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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ソドム

2013-12-14 09:17:46 | 詩集・空の切り絵

アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに(正しい者が)十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。(創世記第18章32)

     ***

ひとりでも
ほんものがいれば
よかったのだが

すべてを
にせものでやれば
それがそのまま
まるごとうそになって
馬鹿になってしまうのだ

あらゆる価値体系が
それによって
砂と崩れていく

青空のように大きな
野球盤が
亀のように
ひっくりかえる

ソドムの最期だ




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オルガンを弾く聖カエキリア

2013-12-14 05:17:59 | 虹のコレクション・本館
No,34
カルロ・ドルチ、「オルガンを弾く聖カエキリア」、17世紀イタリア、バロック。

これもまた、可憐で美しい女性だね。
頭に光輪をかぶせて、聖女にしているが、ないほうがいい。普通の人間の、やさしい女性としてみる方が、美しい。

天使のようだ。

人間の男は、こんなかわいらしい女性を見つけると、変に馬鹿ぶりを発揮して、いやなことをしすぎる。
好きならば、女に当たらずに、家を建ててやり、オルガンを一台買ってやることだ。そうしたら、女はやさしい音楽をひいてくれ、家をきれいにしてくれる。
それだけでよいものを。

八重垣をつくる男の腕を、女を殺すために使っては、おしまいだ。昔は、こんなかわいらしい女性は結構いたが、あまりに男がいじめるので、現代はこういう女性はほぼ絶滅している。

未来の人間は、こういう絵のなかに、むかしは実在したやさしい女性の夢を見るかもしれないね。




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叫び

2013-12-13 08:48:47 | 詩集・空の切り絵

あなたは姦淫してはならない。
       (出エジプト記・第20章14)

「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、――これは破滅への門である。」
       (スッタニパータ・第一章、108)

みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
       (マタイによる福音書5,28-29)

     ***

古代の昔から、これほどないがしろにされている教えはないね。
いろんな人が繰り返し言っていることだが。

いいかね、浮気はしてはならないのだぞ。これは本当だ。
やっては人に大きく迷惑をかける。これくらいわかるだろう。

ばればれの屁理屈をこねて、当然の顔でやるな。
不倫は文化だと。
自由恋愛などというものは、猿のやることだ。

本音は、若い女とやりたいだけだろう。

     ***

ただ女子と小人は養い難しとなす。これを近づくればすなわち不孫なり。これを遠ざくればすなわち怨む。
       (論語・陽貨)

     ***

わたしはそういう分野は苦手なんだよ。男も女も、おまえらは、変態か。いいかげんにしろ!

ここまでくると心の叫びだね。いや実際、孔子はこういうことを言ってるんだよ。
言われてもしょうがないことを、やったやつがいたからだ。




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華やかなドレスを着たサスキア

2013-12-13 04:21:37 | 虹のコレクション・本館
No,33
レンブラント・ファン・レイン、「華やかなドレスを着たサスキア」、17世紀オランダ、バロック。

レンブラントは、モデルよりも、自分のうまさを重視する画家だ。
ゆえに、妻サスキアをモデルとした絵も、モデルへの愛をあまり感じない。うまさゆえに見事に、女性の顔や肉体の微妙な崩れ方をも描いてしまう。

普通に女性が好きな男なら、モデルの顔や体型を整理して、もっと絵画的に美しく描くものだが。

その中で、これは比較的モデルを美しく描いたものである。

レンブラントは、そのうまさゆえに、見る側からすると、少々鼻につくきらいがあるのだが、これは上手さと愛がほどよくまじっていて、よい。

やはり、上手い画家には、それなりに美しいものを描いてほしいね。

写実主義の画家でも、もっと美しく描くぞ。




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ロレンツォ

2013-12-12 08:45:23 | 詩集・空の切り絵

「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ」
   (ハンス・クリスチャン・アンデルセン「もみの木」)

青春とはまことに美しいものだ
されどそれははかなく過ぎてゆく
楽しみたいものは大いに楽しめ
明日の日は確かではないのだから
    (ロレンツォ・デ・メディチ)

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる者も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
    (平家物語)

疏食を飯らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。
楽しみまたその中に在り。
不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし。
    (論語・述而)

   ***

こんなことがみんな嘘っぱちだってことくらい
俺が一番よく知っている
楽しめるときに大いに楽しんでおけ
馬鹿者ども
いつかはみんなだめになる

こんなことはみんな馬鹿だ
結局はみな つらいことになりきる
なんでこんなことばかり
やらなくちゃならない
いつかはだめになるってのに



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風景の中の自画像

2013-12-12 05:05:50 | 虹のコレクション・本館
No,32
アンリ・ルソー、「風景の中の自画像」、19世紀フランス、素朴派。

素朴派というが、これもユニークな画風だ。色彩といい、形と言い、おもしろい。この画家が優れているのは、きちんとした技術をもって、人間の魂や植物の魂をきちんと描いていることである。これが非凡なところだ。

ところが、ここに罠がある。この描き方は、いかにも簡単に見えて、だれもが真似したがる。こんな絵で、立派なものになるならと、アンリ・ルソーの真似をした画家が、たくさんいるのだ。

実に、キュビズムやシュルレアリズムも、起源はここにあるというものである。

これで芸術になるのなら、簡単ではないかと。

だが、アンリ・ルソーの真似をした芸術家は、みな、アンリ・ルソーに敗れる。誰も、これ以上のものを描けない。ピカソもシャガールも、ルソーの歪んだ孫だ。

この自画像に、画家の魂を感じてくれたまえ。これの安易な真似をした画家が、バカに思えるはずである。




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イネ

2013-12-11 10:58:22 | 詩集・空の切り絵

白い飯を
食わせてやろうとて
さらさら さらさら
生きている

白い飯を
食うためには
はちじゅうはちの
手間がいるぞ
はちじゅうはちの
愛がいるぞ

それはそれは
うつくしい ちいさな娘を
てしおにかけて
育てるように

白い飯を
おまえたちにやろうとて
神が 何を
してくださったのかを
思いなさい

やおよろずの
手間をかけて
おまえたちを育てている
神の手を
思いなさい



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聖書を読む老婦人

2013-12-11 05:20:42 | 虹のコレクション・本館
No,31
ヘリット・ダウ、「聖書を読む老婦人」、17世紀オランダ、バロック。

これもまた美しい女性だ。真剣に聖書を読んでいる。勉強をしている。家政に徳をもってあたっているよき女性であろう。

モデルはレンブラントの母御らしい。子供をいっぱしに育て上げた自信が横顔に出ている。苦労をしたのだろう。信仰を支えに、子供を育てながら、あらゆる苦難を乗り越えて生きて来たのだろう。画家レンブラントの影には、こういう女性がいたのである。このような女性が一人いれば、家庭とその周辺によきことがたくさん起こる。善をまじめに行う女性が一人でもいれば、たくさんの人が助かるのである。

この女性を美しいと感じることができる人は、とても良い人間だ。画家はこの人の美しさがわかる人間だったのだろう。

佳品である。




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ムハンマド

2013-12-10 08:44:33 | 詩集・空の切り絵

アッラーは偉大なり
アッラーのほかに神はなし
    (イスラム教礼拝の唱句)

    ***

真実こそ偉大なのだ。真の道以外を決して歩いてはならぬ。

おまえたちは、偉大な神が愛した、偉大な器だ。
偉大なことをなせ。
愚かな軽輩の真似をしてはならぬ。
卑怯極まりない嘘つきのしもべになってはならぬ。

ともにゆこう。正しいことを教えてやる。

すべての行動を、ともにしてやる。

愛している。



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ラファエロ

2013-12-10 04:59:02 | アートの小箱

ラファエロは安い。工房で大量生産された絵葉書美術だ。
きれいに描いてあるが、心に訴えてくるものがない。

ラファエロに学ぶと、人間は芸術を間違う。神のごとき剽窃者という異名があるが、おかしなことだ。神は剽窃などなさらない。まるごとすばらしく、かつてない創造をなさることができるのに、なぜ他者から盗む必要がある。

いろいろと作品を見ていても、ラファエロ本人が主な製作者となってかかわっている作品は、初期のものに限られる。ラファエロの真筆と言える作品は、師ペルジーノの真似を脱していない。それなりの個性は見えるが、どれも、どこかで見た構図ばかりだ。剽窃者と言われるゆえんであろう。

このようなラファエロを人間が必要以上にたたえるのは、やはり、レオナルドという傑出した才能があったからだろう。はっきり言ってしまえば、盛期ルネサンスは、レオナルドの独り勝ちだったのだ。それをみとめたくない人間が、ミケランジェロやラファエロを作り出したのである。

ラファエロの作品として人気のあるこの作品も、大勢の弟子たちが総出で作ったと言う感がある。美しく見えるが、人間の個性を感じない。才能ある画家が描けば、美しさの前に、強い個性を感じるものだ。それが工房の作品であろうとも、師匠の個性が強く出るものだ。
だがラファエロの作品にはそれがない。世間の順当な評価にこびる商売人の姿勢が見える。

つまりはだ。ラファエロの工房は「大勢」の弟子たちで成り立っていたのだ。その裏には、ラファエロをプロデュースしていただれかの存在がある。

まあこういうことは、わたしがあえて言わずとも、わかっているだろうが、そろそろ真実を見つめた方がいいのではないかと思い、言ってみた。

ラファエロはいつか解体する。なぜなら、ほとんどすべてが、彼の作品ではないからだ。



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