世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ピケタ先生とステラサウルス

2014-05-24 06:17:49 | 月夜の考古学・本館

「星に願いをかけると、かなうって、ほんとかな?」
 ベランダのてすりにほおづえをついて、ぼんやりと外を見ながら、まことはひとり言を言いました。下の方を見ると、終夜灯の白い光の中に、団地の芝生の緑が闇の中にくっきりと浮かんで見えます。その目で今度は空を見ると、そこは墨で塗りこめられたようにまっくらで、星はあまり見えません。ただ、てっぺんのあたりで、ひときわ大きな星が一つだけ、かすかに光っているのが見えるだけです。
 まことは、そのたった一つの星に向かって、手を合わせました。もし、ほんとうに願いがかなうのなら、まことの今の願いは、ひとつだけです。
「お星さま、お願いです。おとうさんとおかあさんが……」
 まことは目を閉じて、何度も年度も願いをくりかえしました。まことのおかあさんが、おとうさんとけんかしてこの部屋からいなくなって、もう三日がたちます。それから毎日、おとうさんは酔っぱらって、おそく帰ってきます。だからまことはずっと、ひとりぼっちで家にいるのです。
 ひとしきり願いを言うと、まことは組んでいた指を外して、ためいきをつきました。寒くなったので中に入ろうとした時、ふとまことは、芝生の向こうのサツキの茂みの中で、何かがきらりと光ったような気がして、足をとめました。
「あれ?」
 てすりから身を乗り出すようにして、よく見ると、確かに茂みの中で、何かがきらきら光っています。ガラスだとか、懐中電灯だとか、そんな感じの光ではありません。かすかな虹色のまじった白っぽい光が、まるでそこに花が咲くように、盛り上がったり、引っ込んだり、時には弾けるように散らばったりします。
「なんだろう? 見にいってみよう」
 まことは部屋にもどると、上着をさっと引っかけて、玄関から外に出ました。まことたちの住んでいる部屋は団地の四階にあるので、階段をかけおりて一気に下までくると、少し息切れがしました。
 芝生に足を踏み入れ、明るい終夜灯の光の中に身を乗り出したとき、ふとまことは、目当ての茂みのあたりに先客がいるのに気づきました。グレーの帽子とコートを着たおじいさんが、ステッキか何かで茂みの中を探っています。まことは一瞬引き返そうかと思いましたが、足の方は勝手に歩いて、吸いこまれるようにその人の背中に近づいていきました。歩いているとちゅうで、どうやらそれが自分の知っている人らしいとわかって、まことはほっとしました。
「ピケタ先生、何をしてるの?」
 まことが話しかけると、おじいさんはおどろいたようにふり向きました。
「おや、まことくんじゃないか。こんな時間にどうしたんだい?」
 ピケタ先生は、団地の近くにある小さな診療所の先生です。ほんとうは引田先生という名前なのですが、子供たちはみなピケタ先生と呼んでいました。背が低くて、白ヒゲのやさしそうなお顔が、何だか童話に出てくる小人みたいで、そんな名前がぴったり似合うからです。
「……ちょっとね。ぼく、ベランダからここで何かが光っているのが見えたんで、見にきたんだ。もしかしたら先生もそうなの?」
 まことが言うと、ピケタ先生は、ちょっと困ったような顔をしました。
「そうか、まことくんも見つけたのか……」
 ピケタ先生は、しばらく迷っていましたが、やがて「君、年はいくつだったっけね」とたずねました。まことが、「え? ええと、もうすぐ十才だけど……」と答えると、ピケタ先生は小さくうなずきました。
「そうか。大きくなったね。君くらいの年になって、これを見つけられるのは、このごろではちょっと珍しいんだよ」
 ピケタ先生はそう言って、コートの中にかくしていたものを、そっと出しました。それを見たまことは、息もわすれるほど、びっくりしてしまいました。
 ピケタ先生が抱いていたのは、子犬くらいの大きさの、小さな恐竜だったのです。
「ステラサウルスというんだよ」
 恐竜は、先生の手の中で、しっぽを丸めてうずくまっていました。まことは恐竜をしげしげと見つめました。図鑑にのっているようなのとは、少し違います。ステゴサウルスに似ていますが、頭がいくぶん大きくて丸っこく、背中に並ぶ骨の板がまるで水晶のように透明で、虹色にぼんやりと光っていました。全身は薄い緑色で、鼻の頭としっぽの先にかわいい角が一つずつあります。ピケタ先生がやさしくのどをなでてやると、きゅるきゅると鳴いて、閉じていた目をうっすらと開けました。
「生きてる……! ぼく、生きてる恐竜なんて、はじめてだ!」
 まことが、こわごわと触ろうとすると、ピケタ先生がそっとその手をとめました。
「だめだよ。今、この子は病気なんだ。治してほしくて、空から下りてきたんだよ」
「そ、空から?」
「そう。ステラサウルスは、星空に住む恐竜だからね。さあ、わたしは診療所に帰って、この子の治療をせねばいかん。まことくんも家に帰って、おやすみ。おとうさんとおかあさんが心配するよ」
 そう言うと、ピケタ先生はふたたび恐竜をコートの中にかくし、帰っていきました。まことは、しばらく、その後ろ姿を見つめていましたが、やがて、そっと足を忍ばせて、歩きだしました。行き先は、もちろん団地ではなく、診療所です。

 診療所は、団地の裏手にある、白い小さな建物です。両脇を高い緑の木にはさまれていて、入り口の横にある小さな看板は、一晩中白い光を放っていました。真夜中の診療所は、白い壁が光の油たまのように闇の中に浮かび上がり、まるでそれ自体が不思議な何かを呼び込む静かなシグナルのように見えました。
 まことは、看板の下に立つと、ドアにそっと耳をあててみました。かすかに、人がとたとたと動く音が聞こえました。窓からのぞけないかと思いましたが、カーテンが厚くおりています。まことは、思い切って、入り口のドアノブに手をかけました。鍵がかかっているものと思っていたら、おもいがけずノブが軽く回ったので、まことはちょっとびっくりしました。おそるおそるドアをあけてみると、すぐ目の前にピケタ先生が立っていたので、またびっくりしました。
「やっぱり来たね」
 おどろいて声も出ないまことに、ピケタ先生はにこやかに笑いかけています。
「おとうさんやおかあさんは、どうしたんだい?」
 ピケタ先生は、まことを診療所の中に招きいれながら、たずねました。まことは答えず、おずおずと中に入って、待合室や診療室の方をきょろきょろ見回しました。それから、はっと思い出したように、答えました。
「あっ、両方とも、まだ帰ってきてないんだ。おとうさんも、おかあさんも、しごとだから……」
「しごと? こんなに遅くまでかい?」
 待合室の壁時計は、十時を過ぎているのです。
「う、うん……」
 まことは、ピケタ先生とは目を合わさずに、ぎくしゃくとうなずきました。ピケタ先生は何も言わず、ただ笑ってまことの背中を見ていました。
「ス、ステラサウルスは、どうしたの?」
 まことが聞くと、先生はそっと診療室のドアをあけました。診療室の机の上に、小さな猫用のベッドがおかれていて、その中でステラサウルスがすやすやと眠っています。恐竜が、小さな寝息をたてるたび、背中の板が、ちらちらと痛々しく光りました。まことは、なぜだか、胸がつまって、泣きたくなりました。見ていると、何かをしてあげたくてたまらなくなるのは、どうしてでしょうか。
「空から下りてきたばかりで、疲れているからね。今、栄養剤入りの暖かいスープを少し飲ませて、眠らせたんだ。体中のうろこが少しいたんでいるから、これから薬を塗ってあげるんだよ。手伝ってくれるかい?」
 まことは一も二もなくうなずきました。
 ピケタ先生は、戸棚から小さな青い壜を取り出しました。とってのところが亀の形になっているふたをあけると、菊の花に似た澄んだ不思議な香りが、部屋の中に広がりました。
「わたしのやっているように、やるんだよ」
 ピケタ先生は、小壜の中の不思議な液体を、柔らかいガーゼに染み込ませると、ステラサウルスの体に、やさしくおしあてました。
「そっとね。こすったりたたいたりしてはいけないよ」
 そういうと、ピケタ先生は小壜とガーゼをまことに渡しました。まことは、患者用の回転椅子に座ると、言われたとおりに薬をガーゼにとりながら、そっと恐竜のうろこにおしあててやりました。時々、まことが強く力を入れ過ぎると、恐竜は、ぴいと鳴いて、体をふるわせました。
「あ、ごめん……」
 まことが薬を塗り終わると、今度はピケタ先生が、赤い壜をもってきました。その中には真珠色の軟膏が入っていて、ピケタ先生は軟膏をほんの少しずつ指にとりながら、恐竜の角と虹色の背板にぬりました。すると、米粒ほどの小さな鈴をたくさんかき鳴らすような音がしゃわしゃわ聞こえ、角と背板がほわほわ気持ちよさそうに光りはじめ、やがてゆっくりと消えていきました。恐竜は、長い安らかなため息を一つつき、目を二、三度しばしばさせたと思うと、また深い眠りに落ちました。
「さあ、あとはこの子をゆっくり眠らせてあげよう」
 まことは、恐竜をもっと見ていたいと思いましたが、ピケタ先生は、恐竜に小さな毛布をかけると、寝床ごと持ち上げて、隣の部屋に持って行ってしまいました。まことは、ちょっとがっかりして、椅子をきいきい鳴らしました。
 再び診療室に戻ってきた時、ピケタ先生はお盆の上においしそうなココアとクッキーをのせてもってきました。それを机の上におくと、先生はにこりとまことに笑いかけながら、先生用の椅子に座りました。
「さあのみなさい。暖まるよ。夜は冷えるからね」
 まことは、少しおなかがすいていたので、ちょっとためらった後、お礼を言ってクッキーに手を伸ばしました。先生は、自分のために用意したお茶を一口飲むと、ほっと息をついて、少し真剣な顔でまことを見つめ、言いました。
「まことくん。お願いがあるんだが、今夜、ここで見たり聞いたりしたことは、だれにも言わないでくれないかな?」
「え、どうして?」
 まことは、クッキーを口の中にいれたまま、きょとんと先生を見返しました。
「君が、この恐竜を見つけることができたのは、きっと君が秘密を守れる子だからだと思うんだ。ステラサウルスは用心深いから、だれにでも心を許すわけじゃない。それにこの恐竜を見ること自体、なかなか人間にはできないんだよ。たとえ運よく見つけることができても、普通の人間にはただの石か捨てられた縫いぐるみくらいにしか見えないはずなんだ」
「ど、どうして……?」
「さあ、たぶん、ステラサウルスがこの世にいることをみんな信じないか、あるいは、たいして重要なものじゃないって思ってるからじゃないかなあ……。とにかく、約束しておくれ。あの恐竜のことは、だれにも言わないと」
「わかったよ。ぼく、秘密は守る」
 まことは、クッキーをごくんと飲み下すと、はっきりと言いました。もちろん、約束はちゃんと守るつもりでした。
「そうか。ありがとう」
 先生は、にっこり笑うと、安心したように、ほっと息をつきました。でも、まことは、好奇心でうずうずしています。知りたいことがいっぱいで、何から聞けばいいかわからないくらいです。まことは、ココアのマグを両手でいじりながら、思い切って言いました。
「でも先生、す、すこし、きいてもいい? 絶対に誰にも言わないから」
「いいよ、教えてあげられることは、何でも教えてあげるよ」
 まことは、ほっとして、まず頭に思い浮かんだことを、たずねました。
「あ、あの恐竜は、本当に、星空に住んでるの?」
「ああ、本当だよ。ステラサウルスはね、ふつう、銀河のほとり辺りに群れをなして住んでいる。あんまり小さいんで地上からはめったに見えないんだが、昔は、今よりもずっとたくさんいたし、人間の心も純朴だったので、とびきり目のいい人間にはときどき大群が銀河をわたるのを見ることができたそうだよ」
「どうして、少なくなっちゃったの?」
「彼らの食べ物はね、星にかけられた願いなのさ」
「星にかけられた願い?」
 まことは、はっとして、思わずココアのマグを落としそうになりました。
「星に願いをかけるとかなうって、そんな歌があるけれど、あれはあながち嘘じゃないんだ。人間の思いや言葉は、目に見えないけれど、確かな力をもっているものなんだ。ほら君だって、友達にキライだとか、バカだと言われたら、悲しいだろう? その反対にスキだとかステキだと言われたら、うれしいだろう。言葉には、どんな言葉にだって心を動かす力がある。昔から、空できらきら輝く美しい星々を見ると、人間は、なんだかとても貴いものに出会ったような気がして、心に秘した望みを打ち明けたりしていた。その願いの言葉は、魂の響きとなって、星に届く。ステラサウルスは、主にそれを食べて生きていた」
「た、食べられた願いは、どうなるの?」
 まことは、急に心配になって、言いました。
「さあ? わからない。ただね。人間だって、ものを食べると、何かが出るだろ?」
 ピケタ先生は、いたずらっぽくウィンクしました。まことは、ぽかんとしていましたが、やがて先生の言った意味がわかって、ぽりぽりと鼻の頭をかきました。
「ステラサウルスも願いを食べて、何かを出すんだよ。それは私たちが、『希望』だとか『夢』だとか、時には『知恵』だとか呼んでるものなんだ。そしてそれは雨や風や、光に混じって、やがて地球上に降りてくる」
 まことは、首をかしげて、うつむきました。先生の言っている意味を、理解するのには、とても苦労がいりました。ただ、星にかけた願いが、そのままかなうことはないんだということはわかって、とてもがっかりしました。
「……昔は、人間はいつも空を見上げて、星に願いをかけていた。でも最近は、みんな星に願いをかけることなんてほとんどないだろう。学問が発達して、みんな星の正体は全部わかった気になってるし、たまにかけることがあっても、その願いには毒が入っていたり、変な味がしたりする。自分勝手な願いや、うらみ言やぐちの混じった願い、むしのよすぎる願い……。そんな願いを食べてしまったら、ステラサウルスは腹をこわす。悪くしたら、死んでしまうんだよ」
 まことはうつむいたまま、ひざの上で、ギュッとこぶしをにぎりしめました。心臓がどきどきしはじめ、涙がじわりとわいてきました。
「……だったら、きっと、ぼくのせいだ。ぼく、さっき願いをかけたんだ。ぼくの願いのせいで、あの恐竜は病気になったんだね。きっとそうなんだ……」
 何かが、おなかの底からこみあげてきて、まことはうっとせきあげました。大粒の涙があふれでました。
「ぼく、おかあさんに、帰って来て欲しかったんだ。おかあさん、出ていっちゃったんだ。ぼくとおとうさんをおいて、もう何日も、帰らない……」
 ピケタ先生は、お茶を机の上におくと、かぶりをふりながら、まことの肩に手をやりました。
「ちがうよ、君のせいじゃない。あの恐竜は……」
「ぼくが悪いんだ。ぼくが、おかあさんのこと、かばってあげなかったから……。おとうさんは、いつも、おかあさんのことを、バカだバカだっていう。何をやってもダメなやつだって。新聞がいつものところになかったり、歯磨き粉が切れていたりするたびに、おとうさんはいつも、おかあさんをせめる。そしておまえはバカだっていう。ぼくは、おとうさんがおかあさんをバカにするの、いやだった。だからいつも、かばってあげたかった。でも、言えなかった。だってぼく、おとうさんがこわかったんだ……」
 気がつくと、まことは、ピケタ先生の腕の中で、大声をあげて泣いていました。ピケタ先生が、やさしく髪をなでてくれるので、まことはずっと小さい子になったような気がして、子犬のようにふるえて泣き続けました。涙は泉のようにあふれ続けて、とまりません。「つらかったんだね。ずっと言いたいことがあったんだね。心にためてあること、ここで吐き出しなさい。楽になるから」
 ピケタ先生のささやきは、まるで呪文のようでした。まことは、今なら何でも話せるような気がして、先生の服に涙をこすりつけながら、すなおにうなずきました。
「……あの日の晩、おとうさんは、とても疲れてたみたいで、とびきり機嫌が悪くて、ぼくもおかあさんもびくびくしてた。おかあさんは、失敗しないよう、一生懸命ごはんをテーブルに運んでた。ぼくも、行儀よくしてた。でも、だめだった。新聞を読んでたおとうさんが、ごはんを食べようとしたとき、テーブルの上にお醤油がなかったんだ。おとうさんの大すきなお刺身にかける、お醤油が……。『醤油がないぞ! このバカ!』おとうさんが、どなった。そのとき、おかあさんは、ちょうどお醤油をもってくるところだった。おかあさんは、何か言おうとしたけど、その前におとうさんはお茶碗をお母さんに投げ付けた。お茶碗は壁にぶつかって、割れた。『出て行け! この役立たず!』おとうさんが、そう言った。そしたら、おかあさんは、泣きながら、出ていった……」
 ピケタ先生は、悲しそうに目を閉じて、首をふりました。まことも泣きながら、何かにぶつけるように、言いはなちました。
「どうしてぼく、あのとき言わなかったんだろう? おかあさんはお醤油もってくるところだったんだよって……。だからせめないでって……。どうして、おとうさんは、おかあさんのこと、いつも怒るんだろう? おかあさんのことがきらいなの?」
「ちがうよ。きっと、きらいなんかじゃない」
 先生は、はっきりと、言いました。まことを抱いた手に、力がこもりました。
「おとうさんはね、言葉を自分で言ってるつもりでも、そうじゃないんだ。世間体や、思い込みや、いろんなものが、お化けのようにおとうさんにかぶさって、おとうさんの口を勝手に操るんだ。おとうさんは、きっと、こう思ってるはずだよ。『ちがう、こんなことを言いたいんじゃない』って。ほんとうはもっと素直に、君やおかあさんのことを愛したい。それなのに、口や体が勝手に動く。そして、どうしておれはこんなにダメなんだって、思う。そんなふうに自分をせめることがつらくて、つい気持ちを一番そばにいる一番好きな人にぶつけてしまう。おとうさんが役立たずって言ったのは、おかあさんのことじゃない。きっと、おとうさん自身のことだ。おとうさんが今一番きらいなのは、おとうさん自身なんだよ」
 まことは、はっとして、顔をあげました。そして先生の目を見上げました。小さな先生の背丈が、いつもよりずっと大きく見えます。いいえ、なんだか知らない別の人のようにも見えます。顔はそっくりなのに、いつもの先生とは、どこか違うような気がします。
「どうして? どうしたら……」
 まことは、ぼんやりと先生の顔を見つめながら言いました。先生はほほえみながら、答えます。
「大丈夫だよ。人間は、ひとりぼっちじゃない。だれかが、きっと見ている。何かが、力をかしてくれる。どうにかしようとしさえすれば、本当に、心から、どうにかしたいと願えば、必ず願いはかなうものだ」
 と、そのとき、隣のへやで、きゅるきゅると恐竜の鳴く声がしました。
「……さあ、今夜、どうして君がここに来たか、ほんとうの訳を教えてあげよう」
 ピケタ先生が、突然、物語を語るように言いました。
「君が願いをかけたからだよ。傷ついたステラサウルスを治すいちばんいい薬はね、にんげんの心の底からの、ほんとうの願いなんだ。君はきっと、心から願っただろう。おとうさんとおかあさんが、仲良くしてくれるようにと……」
 まことは、びっくりしました。なぜピケタ先生が、あのときベランダで、星に向かってつぶやいたまことの言葉を、知っているんでしょう。
 ピケタ先生は立ち上がると、隣の部屋から、また恐竜のベッドをもってきました。そしてそれを、まことのひざの上におきました。ステラサウルスは、小さな頭をもたげて、じっとまことを見ています。磨いたヒスイのような、とてもきれいな瞳です。うろこも、背中の板も、すがすがしく癒えて、とてもきれいに見えました。角は、小さな星が宿っているみたいに、きらきらまぶしく光っています。
「さあ、もう一度、願いなさい。そして、かなうと信じるんだ。そうすれば、どうすればいいかが、自然にわかってくる。星は願いをかなえるのじゃない。願いをかなえようとする君自身の中に、知恵と力と希望を、投げかけてくれるのだ」
 ピケタ先生の声が、まことのおなかの中に、ずしんと響きました。
「ぼく、ぼくの願いは……」
 まことが、言い終わるか、言い終わらないうちに、ステラサウルスがまぶしく光り出しました。光は音もなく、海の泡のようにあふれかえり、部屋中を満たしました。まことには、もう何も見えなくなりました。ただ、遠くから、確かに、どこかできいたことのあるような、かすかなやさしい声が、甘い砂糖のつぶのように、耳の中でとけたような気がします。

 少しの間、わけもわからず、まことはぼんやりと芝生を見下ろしていました。いつしか、恐竜も診療室の白い壁も消えて、まことは元のベランダに立ち尽くしていたのです。振り向いて、部屋の時計をのぞくと、十時を少し過ぎたところ。夜空を見上げると、さっき願いをかけた星が、まるで黒板にチョークをおしつけた白点のように、そっけなく光っています。何もかも夢だったのでしょうか。
 でも、目を閉じると、なんだか心の中が明るくて、自分のまわりに暖かな光が満ちているような気がします。気のせいでしょうか。まことは、ステラサウルスの姿を思い描いてみました。きれいなヒスイの目も、星のような角も、虹色に光る背中の板も、はっきり覚えています。
「夢だなんて、思えないけど……」
 まことは、目をあけると、てすりから身を乗り出して、もう一度あのサツキの茂みを見てみました。と、そこに見えたのは、光ではなく、酔ってふらふらと帰ってくる男の人の姿でした。
「あ、おとうさんが、帰ってきた……」
 とたんに、まことの中で、まるであらかじめしかけられていたかのように、何かがはじけました。おとうさんは、傷ついて、ぼろぼろになって、帰ってきます。その、おとうさんの心の言葉が、まことの胸の中に、ちくちくと痛いように聞こえてくるのです。
(本当は好きなのに。だれより大事なのに。どうしてそんな簡単なことが、おれには言えないんだろう……)
 まことは、どうにかしてあげたくて、たまらなくなりました。そして、どうすればいいか、その答えが、もう当然のように用意されていたことに気づいて、また驚きました。
「そうだ、いっしょに、迎えにいこう!」
 それは、今までにないほど、とてもいい考えのように思えました。どうしてこんな簡単なことに、気付かなかったのでしょう。まことは、ドアを蹴破るようにして、部屋を飛び出しました。
「おとうさんといっしょに、おかあさんを迎えにいこう! そして、何もかも正直に言うんだ。本当の気持ちを、全部言うんだ! ふたりいっしょなら、きっとできる! おとうさんに、そう言おう!」
 階段を全部一気にかけおりると、芝生を横切って歩いてくるおとうさんが、まことを見つけて、おどろいたように立ち止まりました。
「どうしたんだ、まこと……」
「おとうさん!」
 まことは、芝生にようやく立っているおとうさんを、抱きしめでもするように、思いっきり手をひろげました。そして涙いっぱいの顔で、かけだしました。するとおとうさんも、ひきこまれるように、よろよろと歩きだしました。
「まこと、まこと……」
 はるかな空の上では一つの星が、芝生の真ん中で抱き合ったふたりを、ただ静かに見おろしていました。

(おわり)



(1999年、ちこり16号所収)





フェクダ

2014-05-23 06:13:39 | 画集・エデンの小鳥
フェクダ
2014年





放蕩息子の帰還

2014-05-22 06:13:41 | 虹のコレクション・本館
No,145
レンブラント・ファン・レイン、「放蕩息子の帰還」、17世紀オランダ、バロック。

何とも暖かい絵である。イエスの語ったたとえ話の中でも感動的な話だ。なくしたと思った息子が帰って来たと、放蕩の限りを尽くした息子の帰還を喜ぶ父親。

だがね、こんなやさしい父親は、イエスだけだと思った方がいい。中には厳しい父親もいる。

どの面下げて帰って来たんだ。しきいをまたぎたきゃ、こさえてきた借金を、一銭たりとも間違わず、払って来い!

不孝の限りを尽くしておいて、今さら息子ヅラするとは片腹痛い。下働きからやり直せ!

うむ。まあ、雷親父にもいろいろだ。

君たちねえ、もはや、この絵にあるようなやさしい父親は、いないと思った方がいい。いずれわかることだが、あなたがたは、こういう父親を、全て滅ぼしてしまったんだよ。

よほどのことがないかぎり、イエスは帰って来てくれないのだ。

放蕩の限りを尽くしたものは、それなりのつぐないをしてから、家に帰った方がよい。




庭で編み物をする女性

2014-05-21 06:04:25 | 虹のコレクション・本館
No,144
ベルト・モリゾ、「庭で編み物をする女性」、19世紀フランス、印象派。

今日は女流に行ってみよう。

印象派は、対象を色や質の現象の塊としてとらえ、人間存在の本質に近寄ることを否んだ。ゆえに、おもしろい作品もあるのだが、中には見るに堪えないのもある。多くは男の、女性への歪んだ愛が見えるからだ。

しかしモリゾにはそれがない。印象派の描き方をしながらも、何げない女性の表情を絶妙にとらえている。それが心地よく心に溶け込んでくる。

この絵なども、庭で無心に編み物をしながら、家庭のことや子どものことをこまごまと考えている女性の心が現れている。見ていると、暖かい女性の心を感じて、ほっとする。

モリゾは女性故に、女性にしかわからない女性の心が描けたのだ。かのじょが描く女性の表情は、愛らしく豊かだ。愛されて育ったのだろう。いじめられていじけた心も感じられない。それがうれしい。

カーロなどを見ると、男によって虐げられて悲鳴をあげている女性の心を感じて、悲痛な思いもするが、これにはそれがない。

女性が、正しく守られて、心豊かに表現の翼を広げることができたとき、どんなものが描けるかということを、この絵は教えてくれる。




2014-05-20 06:10:14 | 歌集・アンタレス

虹の身の この世を歩く 岸辺にて 鴎を射ては ならぬとぞいふ



身を伏せて 蟹の小群れに 紛れども 空飛ぶ鳥は あきらかに見る



今はただ 花の盛りを 訪ふ人も 海の奈落に 沈む日は来る




レダ・アトミカ

2014-05-19 06:17:04 | 虹のコレクション・本館
No,143
サルヴァドール・ダリ、「レダ・アトミカ」、20世紀スペイン、シュルレアリスム。

これはあからさまな泥棒を描いてみた絵である。

見たらわかるだろうが、顔と体がまるで合っていない。ガラの顔に、他の女から盗んで来た体をくっつけて、レダのごとき美女にしてみたという感じだ。

男はよくこういうことをするよ。理想的な美女を作るために、いろんな女からパーツを集めてきて、理想的に美しい女性を作ろうとする。だがそういう人造の美女が、美しく見えることは滅多にない。

ダリの名声は、泥棒だ。他人の天の富を盗んでいる。そして、技術的にも芸術的にも、まだ学生ラインと言っていいこの才能を、大芸術家にしてしまった。

わたしだから言えるのだがね、ダリの作品群は、大学生の課題程度だよ。おもしろいことはしているが、めったにないしろものじゃない。それなりの技術はあるが、見る価値があるというほど卓越してはいない。

勉強がどれくらい進んだかなと見る、学生の作品によくこんなのがある。

たぶん、ダリは、ガラを美しく描くことによって、ガラに取り入りたかったんだろう。なにかおねだりでもしたかったんじゃないかね。そんな気分は、この絵に見えるね。




フォンテーヌブローのナポレオン

2014-05-18 06:50:14 | 虹のコレクション・本館
No,142
ポール・ドラローシュ、「フォンテーヌブローのナポレオン」、19世紀フランス、アカデミック。

今回もナポレオンである。これは百日天下を終わってワーテルローで大敗した時のナポレオンだ。一時期と比べると、何となく背丈が縮んで見えるだろう。

これは画家がデフォルメしたわけではない。実際、縮んでしまったんだよ。盗んでいた美が崩れて、中の本当の自分が出て来たのだ。

体が縮むのを、昔から老醜のせいだとしてきたがね、本当は、本物の自分を生きている人間は、目だってわかるほどには、縮まないんだよ。年を取って、きゅうに小さくなったと見える人間はみな、偽物なんだ。

着ていた他人の美がなくなって、本当の自分が出てくると、たいていの人間は小さくなってしまうんだよ。

要するにこれは、ナポレオンの正体がとうとう出て来たという絵だ。

実体験として、こういう例を見たことはないかね。顔は似ているんだが、何となく、小さくなった。嫌な感じがする。馬鹿が出て来た人間はみな、こうなるんだよ。わかるかな。

ごまかせないんだよ。どんなにがんばっても、いずれはこうなってしまうのが、偽物の、人生なのだ。




玉座のナポレオン

2014-05-17 06:10:02 | 虹のコレクション・本館
No,141
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル、「玉座のナポレオン」、19世紀フランス、新古典主義。

いやあ、これは馬鹿の見本だ。よく、新興宗教の教祖がこういうことをするから、よく見るといい。知っている人は知っている。けっこうこういうのが好きなやつがいるだろう。

フランス革命は、ナポレオンで愚に帰した。大勢で王と王妃を殺して王制を倒した民衆も、結局はひとりの支配者にやりこなしてもらわなければ何もできない。何の責任も取らない。そういうことになったのだが。

実にこれは、偽物の男だ。顔も運も、すべて他人からの盗みなんだよ。

本来、ナポレオン・ボナパルトみたいなやつをやるはずだった魂から、まるごとだれかがその人生を盗んだのだ。だからこういうことになった。結局ナポレオンは、正体がばれて何もかもを失い、孤独に死んだ。

こういう男が、フランスを振りまわしたんだよ。馬鹿が一国の政治を狂わす見本だ。わかるね。こういうことは珍しくない。というより、こういうことばっかりだよ。

派手で見栄えのいい人生を欲しがる馬鹿が、シーザーのようになりたくて、誰かの人生を盗んだのだ。

本物の男がこの人生をやったら、フランスはまだましなことになったろう。

そういうことだ。人間の男はこれを見て、馬鹿の見る夢の結末を思い知るといい。




恋文

2014-05-16 06:15:21 | 虹のコレクション・本館
No,140
ヤン・フェルメール、「恋文」、17世紀オランダ、バロック。


またフェルメールである。硬質な室内の風景の中で、恋文を届けられた女性の驚きの表情を描いている。

線遠近法も、ルネサンスの時代は、もっと無邪気に、多少いい加減に使われていたが、ここまで執拗に正確にやられると、背景の方が主役になってしまう。人物はふちっこに追いやられる。

推測だが、フェルメールは自分の絵を酷評されたのではないかね。例えば遠近法の不正確さなどをつかれたのだ。実際の風景はこんなものではないなどと言われたのではないかね。

だからここまで正確に線遠近法を極めたのではないかな。

レオナルドも線遠近法を採用しているが、彼の使い方はここまで正確ではない。「最後の晩餐」などの背景なども実際にはあり得ないものを描いている。人間ドラマを主体にしているからだ。実際にあり得る風景を背景に描いたら、あそこまで深い心理ドラマは描けない。

しかしフェルメールのこの絵は、恋文に驚いている女性の絵だということはわかるものの、どことなく、女優に演技させている嘘の風景だという感じがつきまとう。本当に恋文をもらったら、女性はもっと恥じらい、嬉しそうな顔をするものだろう。そういう人間のあたたかな心は一切描かれていない。

見えるのは、冷たい室内の風景だ。まるでそこに誰もいないかのような背景があり、人物は、幻のようだ。

フェルメールは、たぶん、心無い人間の冷たい批評に、芸術する心を殺されたのだ。
だからこんな絵になったんだよ。




2014-05-15 06:09:52 | 虹のコレクション・本館
No,139
M.C.エッシャー、「滝」、20世紀オランダ、シュルレアリズム。

有名な絵だね。現実ではありえない現象を、正確な幾何学計算で描き上げる。おもしろい。

20世紀芸術は迷走を始め、なかにはとんでもないものもあるが、こういう世界はおもしろい。人間の思弁性を戯画的にしながらも、かなりきついところで理性の枠に押しとどめ、芸術の空を探っている。

エッシャーの作品の中には、人間性への問いかけがある。

流れてくる川が、永久にめぐっているという現実にはあり得ないような絵に見えるが、人間の愛が作用すると、こういうこともできるという面白さがある。誰にでも描けるようで、なかなか描けない。これを真面目にやって、いっぱしになった力量は買えるね。おもしろい。

これからも、おもしろい場面で使えそうな絵だ。

しかし実際、地球環境というのにはね、この絵にあるようなことが、行われているよ。不思議な愛が、何度でも愛を循環させている。そういうことを思うと、数式に支配されているような画面の中に、深い愛の秘密を感じるね。