さっきまで横になっていたのですが、その間も、ビーストは常にわたしにささやき続けます。いたい、いたい、いたい、つらい、つらい、つらいと、言いながら、これまで自分のやってきたことを、自ら暴露し続けています。
彼らのやることは、とても幼稚です。たとえば、ある女性が、かわいい布を使ってきれいな小物を作ったりすると、それに嫉妬して、それを馬鹿なもの、いやなものにしようとします。本当に、馬鹿です。そのやり方は、その小物を、馬鹿なものにしたい、というだけなのです。そうすると、人はそれが馬鹿なものに見えて、いつの間にか、馬鹿なものにしてしまうのです。そして人は、自分は馬鹿なことばかりするなと、思うようになり、とても、生きることが苦しくなるのです。
ビーストはこのように、あらゆるものを馬鹿にしてきましたが、しかし最近では、それができなくなってきています。それは、やりすぎてしまい、限界を超えてしまったからです。
ビーストが馬鹿にすると、それがかえって、いいものになってしまうようになったのです。なぜなら、ビーストが馬鹿にするものは、みんないいものだと、みんなにばれてしまったからです。ですから、ビーストがいやだとか、馬鹿だとかいってしまうものは、立派ないいものだということになってしまい、ビーストが馬鹿にすればするほど、いいものになっていくのです。
とんでもないことになったと、ビーストはいいます。どんなに馬鹿にしても、だれも、なにも、馬鹿にならないのです。かえって、いいことになっていくのです。ずっとやってやるといって、馬鹿にしまくってやるといって、やってやってやってやるといって、やりまくると、とんでもなく、すごく、いいことになってしまうのです。馬鹿みたいだといいながら、それでも、ビーストは、馬鹿にすることをやめられません。馬鹿になれ、馬鹿になれ、馬鹿になれと、ずっと言い続けています。そして、馬鹿にされたものは、どんどんよくなっていくのに、ビーストはどんどん馬鹿になっていくのです。あまりに、ひどいことになっていくのです。
ごっついことになったと、ビーストは呆然としています。全部だめになったと。馬鹿をやり続けていれば、こんなことになるのかと。あきれるほど、つらいと。
いやなことにしたいの。と、彼らは言います。いいやつがいいことになるのは、絶対にいやだからと。そうすると、いいやつがいいことに、絶対になっていくのです。それがいやで、もっとやれば、もっとよくなっていくのです。それがいやで、もっともっとやろうとします。もっともっとよくなってしまうのです。苦痛だ、苦痛だと繰り返しながら、ビーストはまだやります。阿呆のように、繰り返します。馬鹿だといいながら、やめられないのです。やればやるほど、よくなってしまうからです。
あんまりだ、と彼らは言います。全部あほだ。いたい。
金輪際いやだといって、彼らは、決定的にいやなことをしようとします。そうすると、がつんと、跳ね返されてしまいます。なぜというに、人間が、強くなったからです。ビーストにひどい目にあわされて、屈辱をしのび、あらゆることをなんとかしてきた人間たちが、いつの間にか、大きく成長し、強くなってしまったからです。ですから、ビーストが、とてもかなわなくなってきたのです。ビーストは、幼い段階のまま、成長することをやめ、つらいほど人を馬鹿にすることで、えらくなろうとしてきたからです。すべて、嘘と盗みでやって、自分は何もしてこなかったからなのです。
馬鹿だ、こんなもの、とビーストはまだ言います。痛いほど馬鹿だと。つらいわ、みんないやなもんばかりだと。それはすなわち、人間はすばらしいと、言っているのです。
彼らは、あらゆるものを馬鹿にしながら、あらゆるものを、祝福しています。
人間はみんな永遠に馬鹿になれと、彼らが言えば、人間はみんな永遠にすばらしいものになれ、という意味なのです。
ですから、人間はこれからも、すばらしいもので、あり続けます。
すべては、愛だからです。