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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

あだしのに

2008-09-23 14:12:53 | 歌集・恋のゆくへ

 


   あだしのにましろなるものくだりきぬちよろずにわくわたつみのいを






   はなぐしをゆんでにわりてめてにとるあまくだりこしにひくさのべに




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風船のアン

2008-09-23 10:13:50 | こものの部屋

朝から夢見が悪く、さっきまで寝ていました。体中が、何かに虫食われているように不快で、忍耐をするのに技術がいりました。

最近、「おんなのこ」について考えさせられることが多いのです。わたしの周りで、それに関する苦しみが多く生じているものですから。とても苦しくて、いろんなことをして、なんとか自分を支えています。この方眼編みもそうなんですが。

アンの絵を編みたくて、お下げ髪にしてみたのですが、鞄を持たせようとすると、絵が重くなる気がして、ハートの風船を持たせてみました。そうすると、とてもかわいらしくなりました。

アンは、世界中の女性にとって、ひとつの理想的なタイプと言えるでしょう。すばらしい感受性とやさしさと行動力を備えた女性、そんなに美人じゃないのに、とても魅力的で、人を引き付ける。そんなおんなのこは、けっこういますね。

目立たないところで、しっかりとやるべきことをやっていて、みんなのためにがんばっている人。そんなにきれいっていうわけでもないのに、なんであのひとがきれいに見えるんだろうってかんじの、かわいい人。

うつくしさって、なんでしょうね?
女性っていうのは、いったい何でしょう?

ひとが、「おんな」というとき、それは、おとこをだますおばけのようなもの、という意味合いを含んで、とてもいやな感じがします。わたしもあまり好きじゃない。「じょせい」といわれるほうが、まだましです。それでも、きつい感じがする。それは、「女」ということばに、たくさんの人が、ありとあらゆるいやな意味を吹き込んだからでしょう。

「女」として生きることは、とんでもなくつらい。あらゆる侮辱に、馬鹿になって耐えねばならない。この世で「美しいもの」をやらねばならないということは、おそろしい侮辱を忍耐せねばならないということで、それは生半可にできることではない。

わたしはよく、「男らしく、女をやる」ということを言うんですけど、ほんとに、男らしく、潔く、強くなければ、女性はやれませんよ。

男ならば、すべては「俺だ」ということで、自分を前面に出して、何もかもを自らの名のもとにやっていくことができる。けれども女性は、その自分を半眼に弱め、すべてを神の名のもとに美しくやっていかねばならない。女性がやっていることは、「自分」というよりも、「神」がおやりになっていること、という意味合いが強い。

つまりは、神の真実が、この世に滴った形が、「女」なのです。すばらしい「男」というものを、なんとかして育てたい。そういう神の愛が、この世に形作ったもの。それゆえに美しいもの。美しすぎるもの。ただ愛のみで神がおつくりになったもの。それが女性というものでしょう。

これは、「男」が、馬鹿になって、なって、なりきって、ようやくやれるものです。だって女性は、愛のために、ただ愛だけで、なんでもやってしまうのだもの。

理想的な女性は、女神様でないとできません。美しすぎるから。人間はみな、勉強中です。


かわいらしいアンが、ちょうどいい。

冒険好きで、いろんなことを楽しくやって、みんなを明るくする。びじんじゃなくてもいいから、かわいくなりたいな。そんな子がいい。

でも、そんなかわいいおんなのこ、最近では見なくなりました。

みんな、見栄えばかり飾って、大事なことを忘れてる。

ほんとうのおんなのこ、どこにいるのかな?




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ビーストは盗む

2008-09-23 07:20:24 | フェアリィウィスパー
ものすごい現実を、見せられています。こんなことがあるのかと、呆然としています。

おそろしい女性のビーストです。こんなものまでいるのかと、驚いています。

彼女たちは、原始の原始の昔に、学ぶことをやめた魂です。美しさだけで、すべてをやろうとして、あまりにも愚かな方法で、そればかりで生きようとしてきた女性です。

美しければ、みながいいことをしてくれると思い、人から皮を盗み、いい目ばかり見ようとして、あまりにも原始的な愚かなことばかりしているのです。男性を捕まえようと、とてもあからさまな手を使うので、男性からは恐ろしがられ、逃げられ続けています。馬鹿な女性だというレベルではありません。ほんとうに怖い。彼女たちのやっていることは、自分を美しくして、男をつかまえること、それだけなのです。そのためにやっていることは、まるで原始的です。人間のやっていることとは、とても思えないのです。

原始の原始の段階で成長をやめた女のビーストたちは、あまりにも愚かでプリミティヴな方法で女性をいじめています。それをここに書くことは苦しいので、書けません。あまりにも、直接的、そのままの、方法です。彼女たちのせいで、女性は確かに、苦しいことにはなっています。しかしそれは、あまりにも辛いことなので、別にどうということもないという感じで、みなが通り過ぎていくことです。そういうことを、ずっとやってきています。

彼女たちを見ていると、美を盗むことは、火を盗むことに匹敵するほど、恐ろしいことだと思われます。とても見られない。女性がこんなものだと思うと、あらゆることが苦しくなる。あまりにもつらい。

これらのことは、いずれ、暴かれるそうです。恐ろしく愚かな女性たちのやってきたことが、どんなことだったか、皆にわかるようになるそうです。それを知るとき、女性は恐怖で震えあがるでしょう。男性はあまりに苦しいと思うでしょう。

それは女性ではなく、女性以前のものです。そのものたちは、女性になる前に、女性の美しさにひきこまれ、それを盗むことによって、いい目に会おうとした、原始の魂なのです。

美が、本当にいいものだとわかったとき、それをあまりに原始的な方法で得ようとして、恐ろしく罪深い馬鹿になったのです。

美とは、いったい何でしょう? なぜ人は美しいものにひかれるのでしょう。

それは、神に似ているからです。自分たちを愛し、あらゆるものを与えて下さり、すべてをやってくださる、神に似ているからです。

わたしたちもまた神を愛し、神のためにはなんでもしてあげたいと思うのです。

わたしたちが美しいと思うものは、すべて、神よりきているのです。神が、どんなにか美しいことを、すべてやって下さり、そのために、わたしたちが幸福だからです。

大好きな神様に似ている、それは、正しいことを、ずっとやってきているということなのです。だからこそ美しい。美しいもののために、なんでもやってしまいたくなるのは、神が、わたしたちのために、あまりにも大きなことを、ただ愛でのみやってくださっているからです。

愚かなビーストは、それを盗んだのです。

それは決してやってはならないことです。それをやったがために、もはや弁解できないところまで、恐ろしいことになっている。

美を裏切ったがために、人類が破壊されているのです。

賢い人は、この事実から、学ばねばなりません。

美とは、神なのです。





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