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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

大どろぼうホッツェンプロッツ

2009-01-12 15:00:48 | わたしの本棚
大泥棒ホッツェンプロッツ
プロイスラー作・中村浩三訳 偕成社文庫

ホッツェンプロッツのシリーズは三巻あって、(「大泥棒ホッツェンプロッツふたたびあらわる」「大泥棒ホッツェンプロッツみたびあらわる」)写真はその2巻目です。この本にも入院中お世話になりましたが、いかにしてこんな本を選んだかというと、実は苦い思い出があって、その小さなトラウマの傷が一生残ってしまう、という本だからなんです。

今高校生の長男がまだ小学生だったころ、たぶん寝ながらだったと思うんですが、読み聞かせていた本だったんです。でも子供は読み聞かせになんだかうるさそうにして聞いてるもんだから、わたしも途中でやめちゃったんですね。それでね、ずっと、ずっと、あとになってから、長男からいわれたんですよ。ぼくは、いまだにこの本の落ちを知らないって。ああ、ばかですね。あのときは、こどもたちに、むりやり聞かせているような感じがして途中でやめてしまったけれど、ほんとはこどもたちは、きいてたんですね。ちゃんと。

とまあ、こういうトラウマが残っている本なのです。子供にも大人にもとってもおもしろいとてもかわいらしいメルヘンです。今更おそいけど、一巻目ではホッツェンプロッツは、とうぜん警察につかまってるからね。それもとんでもないかんじでね。高校生は興味なんてもたないし、忘れてるだろうけれど。

でも、わたしにとっては、それだけでいつまでも忘れられない本、このさい、三冊ともいっぺんによんでしまいました。一冊目も、読んだのはだいぶ昔なので、内容はすっかり忘れてしまっていましたよ。とってもおもしろかったです。

のちのち、読み聞かせボランティアなんかするようになったのにも、実はこの、ちょっとつらい経験が影響しているかもしれません。

こどもたちがつまらない顔をして聞いているように見えても、それはほんとじゃないんだな。こどもたちはまだ、感情の表わし方が未熟だから、そんなふうにみえたのかな。どちらにしろ、わたしも未熟でした。

とりもどせない失敗は、ずっと残るもの。でもそれを取り戻すために、ずっと、やっていくつもりです。読み聞かせボランティアを。たったひとつの失敗が、大きな大きなほほえみの渦のもとになってくれれば、わたしもうれしい。

そうすれば、あのときしてしまったことの傷が、少しは軽くなるかもしれない。

人間は未熟な者。失敗はつきもの。でも心につきささる失敗は、絶対にほっておかないで、あとで、なんとかしてみましょう。

自分の子供たちにしてあげられなかったことを、ほかのたくさんのこどもたちのために、してあげましょう。




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シグナルとシグナレス

2009-01-05 12:33:29 | わたしの本棚
シグナルとシグナレス
宮澤賢治絵童話集⑧ 天沢退二郎・萩原昌好・監修
絵・荒井良二・藤川秀之 1993年 くもん出版

小休止といったその口でこれですから。なんてことはない。実は今日でめでたく退院となりまして、病院から家に帰って一仕事して、なんとなくまたパソコンに向かって書いているだけです。

疲労は見えないクラゲみたいにひらひら私の足にひっついているんですが、何かやってないと落ち着かないもので。さてと、それにしても、今日の写真はひどいですね。せっかくの美しい本が台無しだ。

荒井良二の絵は、最近の絵本の絵はどちらかというと私はあまり好きではないのですが、これは10年以上も前のものらしく、とてもきれいに見えました。賢治となると、何か見えないものが宿るのでしょうか、なんだかやさしく、美しく読めました。

本線のシグナルと、軽便鉄道のシグナレスの甘くはかないロマンス。「ぼくはあなたがすきです。僕を愛して下さい」とまっすぐに言ってしまう魂の恋。賢治の童話にもこんなかわいらしいロマンスがあるとは知りませんでした。

純真にお互いに好きでも、結ばれるはずのない恋。周りの電柱たちは本線と軽便鉄道の各違いを理由に反対するばかり。シグナルはシグナレスへの思いに、胸がはつらつとして、ついおしゃべりになってしまう。シグナレスは、どうすればいいかわからない。

恋が生まれると、不思議な温かい霧のような渦が生まれる。

病室の憂さを晴らすためにずっと読んでいた本ですが、これが一番助けてくれたかなあ。冷たい青い純粋に澄んだ何かを頭の中にそそいでくれたような。

周り中の反対の中で、ただひとり倉庫の屋根だけが、あんまりかわいそうだ、まとめてやれよ、といってくれる。

恋は幸せだな。すきあうっていうのはほんとうにしあわせなことなのに。なんとかしてあげなよって、いってくれる人がひとりだけでもいたから、シグナルとシグナレスはひとときでも、永遠に近い思い出を手に入れることができる…。

ほかに、「北守将軍と三人兄弟の医者」「雁の童子」の2編も載っています。

よろしければ、賢治の、切なく空気の氷のように純真なロマンスなど、いかがですか。








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葉っぱの不思議な力

2009-01-03 16:05:35 | わたしの本棚

葉っぱの不思議な力
鷲谷いづみ・文 埴沙萌・写真 
山と渓谷社 2005年

入院中の読書には、感情を刺激するものが少し気持ちを苦しめるときがあると感じたので、私の本棚の中で、まだ途中までしか読んでなかった、植物学系の本を取り出してみました。

植物学といっても、そう難しくはなく、乱読気味にさあっと読んでしまいました。植物たちが生きていくためにどんな仕事をしているか、読んでいるうちには、はああ、ふううん、へええええ、とうなずきながら読んでいました。

葉っぱの裏に生えているあの毛の一本一本や、茎を折ると出てくる粘液などにも、外敵から身を守る秘密がしっかりあるのです。植物はただそこに生えてるだけじゃない。ちゃんと不思議な知恵と力を使って、たくましく生きている。

光合成をして栄養を作るには、少しでも多く光を得るために上に伸びる。その伸びるための茎にどこまで投資するか。葉は光を受けるために、お互いに重ならないようにつける。光合成で栄養を作るに必要なミネラルや水分を得るために根はどこまで伸ばすか。植物はちゃんとやっている。りっぱに生きているんだなあ。

写真も美しく、文章もそれほど長くはないので、堅苦しく思うことなく、読むことができます。うすい本ですし、これを読んだ後で、花はきれいなだけではないのだと、深く思い知った次第です。美しいものほど、高い努力をしているものなのだなあ。植物は美しい、という思いを、いっそう強くした次第です。それにしても。

精読すればそれはおもしろい植物たちの世界が広がるようにうまく説明できるのでしょうが、今は入院中の自分を助けるための読書なので、これくらいしか紹介できません。お恥ずかしい。

気持ちに済まなさが残るなあ。よい本です。一度読んでみてください。

オオオニバスの写真など絶品ですよ。美しい。





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星の王子さま

2009-01-02 09:43:33 | わたしの本棚
星の王子さま
サン=テグジュペリ、内藤濯訳、1962年、岩波書店

見ても、とても古い本ということがわかります。カバーの裏をみても、バーコードも税込だとか税抜きだとかいうことばも見つかりません。奥付を見ると、1980年第35刷発行とありました。およそ30年前に印刷された本ということになるわけですか。

要するに、20年はわたしの手元にある本というわけですね。

入院中の気持ちを慰めてくれるようなやさしい本が読みたくて、夫に頼んでもってきてもらったのですが、物語の最後のほうの、王子さまが去っていくところあたりから、主人公に感情移入しすぎて読めなくなってしまい、読むのをやめてしまいました。

でも、あとで少し興味をもって、一時帰宅の折に池澤夏樹の新訳本をもってきて読み比べたりもしてみましたけれど。今の気分としては、新訳本の本が少し気持ちにあっているように感じました。なぜかしら、見てもいないのに、映画「崖の上のポニョ」が思い浮かんだりもしました。感性的な何かに共通点があるのか。それとも似たような悲哀を、両者に私が感じているのか。

古い内藤訳の本には、あとがきに、これはある種の逃避の文学だという言葉があって、それが少し悲しかったのかもしれない。これは逃避ではなくて、何かをささえるために、この世にいなければならない、点灯夫のような存在みたいなものなんだ。この本が存在しないと、とても困ることがあるんだ。

多くの図書館の、それこそ星の数ほどの本の中に、この一冊があると考えるだけで、どこかに安心感があるような。いつでもよめる、たったいっさつの、短い本。

たいせつなことは、目に見えないんだよ。愛することはね、こうするんだよ。いっしょにあそんで、いっしょに時間をすごして、けんかしたり、なかなおりしたり、ずっとあいてのことをおもっていたり、いろいろなことをして、ともに時間を過ごすんだ。そういう、ほんとうにかんたんで、でもひつようなことをいってくれる本。誰かが誰かを深く愛しているから、この世界はすべて美しい。

でも人間は、そんなことはすべていま、みうしなっていて、おかねやめいせいやけんりょくばかりもとめている。

だれかとだれかがあいしあっている。それだけでこのせかいは、あふれるほどにうつくしい。おうじさまとばらのように、うつくしくおもいあっている。それだけでなにもかもがこうふくだ。

そういってくれる本は、必要なのです。この世界に一冊は、絶対に必要なのです。

ちょっと疲れました。今日はこの辺で。




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諸国物語

2008-12-31 08:30:45 | わたしの本棚

チェーホフ、他
ポプラ社 2008年

大みそかです。とうとう今年も終わりですね。大変な年末でしたが、皆さんはどうお過ごしでしょうか。私も今年は大変な年でした。なんとかがんばりましたが。

大晦日にまた本の紹介というのもなんですが、ほかにとくに思いつかなかったので。これは、今年の春ごろだったか、書店で一目ぼれして買った本です。
チェーホフの「かけ」から、ツルゲーネフの「片恋」まで、世界中の名作をこの一冊に凝縮してあるという感じの本です。帯には、「全一冊で読む、世界の文学」と、書いてあります。

筆者の名前だけでも並べてみますと、チェーホフ、ワイルド、シュニッツラー、トルストイ、ホフマン、ネルヴァル、ツヴァイク、シュティフター、ストリンドベルヒ、、云々かんぬんと、この本も、入院中の時間をつぶすのをずいぶんと助けてくれました。あまりに厚い本なので、逆に、こんなことでもなきゃ読破できないということもいえます。大変面白かったです。

人間たちが一体、どんなことを考え、何をしようとしてきたのか。苦悩多い頭脳の中で何を悩んできたのか。馬鹿なことや頓狂なことや、ありえないことなどを経験しつつ、何を表現しようとしてきたか。

これを機に、どれかの作家にのめりこんでいく人なんかも出るのではないのかな。中には、まるで、どこかの芸人がやりそうな、不条理コントみたいな作品もありましたよ。これが書かれた当時はともかく、今やったら、まさにそんな感じですね。時代は変わっても、人間の中にある、もやもやしたあせり、形にならない叫びをなんとかして表現しようともがいている魂の活動は変わらないのかもしれない。そんなことを考えました。

人間は馬鹿ではありません。悩んだり落ち込んだり馬鹿をやったりのたうち苦しみながらも、ちゃんと考えている。そして、何かを探そうとしている。何かを。人間たちが何を求めていたのか。何に苦しんでいたのか。それを気取ることなくそれなりにまっすぐに見据えようとしてきたものが、この時代(19世紀)ごろにはまだあったのでしょう。

現代文学ではどうなのかな。最近の純文学はなんだか頭がねじれそうで、ほとんど読んでいないのです。

それはそうと、ポプラ社さんはいい仕事をなさいますね。装丁の美しさと言い厚さと言い重さといい、宝物みたいな本です。本には、ある種、風格がなくてはね。本棚に並べてると、そこだけだれか違う人がいるみたいですよ。まあ、あなたはだれ?なんて声をかけてしまいそうな美人だ。タイトルもいい。

まるで、現代のジャータカという感じです。





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ガンバとカワウソの冒険

2008-12-30 09:27:32 | わたしの本棚

ガンバとカワウソの冒険
斎藤惇夫作 薮内正幸画 岩波書店 1982年

入院中を慰めてくれた本のひとつです。少し前に古書店で見つけて買い求めたものですが、病室で読んでいるうちに、あ、これまえに読んだことがあるわと、粗忽にきづきました。それでも、ほとんど斜め読みに近いけれど、一応最後まで読破しましたよ。新刊の切れそうなページをめくるのもいいけれど、ふちの黄ばんだ古い本をめくるのにも、何だか趣があって、そういうのを楽しんでいました。

いつだったかな、わかいころ、C.S.ルイスだとかJ.R.R.トールキンだとか、ミヒャエル・エンデだとか、ファンタジーの有名どころを次々と図書館で借りて読んでいたときに、確かこれも読んでいた、という記憶がうっすらとあります。入院中半分くらい来たところで、ラストシーンが浮かんできて、さあこのまま読もうかどうかと迷いました。

確かこの作品は、アニメ映画にもなっているんじゃないかと思います。ビデオ屋さんで見かけたことがあるような気がするので。ストーリー仕立ても、どこか漫画チックで、不良少年ぽい話し方をして極度に擬人化されたネズミたちの話と薮内正幸さんのリアルな絵の組み合わせが、いかにもおもしろいという感じでした。

愛、を、だれかのために素直に表現できないネズミたちが、不良少年のように斜めに構えて気取ったスタンスをつくりながら、カワウソたちのために行動する。その姿は愛以外のなにものでもないのに、最後まで、だれもそれを愛とは言わない。言えない。

なぜだろう。なぜ、正直に、愛を、愛と言えないのだろう。ネズミたちはほろびに瀕している(いや現在は実際に絶滅しているらしい)カワウソたちが、仲間を探すのを助けて、いっしょに長い旅をするのですが、その旅をするということを、自らのかっこつけのためだとか、冒険がしたいからとか、ぷいと、横を向いていうだけ。カワウソたちのためにやってあげたいからだとは言わない。でも実際、正直な気持ちは、ほとんどそうのはず。

物語としては、敵役の野犬がどうしてカワウソを狙うのか、そこらへんが説明不足だし、少し不満は残るのですが、最後のドラマチックな演出は、日本人らしいなという感じがしました。

わたしは、斜めに構えてかっこをつけて、愛なんて知らないよ、なんていうのは、もうはやらないような気がします。かっこをつけて、愛に虚勢を張る時代は終わってほしい。

「けっ、おれはやだね」
なんていいながら、かげでいいことをしてる、ていう不良少年のいい子、いわゆるつっぱりというのですか。もうあまり好きではありません。でも、この本が出版されていた時代には、それしかできなかったんでしょうね。とくに、男の子には。

愛しているのなら、愛していると真っ正直に言えるのがいい。ほんとうにそんな時代がくればいい。そうなったら、きっと、こんなにも、嘘かほんとかまるでわからないような情報がお化けのように世界を飛び回っている世界は終わるに違いない。

古い本の黄ばんだページをめくりながら、なんだかそんなことを思いました。







コメント (2)
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鏑木清方 ~明治のおもかげ

2008-10-02 18:01:23 | わたしの本棚

ビーストが騒いでいるので、どうしてもブログがざわついた感じになって、わたしも少々不快なので、さっそく更新です。ほんとにもう、忙しいですね。でも、読者の方々には、おもしろいかなあ。コメントも書きようがない内容ですが、おもしろかったら、かえるちゃんの晴れマークで投票してください。

ほかにはべつになにも書かなくていいですからね♪

さてと。


鏑木清方 ~明治のおもかげ
学習研究社 2004年

巨匠の日本画シリーズ10巻のうちの、6巻目だそうです。いつもいく本屋さんにこのシリーズが並んでいた中で、これが一番気にいって、すぐに買い求めました。女性を描いた絵が本当に美しかったのです。

ほかにも、菱田春草だとか小倉遊亀だとかそうそうたる名前が並んでいたのですが、背表紙を見て、この鏑木清方という名前だけが、わたしの心に飛び込んできたのです。それで手にとって眺めてみましたら、なるほどと思いました。これは、ほんとうに、美しい仕事です。

絵の中の女性が、しんでいるのに、生きている。これがわかりますか。つまり、女性が、耐えがたいことを耐えるために、自分を殺して、いろいろなことをよいことにするために、なにもかもを黙って、生きている。そういう女性の魂の苦悩を画家がよみとって、静謐な筆で描き切っているのです。これがほんとうに美しかったのです。

画家はもちろん、男性です。男性が、女性の苦しみを理解し、何も言えないまま、筆でその美しさを描き切ることによって、最上の仕事をしたのです。これがわかる女性は、きっといたことでしょう。男が、女の苦しみを理解してくれていると、これを見た、心ある女性は、わかったことでしょう。

絵でしか、その心を表現できないのだとわかって、女性は何も言わなかったでしょう。男は、どんなに、女がいとおしいと思っても、馬鹿になってえらそうにしなければいけない。それが、いかにおろかであるかを知っていても、誰にも言えない。その男の苦しさを、女性は理解したでしょう。

もちろん、作品の中には、商業目的で、着飾った女性をこれでもかとばかりうつくしくあでやかに描いているものもあります。それもそれですばらしい。そこには、二重写しになった自己の構造が見える。

19世紀から20世紀に移る時代、早くも、現代の自己の構造のひな型ができはじめている。それはどういうことか。要するに、自己の内部に、仮の主座と、奥の主座の、ふたつの座席を作るということなのです。嘘ばかりの世界を生き切るために、人間が、自分の魂に、別の部屋を作り始めている。つまり、ほんとうの自分がいる部屋と、仮のお客にいてもらう部屋と。

本当の自分が、やるには、苦しすぎる、という仕事をせねばならないとき、人間は、仮の主座にまねいた、それができる存在に、自分を一時預け、高度に痛い仕事を、やってもらうのです。つまりは、人間はここらへんから、嘘の時代を生きるための、魂の構造変化を、試みていたのです。

女性の姿に、真実の、存在の美しさを感じて描いた絵は、それはそれは、本人の魂の愛の仕事だとわかる、美しいものになっている。ですが、商業目的の主題は、ほんとうの自分を奥の主座に隠し、仮の主座にまねいた、時代を生きる嘘ができる仮の魂に、自分の絵を描かせている。この画家は、そういうことをしている。そして、かなり、うまくやっているのです。

おもしろいでしょう。絵を通して、人間が生きるためにやってきたことが、わかってくる。痛いことばかり、苦しいことばかりの世界を生き切るために、つらいことを、とても耐えられないようなことを、耐えるために、やっていたことが、見えてくる。

とんでもない嘘を、嘘と知ってやらねばならないとき、自分ではないものに、自分をやらせる。そしてその自分ではないものを、奥の主座から、絶妙にコントロールする。それを、この画家は、試みていたのです。

明治の時代に、すでにそれをやっていた人なのです。

現代、この魂の技ができる人は、かなり、います。おもしろいこと、ばかなことをしているようにみえて、ぜんぜんちがうことをしています。これは、わかったときが、おもしろい。ほんとうに、仮の主座がやっていることは、とても愚かに見えても、その奥の首座がやっていることは、びっくりするほど、おもしろいのです。

これがわかる人は、きっともうたくさんいることでしょうね。

清方の描いた女性は、男性に絶望している。それでも、愛さねばならないのだと、苦悩している。あらゆることを耐えねばならない人生を思い、遠い目をしている。それを画家は、いたましいと感じている。

本当に心ある人なら、この現実をまったく無視して、ただあでやかに着飾った美しいだけの女性を描けるはずがないのです。でも、それを、男は、やらねばならない。痛々しいほど、かわいいと思っているおんなを、おとこたちのてまえ、ばかにしなければならない。そのために、彼は、魂の構造変革をしたのでしょう。

ばかになってしまえではなく、ばかになることにたえるために、自分を変えたのです。それが、できるのです。人間は。








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はにーすぃーとティータイム

2008-09-16 08:51:51 | わたしの本棚

絵本や、分厚い図鑑などばかり紹介していますが、わたしの本棚に漫画がないわけではありません。

結構たくさん買ってるのですが、最近では病気のためか、どぎつい性描写やケンカのシーンの多い漫画が読めなくなりました。したがって、今はもっぱら、四コマばっかり読んでます。たわいのない、読んでいてほっとするようなのが好きです。

この分野の本はたくさん持ってるし、ひいきの作家もかなりいるのですが、今日はそれを代表して、この一冊を紹介することにしました。

 「はにーすぃーとティータイム」
    山野りんりん 著   
       竹書房 2005年

この作家さんは、絵がうまいので、好きです。最近の漫画家さんは、みんなパソコンで色づけしていますが、パソコンの色に絵が負けていない、数少ない漫画家さんだと思います。

パソコンで色づけすると、どんな人でもうまく描けるので、かえって、実力が見えすぎるのですよ。うまく描けてるけど、下手だなというのがわかる。絵は、技術だけではありませんから。

それにこの作家さんの作品の、好きなところは、登場人物の女の子がみんな、かわいいだけではなく、すごくずぶといとこです。これがおもしろいのです。ずぶといから、生きてけるんだなあ。これは、買いですよ。

わたしは、ある種神経が細すぎて、40過ぎてひきこもりになった自閉者なので、このずぶとさが好きなんです。登場人物みんな、かわいくて、のほほんとして生きているようで、人生のきっついところを、あは♪と笑ってかわしている。痛いところを、絶妙にかわして、「女の子は、つらいよ♪」とペコちゃん笑いしながら生きてる。そして、やんなくちゃいけないとこでは、きっちりと、やっている。

ほんとはね。大変なこと、傷つくこと、たくさんあるはず。けど、つらいって思ったってしょうがない。明るくいきましょ。馬鹿になりましょ。笑っていきましょ。そうやってみんな、大変なとこなんとかして、生きてるんだよ。

そういう、女の子の、強さが好き。

女の子は、いろんなつらいことを、笑顔だけでなんとかしながら、生きてるからね。

ほかにも、好きな漫画家さんがたくさんいるのですけど、傾向は似てますね。女の子が元気な漫画を描く人が多いです。

昔は、萩尾望都さんだとか、大島弓子さんだとかの、繊細で美しい絵と物語が好きでした。今の漫画は、少年誌も少女誌も、セックスや暴力の描写が多すぎて、あまり好きではありません。かろうじて、四コマに、息抜きできるやさしい場所が残ってる感じです。そんなとこに、すてきなものがあるみたい。

おもしろい才能は、本流を避けて、小さな支流に逃げている。そんな感じで、読んでます。









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園芸植物

2008-09-15 10:19:21 | わたしの本棚

山渓カラー名鑑「園芸植物」
  山と渓谷社 1998年

山渓カラー名鑑のこのシリーズは、全部で5冊ほど持っているのですが、質量ともにとてもいい仕事だと思ってます。このブログを書くのを、すごく助けてくれてます。

植物図鑑はたくさんあるのですが、写真の中の花が、いい顔で写っているのはあまりありません。カメラマンが、まるでわかっていなくて、花がいやがっている写真を、すごくきどった感じできれいに並べてある、という図鑑も多いのです。そういうのを見ると、げんなりするのですが、この図鑑は、花がみんな、助けてくれている。

つまりは、この本を作っている人たちが、まじめできちんとした仕事をしている人たちなので、花がちゃんとした顔で写ってくれているんです。だから、安心してみられる。

この本を開いて、花の顔を見ているうちに、ふっとインスピレーションが入ってきて、花が何を教えてくれているのかが、わかってきたりするのです。ですからこれは、とてもよい図鑑です。

もちろん、ときどき未熟さを感じるとこもあるのだけど、そこがまたまじめないい感じです。こういうのが好き。

何度もめくっているうちに、ばらばらになってしまったので、ネットで製本の仕方を勉強して、ハードカバーに作り直してみました。この本の最大の欠点は、ソフトカバーだってことですね。値段をおさえるためだとは思うのだけど、これではすぐにばらばらになっちゃう。新しいのを買おうかとも思ったのだけど、せっかく製本の勉強をしたのだし。

これはもう、ほとんどばらばらになっていたので、ふとい木綿の糸で全部綴じなおしてつくりました。あと、「日本の野鳥」「日本の樹木」もハードカバーに作り直して、わたしの本棚に並べてあります。こうすると、とても大事なものになって、ずっとわたしのそばにいてくれる感じがして、いいですね。

素人の仕事で、ところどころ歪んでたりするのもまた、いいでしょ♪
すきなものは、大切にしないとね。大切にしたら、ずっとそばにいて、ずっと助けてくれる。どんな新しい図鑑より、おもしろいものをわたしのとこに運んできてくれますよ。

長いこといっしょにいてくれた本には、見えない文字がたくさん書いてあるんです。読む者が深くかかわると、本もおもしろいものになってくる。

ずっといっしょにいましょう。



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はるになったら

2008-09-11 09:03:44 | わたしの本棚

今年の春ごろでしたか、本屋さんで、かわいい女の子の表紙が気に入って、買った本です。最近の絵本は、本屋さんで目立つようにするためか、少々きつめの色遣いをしてるものが多いのですけど、なんだかこれだけがやさしげで、返って目立ったのです。

 「はるになったら」
   シャーロット・ゾロトウ 文 / ガース・ウィリアムズ 絵
   おびかゆうこ 訳
   徳間書店 2003年


かわいい女の子が、うまれてきた小さな弟のために、何をしてあげようかって、やさしく語りかけていく絵本です。

はるになったら、はなたばをあげる。ゆきがふったら、ゆきだるまつくってあげる。たのしいこといっぱいしてあげる。みんな、おまえにあげるよ。

そういう、おんなのこのやさしいきもち。それをたんたんと書いてあるだけの本です。でも、読んでいると、ほんわかと、幸せになってくる。おんなのこは、みているだけで、優しい気持ちになるね。小さなこや、よわいこに、どんなことしてあげようかって、かんがえているよ。それがおんなのこなんだね。

画家も小さな女の子を、ほんとうにかわいらしく、やさしく描いてくれています。小さな女の子の瞳に隠れた、愛の芽吹きを、とてもやさしく、美しく描いてくれる。どんなにか、おんなのこがかわいいって、思ってくれている。

中でも気にいったのは、女の子の夢の中に、妖精の女王のような、ほほえみの美しい女王さまがでてきて、その女王様に、小さな王様が、深々とお辞儀をしているところ。こんなにすばらしいものはないというように、王様が、最高の礼儀をしてたたえている絵があるのです。

きっと画家は、そんな女性の愛が、どんなにみんなをたすけてくれているかを、知っているのでしょう。だから、最高のお辞儀ができる。ほんとにわかってる王様は、小さなかわいい王様になって、大きくて美しい女王様に、深々と頭を下げることができるんですよ。だってそれは、当然のことだから。

おんなのこは、すばらしいの。だって、みんな、愛でやってくれるから。どんなことでも、ほほえんで、いいよっていってくれるから。だからみんな、やさしくなれるんだよ。

どんなにつらいことがあったって、なつかしい愛の家から、どんなに遠いところにいってしまったって、ああ、あの子が微笑んでくれていると思うだけで、いっぺんにそこに帰っていくことができるんだよ。

かわいいおんなのこが、ずっとそこで、笑っていてくれるから。ずっとそこにいて、見ていてくれるから。あいしてるよって、ずっとそこにいるから。

それがおんなのこなんだよ。

ところで、昨日は読み聞かせボランティアのお話し会の日でした。久しぶりに小学校にいって、図書室で子供たちとのひと時を過ごしました。ボランティアメンバーの友達が、恐竜の大型絵本を読んでくれました。絵本は楽しいな。大きな恐竜の絵を、見せてくれるだけで、楽しかったですよ。わたしの当番の日が、楽しみです。また好きな絵本を読める。

季節的に、秋向きの絵本ではないかな。こどもたちに読んであげるには、やはり春がいいかな。それとも…。

ともかく、いちど読んであげたいなって思ってます。



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