むらぎものロココ

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ブリキの太鼓

2005-01-17 01:48:04 | 映画
blecht「ブリキの太鼓」(Die Blechtrommel)
1979年西ドイツ・フランス・ポーランド
監督:フォルカー・シュレンドルフ
音楽:モーリス・ジャール
主演:ダヴィッド・ベネント
原作:ギュンター・グラス




これはギュンター・グラスが1959年に発表した小説を映画化したもの。醜悪な大人に嫌気がさし、3歳で成長を止めたオスカルを主人公とした問題作「ブリキの太鼓」のドイツ文学上の位置づけとしては、市民社会の成熟とともに書かれるようになったビルドゥングスロマン(教養小説)の伝統をグロテスクに歪型化したことで、17世紀のバロック小説であるグリンメルスハウゼンの「阿呆物語」につながるものと言える。後年、グラスは「テルクテの出会い」という三十年戦争当時を題材にした歴史小説を書き、そこにグリンメルスハウゼンを登場させている。この小説の意図は三十年戦争当時の作家たちと第二次大戦後のいわゆる47年グループとをパラレルに捉えることにあり、グラスの中でこの二つの時代は重なり合っている。
シュレンドルフによる映画化は三部構成であるこの小説の第二部までで、オスカルの祖父母のおおらかで奇妙ななれそめから始まり、ナチスの台頭、自由市ダンツィヒの制圧、そして第二次世界大戦という激動の時代のなかで翻弄される人々の悲喜劇が描かれている。
生まれたときのことを覚えているばかりか、すでに精神的に完成された状態で生まれたオスカル誕生のエピソードは三島由紀夫の「仮面の告白」を髣髴とさせるし、生まれることを拒否して胎内に戻ろうと考えるところでは芥川龍之介の「河童」を思い出させもするが、何よりもクライストの「私たちは無垢の状態に立ち返るためには、もう一度認識の木の実を食べなければならないのですね?」(マリオネット芝居について)に呼応する。
3歳にして身体的な成長を止めたオスカルは3歳の誕生日にもらったブリキの太鼓を常に離さない。本物の楽器ではなく玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、この太鼓とともに精神的に成熟した子どもとして生き、サーカスの芸人たちとフランスを回ったりもする数奇な運命(放蕩息子の帰還)のなかで、オスカルは市民社会にひそむ臆病で打算的な人間の邪悪さや退廃、ナチズムのキッチュさを明るみに出していく。その視点は例えばテーブルの下や演台の下からといったように低く、上からでは見えない部分を見る。これに対して、レニ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」に典型的に示されるように、ナチの場合は上からの視点ということになるだろう。
この映画には一度見たら忘れられないシーンがたくさんあるが、興味深いシーンとして、ナチの集会が行われているとき、演台の下に潜んだオスカルが叩く太鼓によって鼓笛隊の演奏が次第に変化し、最後にはウィンナ・ワルツの舞踏会になってしまうという場面がある。ユダヤ人の音楽でありながらナチでさえも禁止できなかったヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツが噴出するとき、ナチが抱えていた欺瞞性が一気に露呈される。
一般に文学作品の映画化はあまり成功することはないが、この映画は原作の雰囲気を忠実に映像化している。主演のダヴィッド・ベネントの存在が夢とも現実ともつかない世界にリアリティーを与えている。