世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ガラスのたまご・27

2015-02-28 07:06:42 | 瑠璃の小部屋

★ハートの6

あるクリスマスが近い日、久しぶりに帰国した手品師さんが、画家さんのもとを訪れた。手品師さんは、彼のアトリエに入るなり言った。

「やあ、これが前のアトリエと同じアトリエと思えないな」
「うるせえ。大体は前とおんなじだ。ちょっときれいになっただけだよ」
「お嫁さんに苦労かけるなよ」
「かけてねえよ」

画家さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、アトリエで会話を交わす二人。離れていた月日を感じない。イーゼルにかけてあるカンヴァスには、詩人さんの顔があった。

「この絵、前にも見たことあるな。どっかで」
「ああ、スケッチブックの素描をもとにして描いたんだけど、すぐに売れた。そしたらしばらくして、あれとおんなじ絵を描いてくれって、ほかから注文がきたんだ」
「へえ、渡のファンか?」
「そ。レプリカを描くのはあまり好きじゃねえけど、ま、客は大事にしないとな」

手品師さんは、カンヴァスの中で笑っている詩人さんに、愛おしそうに視線を注ぎ、言った。

「あれから何年経つのかな。君は、国境を越えて、どこに行ったんだ?」

画家さんが手品師さんを振り向き、言った。

「国境か。渡は、渡の国境を越えた。それはきっと…」
「きっと、何さ?」
「たぶん、人間の国境だ」
「人間の国境ね…」

手品師さんは絵の中の詩人さんを見ながら、わかるような気がするよ、と、言った。

「お嫁さんは?」
「実家に帰ってる。予定日が近いんでな」
「来年早々だそうだね。年末年始、忙しくなりそうだ。男の子だって?」
「ああ、医者の話では、90パーセント男だってさ」
「あててやろうか?」
「何を」
「男が生まれたら、渡って名前をつけるつもりだろう」

画家さんは黙った。そして、絵の中の詩人さんの笑顔を見た。

「もう少し、生かしてやりたかった。なんも、おれにはできなかったけど」
「君のせいじゃないよ」
「わかってる」

出されたコーヒーを飲みながら、手品師さんは椅子に座り、しばしの間、思い出にふけった。右手が無意識のうちに動く。気付くと手品師さんは、一枚のカードを手にもっている。ハートの6だ。

くるしいことの すべてを
あしたのひかりに とかして
ぼくはゆく
もう後ろは見ない

扉は開いて
金色の花の洪水のような
光があふれてくる
ああ お日様の向こうにある
お日様が 流れてきたのだ
ぼくのところに

知っているかい
ちきゅうをふく すべての風は
神様が あいするみんなの
頬にキスをするためにあるのだ

ぼくは歌でそれを
みんなに教えに行く
国境を越えて
魂も心も体も瞳も叫ぶ唇も
すべてが変容して
いつしかぼくは
ふしぎな一羽の小鳥になっている

あててみせよう
君が出す次のカードは
ハートの6だ

「この絵、ぼくにも描いてくれないか。もう少しサイズを大きくして。買うよ」
「え?そりゃいいけど」

画家さんは少しきょとんとして、手品師さんの横顔を見つめた。手品師さんは、絵の中の詩人さんをじっと見つめている。

「ハートの6か。まだわからない。何が言いたかったんだ?渡」

手品師さんは詩人さんと無言で話をしていた。画家さんは何も言ってはいけないような気がして、黙っていた。

(仕方ないね。答えを教えよう。詩の解説なんて、詩人の仕事じゃないけれど)

聞こえない声が、言った。

(愛がすべてだってことさ)

ふたりは、なんだか胸が暖かくなった。なんとなく、昔と変わらず、3人でここにいるような気がした。

国境を越え 怒りを捨て
すべてを 導くために

君はゆく

(つづく)



ガラスのたまご・26

2015-02-27 07:12:10 | 瑠璃の小部屋

★忍さんと歌穂さん

ある日のことだった。画家さんは、アトリエで、スケッチブックの素描をもとに、詩人さんの肖像画を描いていた。

ほんとにおまえ、予想通りになったな。カンヴァスに筆を走らせながら、画家さんは絵の中の詩人さんに心の中で声をかける。

学生のときから、なんとなくよわっちいやつだと思ってたけど、こんなんでいけるのかって、思うことが何度もあったけど、ほんとに、こんなに早く死んじまうとは思わなかった。

聞いたところによると、鳥音渡の第2詩集の売れ行きはかなりいいそうだ。本人が死んでしまっていると言うことも、人の興味をひくらしい。鳥音渡の詩は生きている鉱物の光のように、人の心に静かにしみ込んでゆく。

おまえが言いたかったことが、今ならわかるよ。画家さんは絵の中の詩人さんの顔を、愛おしそうに見つめた。

そのとき、横の方から、がちゃんと何かが割れる音がした。振り向くと、アトリエのドアのところに歌穂さんが呆然と立って、画家さんを見つめ、震えている。その足元ではコーヒーのカップが割れ、黒い液体が床を濡らしていた。画家さんが何かを言おうとする前に、歌穂さんの目からぽろぽろ涙がこぼれだした。画家さんはあわてて立ち上がる。

「どうした、なんかあったのか?」
画家さんは歌穂さんにやさしく声をかけながら近寄って行った。すると歌穂さんは顔を覆って泣きながら言った。

「忍さん、やっぱり渡さんのことが好きなのね」
「はあ? なんだ?」
「竹下さんが言ってたの。忍さんは女の人より、男の人の方が好きで、渡さんは恋人だったんだって」

竹下さんとは、画家さんの絵を扱ってくれている画廊の女主人のことである。画家さんは驚いて、目を丸くした。あのばばあ、何を女房にふきこみやがったんだ!?

画家さんはしばし呆然として口がきけなかった。歌穂さんは顔を覆ってさめざめと泣いている。そのお腹は少し膨らんでいて、中には、五か月になる子供がいた。

「わ、わたしと結婚したのも、わたしが渡さんに少し似てるからだって…」

ぶっ、と画家さんはつい、吹き出してしまった。この、どあほう、と叫びそうになったが、相手が女性なのでもちろん飲み込んだ。

「あのなあ、それは嘘だ。単なるうわさだ。冗談じゃねえ。俺はそういう趣味はない。女房の方がいいのにきまってるだろう。おまけにこいつはとんでもない馬鹿なんだぞ!」
画家さんは詩人さんの絵を指さしながら言った。そして泣いている歌穂さんの方に近寄って行って、お腹をつぶさないように、やさしく抱きしめた。

そう。画家さんはこういうことができる男なのだ。

小さな自分の妻を抱いて、画家さんは言うのだ。
「おまえが一番大事なのにきまってるだろう。友達は友達、女房は女房で全然違うんだ。おなかの子供のこともあるし、いらんことで悩むな」

歌穂さんは、暖かい忍さんの胸の中で、幸福をかみしめざるを得なかった。こんないい人と結婚していいのかとさえ、思った。

「ごめんなさい。忍さん」気持ちが晴れたのか、歌穂さんは画家さんの胸から離れ、涙をふいて、言った。

やれやれ、と画家さんはため息をついた。歌穂さんはこぼれたコーヒーと割れたカップを片づけると、うれしそうに買い物に出かけていった。

(ふふ)

ふと、画家さんの耳に、誰かが笑ったような声が聞こえた。画家さんは、カンヴァスの中の詩人さんの顔を振り向き、言った。

「おまえ、さっき笑わなかったか?」

(つづく)




ガラスのたまご・25

2015-02-26 06:44:19 | 瑠璃の小部屋

★最初のワン

みなさん、こんにちは。鳥音渡です。あ、正確には、生きてる頃はそういう名前だったやつです。今ぼくは死んで、見えないものになっています。

死ぬのはそれほど大変じゃありませんでした。意識を失っているうちに、もう肉体から魂が離れていました。ぼくはしばらく、病院で、中に何もいなくなったのに、まだ生きてるぼくの体を見ていた。それから間もなく僕は本当に死んで、体も骨になって、この世界から消えちゃったわけだけど。
完全にいなくなったわけじゃありません。

肉体がないってのは、けっこういいですよ。自由だ。もう僕は解き放たれて、本当に僕がしたかったことを、そのまんまの形でやることができるんです。

生きてるときは、一生懸命勉強して、詩を書いて、苦労して何かをやらなきゃいけなかった。僕には大事な役目があるような気がして、一生懸命詩を書いてた。それが何なのかは、死んでからわかったのだけど。ぼくは、生きている人たちがいる世界に、本当の愛を置いてこなければいけなかったんだ。それを、詩を書くことでやろうとしていた。もっといろいろやりたかったけど、結局は詩集2冊しか出せなかった。でも、あまり後悔はない。生きてるって、おもしろかったですよ。つらいこともあったけど、友達がいたし。

今はなにやってるかって? ぼくは透明になって、愛だけになって、みんなの胸の中にいる栗鼠に、愛を届けているんです。簡単なこと、みんなの魂の中に、そっと、ろうそくのともしびを移すように、愛してるよって、ささやくだけなんだ。

ぼくが生きてるうちにやりたかったのは、これだったんです。

がらすの たまごは ゼロの かたち

あのころ、僕の本当に言いたかったことが、今の僕にはわかる。もう名前も体ももつ必要はないから、自由に言える。

ゆけ みんな
菫色の空の向こうには 本当の青い小鳥が生きている
この世界でたった一羽の 本当の愛の瞳が

そして
最初のワンを 君は打つ

(つづく)




ガラスのたまご・24

2015-02-25 06:42:24 | 瑠璃の小部屋

★菫色の空

詩人さんのお葬式には、たくさんの人がきてくれた。画家さんと手品師さんは驚いた。彼の詩集を胸に抱いた弔問客をたびたびとみる。鳥音渡は、二人が思っていた以上に、多くの人々の心に何かを投げ込んでいた。涙が止まらないといって、駐車場の隅でうずくまって泣いている人もいた。

静かな読経の声がきこえてくる。ふたりは棺の中でかすかに笑っている詩人さんに別れを告げた後、もうその場にいる気になれず、葬儀場の外に出て、駐車場の隅で話をした。

あいつ、骨になるんだな、と画家さんが言った。
もういないのか、と手品師さんが言った。

自分はしぶといって、言ってたくせに。言いながら、画家さんは空を見る。ああ、空が、菫色だ。
手品師さんも見上げる。ああ、ほんとうに、菫色だ。白い雲が流れている。

鳥音渡は、第二詩集を出版してまもなく死んだ。もう彼の、新しい詩を読むことはできない。

国境を越え 怒りをすて
すべてを…

うっと、声を飲み込んだのは手品師さんだった。画家さんは彼の肩をつかんだ。会話なんか、必要ない。ふたりには。

ああ
だれの胸にも 明日の鳥は鳴いている
やすらぎの卵の中で
ガラスの小さな卵の中で
もう明日は始まっている
鳥よ
君の故郷は空にあるのだ

鳥音渡は死んだ。鳥とともに、空に帰った。冬木忍は空を見上げた。目に涙が盛り上がる。一瞬、吠え声をあげそうになった。馬鹿野郎! 死ぬなっていっただろうが!!

それから一年が経った。
水谷光はセレスティーヌを連れて、外国に移り住んだ。活動拠点をそこにおいて、日夜新しいことに挑戦している。

冬木忍は、歌穂さんと結婚し、まあまあの暮らしをしていた。絵からの収入で、なんとか二人は食べていけたが、子供が欲しいからと言って、歌穂さんはパートに出て働いている。アトリエも、見違えるほどきれいになった。

時々、昔のスケッチブックを開いてみると、そこでピエロのまねをした詩人さんがポーズをとっていたりした。

あのころは、よかったな。おまえがいて、ひかるがいて、おれもいて。なんとなく一緒にいて、楽しかった。

画家さんはスケッチブックを置くと、アトリエの窓を開けて、空を見る。ああ今日も、菫色だ。空は。まるで透き通った菫の花を一面にしきつめたように、静かな香りが降ってきそうだ。渡。

「最高の人生が、待ってるってことさ!」

そうとも、最高だよ。俺は俺を生きてる。光も光を生きてる。けれどおまえは。

「さ、い、こ、う、の、人生だったか、渡!」

画家さんは思わず空に向かい、声を殺して叫んだ。

もちろん、最高さ。どこからか、詩人さんの声が聞こえたような気がした。

(つづく)



ガラスのたまご・23

2015-02-24 07:05:34 | 瑠璃の小部屋

★アトリエにて

ある日、画家さんと手品師さんは、画家さんのアトリエで、話をした。手品師さんも画家さんもいろいろと忙しく、詩人さんが入院してからは、こうしてゆっくりと話ができる時間を持てたのは、初めてだった。

「ちょっとは掃除しろよ。このアトリエ。わたぼこりでマリモができそうだ」
「うるせえ。何がどこにあるかは大体わかってるから、別にいいんだよ」

手品師さんは何気なく、足元に落ちているスケッチブックを拾って、それを開いた。するとそこに、詩人さんをモデルにして画家さんが描いた素描があった。手品師さんは片目をゆがめて笑いながら言った。
「曲芸師じゃないんだから、変なポーズさせるなよ。ただ同然でやってもらってたのに」
「まあな。昔はよくふざけて、いろんな馬鹿なもん描いてたから」

アトリエの隅には、石油ストーブが燃えている。季節は冬だった。彼らは今日の午前中に病院の詩人さんの元を訪ねたが、詩人さんはもうほとんど意識はなく、ずっと眠ったままだった。ふたりは無言のまま、渡のお母さんに挨拶し、このアトリエに来たのだ。いつものカフェによる気にはなれなかった。確実に、三人のうち一人が欠けるとわかってから、ふたりはもうあのカフェには二度といけないような気がしていた。

「市立図書館の絵、見たよ」
「へえ、そう」
「君は絵で食っていける。お嫁さんももうすぐ来るんだろ?」
「まあな」
「そしたら、このアトリエも少しはきれいになるだろうね」

会話しながらも、ふたりの思いはぼんやりとした不安の霧の中を泳いでいる。
手品師さんが、ストーブの火を見つめながら言った

「あかつきの悲しみは 空を見る
 あかつきの喜びは 星を見る
あかつきの 淋しさは…」

「鳥を見る」画家さんが何かに操られるように言った。

詩人さんの二冊目の詩集が出たころ、詩人さんは死んだ。息を引き取る前、一度だけ意識が戻って、詩人さんは小さな遺言を、残してくれたそうだ。意味は、誰にもわからなかった。

…国境には、菫が咲いていたよ。

風は冷たかったけれど、桜のつぼみが、ゆるみ始めていた。

二冊目の詩集のタイトルは「菫色の空」だった。

(つづく)



ガラスのたまご・22

2015-02-23 06:56:56 | 瑠璃の小部屋

★手品師さんの明日

手品師さんは、病院への道を、セレスティーヌといっしょに歩いていた。今日、そこに入院している詩人さんに、彼女を紹介するつもりなのだ。

「ヒカル。下ばかり見てる。苦しい?」セレスティーヌが若干舌足らずな日本語で言う。
「いや」手品師さんは重い心を抱いたまま、歩いていく。その足取りに、セレスティーヌは自分の歩調を合わせて、心のリズムを合わそうとしている。

詩人さんが入院したと聞いた日から、やっと三週間後、彼はセレスティーヌと一緒に休みを取ることができた。もう、あらかた、画家さんから話は聞いていた。

退院と言っても、病気が治ったわけではなく、残り少ない日々を、家で過ごさせてやりたいという彼の両親の気持ちを、医師が許してくれたのだそうだ。詩人さんは、前に入院した時、もうすでに、五十パーセントは、だめだと思ってくれと言われていたそうだ。本人はこのことを知らない。

病院の白い建物の、玄関前に、二人で立つと、手品師さんはしばし立ち止まって振り向き、空を見上げた。

ああ、菫色の空だ。よく詩人さんはいう。この青い空が、なぜか詩人さんには、菫色に見えるのだという。

きっとあいつには、この世界は、ぼくたちとは違うように見えているんだろう。手品師さんはそう思いながら、病院の玄関をくぐった。セレスティーヌは黙ってついていく。

教えられた病室を訪ねると、そこは個室だった。点滴の管を何本もつけて、疲れ果てて痩せた詩人さんが、白いベッドの上に横たわっていた。詩人さんは手品師さんの顔を見ると、できるだけ明るい声を出して微笑み、「やあ、ひかる!」と言った。ああ、この声。いつも、詩と一緒に心によみがえってくるこの声。何度も聞いたこの声。いつも何かあると聞きたくなる、この声。

手品師さんは、セレスティーヌの手をぎゅっと握った。セレスティーヌは何も言わず、笑って、詩人さんに挨拶した。詩人さんはもう、画家さんから彼女のことを聞いていたので、笑って言った。

「やあ、きれいな人だね。光はいつも一番いいのを見つけるんだ」

ほんとにもう。と手品師さんは思う。うっすらと笑顔を返しながら、返事ができない自分がもどかしい。代わりにセレスティーヌが、わざと変な外国語なまりを演じて、いった。

「はい、わたしこのひとのつま、なるひとよ。もうすぐけこんするの。わたる、よろこんで」

「うん、よろこぶよ。うれしい」

ぐ、と手品師さんは自分の喉が鳴るのを聞いた。あとにも先にも、自分を抑えるべきところで抑えることができなかったのは、手品師さんにとって、このときだけだった。

(つづく)




ガラスのたまご・21

2015-02-22 07:37:37 | 瑠璃の小部屋

★画家さんの明日

画家さんは、今日、例の洋画家に紹介された娘さんと、二度目のデートをした。

娘さんは 歌穂さんといい、背がちいさくてかわいい女性だった。そんなに美人というわけではないけれど、どこか静かな明るい香りがして、ああ、愛に包まれて育ったんだなっていう、気持ちの良い空気をまとっている。

デートと言ってもね、画家さんのことだから、まあ、美術館に行って絵の説明をしてあげたり、動物園に行って、犬の骨格と猫の骨格の違いを教えたり、そんなのなんだが、歌穂さんはうれしそうに、うんうんとうなずきながら、画家さんの話を聞いている。画家さんと話ができるだけで、嬉しそうだ。

美術館にある喫茶で一緒にコーヒーやお茶を飲んでいると、会話がなくなって、歌穂さん恥ずかしそうにうつむいて、お茶のカップに目を落とす。その伏せた瞼や長い髪が、なんとなく詩人さんに似ていると、画家さんは思う。

そういえば前、ここに渡をつれてきたことがあったっけな。ある版画展があったとき。あのときはその版画展に、画家さんの嫌いな画家の作品が一点含まれていて、それを見にいったのだった。

「きらいなら別に見に行かなくたっていいだろう」詩人さんは言った。
「うるさい。とにかく見てみろ」画家さんは件の版画の小品を指さした。それはふくよかな女性と花を描いた小さな版画作品だった。画家さんはこの絵が大嫌いだという。一見きれいには見えるのだが。「おまえ、どう思う?」画家さんは詩人さんに聞いてみる。詩人さんは「そうだなあ…」といってしぶしぶ、版画に見入る。

「…そうだね。たしかに。なんてかな、人に見せたくない、下描きの線を隠してるって感じだね」
「そう! それだ!」
画家さんは思わず大声を出して言った。それなんだよ、おれがこいつの絵を見て気持ちが悪いって思うときがあるのは!!

詩人さんは上手い。本当に痛いところを上手について、言葉を整理して言ってくれる。それで画家さんはいつも、自分の感性が正しいと思うことができるのだ。

「あの…」
画家さんが思いにふけっていると、歌穂さんがおずおずと顔をあげて、声をかけてきた。ふと我に戻った画家さんは、「あ、なんです?」とやさしく言った。

「…い、いえ、なにも…」歌穂さんは頬を染めてまたうつむく。まいったな、と画家さんは思う。かわいいね。女の子ってのは。歌穂さんは、きれいな忍さんが、本当に好きなようだ。ただ、それだけのようだ。

デートは美術館でお茶を一緒して終わり。夕食の前に、彼は彼女を家に送り届ける。中古の軽自動車でね。

家に帰った画家さんは、夕食の親子丼を食べ、ゆっくりと風呂に入った後、パソコンの前に座り、メールを見た。詩人さんからメールが届いていた。

「明日から、また入院することになった。頭がくらっとしたと思ったら、いつの間にか病院にいてさ。救急車で運ばれたんだって。一度家に帰っていいって言われたからこれ書いてる。前と一緒の病院だから。また林檎でももってきてよ」

画家さんはびっくりした。
「おい、大丈夫かよ」

(つづく)




ガラスのたまご・20

2015-02-21 06:30:23 | 瑠璃の小部屋

★詩人さんの明日

詩人さんは、新しい詩集の原稿を練り、何度か出版社の人とやりとりして、なんとか原稿をまとめ、入稿までこぎつけた。入院中に書いたたくさんの詩の山もあったので、そう時間はかからなかった。前の詩集のときより、すいすいと順調にできたな。表紙の絵を、画家さんが描いてくれたし、第2詩集は前よりも立派なものになりそうだ。話によると、もう予約を入れてくれている人もいるときく。詩人さんは、たぶんあの、ストーカー的な人たちではないかと思っているのだが、実は詩人さんのファン層は、結構広い。思わぬ人が手にして読んでいたりするのだが、そういうことは、詩人さんは知らない。

まあ、あとは出版社にまかせるだけだ。

すみれのそらに すみとほる
あまき吐息を 吹く口の
歌玉転ぶ 絹を織る
白き蚕の 鶴や鳴く

白き蚕の 鶴や鳴く

来たり来たりや 余は来たり
天よりたらす 絹の緒を
光と交じへ よりひねり
君の背骨の 木に結ぶ

君の背骨の 木に結ぶ

文語調の詩は、自己流だ。詩人さんは古語辞典を読んで、気に入ったことばを見つければ、上代語であろうが江戸後期の言葉であろうが時代を無視して取り上げ、自分の詩に組み込む。昔の言葉で詩を書くと、現代の言葉でははっきりと言えないことが言えるのだ。

この詩は何を歌っているのだと思う?もちろん詩人さんは説明しない。
七五調が快くて読みやすいね。

一仕事終えて、コーヒーを入れて一休みする詩人さんである。窓から外の風景が見える。顔をあげて窓から空を見ようとしたそのとき、ふと詩人さんの目の中で、風景が揺れた。

(つづく)



ガラスのたまご・19

2015-02-20 06:39:27 | 瑠璃の小部屋

★詩人さんの結婚

ある日のことである。画家さんが詩人さんの家を訪ねた。ちょうど昼時だったので、詩人さんは画家さんと一緒に昼食をとっている。

「うめえな。この味噌汁。おまえがつくったの?」
「まあね。結構料理には凝ってるんだ。無職だし、家事くらいはやらないとね」
「だし、なにつかってんの」
「かつおぶしと昆布だよ。そっちの梅干しもぼくがつくったんだ。食べてみる」
「おお。けっこういけるな」
「本に書いてあったとおり作っただけさ。でも手間暇かけると、やっぱり味が違うよ」
「ふつう男が梅干しなんかつけるか?」
「余計な御世話だ。黙って食え」

うーむ。シャケの焼き加減も絶妙。画家さんはうなった。そしてつい、言ってしまった。
「いいなあ。こんなの毎日食いてえ。おまえ俺の嫁になんない?」
「…なんか言ったか?」
「いや? べつに」

詩人さん、平静を装って聞き流したが、腹の中で一瞬、ぶっ殺してやると思った。

食事が終わり、食器を片づけた後、詩人さんは居間でくつろいでいる画家さんに言った。
「で、どうしたのさ。なんかあったの?きみがぼくんとこにくるときは、たいていなんかあったときだ」
「ふん。まあね」
画家さんは天井を見ながら、明日のことを思った。画家さんは明日、あるホテルで、例の女性と会う約束をしている。気が乗らないのは仕方ない。けれど行かなきゃならない。約束を破るわけにはいかない。いろんな思いが画家さんの頭の中をよぎる。詩人さんに相談しても、どうにかなるもんじゃない。自分はいったい何をしに、こいつのとこに来たんだか。

画家さんが深いため息をつく。その横顔を見ながら、詩人さんはなんとなく、腹に砂を抱くような苦しさを感じた。何かを言ってあげなければいけないような気がするが、何を言ったらいいのかわからない。

「あかつきの悲しみは 空をみる か」画家さんがぽつりと言った。詩人さんが続けた。
「ああ、あかつきの喜びは 星をみる」
「あれ、なんて意味なんだ?」
「まいったな。自作の詩の解説なんて、詩人の仕事じゃないよ」
「おしえろ」

画家さんの強引な言葉に、少し眉をひそめる詩人さんである。困ったやつだな。何があったのか知らないけど。こういうときは、言うとおりにしてやった方がいいか。

少し考えたあと、詩人さんは答えた。
「最高の人生が待ってるって意味だよ」

画家さんがふと詩人さんを見た。詩人さんも画家さんの目を見た。画家さんの目の中で、何かが動いた。

「さんきゅー、わたる」
何分か経った後、画家さんはそれだけ言って、詩人さんの家を出ていった。
詩人さんはただ、ぽかんとしていた。

(つづく)




ガラスのたまご・18

2015-02-19 06:58:22 | 瑠璃の小部屋

★画家さんの結婚

ある宵のことである。画家さんは、ある結構高名な洋画家と一緒に、ある居酒屋で酒を飲んだ。その洋画家は日本画の趣のある題材を緻密な筆で描く、少々変わった画家だった。画家さんの絵を認めてくれる数少ない画家のひとりだ。長身美形の忍さんも、この小柄な画家の前に出ると、こどものように小さくなってしまう。

洋画家はその席で、少し困った顔をしながら、遠慮がちに、君に、会ってもらいたい娘がいるといった。画家さんは驚いた。洋画家はカバンの中から一枚の写真を取り出して、画家さんに見せた。写真の中では、丸顔で色白の、髪の長い少女のような女性が笑っている。

「しかし、自分はまだ駆け出しで、画家としてもまだ生活が…」
「いやね、実は、この娘が、君でなければいやだと言うんだ」

画家さんは、ぐっと、言葉を飲み込んだ。洋画家は、ぜひ、一度だけ会ってくれと頭を下げる。断るわけにはいかない。けれども、会ってしまったら、絶対に、結婚しなければいけなくなるだろう。

結局画家さんは、その娘さんと会うことを約束しなければならなかった。

居酒屋を出て、洋画家に別れを告げると、画家さんは目をあげて、夜空の星を見た。

これが、世間ていうものか。これが、人生って、いうものか。

好きでも嫌いでもない女性と、長い人生を一緒に暮らす。それは今、画家さんにとって、まるで真っ暗な洞窟の中に入っていくようなことに思えた。

少し町を歩いて夜風に触れ、酔いを覚ました後、画家さんは携帯を出して番号を押した。
「はい、利根…」
「よう、わたる」
「なんだ君か。何か用? モデルならしばらく遠慮するよ」
「ばあか」
画家さんはそう言ったまま、しばらく沈黙した。電話の向こうで、画家さんの息遣いを聞きながら、詩人さんは直感的に、何かあったなと、思った。

「しのぶ」詩人さんは静かな声で言った。「だいじょうぶさ。君は強い」

画家さんは唇を噛んだ。噛みながら、空を見た。涙が流れるのを我慢しようと思ったけど、できなかった。

「ばかやろう。んなことはわかってるよ」そう言って、携帯を切った。

画家さんは携帯をポケットにしまうと、向かい風に向かって、歩き出した。

(つづく)