盲目になって、沈没する――破滅へと投げ入れられるがままになる――のです。女性の真理というものは存在しないのですが、しかし、それは、このような真理からの深淵的な引き離し、このような非-真理が≪真理≫なのだからなのです。女性とは、このような真理の非-真理の名称であります」

だからこそ、ニーチェは同じく「善悪の彼岸」のなかで「女性が学者的(科学者的)になろうとすることは、最悪の趣味に属するのではあるまいか」と書いた。これと同様のことをヴェーデキントも作中の台詞として書いた。「恋によって生活の資金を手に入れる女性は、フェリエトンや書物すら書くまでに己を卑しめてしまった女性よりも、私にとってずっとずっと尊敬に値する」と。

ヴェーデキントが劇作家として活動していた19世紀末のドイツでは、終末観ではなく、むしろ新生への期待が支配していた。文学者たちは伝統と断絶し、未来への意欲を示し、現実の社会問題へと取り組んだ。ヴェーデキントはその劇作において、一貫して抑圧された性と社会的制度の関係を暴くことに取り組んだ。このような彼の活動は当然のように司法との闘争を余儀なくされたが、現在では表現主義から戦後演劇へとつながる現代演劇の先駆者としての評価を得ている。
しかし、「性の解放者」としてブルジョワ社会のモラルを攻撃したヴェーデキントに対し、トロツキーは彼のボヘミアン的な性向や虚無主義や懐疑主義、唯美主義の限界を指摘した。トロツキーのヴェーデキント批判は当時のロシア・インテリゲンチャを攻撃するためのものであるにせよ、手厳しいものであった。

「成上り物、抜け駆けの昇進者、あるいは失敗者である彼らは、社会的伝統や確乎とした社会的愛着の対象を失っている。「現在の秩序」に対する彼らの蔑むような渋面と無政府主義的美辞麗句は、あとからあとからと続いて、決してとどまることがないだろう。しかし、これ以上は事態が進むことはない。「現在の秩序」は彼らがこの秩序を軽蔑しているときに、彼らを寛大に眺めていて、その後で自分の目的のために平然と彼らを利用するためである。用意が足りないと分った者は、打ちのめされ、もっともよい場合でも、新聞の苦力、舞踏会のピアニスト、広告文案作者として辛うじて存在を保つことが許されるだけである」

「社会的ニヒリズムは、彼らすべてに自分自身を中心軸として休みなく回転するようにさせる。口では傲慢な侮蔑の言葉を吐きながら、彼らは、死の恐怖と性の本能に動かされて盲の仔猫のように哀れに隅から隅へと駆けまわる」

「否定、しばしば容赦しないものではあるが、いつも社会的結論にいたると手を引いてしまう風刺、これこそ彼らの呼吸している空気である」

「ヴェデキントの不安定な唯美主義、それは彼の前に未来の小さい一角を開示するが、非力な彼は公園の門の傍に置きざりにされるのである。融通無碍のフォルムを好むだけでは、世界はひっくりかえせない」

トロツキーはヴェーデキントの創作の発展段階を性の三段階としてとらえる。最初は「春のめざめ」に示された性の衝動に対するおずおずとしたおののき、青春の甘い香りに誘われたおののきであり、二番目は「地霊」に示された性の無限の王国である。そして最後の段階は「パンドラの箱」に示された剥き出しになった性がなりふりかまわず通りすがりの者の服をつかみ、徹底的に自己を消耗し尽くし、新しい道を開拓しようとしてナイフを女性の肉体に突き刺す、というもの。ここにおいて唯美主義的なエロティシズムは破綻し、挙句の果てにヴェーデキントは「弁神論」に示されたように、生活の意義を神に求めるようになる。トロツキーはここに大胆な否定者が臆病な神秘主義者になってしまう矛盾を指摘する。

それではヴェーデキントの「地霊」と「パンドラの箱」はどのような物語であるのか。トロツキーの要約をそのまま引用する。

「今や登場するのは、罪なほど美しいルルゥである。蛇のようにしなやかで、その動きの一つ一つで多感に打ち震え、どの衣裳をつけたときにも露出してしまう股で物事を考え、悲哀も、疑いも、良心の呵責も知らない彼女は、性のように不可抗力的存在だ。彼女は、性の体現として世間にお目見えしている。彼女は地の悪霊だ。周囲に鉄屑をばらまいたなかに置かれた磁石が受動的であるように、ルルゥは受動的で、自分のまわりに邪悪な情熱をまき散らし、老人や若者たちにどうしても抑えることのできない性の無分別を伝染させ、心身ともに打ちくだかれた存在と死体を、自己の勝利の道標とする。彼女の最初の夫は、彼女が愛人の画家と一緒にいるところに出くわして、卒中を起こして死ぬ。画家は彼女の夫になるが、ルルゥの以前の情夫、編集者のシェーンの登場を悟ると、きれいに剃り上げた喉を切って自殺する。シェーンは、今度は自分の番になって、サーカスの力持ちや高校生や彼自身の息子の文士などの仲間に入っている妻を見つける。ルルゥはピストルで自分の夫を傷つける。誰も、いかなることも、この美しく、狡賢い女を抑えることができない。だから、無力感にとらわれたヴェデキントは、彼女を警察の手に引き渡すのだ。ところが、警察も地霊をうまく扱うことができない。ルルゥは、自分の予定したことを最後まで果たすべく脱獄する。今や彼女は、パンドラの箱に入って再びわれわれの前に現われる。彼女は三度目の夫の息子である文士アリヴァ・シェーンを囚にして、彼と一緒にパリにひそみ、賭博師、高級淫売婦、銀行家、探偵に囲まれて暮らしている。シェーンの財産は、ルルゥの邪悪な魅力の衰えよりもずっと急速に尽きて行く。彼女は、ロンドンに逃げ、屋根裏部屋に住んで、街角で春をひさぐ。彼女のところにはアリヴァ・シェーンが暮らしているが、彼はなかば腐り果て、彼女の過去を物語る破片となってしまっている。結局ルルゥは解剖師ジェーク(※切り裂きジャックのこと)を自分のところに連れ込んで、彼の刃にかかって死ぬ。疲れを知らぬ性の奉仕者ルルゥは、血にまみれた歓喜の祭壇の上で破滅するのだ」

この物語を山口昌男は祝祭的宇宙感覚を下敷きにして読み直す。ルルを文化に対する自然としての無方向の活力の表現とし、根源的無垢と制度に対する攻撃性の化身、つまりは道化の精神をそこに見出す。

「ルルは、祝祭的であることによって過剰の生であり、過剰の生であることはとりもなおさず、市民社会の周縁に身を置くことによって、この社会を挑発し、活性化し、いらだたせることによって、惹起させるルサンチマンをひきつけ、社会の情念のバランスシートを保たしめるためのスケープゴートとして殺害されなければならないという主人公「聖なる怪物」についての演劇である」

ルルを殺害したのは切り裂きジャックであった。19世紀末ヴィクトリア朝時代のロンドンはウエスト・エンドとイースト・エンドという地理的二重性を持ち、フーコーが指摘するところの偽善的な性道徳による抑圧とその一方で知と結託した権力が推し進めた性の言説化という二重性を持っていた。ゴシック小説や大衆演劇には人殺しの主題にあふれていた。新聞は犯罪を扇情的に報道し、公開処刑や裁判は大衆の見世物であった。そうした背景において、五人の娼婦を殺害した切り裂きジャックの猟奇的事件は起こった。この事件のあと、ロンドンに滞在していたヴェーデキントは、この事件を抑圧された性的欲望による犯罪と感じ、早速自作に取り入れることにした。高山宏によれば、ジャックが切り裂いたのは、犯罪を病理として治療することができるとするホームズ的な推理小説に仮託されたブルジョワ的な安定した社会観ということになるのだが、ヴェーデキントはジャックをシェーンの分身とした。シェーンは殺人者になることを恐れ、ルルに自殺を強要し果たせなかったが、そのかわり、ジャックがルルを殺害するという役割を担ったのであった。それはニーチェ=デリダが周到に回避したところの、「短剣であり、匕首でさえあるstyleの助けを借りて、哲学が原質(マチエール)なり原基(マトリス)の名のもとに訴えかけるものを残酷に攻撃して、そこに刻印を打ち込み、そこに跡形なり、形象なりを残す」ことによって、ルルという「聖なる怪物」を克服し、ルルによって脅かされた男性性を回復させることにつながってしまう。

パプストによる映画化は原作とはかなりの違いがある。大きな違いを挙げれば、ルルは刑務所に入る前に裁判所での火事騒ぎに乗じて逃亡したこと、そしてアルヴァとともにパリに身を隠すのではなく、港に停泊している船に隠れていたこと(事態をなしくずしにするため騒ぎを起こし、その混乱に乗じてその場から逃げ出す手口はシゴルヒの常套手段であろう)、さらに映画でのルルは最後まで売春はしなかったということにある。確かに客引きのために街へ出て、ジャックと出会ったのではあったが、金のないジャックに、それでもかまわないと部屋に招き、二人はそこでほんのつかのまではあるにせよ、心を通わせたのである。もう一つの違いは、原作では殺されてしまうアルヴァが、ルルを淫売婦にしてしまったことや今までの生活を悔い、涙を流しながら救世軍の行進についていくという結末である。ニーチェによれば「宗教的神経症の最後の伝染病的な爆発と行進」であり、ブレヒトによれば偽善の象徴である救世軍の突然の登場は、トロツキーが指摘したところの肉のアナーキズムの成れの果て、「孤独な無力、臆病、精神の貧困のもたらした哀哭、みじめな、取るに足らぬ、恥ずべき結末」といえようか。

→F.ヴェデキント「地霊・パンドラの箱」(岩波文庫)
→S.クラカウアー「カリガリからヒトラーへ」(みすず書房)
→F.ニーチェ「善悪の彼岸」(岩波文庫)
→「ニーチェは今日?」(ちくま学芸文庫)
→M.フーコー「知への意志」(新潮社)
→L.トロツキー「文学と革命2」(現代思潮社)
→呉茂一「ギリシャ神話」(新潮文庫)
→山口昌男「道化の宇宙」(講談社文庫)
→高山宏「殺す・集める・読む」(創元ライブラリー)
→藤本淳雄・岩村行雄他「ドイツ文学史」(東京大学出版会)





グリード

2006-09-03 03:54:49 | 映画
Greed_1「グリード」(Greed)
1924年 アメリカ
監督:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム
脚本:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム
    ジューン・メイシス
原作:フランク・ノリス
出演:ギブソン・ゴーランド、ザス・ピッツ
    ジーン・ハーショルト

 


●呪われた映画作家
フランソワ・トリュフォーによれば、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムは「世界でもっとも省略ということをしない映画作家」であった。彼はジャン・ルノワールの映画「大いなる幻影」について話をするためにテレビ出演したときも、ロケ地へ向かう汽車の行程や鉄道員の制帽や身ぶりについてやむことなく語り続け、映画のことはおろか、ルノワールとの出会いについてすら語ることができなかったという。このエピソードには全てを語らなければ気がすまない彼の性格が示されている。

映画のリアリズムを追求するシュトロハイムの姿勢は、衣装やセットへの徹底したこだわりとなってあらわれた。とはいえ、衣装やセットにこだわったのは何もシュトロハイムだけではない。名匠と呼ばれる映画監督には多かれ少なかれ、こうしたこだわりがある。しかし、そうしたこだわりは通常、作品に対する真摯さのあらわれとして肯定的に語られるのに対し、本物とまったく同じようにモンテカルロのホテルのセットを作らせたり、画面に映ることのない下着の紋章にこだわったり、モノクロの画面であるにもかかわらず色にこだわったり、サイレントであるにもかかわらず俳優に台詞をしゃべらせたりといったシュトロハイムの完璧主義は狂気の沙汰とされ、撮影期間の長期化や製作費の大幅な超過を理由に製作会社と衝突を繰り返した結果、彼は映画を撮ることができなくなり、その後の映画とのかかわりはルノワールの「大いなる幻影」やワイルダーの「サンセット大通り」など、特異な個性を持った俳優として他人の作品に出演するだけであった。

●フランク・ノリスとアメリカ自然主義文学
「一八九〇年代のアメリカ小説はきわめて重要である。というのは、そこにまったく新しいテーマと活力が大量に現われ始め、それまで語られることのなかったアメリカの現実の多くに光があてられ、検証されたからである。事実、この時代の新しい小説は、近代化が進むアメリカ人の生活の奥底に深く潜んでいた、遺伝的、生物学的、性的、社会的、科学的プロセスに新たな表現をあたえた。そしてさらに、意識と無意識の問題にますます取り組むようになった。しかしそれだけにとどまらず、この時代の新しい小説は、アメリカ小説の基本的領域を拡大させた。かくしてこの時代に、都市小説やビジネス小説、移民小説、ユダヤ系小説、黒人小説、フェミニズム小説などが誕生した」(マルカム・ブラッドベリ「現代アメリカ小説」)

フランク・ノリス(1870-1902)はこの時代の新しい小説家として活躍した作家であった。彼は美術を学ぶためにパリに行き、そこでエミール・ゾラの自然主義文学と出合った。自然科学の観察と実験的手法を小説に取り入れ、人間行動の細かな事実、様式、体系、生活状況、制度の働きを記録し、それらの現象の根底にある、環境・遺伝・歴史の進化などのプロセスを導き出すというゾラの手法が同時代のアメリカ人の生き方や意識を表現するうえで有効であるとして、ノリスは自然主義をアメリカ文学に導入した。彼の「マクティーグ―サンフランシスコ物語」は自然主義的手法によるノリスの代表作である。この小説は、ノリスがサンフランシスコで体験した貧困生活を下地にしており、困窮と移民の流入と都市化が進行する世界を舞台に、遺伝と環境の制約を受ける人間の堕落についての物語である。

●グリード
映画「グリード」はノリスの小説を原作とし、「省略ということをしない」シュトロハイムが監督した。この映画は2時間以内にまとめるという契約であったにもかかわらず、上映すれば9時間半におよぶ作品として完成された。
アンドレ・バザンはシュトロハイムの映画技法をグリフィスを超えるものとして位置づけ、それを「具象性の革命」と呼んだ。省略や記号的手法によるモンタージュを技法を確立し、『映画では「示す」だけでなく、「言う」ことができる、「再現する」だけでなく、「物語る」ことができる』ということを発見したグリフィスに対し、断続的な断片の合成ではなく、連続した全体性によって映画を最初の機能(「示す」)に戻そうとしたシュトロハイムをトーキー映画の言語の発明者としている。
しかしながら、当然のように「グリード」は数回の編集を受けて断片化され、2時間程度に縮められてしまった。

この映画は金を採掘する作業現場の場面で始まり、デスバレーの場面で終わる。これによって、カリフォルニアの都市化が進む契機となったゴールド・ラッシュの記憶が喚起される。
トリナと出会ったことで動物的な性本能が目覚め、無免許開業医であったことを暴露され、仕事を失ってから暴力衝動をコントロールできなくなり堕落していくマクティーグと富くじが当たり、5000ドルを手にしたことから金の亡者となり毎晩金貨を愛でるようになるトリナ(リーパの「イコノロギア」では、貪欲は不健康にやせ衰え、貧しい身なりをし、青ざめ、憂鬱な表情を浮かべながら財布を片時も離そうとしない女の姿に擬人化される)と、トリナをマクティーグに譲ったことにより5000ドルを取りそこなったとしてマクティーグを憎むようになるマーカスという三人の人間がたどる凄惨な運命は、一攫千金を狙い、黄金を求めた者たちの欲望によって生み出された都市から欲望に逸る者たちを灼熱の太陽と渇きで死に追いやったデスバレーへ続く。触れるもの全てが黄金に変わるようにと願ったミダス王が飢えと渇きに苦しんだように、満たされることのない貪欲は決して人を幸福にしない。

貪欲により破滅していく人間の物語である「グリード」には図らずも映画監督シュトロハイムの破滅が刻印されている。

→マルカム・ブラッドベリ「現代アメリカ小説2」(彩流社)
→アンドレ・バザン「残酷の映画の源流」(新樹社)


アンダルシアの犬

2006-03-17 01:28:46 | 映画
Main「アンダルシアの犬」(Un Chien Andalou)
1928年 フランス
監督:ルイス・ブニュエル
脚本:サルヴァドール・ダリ、ルイス・ブニュエル
撮影:アルベール・デュベルジェン
出演:シモーヌ・マルイユ、ピエール・バチェフ

 
 
ブニュエルが語ったところによれば、「アンダルシアの犬」は二つの夢の出会いから生まれたという。一つはブニュエルが見た「細い横雲が月をよぎり、かみそりの刃が目を切り裂く夢」、もう一つはダリが見た「てのひらに蟻がいっぱいいる夢」。シナリオはブニュエルとダリによるもので、簡単な規則によって一週間足らずで書き上げられた。その規則とは「合理的、心理的ないし文化的な説明を成り立たせるような発想もイメージも、いっさい、うけいれぬこと。非合理的なるものに向けて、あらゆる戸口を開け放つこと。われわれに衝撃を与えるイメージのみをうけいれ、その理由について穿鑿しないこと」であり、シナリオを書いている間、ブニュエルとダリとの間にはわずかな意見の相違もなく、完璧な一身同体であったそうだ。
この映画の試写会は、ピカソ、コルビュジエ、コクトー、そしてシュルレアリストのグループたちの前でおこなわれ、好評を博した。「アンダルシアの犬」のシナリオは一種の自動記述であったが、このことがきっかけとなって、ブニュエルとダリはシュルレアリストのグループに迎え入れられた。

●イマージュのたそがれ

entre chien et loup は犬と狼の区別がつかないこと、転じて「たそがれどき」を意味する。こうした転義法は「アンダルシアの犬」の中で最も有名なシーンにも見られる。avoir des fourmis dans les main は手の中に蟻がいる、転じて「手が痺れること」を意味する。このように、「ダリとブニュエルは語句の転換〔転義〕を文字通り映像化することで、平凡な経験が人目を引く腐敗という記号に転ずるように比喩を拡大したのである」。もちろん、ダリにとって蟻は幼少時に可愛がっていた蝙蝠の死体に群がっていたものとして、死を象徴するものでもあった。

たそがれどきの犬と狼は様々に変換することができるだろう。例えば夢と現実、内部と外部、意識と無意識、男と女、リュミエールとメリエス、そしてダリとブニュエル。「アンダルシアの犬」はこうした二分法を弁証法的に総合するものである。
松本俊夫はリュミエールとメリエスという、映画の二つの源流において、映画における「発見」と「創造」の弁証法を見出した。
「未知の現実」を実在するもののなかからカメラによって「見つけ」だしたリュミエールと実在しない想像上の光景をカメラによって「作り」だしたメリエスと。このことは、現実をどのようなイメージでとらえるかの問題であり、ここにおいてドキュメンタリーとアヴァンギャルドが通底する。心の外側の世界が現実なら、心の内側も現実である。
「夢のかたちは他のいかなる芸術よりも映画のかたちに近い。したがって映画は本質的に夢を再現するのにむいている」というわけだ。ところで、夢を見ている最中には夢はむしろ現実として意識されるので、夢の現実性を徹底的に問いつめるには、「額ぶちのない夢」そのものにならなければならない。

目に見えるものの唐突な組み合わせによって見えるようにしようとするものこそ、夢であり、不合理であり、善悪の彼岸にあるものであった。 
また、「アンダルシアの犬」において女装した男性、男装した女性として示される両性具有コンプレックス。男装した女性が路上に落ちている手首を突いているステッキがディオニュソスの杖であるテュルソスであるとすれば、これは男女の結合、あるいは死と再生の象徴となるだろう。

●偏執狂的=批判的方法

ダリは1920年に「非合理の征服」というテクストのなかで、「偏執狂的=批判的方法」について記している。ダリによれば、偏執狂とはひとつの体系的構造を有する解釈をともなった連想による妄想であり、客観的偶然を組織し生産するひとつの力である。ダリはこの方法によって、妄想と批判の弁証法的総合を企てた。偏執狂的現象とは、複数の形象を持つイメージとしてよく知られているもので、ダブル=イメージはダリの絵画の典型でもある(このダブル=イメージの背後にはダリが生まれる前に死んだ、ダリと同名の兄の存在が大きな影響を与えていると思われる)。
また、この方法は「明晰さをもってすべての自己内矛盾を暴きかつ利用する偉大な芸術であり、また観る者に人生の不安や恍惚を経験させる芸術でもある。彼らは次第にそれを彼ら自身の問題としてとらえ、否応なく本質的なものと感ずるようになる」ものである。
「アンダルシアの犬」にはフェルメールの「レースを編む女」が映し出されているが、ダリにはそれを粉砕した「偏執狂的=批判的習作」がある。

●シュルレアリスム

アンドレ・ブルトンによる定義
超現実主義 男性名詞。心の純粋な自動記述で、それを通じて口頭、記述、その他あらゆる方法を用いて思考の真の働きを表現する方向を目指す。理性による一切の統御を取り除き、審美的または道徳的な一切の配慮の埒外でおこなわれる思考の口述筆記
〈百科事典的説明〉哲学用語。超現実主義はこれまで無視されてきた或る種の連想形式に認められる高度の現実性、夢の絶大な力、思考の無私無欲な働きなどに寄せる信頼の上に基礎を置いている。これらのもの以外のあらゆる精神機能を決定的に打破し、それらに代って人生の重要な諸問題の解決に取り組む。

デペイズマン
デペイズマンとはデペイゼ(追放する、異国に追いやる、環境を変える)という動詞から来た言葉で、事物を日常的な関係から追放して異常な関係の中に置き、ありうべからざる光景をつくりだすことをいう。よく引用される例として、ロートレアモンの「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」がある。

→ルイス・ブニュエル「映画、わが自由の幻想」(早川書房)
→松本俊夫「映像の発見」(清流出版)
→ジェイムズ・モナコ「映画の教科書」(フィルム・アート社)
→宮下誠「20世紀絵画」(光文社新書)
→アンドレ・ブルトン「超現実主義宣言」(中公文庫)
→パトリック・ワルドベルグ「シュルレアリスム」(河出文庫)


去年マリエンバートで

2005-10-16 05:31:52 | 映画
marienbad「去年マリエンバートで」
(L'Annee derniere a Marienbad)
1961年 フランス・イタリア
監督:アラン・レネ
脚本:アラン・ロブ=グリエ
出演:デルフィーヌ・セイリグ、サッシャ・ピトエフ、
ジョルジョ・アルベルタッツィ

伝統的な小説の硬直したリアリズムを否定し、現実の再現ではなく、現実を創造することが小説の使命であるとし、そのための方法上の不断の進化によって小説の歴史が展開してきたことを改めて確認する、ヌーヴォー・ロマンの代表的な作家であるアラン・ロブ=グリエとドキュメンタリー映画の制作から出発し、マルグリット・デュラスの脚本による「二十四時間の情事」で初めての劇映画を撮ったばかりのアラン・レネによって「去年マリエンバートで」はつくられた。

ロブ=グリエは、映画の撮影前にレネに手渡したコンテを映画の公開後に「シネ・ロマン」として発表した。これは自分の脳裏に映し出される画面を追いながら描写していくという方法で書かれたものである(これは再現ではないのかという問題はあるが)。それに付けられた序文は彼の考える映画の特性について書かれていて、映画「去年マリエンバートで」を理解する手がかりとなっている。また、映画制作のいきさつや作業過程についても記されていて、レネとの共同作業が「完璧な相互理解」によって成立したものであることを強調している。
ロブ=グリエは映画について次のように記す。

「映像の本質的な特性はその現在性である。文学が文法上の時制を全体にわたって使用し、そのおかげで諸事件を他の出来事との関係にもとづいて配置することができるのに対して、映像にあっては、動詞がつねに現在時におかれているといっていい」

「スクリーン上に私たちの見るものはまさに継起しつつあるのであり、提供されているのは動きそれ自体であって、動きについてのレポートではない」

「ところが、どんな偏狭な観客でも、時間の逆行をたやすく受け容れてくれる。たとえば、数秒間画面をぼやけさせるだけで、追憶への移行を彼に示すことができる。それ以後、観客は自分の目にしているのが過去の出来事なのだということを理解するのであって、そのシーンの残りの部分で画面がまたすっかり鮮明になっても、だれもそのためにとまどったりはしない―その画面はもう現在時の動きとなんら区別がなく、事実上現在時におかれているにもかかわらず」

このように回想が許されれば、想像上のものも容易に許されるとして、

「まず犯罪の前後の状況についてのひとつの仮説を見せられる。それも予審判事が頭の中であるいは口頭ででっちあげた誤れる仮説であってもかまわない。それから同じようにして、何人もの証人が陳述するとき、別の断片的シーンをスクリーンの上に見る。証人たちの中には嘘をつく者がおり、したがってそれらの断片的シーンは多少とも相矛盾し、あるいは真実らしさの程度もまちまちであるが、にもかかわらず、それらはすべて同じ質の映像、同じレアリスム、同じ客観性をもって提示される。さらにまた、作中人物のひとりが想像する未来のシーンが示される場合も同様である。
結局のところ、これらの映像はすべてなんであろうか? それは想像されたものである。想像されたものは、充分に生きいきしているかぎり、つねに現在時にある」

映画は現在しか持たない。過去のシーンも未来のシーンも想像されたシーンも現在の積み重ねであり、同一の水準で並列されるということは、過去と現在や真と偽、現実と想像の区別が不可能になるということである。このことは黒澤明の「羅生門」がそうであったように、絶対的真実の不在を示す。
作家が神のように振舞うことをやめれば、主観的で不確定的な体験を記述するしかない。それは描写の機能を変化させる。描写はもう、事物を見させるものではなくなり、事物を破壊するかのようであり、執拗に描写すればするほど事物の輪郭がぼやけ、理解不能なものになっていくのであり、一方で示したものを他方で打ち消していくような、創造と消去という二重の特質を持った運動のなかで遂行されるものとなるが、この描写の運動のなかに人間が位置するのだとロブ=グリエは言う。(「今日の小説における時間と描写」)
また、ロブ=グリエは「新しい小説・新しい人間」のなかで「ヌーヴォー・ロマンは、まったくの主観性しか目ざさない」と言っているが、描写を客観的写実的なものから主観的なものへ転換したロブ=グリエにとって、レネがドキュメンタリー映画で多用した、動かないものをカメラの移動撮影で捉えるという手法は、客観的なカメラ・アイを語る主体の視点に転換するものであり、この手法が「去年マリエンバートで」において効果的に使われている。

いずれにしても、ロブ=グリエは映画に大きな可能性を見出すのである。

「映画的創造が、多くの新しい小説家たちを惹きつけるたしかな魅力の原因は、もっとべつのところに探さなければならない。彼らを夢中にさせるのは、映画カメラの客観性ではなくて、主観的なもの、想像的なものの領域におけるその可能性なのである。彼らは、映画を表現手段としてではなく、探求の手段として理解し、いちばん彼らの注意を惹くのは、当然のことだが、もっとも文学の手に負えないものである。すなわち、映像というよりはむしろ録音テープ―人間の声、雑音、雰囲気音、音楽―であり、ことに目と耳という、二つの感覚に同時にはたらきかけるという可能性である。つまり、映像にしろ音にしろ、およそもっとも異論の余地のない客観性という外観のもとに、実際には夢もしくは思い出、一言にしていえば想像力にしかすぎないものを提出できるという可能性だ」(「今日の小説における時間と描写」)

この可能性に文学以上に強力な力を認めたロブ=グリエにとって、映画は自らが新しい小説によって目指したものを実現する有効な手段となり、のちに自らが監督となっていくつかの映画をつくることとなった(このことは脳裏に浮かんだ映像を言葉で描写するより、自ら映画をつくったほうがよりダイレクトであり、ルプレザンタシオンの問題を避けられるからということもあるだろう)。

「今日の小説における時間と描写」において、ロブ=グリエは映画「去年マリエンバートで」について次のように記す。

「あの映画は記憶に救いをもとめることを一切不可能にする、永遠の現在の世界である。彼らの存在は、映画がつづく間しか持続しない。目に見える映像、耳に聞こえることば以外に、現実はありえないのである」

「マリエンバートの物語の全部は、二年にわたって起るのでもなく、三日にわたるのでもなく、正確に一時間半の間に起る」

「重要性を持つ唯一の時間が、このフィルムの映写時間であるように、重要な唯一の<人物>は観客なのである。この物語の全体がくりひろげられるのは、観客の頭のなかなのである。この物語は、まさしく、彼によって想像されるのである」

「作者が読者に望むのは、もはや完成した、充実した、自己閉鎖的な世界を出来合いのかたちで受けとることではなく、それと反対に、みずから創造に参加すること、自分の手で作品を―そして世界を―生み出すこと、そうすることによって、自分自身の生を生み出すすべを学ぶということなのである」

「作品が容認できる唯一の未来は、もう一度同じ展開をくりかえすということだけなのである。フィルムのスプールを、もう一度映写機に収めることによって」

ロブ=グリエが、この映画の未来はもう一度映画を反復することにしかないと言うとき、アドルフォ・ビオイ=カサーレスの「モレルの発明」が想い出されるだろう。この小説は政治的迫害を逃れて孤島にやってきた男の物語である。この島には何人かのグループがいることがわかり、男はその中の一人、フォスティーヌに夢中になるが、いくら近づいてもまるで相手にされない。そうこうしているうちに男はこの島に潮汐動力エネルギーで動く完全映画装置を発見する。この完全映画装置とは、視覚、聴覚、触覚、熱、すべての感覚を完全に記録し、人間や事物の完璧な複製を作ることができるというもので、フォスティーヌを含めた何人かのグループはこの装置によって投影された映像であることがわかる。やがて男は自分の動作や言葉を、フォスティーヌの言葉や動作とうまく適合させようと試み、完全映画の機械に自らを記録することにする。このことはイマージュとなって肉体的に死に、映像となることで不死となるということであった。ブランショはこの小説について次のように書いている。

「作家は、その多くの夢想や幻覚や苦しみが、そればかりか、自分が死ねばその生のいくばくかをさまざまな形態のなかに移行させることになり、それらの形態は自分の死によって永久に生気づけられるという素朴だが、浸透力のある思想までが、厳密なかたちで描き出されるのを認めたがっているのではないだろうか」

この小説がロブ=グリエに大きな影響を与えたということはすでに自明のこととされている。確かにこの小説のように、「去年マリエンバートで」に登場する人物がすでに完全映画に記録された死者たちであり、男が女を説得する物語であるように見えながら、実際は男が自らを完全映画装置にかけ、イマージュに同化しようとしている映画なのだとすれば、それはそれで納得がいくものとなる。
さらに、「モレルの発明」と密接なつながりを持つ、レーモン・ルーセルの「ロクス・ソルス」との関係も見つけることができるだろう。ルーセルはロブ=グリエにとっても、ヌーヴォー・ロマンの先駆者である。この小説にはヴィタリウムやレジュレクティーヌと呼ばれる薬物を死体の脳の中に入れると、適当な小道具や脇役たちさえ整えば、たちまちにして死者は体を起こし、生前のもっとも想い出深い場面を(レコードや映画のように)再演するといった場面が描かれている。蘇った死者たちの住むガラスの建造物は、果てしなく廊下が続き、鏡が散りばめられたバロック風のホテルに重なるだろう。
「去年マリエンバートで」も、ミシェル・カルージュのいう「独身者の機械」の系譜に位置づけることができるだろう。

最後にレネがこの映画について何を言っているかを見てみると、意外な発言があって面白い。

「われわれは―商業的とも言ってもいいような目的もあって―人びとのよく知る伝統的主題を取り入れることで集団的無意識に訴えようと試みた。魅力的な王子様がお城に着いて眠る『美しい姫』を起こそうとするとか、死神の使者が約束の一年後に現れ、犠牲者を連れにくるとか、あるいはもっと単純に、情事の経験のある女が夫と愛人のあいだでどちらを選ぼうかとためらうというような主題だ」

→アラン・ロブ=グリエ「今日の小説における時間と描写」
(「新しい小説のために」新潮社 所収)
→アラン・ロブ=グリエ「去年マリエンバートで」序
(「世界文学全集65 アンチ・ロマン集」筑摩書房)
→レーモン・ルーセル「ロクス・ソルス」(ペヨトル工房)
→アドルフォ・ビオイ=カサーレス「モレルの発明」(書肆風の薔薇)
→ミシェル・カルージュ「独身者の機械」(ありな書房)
→モーリス・ブランショ「ゴーレムの秘密 イマージュの幸福と不幸」
(「来るべき書物」現代思潮社 所収)
→ジル・ドゥルーズ「ロブ=グリエと時間イメージ」
(宇野邦一による構成 早稲田文学2002年7月号)



8 1/2

2005-10-05 22:32:20 | 映画
fellini「8 1/2」(Otto e Mezzo)
1962年 イタリア
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ、トゥッリョ・ピネッリ、エンニョ・フライアーノ、
ブルネッロ・ロンディ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、クラウディア・カルディナーレ、
アヌーク・エーメ、サンドラ・ミーロ 他

プロメテウスは天上の火を盗んで人間に与えたことで鎖につながれ、肝臓を鷲に食われるという罰を受けた。「81/2」でマストロヤンニが演じるグイドは肝臓の治療のために有名な保養地を訪れるが、彼にとっての鷲はカトリシズムであり、自己意識であるだろう。また、プロメテウスは骨を脂身で包み、美味そうに見せかけたものをゼウスに献じるなど狡猾な面も持っていて、ゼウスを頂点とする新しいオリュンポスの神々へ反抗する。フェリーニは道化師を、「本能や私たちのめいめいのなかにある反抗的なものすべて、そして、さまざまなことがらの定まった秩序に敢然と立ち向かう全てを代表する」存在ととらえているが、プロメテウスには多分に道化の資質がある。
ガストン・バシュラールは「火の精神分析」のなかで、プロメテウス・コンプレックスについて記す。それは知的な領域でのエディプス・コンプレックスだという。このコンプレックスはフェリーニにおいて、自らを育んだロッセリーニの、とりわけネオ・レアリズモをのりこえるというかたちで現れるだろう。
さらにプロメテウスの系譜を辿っていくと、弟のエピメテウスと災厄を撒き散らすパンドラの物語があり、ゼウスによる人類滅亡プログラムとしての大洪水というカタストロフを箱舟で逃れる息子デウカリオンの物語がある。これらを付会すれば、その場しのぎの対応で次第に追い詰められていくグイド、たくさんの荷物を抱えグイドのもとにやってくるカルラ、そしてグイドが作ろうとしている映画、人類滅亡というカタストロフによって、すべてを無に帰し、自分が抱えている問題や煩わしい人間関係などをすべて一掃したいという妄想が生み出した、核戦争後の死の灰を避けるために、残された人間たちがロケットで宇宙へ飛び立つというSFスペクタクル映画に重ね合わせることができる。

フェリーニは、映画はサーカスに似ていると言った。なぜならサーカスは技術と正確さと即興性との混合物だからであり、きちんとした手段を持たないままに、同時に創造し、かつ生きるというやり方であるからである。このサーカスには道化がつきものである。道化師には白い道化師とオーギュストがいる。白い道化師は優雅、気品、調和、聡明、明晰を表わし、母であり、父であり、教師であり、芸術家であり、そして抑圧するものである。一方、オーギュストはその反対の存在で、言わば「ズボンを汚す子供」である。この二種類の道化師は人間の二つの心理的側面であり、理性信奉と本能の自由のあいだの闘争である。フェリーニが物語を作り出すときはいつも、なんらかの不安を、なんらかの心配を、そしてふつう人間同士にあるはずのさまざまな関係の軋轢状態を見せる。

映画監督グイドは道化と呼ばれもし、おどけたしぐさをしたり、付け鼻をしたりと道化的な存在として描かれている。マラルメの言うとおり、道化は罰せられる。煤で汚れた道化は理想から逃れようと湖を泳ぎ、その汚れや白粉を洗い流してしまうが、それらこそが自らを芸術家たらしめていたことに気づき、後悔する。(「道化懲戒)
彼と批評家であるドーミエのコンビはオーギュストと白い道化の関係であり、フェリーニの二面性を体現している。ドーミエはグイドの構想にすかさず批判を加える。この仮借なさや辛辣さを誇張した批判は白い道化がオーギュストに対しておこなう意地の悪い抑圧であると同時に、実はこのような批判を映画の進行中に挿入し、先回りして言ってしまうことによって、二度と同じことを言わせないようにするフェリーニの狡猾な仕掛けでもある。

マラルメはある書簡のなかで次のように書く。
「われわれは物質の空しい形態でしかない。自分が物質であることを意識しつつ、しかも一方、夢中になって、自分でもそれが存在しないことを承知しているはずの当の<夢>のなかにとび込んで、<魂>と、太古の昔からわれわれの内部に蓄積されてきた同じく神々しい諸々の印象とをうたう」

マラルメは自らの不能を歌う不能者として、個人的挫折を<詩>の不可能性へと転換する。そしてさらに反転して、彼は<詩>の挫折を<挫折>の<詩>に変形する。空虚を白の充実ととらえるような、こうしたアイロニカルな試みをマラルメは「虚妄の栄光」と呼ぶ。批評家ドーミエは、グイドをこうしたアイロニーへ誘導する。白い道化とオーギュストの最終闘争。そして最後の最後にグイドはこうしたアイロニーを一気に吹き飛ばし、圧倒的な肯定性を獲得し、白い道化に勝利する。

「ある考えを生み出したら、すぐにそれを笑いとばせ」 老子の言葉だという。フェリーニがよく引用する言葉である。

→呉茂一「ギリシャ神話」(新潮文庫)
→ガストン・バシュラール「火の精神分析」(せりか書房)
→ステファヌ・マラルメ「マラルメ詩集」(岩波文庫)
→菅野昭正「ステファヌ・マラルメ」(中央公論社)
→フェデリコ・フェリーニ「私は映画だ 夢と回想」(フィルム・アート社)


パッション

2005-09-23 21:36:16 | 映画
passion「パッション」(passion)
1982年 スイス・フランス
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
出演:イザベル・ユペール、ハンナ・シグラ、
イェジー・ラジヴィオヴィッチ、ミシェル・ピコリ
 
 
 
「カタストロフって何だ?」
「愛の詩のはじまり」

サルトルはフォークナーの小説にまやかしを見る。その手口は「言わないこと、隠していること、故意に隠していること、ほんのちょっぴりだけ言う手」であり、「要は照明の問題である」という。フォークナーは何ひとつ明らかにせず、すべてを読者の想像に委ねる。そしてサルトルは「行為と言葉の彼方に、空虚な意識の彼方に、人間は存在し、私たちは真のドラマを、一切を説明する一種の観念的性格の存在を予感」しながら読み、そこに一個の物体を見つける。(「それは物である。一個の物体=精神、意識の背後にある凝結した不透明な精神、暗黒にしてしかも本質は光明、これこそはまさに魔法的物体といえよう」)しかし、このような物体は本当は存在せず、これこそがまやかしなのだと断罪する

このように全てを明るみに出そうとして、そこからこぼれてしまうものをまやかしとして否定する見方からすれば、ゴダールの「パッション」もまやかしによって生み出されたものでしかないだろう。探し求められていた光がいつか錯綜する断片に差し込み、すべてを明るみに出すことを予感させながらも、そのときは遂に訪れることがなく、現象の世界に否定性をもって現れるロゴスが分かち合われることもなく、パトスが統合(sympathy)されることによるカタルシスも得られないまま、工場は倒産し、ホテルは売却され、映画は完成を放棄され、それらに関わった人々は四散してしまうという映画に、いったいどんな意味があるというのか。

ロラン・バルトは言う。
「どんな事実の上にも、この上ない瑣末なことにさえ、ある質問をかぶせようとする、絶えざる(そして錯覚的な)情熱(passion)がある。それは≪なぜ?≫という子どもの問いではなく≪それはどういう意味か?≫という古代ギリシアの問いであり、すべての事物は意味によって震えているはずだとでもいいたげな、意味についての問いである。事実を何が何でも、観念に、記述に、解釈に変形してしまわなければならないという、要するに、事実のために≪それ自身の名前とは違う別の名前を≫見つけてやらねば気が済まないのだ。」

「人は事実を非=意味化の状態にあえて放置しようとはしない。それは寓話の作用であり、寓話とは現実のどんな断片からも教訓を、ひとつの意味を引き出すものである。」

そしてバルトはそれとは逆向きの本の構想について記す。
「無数の「些細なできごと(incident)」を報告しながら、断じてそこから一筋の意味を引き出すことも差し控えるというものだ。それこそ正真正銘の≪俳句≫の本ではないか。」

passion は受難と情熱を意味し、ギリシャ語の pathos に由来する。リデル&スコットには calamity (不幸、災難)、 misfortune (不運)、 suffering (苦しみ)、 incident (できごと、事件)といった意味が記載されている。「パッション」には様々な不幸や災難、不運や苦しみがあるが、ここでは incident としてのパトスに注目したい。
ルクレティウスは「事件とは物資と空虚から生ずる結果で、物質のようにも空虚のようにも存在しない」と言った。このように、事件は断片と断片の間にあり、その都度意味の呪縛を逃れていくものである。エイゼンシュテインはそれを、つまりフィルムの断片と断片のはざまにおこる質的な飛躍を、彼の映画理論のなかで「パトス的構成」と呼ぶ。断続性と飛躍性が、観客を感動させエクスタシーへと導く力なのである。

ロゴスには言葉、比、尺度、定義、概念、思想、法則といった意味があり、ギリシャ語の中でも最も多義的な語の一つである。このロゴスは世界と同一ではなく、仮象の世界、現象の世界に対しては否定性として現れるが、その語根であるlegは集める、数える、繋ぐなどを意味し、それは一定の順序をもって集め、整理し、ある形をもって表出されるということである。ラテン語の ratio と結びついて人間理性の側に取り込まれたロゴスではなく、ヘラクレイトスのロゴス、つまり、万物の生成はロゴスに従っているのにも関わらず、人間にはわからない、気づかれないものとしてのロゴスがあるのである。絶対者による保証もなく、忘却と闇という脅威に常にさらされたものとしてのロゴス。ジュリア・クリステヴァであれば、こうした危機のなかで多元化され、無限に更新されるロゴス(ポリローグ)と呼ぶであろうロゴスがあるのである。

できごととしての諸断片をあるやりかたで集めて繋ぐこと。映画においてパトスとロゴスはこのように融合する。

ゴダールは言う。
「この映画の出発点となったアイデアのひとつは、民主主義というものだ。ぼくはこの映画のすべての要素を、どれも平等にとりあつかうことにした。〔……〕どの要素にも同等の重要性を与えようとした。一本の草にも、一陣の風にも、空の一片にも、主役の俳優に与えるのと同じくらいの重要性を与えようとしたわけだ。ごくありふれたものの偉大さを見つけ出そうとしたわけだ」

確かに「パッション」においては、映像、物音、音楽、台詞それぞれが拮抗している。そしてゴダールはハイフンとなり、現実と虚構、ドキュメンタリーとフィクション、男と女、光と闇、水と火、労働と愛、経営者と労働者、ヴィデオと映画、絵画と映画、天と地といったように、あらゆるものごとの間をつなぎ、それらが遭遇する場としての映画空間を作り出す。それは「嘘とは違う想像されたもの」であり、「真実ではないのにその逆でもないもの」であり、「外の現実からいつもかけ離れるほとんど深く計算された真実らしさ」である。

再現的模倣ではないイマージュの発生する場所としての映画。ニーチェ=ドゥルーズであればそれを力としてとらえるだろう。絶えず競いあう力同士の関係、そして差異。つねに内的な差異化を含み、自己同一性をかわして生成するものとして。このことはさらにヘラクレイトスへつながっていく。「反対するものが協調するのであり、相違するものから、最も美しい音律が生まれる。そしてすべては争いから生ずる」

ゴダールの映画は死と再生をくりかえす。ゴダールの映画にある痛ましさの感覚はまさにそこにある。しかし、それはイエスの受難ではなく、ディオニュソスの受難であり、それは生を、映画への愛を肯定する。
生成と多数性を肯定すること。ディオニュソスが八つ裂きにされ、手足がばらばらとなる状態に至るまで肯定すること。映像も音楽も台詞もズタズタになりながらも、この映画という存在そのものが苦悩を是認するほど十分神聖なのである。そして永遠に再生し、破壊から立ち帰るのである。

→ジャン=ポール・サルトル「フォークナーの『サートリス』」(「シチュアシオン1」人文書院所収)
→ロラン・バルト「それはどういう意味か?」(「彼自身によるロラン・バルト」みすず書房所収)
→ジュリア・クリステヴァ「ポリローグ」(白水社)
→ジャン=リュック・ゴダール「言葉への道」(「ゴダール全評論・全発言2」筑摩書房所収)
→ジル・ドゥルーズ「ニーチェ」(ちくま学芸文庫)
→フリードリヒ・ニーチェ「権力への意志」(河出書房)


2005-09-12 01:05:01 | 映画
zerkalo「鏡」(Zerkalo)
1974年ソヴィエト
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン/アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ゲオルギー・レルベルグ
出演:マルガリータ・テレホワ、イグナート・ダニリツェフ、オレーグ・ヤンコフスキー他

●吃音
偉大な作家は言語(ラング)を吃らせ、自己表現を完璧におこなえるメジャー言語をマイナーに使用する方法をあみ出し、自分の言語の内側に外国語を刻む。このようなマイナー文学を擁護するときにドゥルーズの念頭にあったのは、カフカやベケットだけではない。
例えばオーシプ・マンデリシターム。
「わたしの家族は何を言いたかったのだろう?わたしにはわからない。家族は生まれながらに吃っていたが、何か言いたげだった。わたしには、そして、わたしの同時代人の多くには、生来の吃りが重くのしかかっている。わたしたちは話し方を学んだのではなく、口ごもり方を学んだのであり、煩さをましていく世紀のざわめきに耳を傾け、その頂点に沸き起こる波の泡にいったん身を清められたあとになってようやく、ひとつの言語を獲得したのだ」(マンデリシターム「時のざわめき」)

『「吃りの言葉に耳を傾け」、ありとあらゆる「発声法の欠陥」を研究したとしてダンテが称賛されるが、彼は言葉(パロール)の効果を引き出そうとしただけでなく、音声、語彙、さらには統辞にもわたる広大な創造を試みようとしていたのである』(マンデリシターム「ダンテについての対話」)

あるいはアンドレイ・ベールイ。
「読者が目にするのは適性を欠いた能力の連なりばかりだ。断片、暗示、努力、探求などであり、そこに念入りに仕上げられた文や完璧に首尾一貫したイメージを見つけようとしてはならない。頁に印刷されるのは混乱した言葉、吃りだろう……」

言語における緊張と言語そのものの限界。世界の爆発、子どもへの生成変化、幼年時代。
『「わたし」のものではない幼年時代、それは記憶でもなく、ひとつの塊、中性的で無限の断片であり、つねに同時代的な生成変化なのだ。』

マンデリシタームとベールイはともに十字架にかけられた。

→ジル・ドゥルーズ「批評と臨床」(河出書房新社) ※第13章「……と彼は吃った」

●ロマンの終焉
マンデリシタームによればロマンが19世紀に文学の主流になったのは、ナポレオンの登場により、歴史における個人の株価が高騰したことによる。バルザックやスタンダールの出世小説は英雄的な個人の生涯を記述する伝記というスタイルに対応していた。しかし、トルストイが「戦争と平和」によって英雄史観を否定し、伝記的なロマンを破壊すると、伝記は四散し、破局的に滅亡するという事態に至った。それ以降の文学においては、個人に属する時間と心理学は失われ、不可避的に個人と一緒に諸々の社会現象からなる巨大な世界全体を引き寄せてしまうようになり、構成上の一貫性は破壊され、個人に直接関係する諸現象のシステムとしてのロマンの枠から逸脱せざるをえなくなる。
「今や小説は、粉々になって個々の短編となる。明日の小説が、一人のヒロインによって結合された幾多の小説によって成立つであろうことは、非常に確信的である」(シクロフスキー「文学と映画」)
シクロフスキーは映画の文学に対する影響として、1.文学が映画の様式を模倣すること、2.文学が純粋の言語的な領域へ進み、主題から自らを拒否するであろうこと、の2つをあげている。

→マンデリシターム「言語と文化ポエジーをめぐって」(水声社) ※「ロマンの終焉」
→シクロフスキー「文学と映画」(原始社) ※「映画」 「決論」

●映画
映画の表現素材は画像、書記表示、声、音声、物音の5つに分類される。映画は絵画、演劇、文学、音楽など、なにもかもを取り込む総合芸術であるが、それらは不均質であり、映画に固有のものというわけではない。映画特有の表現素材は機械的に作られた、動きのある、多数の連結された映像しかないのである。
1919年、クレショフらによって創立された「国立映画学校」では、プドフキンのモンタージュの機能を体系化していった。
「監督は別々の断片を連結することによって、独自の新たな映画的空間を築き上げる。おそらく実在する、本物の空間の様々な場所で撮影された各々の要素を結合して、1つの映画的空間に編成するのである」
1927年に出版された映画論集「映画の詩学(ポエティカ・キノ)」に収められた「映画言論」において、トゥイニャーノフは映画を、目に見える世界の映像を映画独自の言語活動をなす意味的要素に変換するものと考え、映画と言語芸術の類似は映画と散文ではなく、映画と詩の間に存在するとした。
エイゼンシュテインは映画を編成された言説と考え、諸断片は様々な物質的特性を考慮しつつ分析的に構成され、明瞭かつ一義的な仕方で互いに結合し合い、連携し合うものとした。これは具体的には弁証的唯物論の法則に合致するものである。
タルコフスキーにとって映画とは「モザイクのように切り離された、色彩とテクスチャーの異なる個々の断片を集めて一個の総体にする可能性の創造」である。

→オーモン、ベルガラ他「映画理論講義」(勁草書房) ※第4章「映画と言語活動」

タルコフスキーの自伝的な映画である「鏡」のエピソードは、それらすべてがタルコフスキーの家族の歴史であり、戦前・戦中・戦後の3つの層に分けることができるが、これら断片化されたエピソードは時間的な順序には従わず、また、詩的かつ神秘的な映像、謎めいた場面を持つなど、タルコフスキーは、エイゼンシュテイン的な曖昧さのない理知的なモンタージュに亀裂を生じさせる。
さらにレオナルドの画集、ブリューゲルの「雪中の狩人」に似た構図、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールやカラヴァッジョの絵画のようなキアロスクーロなど絵画芸術からの影響や引用、チェーホフ「6号室」、ドストエフスキー「悪霊」、ダンテ「神曲」、父アルセーニイ・タルコフスキーの詩といった文学からの引用や言及、ソ連成層圏飛行、スペイン戦争、闘牛、第二次世界大戦、プラハの春、文化大革命、中ソ国境紛争などに関するドキュメンタリー映像の挿入、ペルゴレージ「スターバト・マーテル」、パーセル「インドの女王」、J.S.バッハ「ヨハネ受難曲」といったバロック音楽の使用など、あらゆるものが取り込まれ、それぞれが互いに反映しあう。これらは多様な解釈を誘発するが、この映画のなかで語り手であるアレクセイの病の原因をあれこれと詮索する医師に対し、彼が「ほっといてくれ」と呟くように、この映画の諸断片を意味づけし、合理的に解釈することはタルコフスキーによって拒否されている。

●レオナルド
花田清輝はレオナルドが好んで玩具を作ったということに着目し、眉にたっぷりと唾をつけながらレオナルドについてのフロイトの精神分析を利用する。そしてドストエフスキーの「悪霊」に登場するレンプケに言及しながら、玩具が心の危機から作られるものであること、つまり「情熱のおもむくままに振舞うことができた、うしなわれた過去のよき日にたいする、いたましいかれらの追憶」から作られるとし、ルネサンスの基本的な性格を「かれら自身の幼年期の再生か乃至はその代用を母親が幼年時のかれを愛したように愛しているにすぎない」とする。レオナルドが私生児であり、幼少時に母の愛情をたっぷりと受けたこと、また、レオナルドの作った玩具が獅子の自動人形であることから、このレオナルドは精神的な危機から「鏡」という「映画=玩具」を製作するに至ったタルコフスキーを照らし出す。

→花田清輝「復興期の精神」(講談社文庫) ※「鏡のなかの言葉 レオナルド」

●鏡
レオナルドはその手記を鏡面文字で書いた。鏡面文字は活字やネガ・フィルムにつながるだろう。
レオナルドは「画家の心は鏡に似ることをねがわねばならぬ」と言った。「鏡はつねに自分が対象としてもつものの色に変り、自分の目の前におかれるものそのままの映像によって自己を満たすもの」とされるが、レオナルドはこの鏡を「画家の師匠である」とも言い、鏡に実物を映し、それを自分の描いた絵と比較するように勧めている。鏡も絵画も平面の上に輪郭と光と影の力をかりて事物を浮き上がるように見せるからだ。鏡は、現実の光景も絵画も同じく映し出された映像として部分化し、連続させる媒介である。しかし、鏡は全ての対象を映し出すことができるが、ひとたびその映すことを映そうとすると合わせ鏡の無限後退に陥ってしまう。

→「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」上下(岩波文庫)
→岡崎乾二郎「ルネサンス経験の条件」(筑摩書房)

●水・火・風
レオナルドによれば水は「ありとあらゆる生ける物体の養分であり、もろもろの物体を結合し、養い、それを成長させるもの」である。そして水は鏡のように、「何ひとつ自分自身ではもたぬが、すべてを動かしもしくは捉える、そしてその通過する場所が千変万化すればそれだけ自分の性質をも千変万化させるもの」であり、風もまた「通過する土地土地の変るにつれて様々な性質になる」ものである。
火はたえまなく自らを燃やして死につつ、自らを糧としてまたよみがえる。空気はこれら水と火の中間にあり、それぞれの性質をいくらかずつ持っている。
死を通過した再生としてのルネサンス、失われた過去の回想、スクリーン上での復活。

→「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」上下(岩波文庫)

●私人の系譜
タルコフスキーは『芸術で何かを成し遂げたいなら「私」を決して恐れてはいけない』と言った。また「鏡」のなかでは「詩は魂の糧であり、偶像崇拝者のエサじゃない」という台詞がある。
イグナートが「チャダーエフあてプーシキンの書簡」を朗読するシーンは「鏡」のなかでも謎めいたものである。ここで突然登場する初老の女性をその容貌の類似からアフマートワであるとする意味づけがなされてきたが、タルコフスキー自身はそうした意味づけを否定している。しかし、「鏡」の背景にチャダーエフ、プーシキンの時代からブローク、マンデリシターム、アフマートワ、ツヴェターエワ、そしてタルコフスキーの父アルセーニイへと至るロシア文学の系譜があることは否定できないだろう。革命や亡命、政治的な状況下で危機にさらされながら活動した文学者の系譜。
タルコフスキーもまた、「アンドレイ・ルブリョフ」での歴史意識や信仰についての表現に関してソ連当局から批判を受け、創作活動を著しく制限されるようになった。その緊張を生きるなかで、それでもなお譲れないことがあり、それを言明することが表現者としての情熱と受難なのである。「私は話せます」。
チャダーエフは職業的な作家や政論家ではなく、「私人(privatier)」であったとマンデリシタームは言った。そしてチャダーエフは「民族性を人格の最高の開花として、新たに、深化された形で理解すること、そして―ロシアを絶対的な道徳的自由の源泉として理解すること」を体現したとも言う。そして彼は西欧に滞在した後、帰りの道を見出した最初のロシア人だった。

→マンデリシターム「言語と文化ポエジーをめぐって」(水声社) 「チャアダーエフ」


女は女である

2005-03-24 20:53:45 | 映画
UneFemme「女は女である」(Une Femme est Une Femme)
1961年フランス・イタリア

監督:ジャン=リュック・ゴダール
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、
ジャン=ポール・ベルモンド


ゴダールは1962年のインタビューで、「女は女である」をこれが本当の処女作だと言い、必ずしも自分らしい映画ではないが、最も好きな映画だと答えている。そのとき、ひとは病気の子どもを最もかわいがるものだとつけくわえているので、出来栄えについては必ずしも満足していたわけではないようだ。
実際、「女は女である」のシナリオは「勝手にしやがれ」以前に書かれており、1959年にシャブロルの製作で「愛の戯れ」として一度映画化されたことがある。
この映画の撮影でゴダールは色彩の発見と同時録音の発見とシネマスコープの発見をしたと語っていて、シネマスコープについては「すべてを撮ることができるサイズ」だと言っている。
しかしながら1985年のインタビューでゴダールは「女は女である」について、今ではあまり好きではないと答えている。1978年の「テレラマ」誌においては、この映画を「あれはまったくくだらない映画だ。あそこには力強さが、生気がない。だれに対しても恨みを抱いていなかったから、どこからも攻撃されていなかったからだ。あれはなんとも甘っちょろい映画なんだ」と激しく否定してもいる。1968年の五月革命から始まる政治の季節をくぐり抜けた後のゴダールの発言としてはわからないでもないが、案外とトリュフォーとの友情の記録(ドキュメント)でもあるこの映画に対して、トリュフォーと絶縁した後のゴダールが複雑な感情を持ってしまうということなのかもしれない。

トリュフォーとの友情の記録であるとともに、「女は女である」はトリュフォーの「ピアニストを撃て」の言わば姉妹作と言っていいと思う。シャルル・アズナヴールの歌が使われていたり、マリー・デュボワが端役で出演し、グーディスの原作を読んでいたり、ジューク・ボックスの中に「ピアニストを撃て」のシングル・レコードのジャケットが飾られていたり、外から部屋の中にネオンサインの瞬きが入りこんだりするだけでなく、「ピアニストを撃て」のなかでギャングの一人が言う「女はいつも欲しがっている。そして必ず手に入れる」という台詞はそのまま「女は女である」にもあてはまるものだろう。
「女は女である」は公開当時さほどヒットしなかったそうだ。その理由としてゴダールは、連続性に欠けていたり、リズムが変化したり、調子が途切れたりするせいだと答えているが、トリュフォーがゴダールの「勝手にしやがれ」の型破りで活き活きとした画面をねらって、ラウル・クタールと組んだ「ピアニストを撃て」も同様の理由で当時の批評家から酷評されたのだった。

「女は女である」には、結局は発売されずに終わったものの、その音声部分を収録し、その合間にゴダールがコメントを加えたものを10インチのレコードとして発売するという企画があった。そこでのコメントはとても興味深いものなので、いくつか抜き出してみる。

「女はやはり女であることを証明しながら、映画はやはり映画であることを証明する」
「誤りを犯すは映画の性なり」
「カメラというのはまず撮影の道具であり、演出するというのはなによりもまず慎ましやかに物に加担すること」
「ひとはほとんどつねに、最初に計画したこととは正反対のことをしてしまう。しかし、結局は出発点において想像したことに似ている」
「芸術とはそれを通して形式がスタイルになるもののことだ」

「女は女である」は「悲劇とはクロース・アップでとらえられた人生であり、喜劇とはロング・ショットでとらえられた人生である」というチャップリンの言葉を受け、クロース・アップでとらえられた喜劇を撮ればそれは悲喜劇になる、という考えからつくられたものだ。ネオ・リアリズム的なミュージカルをねらったというが、ゴダールはジャンルとしてのミュージカル映画はすでに死んだと認識しており、「女は女である」はミュージカル映画についての観念であり、死んでしまったミュージカル映画へのノスタルジーであるという。これをプラトン的に言い換えれば、霊魂が地上の肉体に宿る以前に見たはずのイデアを自ら想起(アナムネーシス)することによる真理の認識みたいなことになるだろう。ゴダールはダイナミックなダンスや感情の高まりがほとばしりでるような歌なしで、つまり、それらの欠如において、かつて銀幕を活き活きと彩ったミュージカル映画の記憶を、きれぎれの断片やミュージカルスター、振付師などの固有名によって喚起させ、それらに憧れるエロスに導かれるようにしてミュージカルに近づこうとする。おそらくは不自然さによって。ミュージカルでは乱闘シーンもまた、グループでの計算されたダンスとなり、逃げる相手を追いかけるときも踊りながらだったりして、そこに不自然さを感じることがある。「女は女である」も俳優たちの演技や演出に不自然なところがある。見る者に不自然さを与えることはミュージカル映画にとっては致命的なことで、ダンスや歌がイリュージョンを喪失したということである。それゆえにミュージカル映画は死んだということになるのだろうが、この不自然さを強調することで、逆説的にミュージカル映画と結びつくことができるのではないか。
ミュージカルに対するゴダールのこのようなスタンスはワーグナーの楽劇に対するブレヒトのスタンスと共通する面がある。ミュージカルはワーグナーの「総合芸術」の持つイリュージョンを保持しつつ、大衆化させたものであると言えるからだ。
ブレヒトは観客が舞台で起きていることを様々な角度から眺め、そこから変革の可能性を見出すことを期待した。そのためには、観客が演劇に同化せず、常に距離をおき、冷静であることが必要で、登場人物への感情移入や舞台への同化をさせないためにブレヒトは様々に工夫をした。彼の演劇は最後のクライマックスで観客にカタルシスを与えるようなものではなく、ばらばらなエピソードが散りばめられるようなものになった。これが音楽や文学、演劇といった諸芸術を一体化した「総合芸術」を掲げ、観客を感覚的に幻惑しながら舞台上のできごとに同化させようとしたワーグナーの楽劇に対するアンチとしてのブレヒトの演劇である。また、ブレヒトは俳優の演技に対しても、役に同化するのではなく、役を演じている俳優であることを忘れないよう注意し、台詞の後に「~と彼は言った」とト書きを含めて言わせたりした。「女は女である」にもそのような場面があるし、俳優たちはカメラに向かってお辞儀をしたりするなど、カメラを意識しながら行動している。俳優は俳優である自己と役柄の二重化を生きる存在であり、ゴダールにとって映画はフィクションであると同時にドキュメンタリーでもある。

→「人生を出発点とする芸術―アラン・ベルガラによるジャン=リュック・ゴダールへの新しいインタビュー」1985年
→「『女は女である』―ジュヌヴィエーヴ・クリュニーのアイディアにもとづくシナリオ」
→「『女は女である』―映画『女は女である』のレコードのなかのコメント」
→「ジャン=リュック・ゴダールに聞く―初期の四本の映画がつくられたあとで」1962年
(いずれも「ゴダール全評論・全発言1」(筑摩書房)所収)