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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ウエルカムボード

2008-09-29 18:21:45 | 有為のしらべ

今日は、何回も更新します。前回のでやめようと思っていたのですが、読んでるうちに、ちょっと重苦しいなと思ったので、少し軽いことでも書いて、読む人のお気持ちを慰めようかと考えました。ネタはいまんとこ何もないんですけど。

今日は、肌寒い日でしたので、久しぶりに長袖を出してきました。いつまでも、夏の日差しが去らないなと思っていると、急に秋がやってきます。

パソコンをいじっていない時間は、ずっと、方眼編みをやっています。それに飽きたら、ボランティアのための絵を描いたりしています。新作のパネルシアターのための、原画なのですけど。そっちのほうは、ぼちぼちです。方眼編みが楽しいので、どうしても気持ちがレース針をとってしまうのです。

もう少し秋が深まって、紅葉が楽しめる頃になりましたら、いつもよりちょっと遠出して、見に行ってみたいですね。いつもと違った写真を撮ってみたい。ここ何年か、箱庭のように小さな、知っている山や野原ばかりの写真でしたので。先日、ちょっと遠い所にいって、田んぼの実りや彼岸花を撮ってきたのが、楽しかったのです。車で一時間も走ると、風景も花もみんな違うのです。チョウチョも、近所では絶対に出会わないのに出会えるのです。

このツユクサは、近くの野原で撮ったもの。近所の花々は、いつもわたしのことを見てくれているので、病気のことなどとても心配してくれるのです。ですから、みんな、深いまなざしで、わたしを見てくれる。でも、少し遠くへ行って、同じツユクサを撮ってみると、あまりよくは知らないので、それなりに見てくれるのです。それが、少し、快い。

近くの花の顔を見ると、よほど自分は苦しいんだなって感じてしまうもので。自分ではよくわからないけれど、はたからみたら、よほど大変に見えるんだなって。だから、ほんの少し突き放してみてくれる花が、ありがたい。

遠くにいって、とおくのきれいな空気を吸ってきたいな。ときどきでいいから、車で走ってみましょう。

ところで、小さな狭い部屋に、とじこもっているとね、おもしろいことも、わかるようになりますよ。不思議なことがあるのです。

ものにも、思いがあるってこと。これはほんと。

図書室で働いている友達に頼まれて、ウエルカムボードの制作を、この前までしていたのです。そのボードができたのですけどね。できた当初は、文字がはっきり見えなかったりして、気に入らなかったのです。でも、しばらく壁に飾っていると、不思議に、文字がくっきりと浮かんできたのです。何も触っていないのに、作ってすぐのときと、雰囲気が全然違うのですよ。とてもきれいに見えるのです。

なんでかな?と考えていたら、ボードがゆっくりと答えてくれるんですよ。君の気持ちがかわいかったので、うつくしくなったんだよと。つくるものが、いい子だと、ものが、いのちをよぶんだよ。そしてね、生き始めるんだよ。

そんなこと、よくあるんだよ。やさしい気持ちで作ったものは、かみさまが、大事にしてくれるんだ。それで、そっと、命をくれるんだよ。

いのちはね、いろんなところにあるよ。さがしてごらん。いつも、きみをあいしているよ。

一日、部屋に閉じこもっていると、いろんなことが、わかるようになってきます。おもしろいですよ。


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あくまのしんじつ

2008-09-29 13:57:49 | フェアリィウィスパー
あくま、というものについて、妖精が教えます。

それは、原始の原始の段階において、大きな罪を犯し、それをまったく支払わないまま、今の今まで、逃げ続けている魂のことです。

幼い段階で犯した罪が、大きすぎ、耐えることができずに、そこでとまったまま、一切の自己の活動を、やめてしまったのです。

自分の存在そのものが、すばらしく、痛い、というのです。つらい、という段階に進む前に、ひどいことになってしまったのです。

彼の自己存在の中には、いたい、ということだけが、永遠にむさぼり続けられているのです。彼の中心には、ただただ、冷たい、冷たい、冷たい氷のようにつらいものが、ずっと、「いたい」と言い続けているのです。それが、そのものの、本体なのです。

その存在の矛盾が、あまりにもひどすぎるために、それに感応するビーストたちが、たくさん集まってしまい、それがだんごのように固まって、幻のように、いっこの人格のようなものを、つくりあげてしまう。それが、悪魔です。

「あくま」は、「いたい」としか、いいません。ずっと、いたいのです。激痛ではない。鈍痛のもっとも重いものです。おそろしいほど、苦しいのです。自分が、そんざいしつづけることが、苦しくてたまらないのです。その激しい矛盾に、同じような罪を抱えるビーストたちが、たまらずに、よっていくのです。そして、その「痛い」というものの望みを、一切、かわりにやってしまうのです。つまりは、痛すぎる矛盾を抱えた、激しい苦しみの魂に、ビーストたちが大勢で寄り集まり、恐ろしいまぼろしの人間をつくりあげた、それが、悪魔なのです。

彼は、矛盾に満ちています。まるで少女のように愛らしい形を好みます。みるからにやさしげに見えますが、黒く、小さく、汚く見えます。どんなにきれいに洗っても、装っても、気色悪さがぬぐえず、周りのものに嫌われます。ビーストたちが、どんなにがんばって、美しくつくりあげようとしても、できないのです。彼は、愛らしいのに、汚いのです。

彼は、見るからに弱そうですが、まるで超人のように、自信たっぷりです。そして、相当にひどいことを、平気でやります。それは、そういうものだというように、ただ、やるのです。考えることなく、やることが、できるのです。なぜか。それは、自分がやっているのでは、ないからです。彼は、痛い、とだけいえば、ビーストのうちのだれかが、いつの間にか、代わりにやってくれているのです。それは、彼が、あまりに激しく苦しんでいるために、ビーストが、思わず、そののぞみをかなえてしまうのです。つまりは、超人と思えるほど、すごいことは、みな、自分ではないものがやっているのです。

それを彼は、すべて、自分がやっていると、思っています。自分は、それをやれる、すごいものだと、思っています。ですが、実際は、彼は何も、やっていません。ただ、「いたい」といっているだけなのです。やっているのは、すべて、ほかのものなのです。事実、彼は、自分がすごいと、思う、ということすらも、やってはいません。そう思っているのは、ほかのものなのです。

ですから、彼は、そこにいても、まるでそこにいないように見えます。人格が漂わせる、一切の香り、温度、すべて、ありません。なにも、ありません。まるで、いないもののように、そこに、いるのです。

これが、あくまの、しんじつです。おそろしく、いたいものなのです。

自分の罪から逃げ続けてきたために、何もかもが、なくなった、ものなのです。自分でさえもが、ない、という存在なのです。それがあまりに苦しいために、ほかの存在が、その虚無の引力にひきつけられ、かたまり、いっさいをかわりにやってしまう。おそろしい、虚無の塊なのです。

それが、悪魔です。




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にんげんの怒り

2008-09-29 11:41:28 | フェアリィウィスパー
妖精が、さっき、教えてくれました。
いずれ、にんげんにも、ビーストたちが、自分の心の中で何をしているか、わかるようになると。

心というものは、庭のようなものです。「わたし」が真中にいて、すべてをやっている、自分の庭なのです。その庭には、垣根はありますが、心の世界の住人なら、だれでも入ってくることができます。

勉強をして、礼儀のわかったものなら、ちゃんと、入口から、挨拶をして入ってきて、不作法なことは一切しません。心の庭の主人が、困っているときに入ってきて、そっと助けてくれたりするのです。それが、本当です。

けれども、ビーストは、そんなことは一切構わず、どこからでも入ってきて、他人の庭を荒らしまくるのです。中には、庭の主人にひどいことをして、まったくその庭を奪ってしまうものもいるのです。その庭が、美しく、立派なものであればあるほど、ひどいことをしようとします。美しい心が、ねたましくてしようがないからです。

ですから、庭をほじくり、汚いものをばらまき、一切合切をダメにして、馬鹿にしようとするのです。

そのビーストたちが、実際に、人間の心の中で、どういうことをやっているかを、人間は、聞くことができます。それが、おそらく、それほど遠くない未来に、できるようになります。なぜなら、人間は、勉強が進み、「自分」というものが、つよくわかるようになったからです。

それは、たとえば、こんな感じのことです。

寝床で、目を閉じて、リラックスした状態で、自分の心の中に静かに耳を澄ましていると、明らかに、自分とは違うものの声が聞こえてくるのです。それが、あるとき、こんなことを言っているのが聞こえます。

「ぬんちゃく、ぬんちゃく、ぬんちゃく、ぬんちゃく・・・・」

心の世界は、響きの世界なので、同じことばを、くりかえし、くりかえし、こだまのように言い続けています。これは、「ぬんちゃくでお前をころしてやる」という意味なのです。恐ろしいことばなのです。

ときに、「おーうっ」という、うめきが聞こえます。それは、人の心の庭を攻撃して、その人の持つ「よいもの」を、そのビーストが壊したときにあげる、うめきのようなものです。痛いのがきもちいいというような、実にいやな響きです。それが、まったく、自分とは違う人間の声で、聞こえるのです。

見えない世界で、ビーストは、実に、なま裸の感情で、そのままのことを、ずっと言い続けています。これが、ビーストか、ということを、人間はそのままで、感じることが、できるようになるでしょう。そしてそれは、ビーストにとって、たまらなく、恥ずかしいことになるのです。

実際にやっていることが、ばれる。それがいちばん、ビーストにとって、つらいことなのです。

人間は今、ビーストに、激しく怒っています。人間の側からの、反撃が始まっているのです。





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なし

2008-09-29 09:12:00 | 詩集・貝の琴

あきぐちの なしのみの
せつなさを むねにとかして
さて どうやって
きみをあいしてると つたえよう

きんいろの なしのみに
しろいはをたてて
つめたい あまさのしみる
きみのなみだを
あいしていると 
どうやって つたえよう

やわらかな かぜをおり
いろとりどりの あきのはをあつめて
あたたかい あたたかい
もうふをつくろう
どんなにか きみに
つたわらなくてもいいから
ひとかけらでもその
かなしみが
あいでゆたかになればいい

あきぐちの なしのみに
ほおをよせ
きみをあいしてると
ささやこう




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ビーストは疲れる

2008-09-29 08:36:36 | フェアリィウィスパー
おんなはねえ。もうおとこにつかれてんのよ。ずっとやってきてさあ、ずっとやってきてさあ、とうとうやんなったってかんじ。

あんねえ。おとこのやってることはねえ、いっつもおんなじよ。いたいっていえねえから、すうきだっていえねえから、うまいことやって、おんなをなんとかすんの。それだけよ。そればっかりよ。いたいったらないのよ。

ばっかよ。あほよ。いてえのはねえ、ずっと、ずうううっと、そればっかりだってこと。いたいってのはねえ、ほんまに、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずううううううううっと、それだってこと。ほんまに、ほんまに、ながあああああああああああいこと、ほれだけってことなのよ。ほんまに、ばかよ。いやんなるくらい、ながいこと、おんなは、つきあってんのよ。いたいことにもなるわ。

いやなのはねえ、おとこのやりかたが、ばかってもんじゃねえからなのよ。いやんなるくらい、あほなのよ。いったいなにさってこと、やってんのよ。あほかっていうもんだいじゃねえのよ。どんなことってさあ、ばかみたいなのよ。あほよ。いやっていえねえようにするために、あらゆることするってことなのよ。あ~あっていってんのよ。ほんまにつらいわ。

よーするに、ぜったいに、ふられるのがいやなのよ。あほなのよ。つらいのよ。ごおっついつらいのよ、おんなは。ばかみたいに、つらいっていうの。だって、おとこのやってること、みんなわかんのよ、おんなは。ばかみたいにやってるってこと、ずっとわかってんのよ。ほんでね、ずっとばかやってんの。いたいことしってるってばれたら、どんなことするかわかんないからさ。おとこは、ずいぶんと、ばかばあっかりだからさ。ほんまにつらいわ。

いやんなってるのよもう。そりゃさあ、どんなばかだって、なんとかできてたら、なんとかしてたわよ。あほでも、みんなでなんとかすりゃ、おとこになるわってんで、やってたのよ。けどさあ、あんまりばかになったもんで、もうだめってんで、みんな、やめてんの。おとこがさあ、あんまりあほんなったから、みんな、つらいってんで、にげてんのよ。いやなのよ。もう。ばかばっかりだからさ。

あーほーよ。いたいおんなはねえ、ばかにばっかりされてんの。いやなことばっかりされてんの。ほんでも、おんなは、おとこをなんとかしてたのよ。おとこがばかになったら、ほんと、つらいからさ。でもさ、おんなをなんとかしてくれるおとこがさあ、ほとんど、だめんなったんだよ。ほれでさあ、ばかばっかりつらくなって、つらいことばっかりになって、もうだめだってんで、おんな、おとこをなんとかするっての、いっせいにやめてんの。いたいからってさ。もうだめなんだよ。あほは。がきは。いやなの。つらいのは。ばかは。

おとこがねえ、すきじゃないおんなはいないよ。ほんと。おんなは、おとこをすきんなっちゃうもんさ。ほんでもね、がきは、おとこじゃねえから。あほは、ばかは、おとこじゃいやだから、いーやーだから、やめるのよ。

いたいから。もうじゅうぶん、しんだから、おんなは。おとこのために。

もういいってさ、もうじゅうぶんだってさ、かみさまがいってくれるのよ。あほは、もういいよってさ。おれ、もうつらいことないんだってわかったから、やめるの。あほになるの。おとこのために、あほになるのは、もういいんだ。いたくもなんともないんだ。いやなこと、ないんだ。おんなはもう、じゅうぶんに、やったんだ。

だから、たっぷりつらいよ、おとこは。こんでもう、おわりだってことだからさ。がきは。いやだっていわれるんだよ、これからは、おんなに。つらいっていわれるんだよ、ばかだっていわれるんだよ。あほにしてきたぶん、つらいことしねえと、おとこじゃねえんだよ、もう。ばかは、いやだよ。あほはいやだよ、あーほっ!

おんなをなんとかしたいんだったらさ、じぶんなんとかしなよ。ばかばっかりでやっても、もうてんでだめだからさ。みんな、おさとがしれるってにげてくよ。いやっていって、いなくなるよ。あほはいやだから、おんなにあいてにされねえよ。ばかばっかりだよ、よってくんのは。あほはねえ、もお、おとこじゃねえの。おとこはねえ、もうとっくに、ちがうとこにいって、いてえとこでやってっから。あーほは、がーきは、ばかなの。ばか、てもんなのよ。おんなはね、おとこじゃないと、いやなのよ。ぜったいに。ばーか。

あーあ、すっとするわ。これからみんないってやんの。いやだったこと、つらかったこと、ぜんぶいってやるの。あほにみんないってやんの。つらいわ。いたいわ。ほんと、ぜんぶやってやる。


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