ラファエロは安い。工房で大量生産された絵葉書美術だ。
きれいに描いてあるが、心に訴えてくるものがない。
ラファエロに学ぶと、人間は芸術を間違う。神のごとき剽窃者という異名があるが、おかしなことだ。神は剽窃などなさらない。まるごとすばらしく、かつてない創造をなさることができるのに、なぜ他者から盗む必要がある。
いろいろと作品を見ていても、ラファエロ本人が主な製作者となってかかわっている作品は、初期のものに限られる。ラファエロの真筆と言える作品は、師ペルジーノの真似を脱していない。それなりの個性は見えるが、どれも、どこかで見た構図ばかりだ。剽窃者と言われるゆえんであろう。
このようなラファエロを人間が必要以上にたたえるのは、やはり、レオナルドという傑出した才能があったからだろう。はっきり言ってしまえば、盛期ルネサンスは、レオナルドの独り勝ちだったのだ。それをみとめたくない人間が、ミケランジェロやラファエロを作り出したのである。
ラファエロの作品として人気のあるこの作品も、大勢の弟子たちが総出で作ったと言う感がある。美しく見えるが、人間の個性を感じない。才能ある画家が描けば、美しさの前に、強い個性を感じるものだ。それが工房の作品であろうとも、師匠の個性が強く出るものだ。
だがラファエロの作品にはそれがない。世間の順当な評価にこびる商売人の姿勢が見える。
つまりはだ。ラファエロの工房は「大勢」の弟子たちで成り立っていたのだ。その裏には、ラファエロをプロデュースしていただれかの存在がある。
まあこういうことは、わたしがあえて言わずとも、わかっているだろうが、そろそろ真実を見つめた方がいいのではないかと思い、言ってみた。
ラファエロはいつか解体する。なぜなら、ほとんどすべてが、彼の作品ではないからだ。