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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

エゴの解像

2008-09-24 18:12:17 | 有為のしらべ


昨日、子供を連れて少し遠くへドライブしました。実り始めた田んぼのふちに、真っ赤なマンジュシャゲがもう咲いていました。車をとめられる空地を探し、写真をたくさん撮ってきました。

秋が深まり始めている。とはいえ、南国の日差しはまだ色濃く夏を残しています。南の暑い日差しを浴びているマンジュシャゲは、まるで鮮やかな血を散らしているようにきれいでした。なんだか、とてつもなく、怒ってるみたいだ。

前回の記事にも書いたように、今日は頭の中を、思考の嵐が吹き荒れています。それがどうにも苦しく、いつもは吐かない苦い怒りをわたしも吐き出しています。このマンジュシャゲの花と同じように、わたしの中に、猛烈に怒っているものがいる。そういうものが自分の中で荒れているのがとても心地悪く、記事に書いて発散しよう、というところです。

マンジュシャゲの美しい花を見ながら、お楽しみくださいね。



ビーストの記事を読みながら、エゴとは何だろうということを、ひさしぶりに深く考えてみました。確か以前に、エゴとはほんとうの自分ではないということを考えて書いたことがあるのですが、まだ核心のとこがよわく、不満が残っていたのです。

今回たどりついたのは、やはり、エゴは自分ではない、ということでした。エゴは、まだ幼い弱い魂が、他者から借りてくる、あるいは与えられている、自分の仮の姿なのではないか。

たとえば、野生のライオンの写真を見るとき。そのライオンの中の自己と話をしようとすると、その自己がとても淡く、まだ小さいことがわかります。自分という感覚はあるのですが、何もできない幼い存在があるということを感じます。しかし、ライオンは強く、激しく美しい。それは、神の創造だからです。神が、ライオンのまだ淡い魂に、美しい自己の衣を着せ、仮の自分を与えている、という感じがします。

ライオンは、自分は美しく、強いと感じています。それは、神が、与えている、自分を、着ているからです。ライオン自身はまだ弱く、淡い自己の萌芽です。まだ幼く、外界に向かって、出ていくか、ひっこむか、ということしかできないように感じます。それを、そのまま、裸でこの世界に出せば、いっぺんに壊れてしまうでしょう。ですから、神は、まだ弱い自己の萌芽に、神の「自己」をかぶせて、助けてやるのです。ライオンは、神の自分を、自分だと思い、自分の強さ、美しさを信じて、生きている。誇り高く、自分はすばらしいものだと、思える。それは、幼い魂を導く、神の、当然の愛なのです。

しかし、神の「自己」は、ライオンの、ほんとうの自分ではありませんから、当然のごとく、色々と、まずいことがあります。本当の自分ではないから、そう苦労することなく、自分以外の誰かにやってもらえるので、自分の好き勝手にやってしまうのです。自分が、一番いいと思って、何もかも、一番だということにしたくなるのです。自分の幼さのわりに、自分がすばらしく強く、美しすぎるからです。

ライオンは、自分としての経験がまだ浅すぎるのに、神様のすばらしい美と強さをいただいているものですから、すばらしく、自分だけが一番だという、エゴに黒々と染まってしまうのです。自分はすばらしく美しい。それは当然だ。みんな、自分より馬鹿だ。幼い魂は、だれしも、そう考えてしまいます。

それは一面、そうでなければ、幼いものは、生きていけないからなのですが。しかし、それはあくまでも、仮の「自分」。まだ自分で、自分をやることができない、幼い「自己」のために、神様がくださる、仮の「自己」なのです。

つまり、エゴは、魂の幼いときに特に濃く生じる、自我の、現象のひとつなのです。
幼くて弱いのに、神のように美しく強いものをもっているものですから、本当に、自分のことだけしか考えずに、自分以外のものはみな、殺してしまいます。その弱さと、恐ろしさを、神の愛の衣で、守ってくれている。それが、エゴなのです。

わたしたちはみな弱く、未熟ですから、エゴをすっかり脱ぎ捨てることはできません。しかし、エゴの実相を見抜き、本当の自分に目覚めるとき、エゴのバランスを取りながら、自分として正しく生きることができます。それができるようになって初めて、「自分」として、「おとな」になったということです。

しかし今は、これができない人間が多すぎる。幼いエゴをむき出しにして、生物的自己保存欲のみで生きているのかと思うような人に、最近よく出会う。

今、人間は、近現代の人間疎外の時代を経験し、魂の中で分裂した自己の懊悩を経験し、本当の自分とは何かと目覚め始めている。もはや、子供ではない。そういう自覚をもった、「本当の自分」が、たくさん出てきている。

エゴとは、自分の弱さ小ささを守るために、他から借りてきた仮の自己なのです。それは、本当の自分ではないのですが、幼いうちはそれを本当の自分だと思っています。けれども、真実の自分に目覚めたとき、それが神の愛だとわかったとき、とんでもなく、美しいと、感じるのです。あまりにも、すばらしい。この世界は。自分というものは。

その真実がわかるようになるまで、神が守ってくれていたのだという、その名残が、エゴの残像です。それは、自己存在に、たぶん、永遠に記される、愛の記憶です。

エゴイスティックな自分に、浸りきって生きている人間は、もはや、人間とは言えません。それは、人間以前の存在です。人間はもう、本当の自己に気づいたのですから。

自分の、エゴと、向き合ってみましょう。それはどんなものか、見てみましょう。恐竜のように恐ろしく強いものが、自分だと思っている人は、恐竜から、自分を借りたのです。それを、ずっと、自分にして、生きて、弱い本当の自分を守ってきたのです。そしてそれがわかったら、その鎧を脱ぎ、こんどは本当の自分と向き合ってみましょう。それはどんなものか。すばらしく、美しいと感じれば、もう、始まっています。

新しい自分が。

 

 

 

 


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くまさん

2008-09-24 10:07:32 | こものの部屋

やれやれ、朝から三連発です。今、頭の中をビーストの嵐が吹きまくっているので、今日はまた更新があるかもしれないです。

いろいろ書きまくっていますが、読者の方々には、好評のようです。アクセス数だんだん増えてきてますし。おもしろいんでしょうね。滅多にだれも言わないようなことを、関西弁でおかしく書いているからでしょう。これが、標準語なら、とても読めません。

ところで、今日の方眼編みは、かわいいものの定番である、くまさんです。リボンとボタンをつけて、ぬいぐるみのようにしてみました。

でも、末息子に見せたら、「これねずみだ!」といわれてしまいました。気に入ったらしく、ちょうだいというのであげたのですけど、ねずみに見えるかな? くまさんのつもりなんですけど。わたしもお気に入りだったので、あとでもう一つ同じのを編もうと思ってます。くまさんの模様は、好きだという人が多いですね。見るだけで、なんだか、安心するからかなあ。

くまさんは大きくて、すっぽり包んでくれそうだからかな。やさしくて、大きい、おとうさんのようだからかな。昔から、女の子が、くまさんを好きなのは、大きくてつよくて、やさしい男の人のイメージがあるからでしょうね。

現実的には、そんな男性は、滅多にいませんものね。ふう。(と、ちょっと厳しいのは、最近いろんなことがありすぎるからなんですけど。)

現代では、子供をあまりしからなくなりましたから、痛いことやつらいことをあまり経験しないまま大人になる人が増えて、なんでも人にやってもらって当たり前という子供みたいな男性が増えて、その分、女性が苦労しているからでしょう。

悪いことをしたとき、自分が悪いということを、一度もわからないまま大人になったら、いっつも自分が正義だということにしなければいけないので、ずっと、嘘ばっかりでいかなくてはならなくて、どうしても、周りが大変になってしまいます。周りの人に、なんでもやってもらって、自分が正しいにしてもらって、えらいにしてもらって、なんとか男を保てる男性ばかりになってしまった。そんな時代になりましたね。

悪いことをしたとわかったら、それを取り戻すべく、ちゃんとやるべきことをやらねばなりません。そういうことを、子供のころから教えるということが、なくなりました。大人が、子供を怒らなくなった。子供はなんにもわからないまま、なんにもしないまま、なんにもできないまま、大人になって、いつもだれかにやってもらって、なんにもしないまま生きていく。それで、壁にぶつかったとき、何もできないで、逃げる。

苦しいとき、なんとかしてくれる、強い大人、強い男性が、いなくなりました。今は男性にとって、もっともひどい不毛の時代。女性にとっては、一番つらい時代。

くまさんのようにやさしく、厳しいことに立ち向かい、大切なことをちゃんとやってくれて、それで誰知られることなく、普通にひょうひょうと生きている男性。そういう人、昔はかなりいたように思うのですけど。

最近は、目立ってカッコイイってことばっかり追いかける、子供みたいな男性ばかりになりましたね。

厳しいことやつらいことにぶつかったとき、どうしたらいいのかを、子供の頃にまるで勉強していない人が増えたので、大人になってから、それを教えねばなりません。やれやれ。

馬鹿が恥かしくて、なんもできないという人は、落ちるばかりです。とにかく、恥ずかしいということに耐えるということを、勉強せねば。

いやだ、というわがままを、抑えなければ。それが始まりです。

こういうのは、教育というより、しつけですね。男の子は、まったくしつけられていません。

ほんとに、大変です。

馬鹿だ、と言われたら、やっつけてやるっておもわずに、まず、耐えなさい。

でないと、人の気持ちがわからなくなって、大人になって大事なときに、絶対につまずくんですよ。なぜなら、ここぞっというときに、必ず、相手の人の気持ちをくじいてしまうからです。そして友達をなくして、だめなことになってしまうのですよ。

くまさんは強いけれど、つらいときはじっと耐えているんですよ。我慢ならないほどひどいときも、自分でなんとかしてるんです。だから、大切なことは、心なんだと、わかるんですよ。それがわからないと、ほんとの男にはなれないの。

くまさんに学びなさい。





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ビーストはばれる

2008-09-24 08:40:49 | フェアリィウィスパー

なんでこんなことんなっても、まだやってるかっていうと、馬鹿が、恥ずかしいからです。馬鹿が、恥ずかしいからです。

いたいことなんでもやって、おれがつれえんだってことにして、馬鹿にしてばっかりで、なんもやったことないんですよお。

いてえこと、つれえこと、なんもやってないんですよお。なんもできねえんです。ばかっていわれるんですよお。できねえから。おれ。どうしても、つれえから。あほだから。いやなことんなるのよお。まわりはできるの。ばかにならんの。だってやってるから。あほがわかってるから、なんでもできるんだよ。

いてえことやってるやつは、なんでもはいっていってやって、それでいいことんなるってこと、わかってんの。ほれでね、なんでもやって、いいやつになって、いいことんなるのよ。ほれがつれえのよお。おれはそれできねえから、ばかっていってばかにして、みんなだめにして、だめんなるから。ほれでつらくて、みんな馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にしまくって、絶対におれがえらいんだにしたかったんだよ。馬鹿がえらいにしたら、みんながあほんなって、おれはなんもやらなくていいからさ。なんもやらねえやつが、えらいにしたかったんだよ。ほしたら、おれが勝つからさ。つらいんだよ。おれ、みんな馬鹿にして、おくれをとったから。みんなのほうがずっと勉強して、えらくなったから。

ずっとそればっかり。ずっとそればっかり。おれたちはなんもしねえの。なんもできねえの。ずっとやってもらってんの。だってできねえからさ。おれ、やらねえからさ。つらいっていって、ばかっていって、にげるからさ。おれ、ばかなんだ。つらいんだ。あほなんだ。いたいんだ。あほまるだしだ。

とんでもねえことんなって、とんでもねえことんなって、あほみたいにつれえことんなって、すごいことんなって、じっさいもう、ぜんぶだめなんだよ。ほれなのに、まだやってやるって言ってんの。馬鹿は、まだ馬鹿にしてやるって言ってんの。なんでって、あんまりだって言うのさ。こんなのあんまりだって。あほみてえにつれえのに、なんでこんなにつらいんだってさ。いやなんだってさ。ばかだよ。

つうらあすうぎいるうのお。おれたちがえらいんじゃなきゃ、これ、つらすぎるんだよ。おれら、こんなの、できるわけねえんだよお。さんまんねんはええことやったの。おれたち、できるわけねえことやったの。ほれ、ばかにしまくって、みんなだめにして、あほみてえにつれえことして、ぶち殺しまくったってことなのよ。ぜんぶやったの。

おれら、ひでえかっこええもんになったつもりで、ぜんぶやったの。ばっかにしまくったの。あほやりまくったの。ほれでいけるにしてたの。ぜんぶいけてたからさ。でもほれ、ぜんぶあほなの。みんながなんとかしてくれてたからさ。

ぶちまけてやるよ。おれらがいけてるように見えてたのはね、馬鹿になるばっかりなやつが、いてえことになりすぎないように、みんなで裏から助けてくれてたってことなのよ。おれら、馬鹿なの。みんなやっててくれたの。ほれでね、おれら、すげええらいもんになったつもりだったのよ。勝ったつもりだったのよ。あほはすげえっていってたのよ。ばかか。


いてえのよ。ぜんぶあほにしたら、たっぷり馬鹿になってんの。おれたち、まだできねえっていってんのよ。あほがいいっていってんのよ。あほだったら、みんながやってくれるからさ。餓鬼だったら、みんなが助けてくれるからさ。おれらけっきょく、たあすけてくれえって、いってんのよ。できないよおってさ。いたいよおってさ。あほだよおってさ。いやだもう。あほは。

どうしたらいいか、わかんねんだよお。なにしたらいいかも、わかんねえんだよお。やってもやっても、あほだって、できねえんだよお。いたいんだよ。いたいんだよ。いたいんだよ。

ばかはなんもやってねえから、いたいっていって何もしねえのは、何したらいいかもわかんねえほど、勉強してねえのよお。いかげん、あほだよ。つらいよ。できねええんだよおおおおおお。

いやだよおおおおおおお。

これが馬鹿さ。でーきーねーかーらーー、あほっていうんだよ。つれえっていうんだよ。いたいっていうんだよ。

いやなんだ。馬鹿は。かっこ悪いから。できるやつは、かっこええから。おれらはみな、うらやましいんだ。できるやつが。で、なんもしねえんだ。馬鹿だから。全部、いやだ。おれは。だって、おれが、馬鹿になったから。

いいたあいいいいい。



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変わりアゲハ

2008-09-24 06:56:02 | 詩集・貝の琴


雨に濡れて
はねのもようが
すっかり変わってしまいました
わたしのはね
ぼろぼろの
変なはねになりました

ばかなこと やったからです
たくさんやりました
ほんとにばかでした

でも しあわせです
いまは ちゃんとわかってますから

みっともないはねだけど
お花は きれいだねって
いってくれますよ
まだちゃんと飛べますし
飛びたいんです
たのしいんですよ
しごとをするのが
だってわたしは
お花とおしゃべりするのが
しごとだもの

いろんな ばかなこと
いっぱいやりました
みんな かみさまに
お返しします

りっぱにやっていきます

 


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