世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

サンドロとレオナルド・2

2015-11-30 03:24:18 | 天使の小窓
レオナルド・ダ・ヴィンチ
      (1452~1519)



サンドロ・ボッティチェリ
      (1444/45~1510)


それぞれの顔を並べてみた。どうかな、目つきが何となく似てるだろう。
なお、レオナルドの自画像としてよく出される赤チョークで描いた老人像は彼の自画像ではない。

それと、ボッティチェリの自画像と良く知られている「東方三博士の礼拝」に描かれている青年も彼の自画像ではない。


上のレオナルド像を誰が描いたのかは不明だが、下のボッティチェリの像を描いたのは、彼の弟子であるフィリピーノ・リッピである。




小さなペガサス

2015-11-29 03:17:32 | 瑠璃の小部屋

2013年。ヤフーブログに載せたもの。
年賀状用カット。










表現

2015-11-28 03:29:19 | ちこりの花束

 頭の中にある理論や、胸に受けた感動を、言葉で的確に表現できたら、とてもうれしいものですね。例えば、すばらしい音楽を聴いた時、胸の中ではもう心が小躍りしていて、感動でうれしくてたまらないのに、それをどう表現していいかわからないのは、とてももどかしいものです。そんな時には、やはりそれなりの語彙や表現のテクニックを持っていると、感動を人に伝えやすくなります。
「もうね、すごかったのよ。どう言っていいかわからないくらい」では、今一つ伝わらないかもしれませんが、「やさしいピッコロのメロディが、風に舞う木の葉みたいに心の中を踊っていくの」と書くと、ちょっと気取ってるけど、聞いた人には幾分イメージが伝わりやすいと思います。



(1999年11月ちこり17号、ノベルレッスン)



※ノベルレッスンはちこり初期にかのじょがやっていた創作教室のようなもの。





小さな種

2015-11-27 03:31:53 | ちこりの花束

 「命」というのは、すばらしい。まるであらかじめプログラミングされていたかのように、ある日突然、求め続けていたものが泉のようにふきあげてきたのです。ただやりたいことをあきらめずに続けていただけで、求めていた本当の自分の輪郭に触り、目の前でまぶしい火花が散って、それまでの自分が嘘だったかのように、まるっきり違う新しい自分がそこにいたのです。
 私たちの心の中には、みな小さな種が宿っています。それは伸びたい、大きくなりたい、自分はだれなのかどんな花なのかを知りたいという、命の自然な願いなのです。それを、様々な古い観念の型にはめることによって、現状の社会運営上で都合の良い人間をまるで鯛焼きのように大量生産しようとしてきたのが、私たちに与えられてきた教育ではなかったでしょうか。そして、そのために殺されてきたさまざまな人間の魂の叫びが、亡霊のように立ち上がり、人の心をむしばみ始めたのが、少年犯罪や閉じこもり、不登校、親子の断絶などに現される様々な現代社会のひずみではないかと思うのです。



(1999年5月ちこり増刊号、前書き)





メフィストフェレス

2015-11-26 03:21:49 | 詩集・空の切り絵

何でおまえは俺の言うことを聞かんのだ
何でおまえはいつもヒスを起こすのだ


それはあなたが悪いからですよ
あなたはいつも人に勝とうとして
他人のあらを探しては
人を馬鹿にしてばかりいるんだもの

誰にだって心はあるのよ
馬鹿にされてばかりいたら
時々我慢が割れて
心が破裂しそうになるくらい苦しくて
反発することくらいあるわよ
ヒスなんかじゃないわ
あなたが馬鹿だから
人の気持ちがわからないだけなのよ

わたしを支配しようとするのはやめて
わたしはあなたの奴隷じゃないのよ
言うことを聞かそうとして
男のずるい手を使うのはやめて

頭が痛いほどあなたは馬鹿だけど
わたしは愛そうと努力しているわ
そうでないとみんなが困るもの
一番つらいのは 子供なんだもの
できる我慢はしなければ
みんなを不幸にしてしまう

あなたは そんな我慢さえできないの
わがままばかりで
権力で人を支配しようとするの
それでないと自分がつらいからよ


なんでおまえは俺に反抗ばかりするんだ
なんでおまえはおれを馬鹿にするんだ


馬鹿にしているんじゃないわ
わたしじゃないと言ってあげられないことを
言ってあげてるだけよ
わたしが何度も言ってあげなくちゃ
あなたは一生
自分が馬鹿だってこと わからないでしょう




神さま

2015-11-25 03:13:34 | 月夜の考古学・本館

神さま おしえてください
とおいところで
ちいさな子が泣いている
とてもとおくて
声も手も とどかない
そんなときは
どうすればいいですか

神さまは おっしゃいます
ためいきをつくまえに
目を閉じて 心の中に
青い真珠をつくりなさい
胸の底の悲しみの池に
手を濡らして
くるしいくるしいその子の
心に届けと言って
神のむねに投げなさい
きっとわたしが 届けてあげよう

なにもかも 心配ないから
みんな愛しているからと

きっと届けてあげよう



(年度不明。封筒に書いてあった走り書き)





美しい人

2015-11-24 03:22:22 | デッサン・下描き

2007年。切り絵の下描き。
完成作はこちら





わたし

2015-11-23 03:30:02 | 月夜の考古学・本館


よろこび かなしみ
やりたいこと できること
みんなそれぞれに ちがう
でも
わたしが わたしだってことは
みんな おなじ

みんなおなじで みんなちがう
そんな「わたし」が せかいじゅうに
ひしめいている



(2008年頃。入院中のノートから)







2015-11-22 03:31:44 | ちこりの花束

 人生には、怖いこと、辛いこと、たくさんあります。でもそれを自分の中に閉じ込めていないで、これからも、少しずつ、表現して行ってください。心の中に、痛みのようなものを感じれば、それをそのままにしておかず、言葉にしてみるのです。詩でもエッセイでも、またお手紙でも。それは必ず役に立ちます。
 美しい言葉は、魂の食べ物。そして言葉で自分を表現することは、魂の癒し、ひいては人生の癒しにつながります。魂は赤ちゃんと同じ。世話をしてあげないと、死んでしまうこともあるんですよ。大事にしてあげてください。


(2003年11月ちこり29号、通信欄)






欠落感

2015-11-21 03:31:39 | ちこりの花束

 最近、ある幼稚園で働いている女性と、お話をする機会がありました。その人によると、「最近の子供たちが悪いことをするのは、おかあさんが家にいないから…」という話が、幼稚園でもっぱら話題にされているそうです。子供たちは、さみしくて、自分を見て欲しくて、非行に走ったり、あのような突発的な行動に出たりするのだそうです。
 男女機会均等法が施工され、ヒラリー・クリントンが上院議員に当選する時代、女性は様々な分野で活躍しています。自己実現を主な人生のテーマと教えられてきた世代は、女性を家庭に閉じ込めようとする古い社会風潮に反旗を翻すかのように様々な分野に挑戦し、新しい女性の生き方を模索しています。 
 しかし、なぜ社会では金を稼ぎ現実社会を動かすという、男性的な特性が優位におかれ、家事をし子を育てるという女性的特性を、一段低いものとみなしがちなのでしょうか。
 確かに女性は、男性的価値観からみれば、欠点の多い存在と見えるでしょう。だから男性は自分と比べて女性を劣ったものと見、様々に女性の価値をおとしめてきました。ために多くの女性は、女性であるということが人間としての大きな欠陥であるかのように感じ、その結果、自分に自信を失い、内部に大きな欠落を抱えた女性に、子供たちの心身は育てられることになったのではないでしょうか。
 母親の欠落感は、子供の魂に如実に投影され、それは世代を超えて次第に大きくなっていきます。そして時代を経るにつれ、自分の価値を信じられず、生きている意味も実感もつかめない大きな空虚を心の内に持った子供が、大量に生み出されてきたのではないか…。
 子供たちの心を取り戻したいのなら、少年法を改正するよりも、まず子育てを主に担う女性的特性とその価値を、社会が理解せねばならないと、私は思います。女性が自分の感性や特性に自信を持ち、本当の女性らしさと母性を具現できる知性と力を持てば、子供たちの淋しさも欠落感も、必ず減るのではないでしょうか。
 女性の女性らしい特性、それは存在そのものである幸福感をそのまま具現できる笑顔と優しさだと思います。女性がその特性を真に発揮できる時、子供たちの心は本来の輝きを取り戻すことができる。そんな夢を思い描いては、いけないでしょうか。


(2000年11月ちこり20号、編集後記)