むらぎものロココ

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グリード

2006-09-03 03:54:49 | 映画
Greed_1「グリード」(Greed)
1924年 アメリカ
監督:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム
脚本:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム
    ジューン・メイシス
原作:フランク・ノリス
出演:ギブソン・ゴーランド、ザス・ピッツ
    ジーン・ハーショルト

 


●呪われた映画作家
フランソワ・トリュフォーによれば、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムは「世界でもっとも省略ということをしない映画作家」であった。彼はジャン・ルノワールの映画「大いなる幻影」について話をするためにテレビ出演したときも、ロケ地へ向かう汽車の行程や鉄道員の制帽や身ぶりについてやむことなく語り続け、映画のことはおろか、ルノワールとの出会いについてすら語ることができなかったという。このエピソードには全てを語らなければ気がすまない彼の性格が示されている。

映画のリアリズムを追求するシュトロハイムの姿勢は、衣装やセットへの徹底したこだわりとなってあらわれた。とはいえ、衣装やセットにこだわったのは何もシュトロハイムだけではない。名匠と呼ばれる映画監督には多かれ少なかれ、こうしたこだわりがある。しかし、そうしたこだわりは通常、作品に対する真摯さのあらわれとして肯定的に語られるのに対し、本物とまったく同じようにモンテカルロのホテルのセットを作らせたり、画面に映ることのない下着の紋章にこだわったり、モノクロの画面であるにもかかわらず色にこだわったり、サイレントであるにもかかわらず俳優に台詞をしゃべらせたりといったシュトロハイムの完璧主義は狂気の沙汰とされ、撮影期間の長期化や製作費の大幅な超過を理由に製作会社と衝突を繰り返した結果、彼は映画を撮ることができなくなり、その後の映画とのかかわりはルノワールの「大いなる幻影」やワイルダーの「サンセット大通り」など、特異な個性を持った俳優として他人の作品に出演するだけであった。

●フランク・ノリスとアメリカ自然主義文学
「一八九〇年代のアメリカ小説はきわめて重要である。というのは、そこにまったく新しいテーマと活力が大量に現われ始め、それまで語られることのなかったアメリカの現実の多くに光があてられ、検証されたからである。事実、この時代の新しい小説は、近代化が進むアメリカ人の生活の奥底に深く潜んでいた、遺伝的、生物学的、性的、社会的、科学的プロセスに新たな表現をあたえた。そしてさらに、意識と無意識の問題にますます取り組むようになった。しかしそれだけにとどまらず、この時代の新しい小説は、アメリカ小説の基本的領域を拡大させた。かくしてこの時代に、都市小説やビジネス小説、移民小説、ユダヤ系小説、黒人小説、フェミニズム小説などが誕生した」(マルカム・ブラッドベリ「現代アメリカ小説」)

フランク・ノリス(1870-1902)はこの時代の新しい小説家として活躍した作家であった。彼は美術を学ぶためにパリに行き、そこでエミール・ゾラの自然主義文学と出合った。自然科学の観察と実験的手法を小説に取り入れ、人間行動の細かな事実、様式、体系、生活状況、制度の働きを記録し、それらの現象の根底にある、環境・遺伝・歴史の進化などのプロセスを導き出すというゾラの手法が同時代のアメリカ人の生き方や意識を表現するうえで有効であるとして、ノリスは自然主義をアメリカ文学に導入した。彼の「マクティーグ―サンフランシスコ物語」は自然主義的手法によるノリスの代表作である。この小説は、ノリスがサンフランシスコで体験した貧困生活を下地にしており、困窮と移民の流入と都市化が進行する世界を舞台に、遺伝と環境の制約を受ける人間の堕落についての物語である。

●グリード
映画「グリード」はノリスの小説を原作とし、「省略ということをしない」シュトロハイムが監督した。この映画は2時間以内にまとめるという契約であったにもかかわらず、上映すれば9時間半におよぶ作品として完成された。
アンドレ・バザンはシュトロハイムの映画技法をグリフィスを超えるものとして位置づけ、それを「具象性の革命」と呼んだ。省略や記号的手法によるモンタージュを技法を確立し、『映画では「示す」だけでなく、「言う」ことができる、「再現する」だけでなく、「物語る」ことができる』ということを発見したグリフィスに対し、断続的な断片の合成ではなく、連続した全体性によって映画を最初の機能(「示す」)に戻そうとしたシュトロハイムをトーキー映画の言語の発明者としている。
しかしながら、当然のように「グリード」は数回の編集を受けて断片化され、2時間程度に縮められてしまった。

この映画は金を採掘する作業現場の場面で始まり、デスバレーの場面で終わる。これによって、カリフォルニアの都市化が進む契機となったゴールド・ラッシュの記憶が喚起される。
トリナと出会ったことで動物的な性本能が目覚め、無免許開業医であったことを暴露され、仕事を失ってから暴力衝動をコントロールできなくなり堕落していくマクティーグと富くじが当たり、5000ドルを手にしたことから金の亡者となり毎晩金貨を愛でるようになるトリナ(リーパの「イコノロギア」では、貪欲は不健康にやせ衰え、貧しい身なりをし、青ざめ、憂鬱な表情を浮かべながら財布を片時も離そうとしない女の姿に擬人化される)と、トリナをマクティーグに譲ったことにより5000ドルを取りそこなったとしてマクティーグを憎むようになるマーカスという三人の人間がたどる凄惨な運命は、一攫千金を狙い、黄金を求めた者たちの欲望によって生み出された都市から欲望に逸る者たちを灼熱の太陽と渇きで死に追いやったデスバレーへ続く。触れるもの全てが黄金に変わるようにと願ったミダス王が飢えと渇きに苦しんだように、満たされることのない貪欲は決して人を幸福にしない。

貪欲により破滅していく人間の物語である「グリード」には図らずも映画監督シュトロハイムの破滅が刻印されている。

→マルカム・ブラッドベリ「現代アメリカ小説2」(彩流社)
→アンドレ・バザン「残酷の映画の源流」(新樹社)


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1 コメント

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9時間あったのを2時間に削られても、こんなに凄... (SEAL OF CAIN)
2008-05-29 18:54:36
もっと監督をやってほしかったなあ。惜しいなあ。
完璧主義ぶりは、ドイツ系の気質も出てる気がしゅる~~
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