世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

あたえたまへ

2008-08-31 18:55:58 | 詩集・貝の琴
あかねなるもじを
かはもにえがきて
しづみゆくあまつひのかげを
きぬとしてよそひたき
われのなしぬる
あらゆることを
きよめむがために
かのはしきころもを
われにあたえたまへ

おもきつみにくずれたる
せぼねのはしらに
たてよといひてたたしたる
そのしひごとのかなしみを
おはしたるむしを
ころさむがために
あたえたまへ
あたえたまへ

ほしきものはすべて
いつはりをぬりこむる
あはれなるけはひのわざなりしかと
かたるもののかげをにくみて
さりゆくもののむかふは
どろにとけゆけるちさき
ちさきかたつぶりの
とじたるいほりなれば

いざゆかむとするは
おろかなりといふかそも
あほうのゆくすへを
あはれなりとおもふものも
つひにたえむとするに
いづこにゆくをしらむとする
ものももはやきえゆくに

いづこにゆくか

おろかものよ






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初めてのモチーフつなぎ

2008-08-31 10:36:06 | こものの部屋

少々、暗い写真ですが。始めて、モチーフつなぎをやってみました。今年の夏は、いっぱいレース編みの本を買いましたが、その中で、一番簡単そうで、かわいいのを選んで、やってみました。

三センチ角の、小さなモチーフを、パズルのように並べて、積み重ねていくのは、楽しかったです。ひとつひとつのモチーフの糸の始末を、丁寧にしていくのも、なんだか楽しい。たくさんの子供がいて、そのひとりひとり、といれのあとに丁寧におしりをふいてあげてるみたいで。みんなかわいいからって、小さいものの世話をこまごまとしてるおかあさんの気分ですね。

初めてのわりに、よくできたので、さっそく、電話カバーとして使っています。

夏休みのレース編みは、どうやらこれでひと段落です。もちろんこれからも続けますけれど、そろそろ、ほかのこともやらなければ。

今年の夏は、格別、いろんなことがあったなあ。ひどいこともたくさんあったけれど、今になってみれば、蝉の喧騒と一緒に、どこかにいってしまったという感があります。みんな、蝉が一緒にもっていってくれたような。

暑い日差しの中にも秋風の気配がする。飛んでいるチョウチョの中に、秋のタイプが見え隠れしはじめています。

花の中に隠しておいた、自分の一番大事な貝が、もう少し元気を取り戻したら、またいろいろなことができるようになるでしょう。本当に、花や虫がたくさん助けてくれた。みんなが、わたしの心を大切に守ってくれた。癒してくれた。

あともう少し。がんばっていきましょう。




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ビーストはさまよう

2008-08-31 10:05:08 | フェアリィウィスパー

なんでもかんでも、馬鹿にしてきたと、ビーストは言います。

大きなものも、小さなものも、立派なものも、ちびっこいものも、いやだと思ったら、徹底的に馬鹿にして、いやなものにしたと、彼らは言います。美しいものはもちろんのこと、不細工なものでも、少しでもよいところが見つかれば、馬鹿にして、もっとも恥ずかしい目にあわせたと、言います。

嘘やごまかし、詐欺、八百長、盗み、みんな、ビーストがやったといいます。美しいものがいやだったから、人間の頭に、いやなことをふきこんで、いやなことをやらせて、全部、馬鹿な、いやなものにしてしまった。それで、世界が、とんでもなく、いやなものになった。そうれみろ、みんな馬鹿だ、人間はみんな馬鹿だって、つらいところから、高笑いしていた。人間が、あほうみたいに、やっているよ。馬鹿なことばっかりやっているよ。つらいつもりで、かっこいいつもりで、あほみたいにやっているよ。

全部うそだよ。それ、みんな、嘘なんだよ。馬鹿みたいにやってるよ。あほだねえ。ビーストはそうして、人間を笑って、ずいぶんとすごいものだ、おれたちは、と、ほくそ笑んでいたそうです。

全部だめにしてやったよ。馬鹿だねえ。おれたちは、あほだよ。ぜんぶ、やったよ。あほだよ。あほだよ。あほはつらいねえ。ずっとやるよ。

けれども、彼らは今、とんでもないことになって、とても驚き、あわてています。なぜなら、人間が、自ら、自分たちは馬鹿ではないと、言ったからです。そして、すべてをよくするべく、自分たちで、やりはじめたからです。

ビーストは、自分たちが徹底的にいじめて、だめにした人間たちが、一斉によみがえり、あらゆるものをよくするべく、働いていることをみて、呆然とし、もっとやってやろうと、あらゆる馬鹿をやりました。その結果、彼らは、人間たちの前に、最も恥ずかしい自分の正体をさらし、痛ましく、恥ずかしい思いをし、逃げようとして、逃げられず、あがきにあがき、痛々しい結末に向かおうとしています。

あらゆるものを馬鹿にしてきた罪を、これから彼らは払わねばならないのですが、それがいやだといって、いまだに誰かに押し付け、助けてもらおうとします。いやだ、いやだ、いやだ、つらい、つらい、つらい、としか、言いません。馬鹿にして、その結果が返ってくるとなると、そればかりです。そして、何もしようとしません。

彼らが、これからどうなるかは、神の手に任されるといいます。そして、神の手のもとになるゆえ、それはもっとも、恥ずかしいことになるのです。神にしていただいては、とても恥ずかしいことを、していただくからです。なぜなら、ほんとうは、できることを、やっていただくからなのです。

ビーストは、何もしなかった。すべてを、やってもらったと、いうことになります。馬鹿になったとは、そういうことです。彼らは、これからずっと、何もかもを、やってもらう、馬鹿になるのです。

存在と虚無の間の、ないはずの隙間を、永遠にさまよう、一番恥ずかしい馬鹿になるのです。






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ビーストは裸になる

2008-08-30 17:37:58 | フェアリィウィスパー

とても小さなビーストが、わたしのところに来ています。小人のようです。何も着ていません。裸の、小さな、ビーストです。

彼らは、まるで痩せた子供のように貧相な体型ですが、顔は老婆のようです。しかし、とても幼く見えます。子供のまま、激しく年老いてしまったような顔をしています。そして繰り返し、いやなことにしたい、いやなことにしたい、と言っているのです。

おそろしく老いているのに、恐ろしく幼い。そしてやっていることは、子供よりもひどい。彼らは、人間が、少しでもよいことを考えたりしたら、それがいやでたまらず、徹底的につぶし、消し去ろうとしてしまいます。そして、本当にそうしてしまいます。人がやろうとしたことを、跡形もなく、消し去ってしまいたいと、言っているのです。これはひどい、ということを、迷いもなく、やっています。それはみごとです。

いったい、なぜそうするのかと、問うと、彼らは、男も、女も、こういうのです。「きれいなおんなになりたい。きれいなおんながうらやましい」

彼らは、男など、どうでもいいそうです。きれいな女がいいそうです。だから、徹底的に、女性ばかりいじめて、あまりにひどいことをして、殺してきたそうです。恐ろしいほど、苦しい、苦しい、苦しい、と言いながら、ばかみたいなことを、やっています。それは、ほんとうに、子供じみているということも、おそろしいことです。原始的な段階のまま、成長していない心がやっている。そうとしか思えないほど、プリミティヴなことなのです。

たとえば、当たりつきのアイスクリームが、当たらなかった。それだけで、人を殺してしまう。そういうことです。単純な自分の欲求が叶わなかった。それだけで、あらゆるものをひっくりかえして、だめにしてしまうのです。

彼らは、そういうことを、ずっと、人間にさせてきたそうです。人間の命と魂を、ゴミのようなもののために、つぶし、まったくみじめなものとして、馬鹿なものとして、苦しめ、殺し、徹底的にいじめてきたそうです。いやだったからだそうです。人間が、かわいいのが。全部、やってやると、ずっと思ってきたそうです。

人間が、かわいいから。おんなが、きれいだから。それだけで、すばらしいことをして、いやになるくらい、おそろしいことをして、馬鹿にして、殺したいと思うもの。それが、裸のビーストだそうです。

人間が、これまで、いやというほど、ビーストに苦しめられてきたのは、恐ろしいことをさせられ、ばかみたいなものにさせられてきたのは、ひとこと、彼らが、にんげんに、ひどく嫉妬したためです。なぜなら、人間が、美しかったからです。かわいらしかったからです。みじめになるくらい、それが、うらやましかったのだと、ビーストはいいます。いやになるくらい、ずっと、人間をいじめてきたのは、人間が、とてもかわいくて、おもしろくて、いいことをする、いいものだったからです。だから、みんな、だめにしてしまいたかったのだと。いやなものにしてしまいたかったのだと。

おんながうらやましいというのは、女性が、いいことをして、きれいになるからだそうです。それはそれは、かわいくて、好きになってしまうからだそうです。だから、みんな、だめな、阿呆にして、いよいよ馬鹿になる、ずっとずっと馬鹿になっていく、あほみたいなものにしたかったと、彼らは言います。馬鹿になるくらい、ずっと、それをやってきたと。いたいほど、そればかり、だったと。ずっと、それだけだったと。ビーストは繰り返します。

人間が、おんなが、すばらしいものだったから、ビーストは、いじめたのです。ずっと、いじめてきたのです。いやだったというのは、すごく、苦しかったからです。愛してしまうのが。馬鹿だと思ってるのに。好きになってしまうのが。いやだったからです。

あいしていました。と、ビーストは言います。にんげんが、ほんとうは、すきでした。みんな、かわいかったのです。でも、おれたちが、みんな、だめにしました。ばかにしました。ほんとうに、いやなことばかりして、いやなものにしました。みんな、好きだったからです。いやなんです。それが。馬鹿みたいだ。

裸のビーストは、わたしのところで、ずっとそればかり言っています。




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テーブルセンター・2

2008-08-30 09:17:21 | こものの部屋

細い糸で編んだテーブルセンターです。ハート模様がとてもかわいい♪ だいぶ上達したでしょう。かなりきれいに編めたと自負しちゃいます。だから今日は、大きな画像で♪

ふちのとこが、一段一段糸を切ったりつけたりしなくちゃいけなかったのが、少し面倒だったのですが、ひとつひとつ丁寧にやるという勉強だと思いながらやると、楽しかったです。

編み図を見て、これは面倒だなと感じるとき、できないからやめよ、と思う前に、これも勉強だな、やってみよう、でやり始めると、なんとかできるもんですよ。こういう作業は自分に向いてないな、なんて感じる時も、自分には向いてないということもやってみれば、面白いかもしれない、と思ってやってみるのです。そうすれば、自分に向いてないなんてのは、結局はやりたくないってことの言い訳の一つだな、なんてことを思ったりする。やれないんじゃない、やらないのだ。なぜかというと、自分はそんなことできないんだって、心のどこかで決めつけてるから。自分で、自分を、馬鹿にしてるから。何にもできない馬鹿だって。

拙い頭と手でも、自分の頭と手を使って、何かをしていけば、いろんなことができていくもんです。でも、いやだっていってやらないのは、それらのすべてを放棄してしまうこと。少しでもやれば、ほんの少しのことでも、自分のやれることをやれば、そこからすべてが始まっていく。おもしろい創造というのは、そういうものなんですが、自分は、そういうことができていくものなんですが、いやだっていえば、みんな馬鹿みたいなことになって、消えていく。とんでもなく、馬鹿みたいです。

生きるということを、生きることを馬鹿にするために使う。それでは、生きている間中、苦しくてたまらない。何もしないのは、人生なんて、何もする価値もないからだって。それで、何もかもがつまらなくなって、苦しい。その苦しさを、つまらないものを、馬鹿にして苦しめることで、晴らそうとする。それで、もっと苦しくなる。

何もしない人は、自分が存在するだけで、苦しい。

さてさて、次は方眼編みの難しいのに挑戦してみるつもりなんですが、どうなるかな。参考にした本のデザインは、ちょっときつい感じがして、わたしの好みじゃないんですが、とにかく難しそうなのが、気に入りました。ぜひともやってみたい。おもしろいだろうな。

新しいことを始めるのは、楽しいな。また、この大好きな自分と遊べる♪

このてんこさんは、いろんなばかみたいなとこもあるんですが、わたしはとっても好きなんですよ。真っ正直に、なんにでも突進していくから。なんにでも、真面目にやりすぎてしまうから。そういうとこが、かなり、好きなんです。

よく失敗もするんですけどね。




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猫のドイリー

2008-08-29 08:48:09 | こものの部屋

方眼編みは、基本、簡単なので、エクセルを使って編み図を作り、オリジナルの絵を編みこんでみました。どうでしょ。猫に見えます? ふち編みをもう少し豪華にしたかったのですけど、まだちょっと難しかったので、一番簡単なのにしました。ピコットが、猫の鈴のイメージで。かわいくなりました。

モデルはうちのシロです。バックの十字形はお星さまのつもり。それはそれはかわいくしてあげたいと思ったら、お花やお星さまをバックに描きますね。大好きだよ、ていう感じで。

せっかく自分で作ったのだから、何かの下に敷くのはもったいないので、額にいれて飾っちゃおうかな。上級になると、方眼編みですごく繊細な絵が描けるんですよ。それはそれは豪華な薔薇のテーブルセンターとか、かわいい花模様のカーテンだとか。大物はちょっと難しいけど、わたしも絵描きのはしくれなので、何かすごく面白い絵を方眼編みで描いてみたい、ていう野心がうずうずしてきます。

この夏は、レース編みに懲りすぎました。まだまだやってみたい。もう少し、おもしろいことしてみたい。で、まだやってます。夏休みが終わったら、絵本のほうに少しエネルギーを持っていこうと思ってるんですが、レース編みはこれからも続けたいな。楽しいことがいっぱい増えるなあ。

今は、0号の針と、やわらかいレース糸で、簡単なモチーフつなぎに挑戦してます。モチーフつなぎは、初めてです。小さくて簡単なモチーフを、一枚一枚、つなげていって、かわいいドイリーを作っています。

小さなおもしろいことをいっぱいつなげて、おもしろいものをつくる。いいですね。

試練のありすぎた日々が、だんだんと色褪せてきて、蝉の声といっしょに、消えてゆこうとしている。重かった胸や背中が、少しずつ軽くなってきている。もう少しだな。乗り越えることを助けてくれたレース編みは、わたしの人生の中の、小さなひとつのモチーフになりつつある。あと何目かで編みあがるという感じです。

これからも、編み続けましょう。こんなわたしの、生き方を。






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きれいなドイリー

2008-08-28 09:14:04 | こものの部屋

細い糸で編んだパイナップル編みのドイリーです。だんだんと上手になってきました。でも繊細できれいなレースのドイリーを生かせる家具がなくて、茶色の和紙の上において、折り鶴なんぞをそえて写してみたのですけど。やはりレースは、格調高いテーブルの上だとか、上品な骨董の花瓶の下などに、置いたほうがいいですね。でもそんなもの、うちには全然ないしなあ。

細い40番の糸で、ちまちま編んでいくのは、とても心が静かになってきて、いいです。いろいろなことがありますが、小さな小さな一目一目に集中していくと、日常の瑣末なことに煩わされて、傷んでいる心の苦しみが、なくなっていくような気がする。もしくは、忘れてしまう。

問題はまだいろいろあって、これからいくらでもやらなくてはならないのですが、しかし、レース編みで心を整えていると、仕事のやりやすさが違ってきます。本当にね。やはり、なんでも、ちゃんとやっていくには、自分の心をちゃんと知っていて、なんとかしていくということも、やらなくては。

自分が馬鹿になってしまっては、いい仕事ができない。いい言葉が書けない。わたしの仕事は、この世界の美しいものを詠みあげていくことなのだから。

苦しいとき、苦しすぎるとき、そういう時は、人生に必ずある。そこをどうやって乗り切っていくか。それを知っておくことは大事です。今の時代は、大学も、会社も、比較的簡単に入れて、大人になるための試験もとても簡単。着物やスーツを着て成人式に行くだけ。今日からたばこも酒も自由。そうなるだけ。まったく、愚かなことだと思います。

子供は、ほとんど試練を知ることなく大人になる。そういう大人が、初めて、人生の厳しい壁にぶつかったとき、どういうことをするか。なんとかして、自分だけは守ろうとして、まるで子供じみたことをするのです。今は、それが当たり前になっている。けれど、そればかりやりすぎて、世界が、とても痛いものになった。

大人が、まるで子供みたいなことをしている。お菓子のおまけのおもちゃを集めたり、アニメや漫画そのままの服を作って、着てみたり。おそろしく漫画っぽい車を作って、乗ってみたり。

子供のころに、一度は考えてみたことあること。たとえば、大人になったら、お菓子をいっぱい買うんだとか。ウルトラマンに出てくるかっこいい車を買うんだとか。そういうことを、本当にやってしまう大人が、今、たくさんいるのは、大人になる試験がやさしすぎて、みんな子供のままでいいんだって、ずっと子供のままでいる大人ばかりになってしまったからでしょう。

孤独の中で壁にぶつかり、自分という存在に気づき、自分の人生をやっていく自分という自覚を、自分の中に作る。そういう、通過儀礼のようなものが、人間には必要だと思います。心の中で、子供の自分がいったん死に、大人としてよみがえる。そういう経験を、いつの間にかしている人間は、大人としての行動ができますが、それができていない人が、たくさんいすぎて、子供じみたことばかりをして、とても変なことになっている。そういうことがありすぎますね。

イニシエーションといいますが、心理学などで、よく言われました。今の子供にはそれがない。だから、結局、大人になって、ずいぶんと立派なものを得てから、それを経験することになって、自分の人生が、すべてダメになってしまうということが、多くあります。これは大変です。大人の、立派な地位を得てから、それまでの自分が死んでしまうのです。それからよみがえるのは大変です。

大人になる儀式は、若いころに経験しておいたほうがいい。若い人は、人生の厳しい壁にぶつかったとき、それから逃げずに、まっすぐに向かっていったほうがいい。なぜなら、子供の自分は、いつか捨てなければいけないものだからです。

苦しい、と感じることがあるとき、集団の中に自我を埋没させて逃げる人が多すぎる。孤独の中で、自分でそれをやる、ということをやってみましょう。馬鹿みたいだと言われても、ひとりで、自分のやるべきことを、やってみましょう。それができたら、大人になる一歩を踏み出したことになる。

ばかは、自分では決してやらないから。自分で、自分をやるとき、それが、自分の本当に人生の始まりだと。

そういう通過儀礼が、人には必要だと思う。











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白鳥さんのドイリー

2008-08-27 09:20:01 | こものの部屋

これも方眼編みです。画像が小さいのは、小さいほうが、絵がはっきりと見えるのに、気がついたからです。かわいいでしょ♪

参考にした本では、ふち編みがもう少し繊細でかわいいのですけど、編んでいるときは、少々疲れ気味だったので、簡単なのに編みかえてみました。これでも結構かわいいです。

昨日は、調子にのって、もっと方眼編みを編みたくなって、難しいレースの本を買ってしまいましたよ。さて、編めるかどうか。すごく難しそうな薔薇や複雑な幾何学模様の編み方が載っています。でも、とってもきれいなので、やってみたい。

いっぱい編んでも、うちでは使えるとこなんぞ、ほとんどないんですけどね。一応、電話の下に、丸いドイリーはしいてみたんですけど。なんか、雰囲気が合わないんです。まるで田舎っぽくて。ださっぽくて。せっかくのかわいいレースが、もったいないわ。だれかにあげましょう。

今日は、朝からしっとり雨が降っています。いつもお話しする、おなじみの花々も、雨にぬれるととてもきれいで、やさしく見えるので、少し写真を撮ってきました。

近所のスーパーにいったら、もう松茸を売っていました。松茸の顔を見ると、あ、そろそろ夏が終わるなと感じますね。おいしいだろうな。季節を先取りして、買ってみましょうか。でも、料理の仕方なんてわからないし。いつも見るだけで素通りしてしまう。

また今度、買おう、食べようとか思って、いまだにそうしてないものって、結構ありますね。今年の秋は、そういうの、少しやってみましょうか。




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花模様のドイリー

2008-08-26 11:03:05 | こものの部屋

方眼編みに挑戦してみました。方眼編みは、くさり網と長編みを繰り返して作ったマス目を埋めて、模様を編みあげていく技法です。簡単で、編みやすいので、すいすいできます。これも、ほぼ5時間程度で編みあがりました。どう? 花模様に見えます?

楽しかったので、次々と三枚こしらえてしまいました。全部いっぺんに紹介するのはもったいないので、あとは明日にしますね。

今日は、次男坊の職業体験とやらで、朝からいろいろありました。お弁当がいるのだそうですけど、今はとても作ってあげられないので、コンビニによってとんかつ弁当買って、図書館に次男坊を送ってきました。息子はそこで今日一日、クラスメートといっしょに図書館の仕事をするんだそうですよ。いつもいく図書館なので、ついでにわたしも中に入って、絵本と児童書を何冊か借りてきました。

曇り空で、蝉の声もおとなしく、町はとても静かでした。時間ができたので、ついでにお山に登って、写真を撮ってきました。雨にぬれて、露草がすきとおっていました。センニンソウが咲いていました。写真を撮ろうとしたら、バッテリーがきれてしまって、残念。もう一度出直しです。

秋の気配ですね。ムクゲがそろそろ終わる。クスノキが青い実を無数につけている。おそろしくいっぱい。なぜって。おみやげをあげたいから。がんばったものに、おみやげをあげたいから。ほんとうに、がんばったねって、言ってくれてるから。

クマゼミが使命を終えて、静かに消えていったあとを、ミンミンゼミが、残りの夏の章を書くために鳴いている。何かを教えるために。夏がおいていったものが何だったのかを、ちゃんとここに書いていくために。

もうちょっと、森の奥に入って行ったら、その意味がわかるのだけど。今は少し疲れているので。

また山に行ってきます。センニンソウを撮りに。




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妖精のおひらき

2008-08-25 22:29:35 | フェアリィウィスパー

忍耐を知らぬ者には、愛の響きがわからないと、妖精は言います。なぜなら、愛は、常に、耐えているからです。あらゆるものが美しく生きるために、耐えねばならないことを、ずっと耐えているからです。

それは決して、自分が自分であることを、捨ててはならぬということ。そのために、あらゆる苦しみに挑み続けていかねばならないということ。わたしが、わたしであるために、すべてのことを、やっていかねばならないということ。

わたしは、わたしである。その幸福を宿すすべてのものへの愛のために、あらゆることをしていかねばならない。それが最も美しい愛であるということを、ずっと、やっていかねばならない。いえ、やっていくこと、そのものがわたしの幸福である。そのために、おそろしいほどのことも耐えられる。それが、すばらしいことであるということを、すべてのものに教えるために。

忍耐こそが、愛の響きへの入り口なのです。

それを決してやってこなかったもの。単純な欲望に関する迷いの時ですらも、忍耐よりも、我欲の充足を選んできたもの。そのものには、愛の響きが、どんなにか、愛してくれているか、わかりません。すべては、自分の欲望のためにだけ生きるものだとしか、考えていないからです。

愛は、耐えます。恐ろしいほど難しいことでさえも、耐えられるのです。もっとも愛するもののために、なんでもない馬鹿になることさえも、耐えられます。ただ愛するために、愛は、道端の何でもない花になり、あらゆることを与えながら、踏みつけられて消えていくことにも、耐えられるのです。すべては愛だと、知っているからです。

なぜ、それをしたのか。それは、わたしだからです。わたしは、愛だからです。それが、わたしです。それ以外の、理由はありません。わたしは、ずっと、わたしです。愛しています。すべてを。なぜなら、みな、本当に美しいから。すばらしいから。なんでもやってあげたい。わたしは、幸せです。

愛は、ただ、わたしが、わたしだ、というだけで、あらゆることを耐え、あらゆることをやっていけるもの、なのです。愛は、ただ、愛なのです。それがわかったとき、すべては、幸福になります。世界が、あまりに美しく、清らなかな愛でできていることが、わかります。そして、どんなにか、耐えていてくれたかが、わかります。ずっと、耐えてくれていたかが、わかります。愛のために、大いなる愛の響きは、ずっと耐えていてくれたのです。人間が。わかるようになるまで。

学びの足らぬビーストたちが、船もなく、厳しい荒波に漕ぎだそうとしています。彼らは、愛を、馬鹿なものだ、いやなものだといい、すべてを拒否、したからです。あらゆる愛の響きの、さしのべていた手を、度重なる忍耐の沈黙を、すべて、馬鹿なものだと言ったのです。そして、この世界のあらゆる愛の響きに背を向けて、どこか、違うことろへ向かおうをしています。それは、神のみにしかわからぬ、世界です。

彼らはなぜ、そうなったのか。耐えたことがなかったからです。だれのためにも、何のためにも、耐えたことがなかったのです。彼らは、自分の欲望のいうことしか、聞かなかったのです。それだけがすべてだと言って、あらゆるものを馬鹿にし、いやなことばかりしてきたのです。自らの恥にも苦悩にも耐えず、短絡的な復讐や盗みばかりをして、生きてきました。愛ゆえに苦しむ人の心を、屑のようにふみにじることも、平気でやりました。

愛を、傷つけ、殺しながら、その責任からは平気で逃げました。しかして、愛してもらうために、常に愛にすりよってきました。そして常に、愛からすべてを奪おうとしてきました。何もしなくても、すべてもらいたいと、彼らはずっとそればかりで、生きてきたのです。

そうして、やってきたことのすべてがそればかりだと、明らかになったとき、もう愛の響きの世界に、いることはできなくなっていたのです。もはや、限界を超えてまで、やってしまったからです。

これからのことを、妖精が、導くことはできないと、妖精が言います。すべては神に願うようにと、妖精が言います。ビーストの行く末は、神のみが知っているそうです。

すべては、ビーストが、何もやらず、何にも耐えてこなかったからなのだと。その一つのことが、これからの導きの糸口となるでしょう。

苦しいことは、常識を超えるでしょう。どんなことにも、自分で、耐えねばいけないことになるでしょう。すべて、自分で、味わわねばならないでしょう。逃げてきたことすべてが、あなたに追いつき、あなたを責め立てるでしょう。愛が、どんなに耐えてきたかを、学ばせるために、あらゆる苦悩があなたにかみつくでしょう。

その痛みを、いやだと言えば、一層苦しくなるでしょう。なぜそうなったかを。自らの胸を通して、神に問いなさい。すべては、自分なのだと。答えてくれるでしょう。

あらゆるものの愛の忍耐が、どのようなものであるかを学ぶために、ビーストのこれからの、激しい学びはあるでしょう。

消えてゆくビーストたちの背中を、愛の響きは沈黙のままに見送っています。それが、何を意味するのかを。彼らは、ずっとずっと先になるまで、わかることはないでしょう。

妖精はそう言い、すべては、これで、区切りだと、言います。そして愛は、すべてをなんとかしていくために、これからも永遠にやっていくと、言って、この章を終わりたいと、言っています。

新たな課題はもう始まっています。





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