蜜柑のつぶやき ~演出家の独り言~

NPO法人劇空間夢幻工房の演出家/青木由里の日々の呟き。脚本執筆・役者・ワークショップ講師も兼業する舞台人日記♪

役者と表現者

2014年07月24日 15時54分01秒 | 日記
ずっと考え続けていることがある。

それは、役者と表現者の違い。

14年間、夢幻工房が毎週日曜日に開催してきた
MAプログラムの演劇の時間は

 表現としての演劇

という講座名をつけている。

不思議な名称だと思う人もいるかもしれない。

が、私は演劇というジャンルに関して
本来役者が演じるものだという認識がある。

MAは役者ではない一般の人向けのワークショップ。
なので「表現としての」という枕詞をつけたのだが…

役者になりたい!
役者を目指したい!

と思う人の中には、自分を表現するための手段として
演劇を選んでいる人もいる。

別に間違いではない。

演技する媒体は「自分自身」
自分の身体・感情を使って表現するという意味では
広義において、役者も表現者の一つということになる。

昨今、表現したいと思う人は増加傾向にあり
これは喜ばしいことだと思う。

コミュニケーションを円滑に行うにも
表現力の向上は非常に重要なポイントだ。

と前置きをした上で、やはり私は

 役者と表現者は異なる

と考えている。

演劇は、戯曲に沿って創作するものであり
自分とは異なる人間の人生を疑似体験する場でもある。

つまり…

自分とは異なる価値観を持つ人間
異なる環境で生きている人間を演じるのが役者。
そのためには、自分が演じる人間の価値観を知り
感情が動くポイントを探り
どんな身体表現をするのか想像し
自分とは異なる身体性や感情の起伏を発見し
その上で、自分の感情と身体を
最大限活用して演じるのが役者。

そして…

これまで生きてきた環境下で培われた価値観のもと
感情の起伏や感情が動くポイントを発見し
自分の身体と気持ちよくリンクしそうな
自分の物差しで判断し表現するのが、表現者。

現代演劇においては、この境目が
無くなって来ているように思う。

自然な演技を求め、それを好む人も多く
発声や滑舌練習、身体の鍛錬も必要ないと
思っている人も多いようだ。

ドラマや映画の場合、自然な演技が好まれるが
役によって変化させずに、自分に引き寄せて
演じているタレントさんも多い。

故に、尚更キャスティングが重要で
判断を誤ると、台本とは全く異なるキャラクターに
なってしまう可能性もある。

色々な人間の様々な人生を疑似体験できるのが
役者を演じる楽しさであり
多様な表現を発掘&表現するのが
役者の醍醐味だと私は思っているが…

 自己表現をする面白さは
 役者の面白さを知る前段階でもある

 楽器は、美しい音色や音楽を奏でるために
 それなりの練習が必要だけど
 役者が奏でるのは声であり、楽器は身体
 程度の差はあれど、誰もが日常使いこなしているため
 ある意味、誰でもできてしまうため
 必要な技術がわかりにくいし
 必要だと思った技術を鍛錬しても
 評価基準が曖昧なため、比較がしづらい

日本には役者や演出家の免許制度がないので
わかりづらいのは確かだ。 

私も一般向けのコミュニケーション講座で
「人生は演劇であり、誰もが役を演じている」
という話を事例を上げながら話す。

家族、友人、会社の同僚、上司、社長、スター
を想像してください。
そして、その人たちを前にした時の自分を
思い浮かべてください。
しゃべり方や態度に違いはありませんか?…

まれに、誰に対しても同じ、という人もいるが
相対する人物によって態度が変わる人のほうが圧倒的に多い。

役者は、自身の演じ分けを参考にしながら
他者の演じ分けるポイントや表現を
参考にさせていただいているものだ。

私が思う役者とは、そういう職業。
けどねぇ…
異なるイメージを持つメンバーもいて
それはそれで人生を豊かにするためには
良いことだとも思うんだよね~

そんな時

 役者コース
 表現者コース

この二つに分けたほうがいいのかな?
なんて思ったりするわけだが
表現者コースは既に一般向けにMAや企業
学校等で行わせていただいているし…

とすると…

やっぱり夢幻工房は役者を育てる団体でありたい。
そして、夢幻の団員には
役者の醍醐味を知ってもらいたい
味わってもらいたいと思う。

で、早くそれを知ってもらう手法を模索しているのだけど
人によって通るルートが異なるので一朝一夕には見つからない。

で、また、役者と表現者について再考する…
なんてことを繰り返しているわけです。
もちろん、色々な本を読み、事例を研究しながらですけど(汗)


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