世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

せきにん

2015-08-31 05:06:33 | 月夜の考古学・本館

せきにんをとれって
ばかなやつはいうけど
せきにんくらい とるさ
だって できるもの
やるってことが しあわせなんだって
もう わかるもの

せきにんとれって
いうやつほど ほんとはこわくて
せきにん とりたくないのさ
できっこないっておもってるから
いつも だれかにおしつけようとするんだ

でも おれはもうわかってる
おれは おれだってこと
おれは ずっとこの「おれ」をやってくってこと
それが せきにんてもんだってこと

やるよ おれは
おれがやったことのすべてを
せおうよ
だって おれは やりたいんだ
おれの おれじしんの ほんとを
やるってこと

それが おれのおれへの
せきにんだってこと



(2008年ごろ、入院中に書いた詩)




小さな花

2015-08-30 04:52:23 | ちこりの花束

2003年7月、ちこり28号表紙。





月をつかまえた猫

2015-08-29 04:24:23 | 画集・ウェヌスたちよ

制作年不明。画用紙の隅の落書き。




真実

2015-08-28 05:03:57 | 月夜の考古学・本館

何かがひしめいている
空の青に ひしめいている

何もない空っぽの空に
愛が満ちている
美しいことばの
大合唱が
静けさに溶けて
世界中に鳴り響いている

それが聞こえないのは
あまりにもあたりまえで
ないのなんて信じられないくらい
本当の本当だからだ




(2008年頃、ノートの落書きの隅にあった未完成の詩片。
 タイトルはわたしがつけた)





主婦業

2015-08-27 04:55:14 | ちこりの花束

 先日、「主婦業って何?」というテーマで議論するテレビ番組がありました。ちらっとしか観ませんでしたが、すました顔の若い男性が、「主婦業を育児労働として評価云々」なんて言ってるのを見て、「ケッ」と思い、すぐにチャンネルを変えてしまいました。
 何事も金銭に変換して評価するのが最近の流儀ですが、主婦という役割には金銭では評価しきれないものがあると思うのです。
 私自身の考えを言えば、主婦とは「生と死、そして魂と肉体の問題をひっくるめた、家庭という小宇宙の主宰者」だと思っています。少し大仰な表現ではありますがこれは私のお姑さんの毎日の働きぶりを見て、いつも思うことなのです。
 毎朝仏壇にご飯を祀って死者の世話をし、家族の健康と幸せを祈り、食事を作り、家を掃除し、洗濯して、生者の世話をし、雨が降れば窓を閉め、晴れたら傘を干し、時間があればお寺や神社にいき、深く高い心の平安の勉強をしに行く…。
 家庭の中に無条件の愛と安らぎを生み出す主婦という役割を、時にはつまずいたり迷ったりしながらも、このように一人の人間(女性)がちゃんとやろうと努力しているからこそ、たくさんの子供や大人達が立派にこの現世で生きて行けるのではないでしょうか。
 今「癒し」ということが大きな問題になっているのは、本来の「主婦」という役割の意味が失われているからではないかとも思うのです。男性社会の中では女性的役割というのは二次的な価値しか与えられてきませんでしたから、それならと、戦後女性はみな男性化してきました。男の方が偉いなら私だって男になるわ、と。そして家庭から、無条件で子供たちの幸せを祈る、「おかあちゃん」を奪っていったのです。
 主婦という仕事は人間の魂にかかわる重大な仕事です。そしてそれに必要なもっとも重大な才能は、家事能力よりもむしろ人を愛する能力です。愛は、数値化することのひどく難しい価値です。それを無理に数値化しようとするのは、海に網を投げて海を捕まえようとするのと同じでしょう。
 無条件の愛と生きることの幸福を表現できる、太陽のようなおかあさんが増えたら、きっと世の中は今の2倍くらいは明るくなるし、少子化問題も解決すると思うのですが……。




(2001年7月ちこり22号編集後記)








小さな天使

2015-08-26 05:15:47 | ちこりの花束

制作年不明。ちこりパンフレット用カット。




ヤマユリ

2015-08-25 05:10:31 | 月夜の考古学・本館

ヤマユリ Lilius auratum

 ユリ科ユリ属。山百合。
 夏、山の中で光に染められたような白い大きな花をつけます。白いユリの花というと、何とはなしに聖母マリアを思い浮かべますが、山百合はテッポウユリほど清楚可憐ではなく、香りの強さや濃い花粉の色は、むしろ男性的ですらあります。
 キリスト教には、最後の審判という考えがあります。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画が有名ですが、この世の終わりに再びキリストが現れ、神の名において人々を良い人間と悪い人間にふりわけるという。私は、この考え方が、あまり好きではありません。
 果たして、あの優しい人が、自分をあざ笑いながら殺す人々のために、神にとりなしをするような人が、最後の審判などという恐ろしいことを言い出すだろうか。あれは、彼を見殺しにしてしまった弟子たちが、己が罪に対する両親のうずきと後悔を少しでも薄めるために生み出した考えなのではないだろうか。または彼を裁き、磔刑に処した人々への悲憤が、そういう考えを作りだしたのではないでしょうか。いつかあの人はまたやってきて、罪深き者に復讐するに違いないと。
 最後の審判という考え方は、人を善悪の二つに分けてしまいます。善と悪、敵と味方、正と邪、光と闇、バラバとキリスト…。そこでは永遠に善は善のまま、悪は悪のまま。それでは、一度でも罪に落ちたものは永遠に救われないことになる。
 この世で、永遠に善のままである人などあるだろうか。逆もまたしかり。罪や失敗の泥に、一度も染まったことのない人があるだろうか。いや、罪や愚かな失敗があるからこそ、人は学び、そこから出発し、新たな自分を求めてゆくのではないだろうか。
 キリスト教の発端は、ある罪のない優しい人の死でした。そこにはあらゆる人の愚かさと無知があった。人々が自らに見いださねばならない弱さがありました。けれど弟子たちの多くは、その自分の弱さを見なかった。輝かしいキリストの伝説を作り上げることで、功をなし己の罪を雪ぎたかった。のではないか。
 ジーザスはそんな弟子たちが作った玉座に、果たしてよろこんで座っているのでしょうか。



(2005年9月花詩集28号)





三本のラッパを持ち星を修正する天使

2015-08-24 05:14:53 | 画集・ウェヌスたちよ

制作年不明。便箋用のカットとして使用したものをスキャンした。
童話「天使ホミエルの話」の元となった作品。




iについて

2015-08-23 05:22:48 | 月夜の考古学・本館

本当のiを さがしています
本当のiは どこにありますか?

こどもではあるまいし
何をいまさらと
言わないでください
iするふりをして 憎んだり
優しいふりをして 傷つけたり
この世には いろいろあるのです
憎み続けて 傷つき続けて
初めてわかる そんなiもあるといいます
これがiだと思って たまごのように
暖めていたら
紙くずと木片を糸でしばった
みょうなガラクタが出てきました
そんなことさえ あるのです
どうやって iを
見分ければいいのですか?

iすることと 憎むことは
どこが どうちがうのですか?
優しいことと 冷たいことは
どこが どうちがうのですか?
まったくちがう 二つなのに
わからなくなる ときがある
のは
どうしてですか?

背を向けた人の
ちぎれた心の 破片を拾いながら
どうすればいいのと 問いかけます
見つめながら ただ待つことも
iでしょうか?
返ってこない こだまを待つように
いつまでも 立ち尽くすのですか?
それがiでしょうか?

星でもいい 空でもいい
何かのiに すがりたい
iすることが 時々
こんなにも さみしい
わかいころは わかさで
たえたけれど
今は
愛がなければ
たえられない



(1999年7月、同人誌用に書いたがページ数の都合でボツにしたもの)





花かんむりの天使

2015-08-22 05:13:02 | ちこりの花束

制作年不明。絵葉書用イラスト。ちこり付録用にと制作したが、ボツになったもの。