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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ビーストは祝福する

2008-09-04 13:24:39 | フェアリィウィスパー

さっきまで横になっていたのですが、その間も、ビーストは常にわたしにささやき続けます。いたい、いたい、いたい、つらい、つらい、つらいと、言いながら、これまで自分のやってきたことを、自ら暴露し続けています。

彼らのやることは、とても幼稚です。たとえば、ある女性が、かわいい布を使ってきれいな小物を作ったりすると、それに嫉妬して、それを馬鹿なもの、いやなものにしようとします。本当に、馬鹿です。そのやり方は、その小物を、馬鹿なものにしたい、というだけなのです。そうすると、人はそれが馬鹿なものに見えて、いつの間にか、馬鹿なものにしてしまうのです。そして人は、自分は馬鹿なことばかりするなと、思うようになり、とても、生きることが苦しくなるのです。

ビーストはこのように、あらゆるものを馬鹿にしてきましたが、しかし最近では、それができなくなってきています。それは、やりすぎてしまい、限界を超えてしまったからです。

ビーストが馬鹿にすると、それがかえって、いいものになってしまうようになったのです。なぜなら、ビーストが馬鹿にするものは、みんないいものだと、みんなにばれてしまったからです。ですから、ビーストがいやだとか、馬鹿だとかいってしまうものは、立派ないいものだということになってしまい、ビーストが馬鹿にすればするほど、いいものになっていくのです。

とんでもないことになったと、ビーストはいいます。どんなに馬鹿にしても、だれも、なにも、馬鹿にならないのです。かえって、いいことになっていくのです。ずっとやってやるといって、馬鹿にしまくってやるといって、やってやってやってやるといって、やりまくると、とんでもなく、すごく、いいことになってしまうのです。馬鹿みたいだといいながら、それでも、ビーストは、馬鹿にすることをやめられません。馬鹿になれ、馬鹿になれ、馬鹿になれと、ずっと言い続けています。そして、馬鹿にされたものは、どんどんよくなっていくのに、ビーストはどんどん馬鹿になっていくのです。あまりに、ひどいことになっていくのです。

ごっついことになったと、ビーストは呆然としています。全部だめになったと。馬鹿をやり続けていれば、こんなことになるのかと。あきれるほど、つらいと。

いやなことにしたいの。と、彼らは言います。いいやつがいいことになるのは、絶対にいやだからと。そうすると、いいやつがいいことに、絶対になっていくのです。それがいやで、もっとやれば、もっとよくなっていくのです。それがいやで、もっともっとやろうとします。もっともっとよくなってしまうのです。苦痛だ、苦痛だと繰り返しながら、ビーストはまだやります。阿呆のように、繰り返します。馬鹿だといいながら、やめられないのです。やればやるほど、よくなってしまうからです。

あんまりだ、と彼らは言います。全部あほだ。いたい。

金輪際いやだといって、彼らは、決定的にいやなことをしようとします。そうすると、がつんと、跳ね返されてしまいます。なぜというに、人間が、強くなったからです。ビーストにひどい目にあわされて、屈辱をしのび、あらゆることをなんとかしてきた人間たちが、いつの間にか、大きく成長し、強くなってしまったからです。ですから、ビーストが、とてもかなわなくなってきたのです。ビーストは、幼い段階のまま、成長することをやめ、つらいほど人を馬鹿にすることで、えらくなろうとしてきたからです。すべて、嘘と盗みでやって、自分は何もしてこなかったからなのです。

馬鹿だ、こんなもの、とビーストはまだ言います。痛いほど馬鹿だと。つらいわ、みんないやなもんばかりだと。それはすなわち、人間はすばらしいと、言っているのです。

彼らは、あらゆるものを馬鹿にしながら、あらゆるものを、祝福しています。

人間はみんな永遠に馬鹿になれと、彼らが言えば、人間はみんな永遠にすばらしいものになれ、という意味なのです。

ですから、人間はこれからも、すばらしいもので、あり続けます。
すべては、愛だからです。

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夏のおさらい・4

2008-09-04 09:29:06 | 箱庭写真集


今日のは、あまり写真がよくありません。ピントも構図も、中心がどこかぼけて、不安定です。それはわたしが、ほんとに調子が悪かったから。

いろんなことがありすぎて、麻痺状態を保つことも苦しく、とても大変だったとき、とにかく何かをして自分を力づけようと、近所に出かけて撮った写真です。実情は、苦しいという暇さえもなく、ほんとはとっくに死んでいるのを、どこか深いところから、神様が無理やり生かしてくれているという感じでした。自分では、まったく生きているという感じがしなかったのです。




近所の駐車場の隅に植えられていた、ひまわり。馴染みの花で、よく挨拶するんですが、苦渋に満ちています。どういうことになっているからが、これを見たらわかるという写真です。ひまわりは強い花ですが、一方でとてもやさしい。痛いことをしてくれる反面で、その責任をすべて自分で背負おうとしてくれる。その花が、絶望的に凍りついている。

自分の力を超えた選択をしなければならない状況にある。ここでひく選択も許される。だけれど、ひまわりは逃げられない。そういう花ではないから。ひまわりは、もうひまわりではなくなるような選択をしている。そしてそれをやっている。

自分の力ぎりぎりの限界は、もうとっくに超えている。愛だけでやっている。

前後しますが、トップの画像は、近所のスーパーに売っていた、ハイビスカスです。親切な店で、わたしが花の写真を撮ることを、いつも快く許してくれます。

ハイビスカスは強い花。できることは何でもやってくれる。人間を、いちばんやりやすいところで、助けてくれる。わたしが苦しんでいたとき、その苦しみが、絶対に少なくなるように、たくさんのことをしてくれていました。

花芯が、まるでビーム砲のようだ。いやなものを徹底的にやっつけてくれているみたい。見ているだけで、ほっとします。とても頼りになる。愛だけで、やってくれている。こんなこと、とても見ていられないからと。



これは、イヌホオズキの、若い草。近所の空き地の、草を刈ったあとに、生えてきました。援軍です。助けにきてくれたのです。

そういってるでしょう。イヌホオズキは、道端に生える雑草の類で、あま人の目にとまらない花ですが、とても強い、美しい花なのです。ひどいことになっている人間を、見ていられないといって、かけつけてくれる花なのです。

気がついている人はまれでしょうけれど、本当につらいことがあるとき、苦しすぎることがあるとき、庭の隅や、近くの道の隅に、この花が、いつの間にか生えてきているんですよ。本当です。いつかしら、気づくでしょう。まだ小さい芽のころから、はっとします。とても強い草が生えてきたと感じる。そして、見るだけで、力が出てくるような気がするのです。

大変だね。まったくひどいことになってるね。いいよ。助けてあげるよ。そういって、きてくれるんです。

本当に美しい花は、こんなふうに、何気ない、小さな目立たない花になって、いつでもどこでも、かけつけていけるように、強い雑草になって生きているのです。


空。すべてを見てくれている。
わたしにできることは、ただ耐えるだけでした。そのことすら、多くの荷を、だれかがかついでくれていた。もはや、自分だけでは耐えられるはずもない嵐でしたから。

みんなが助けてくれていた。苦渋に満ちた選択を、次々と飲み込みながら、すべてをやっていこうと。

愛はすべてをやっていくのだと。

 

 


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