世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ソルカンヴィル夫人の肖像

2016-04-16 07:12:48 | 霧の風景


ジャン・バティスト・ペロノー、18世紀フランス、ロココ。

優雅な夫人像だが、これも偽物である。優し気な顔と、目つきが違う。つまりは、この教養深く人格のできていそうなうるわしい女性の、皮をかぶった馬鹿が、この中にいるのである。自分よりいいと思う女性の美を、馬鹿が盗んで着ているのである。まさに妖怪である。






ジャンヌ・ダルク

2016-04-15 08:01:46 | 霧の風景


アニー・ルイーズ・スウィナトン、20世紀イギリス、ラファエル前派、女流。

ジャンヌを描いた絵にはなかなか良いものが見つからない。中ではこれが実像に近い。ラファエル前派の叙情性もかなり好もしい。髪はもっと短く切っていたが、美しい女性だった。真心で人々のために働こうとしていたが、狂おしい人々の嫉妬にさいなまれてむごたらしく滅ぼされた。これは人類の大きな苦しみである。ジャンヌ・ダルクが天命を全うしていれば、フランス革命は起きなかったのだ。民主主義の繁栄も、今ほどではなかったろう。女性を迫害してきた歴史の中でも、これは最も大きな汚点である。人間はこの女性の真実を、闇に葬ってはならない。






マルキーズ・ド・ポンパドゥール

2016-04-14 07:32:56 | 霧の風景


モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、18世紀フランス、ロココ。

これは美しく見えるが、人形である。目が死んでいる。本霊はまったく活動しておらず、人生の諸活動はすべてバックの霊界の人間が動かしている。他人から富と美を盗んで栄華を得たが、本人は何もしてはいない。中身は寒いのに、派手な栄光だけは欲しいという偽物の極みである。この絵が残ったことで、ポンパドゥールは永遠に残る恥をさらした。






スペイン王妃イサベル・デ・フランシア

2016-04-13 07:54:38 | 霧の風景


フランス・プールビュス(子)、17世紀フランドル、バロック。

これは虚栄の一例である。レースをふんだんにあしらった豪奢なドレスを身にまとい、髪は少しでも自分を大きく見せようと高く結い上げ、宝石のアクセサリをこれ見よがしにつけている。だが目は弱い。自分に自信のない魂が見える。この女性はスペインの王妃であるらしいが、自分への不信ゆえに、確かなものを欲しがって、あらゆる美しいものを身につけている。本当の自分に自信があれば、飾りなど何も必要ないのだ。人間はこういう道を通ってきたのである。






初めての悲嘆

2016-04-12 07:21:32 | 霧の風景


チャールズ・スペンスレイ、20世紀イギリス、アカデミズム。

少年が死んだ小鳥をつかんで見つめている。傍らには空っぽの籠がある。餌をやり忘れたか、とにかく世話を怠ったのだろう。自分の責任でやらねばならないことをしなかっただけで、味わわなければならない喪失の悲しみは大きい。失ったものは戻らない。だが人間は学ぶことができる。悲しみを一つの石にして、もう二度と繰り返さないと心に誓うことだ。






真実のヴェールをはぐ時の寓意

2016-04-11 07:02:54 | 霧の風景


ジャン・フランソワ・ド・トロワ、18世紀フランス、新古典主義。

世界を象徴する球体に足をつけている白衣の美しい女性は「真実」を表している。そのヴェールをはいでいる有翼の老人は時の神クロノスであろう。白衣の「真実」は、隣にいる黒衣の女性の姿をした「虚偽」の仮面をはぎ、仮面をはがれた「虚偽」は「真実」の性器のある部分をおさえ、「真実」と人間の結婚を阻もうとしている。おもしろい寓意画である。






嵐の海の船

2016-04-10 07:00:49 | 霧の風景


イワン・コンスタンティノヴィチ・アイヴァゾフスキー、19世紀ロシア、アカデミズム。

吹きすさぶ風、荒れ狂う波。その中で、一隻の船が傾いている。座礁したのだろう。人間たちは船を捨て、ボートで岸に向かおうとしているようだ。荒ぶる自然に翻弄されながら、その知恵と力で必死に生きようとしている人間の姿が見える。細やかに描かれた船の形も、荒れ狂う水の色も美しい。風や波の音が聞こえてきそうだ。自然観察のたまものである。






レダと白鳥

2016-04-09 07:05:21 | 霧の風景


ピーテル・パウル・ルーベンス、16世紀フランドル、バロック。

この女性像は、男から見た一つの理想像である。柔らかな肉体、人格を隠した表情。白鳥はそのまま、男の性器の象徴だ。セックスがしたいという、男の欲望が如実に現れている。ルーベンスはこのような肉感的な女性が好きだったらしい。その妻のエレーヌ・フールマンは、ふくよかなかわいらしい女性だが、頭はゆるそうな目をしている。肉体だけが欲しいという、男の究極のわがままである。






生に疲れる人々

2016-04-08 07:15:21 | 霧の風景


フェルディナント・ホドラー、19世紀スイス、象徴主義。

生に疲れているというが、この規律的な構図の中にはエネルギーを感じる。男たちは茫然としているようで、その内部にあるナイフのような存在感を匂わせている。たとえどのように疲弊しても、男の中には滅びない自分というものがあるということを、強く感じさせる作品である。






岩窟の聖母

2016-04-07 06:43:17 | 霧の風景


フィリッポ・リッピ、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

美しい女性像だが、この人は心を閉じている。モデルは画家に誘惑されて駆け落ちした修道女であるらしい。情にほだされてやったものの、本意ではなかったのだろう。画家は好色な性質であったらしく、モデルの美しさをこれでもかと追及しているが、その絵の中には、自分の表面的な美しさしか見ようとしない男に絶望した女性の心が描かれている。美しさを見つめているうちに、画家は女の心まで描いてしまったのだ。結局は、美しさの元は心の姿だということなのだが、男は決してそれをみとめたがらない。女性はそういう男の幼稚さに、長い間耐え続けているのだ。