雪の少ない冬は、寒い。雪が降った方が最低気温は上がるんです。特に翌日が晴れの日は、夜間に放射冷却があるので、凍てつく寒さになります。そんな日に妻女山を歩いたのですが、午前10時というのに気温は-1度。長坂峠までは北面なので、-3度ぐらい。カーブは凍結していて、スタッドレスでも登れません。去年のような豪雪がないといいのですが。なんて書いていたら、もの凄い牡丹雪が降り出しました。これは明朝は雪かきでしょう。しかも湿雪なので重い。やれやれです。
妻女山招魂社奥の広い駐車場に車を止め、右手の林道を登ること15分。長坂峠まで来ると南面はほとんど雪がありません。陣場平に向かって凍結した林道を歩いて行くと、突然檜林の中からシュッ!という威嚇音が。ニホンカモシカです。シロの双子の子供の兄妹の兄のプレット(黒)でした。妹のブランカ(白)は、夏毛になると、ヤギのように白くなりますが、プレットは冬でも夏でも顔だけが白く、対照的です。それにしても大きくなりました。もうパートナーを見つけて交尾する年齢でしょう。昨年の10月に、長野市のサイトで妻女山で熊の目撃情報がありましたが、彼でしょう。向こうを向いて地面の何かを食べていると、熊に見えます。10月に熊は、この辺りには出没しないからです。私も、ドキッと驚かされたことが幾度もあります。
彼と別れて堂平大塚古墳へ。古墳の南斜面に、そろそろ福寿草が咲く頃と思いやって来ました。咲き始めのものがいくつか見つかりました。満開になると、パラボラアンテナの様に、太陽に向かって花びらを開きます。死に至る毒草なので、注意が必要です。誤って食べると、呼吸困難や心臓麻痺を引き起こします。
最も早く蕗の薹(とう)が出る林道へ行ってみましたが、やはりまだでした。1月下旬でしょう。でも、裏の畑の一角では、もう出始めました。おしぼりうどんに合わせる天ぷらの材料にと、11個ばかり採りました。春の山菜の苦味は、熊やニホンカモシカも食べるデトックス(解毒)の食べ物です。帰りに斎場山(旧妻女山)へ。斎場山古墳ともいうという標識があり、五量眼塚古墳とあるのですが、斎場山古墳が正式名称で、五量眼塚古墳は、数ある俗名のひとつに過ぎません。丸い円墳の山頂は、上杉謙信が川中島合戦の時に、本陣にした場所と云われています。近年は、歴史マニアや歴女がよく訪れます。山頂からは、獣害対策で除伐されたために、飯縄山や戸隠連峰が見えるようになりました。眼下には、千曲川と川中島が広がっています。
そこから西へ下ると、林内に落葉松の倒木の穴に出来た猪の巨大なヌタ場があります。凍結していました。猟で追われると、冬でもこの氷を割って体を冷やすのですが、140キロのオスが捕まってしまって、今は小さなメスと子供しかいないので、氷風呂は使われていないようです。その先の御陵願平へ。ここは、武田信玄に焼かれるまで、古代科野国の産土神である会津比売命を祀った神社があったと伝わる場所です。現在は、この下の薬師山トンネルの裏にひっそりと佇んでいます。山を下ります。6番目のカーブはこんな感じで、轍は完全にアイスバーンになっています。ここに降雪があるとまた滑ります。春先に溶けて凍結して雪が降ると、キャタピラーでも滑るほどです。
妻女山展望台奥の招魂社。正式には、「妻女山頭鎮座松代招魂社」といいます。明治の村誌には、そう記されています。ここは日当たりがいいので、雪はほとんどありません。左後方には、茶臼山も見えます。夏には、神社の瓦屋根にオオムラサキがたくさん留まって昼寝をしています。時には、塩分を求めて汗をかいた指先に留まることもあります。
帰路に撮影した陣場平。斎場山の後で、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。100m四方はあるでしょうか。ここは昔薬草畑だったので、4月中旬すぎには編笠百合(貝母)が咲き乱れます。しかし、林道の50mぐらい奥なので、知る人はわずかです。ここも藪になって絶滅しそうだったのですが、私が2年ぐらいかかって除伐し、蘇らせたものです。野生動物の溜まり場でもあります。
中は妻女山展望台後背の赤坂山古墳。善光寺大地震の慰霊碑があります。妻女山展望台は、私が長野市に要請して、周囲の高木を切ってもらいました。なにせ大きくなりすぎて何も見えなくなっていて、観光客からたびたび苦情を言われていたのです。コナラは、かなり上で伐採されているので、蘖(ひこばえ)が盛んに出てくるでしょう。樹木は、必ずしも伐採がその木の終わり(死)ではないのです。
展望台から見る長野パルセイロの新スタジアム。千曲川の堤防上を走っていても、このスタジアムと二階席はよく見えます。2月末に完成の予定で、内覧会も行われるそうです。なでしこジャパンの国際親善試合も決まって、あとは完成を待つばかりです。
展望台から見る戸隠連峰。標高は低くても有名な蟻の戸渡りなど、修験の厳しい山です。戸隠忍者発祥の地でもあります。ちびっこ忍者村には、息子達が小さい頃連れて行きました。忍者屋敷が面白かったですね。
その右には飯縄山。ここも山岳信仰の修験の山で、飯縄権現は高尾山の薬王院がそうですね。烏天狗というのは、古代にイスラエルからいなくなった11部族のひとつが流れ着いたものとも云われています。飯縄権現は、上杉謙信も武田信玄も信仰した、戦の神様です。皆自分に都合のいいように祈ったわけです。また、飯縄山では修験者がこれで飢えをしのいだという「天狗の麦飯」が有名なんですが、中部地方の火山地帯に産生する微生物の塊のことで、藍藻・細菌・菌類の複合体といわれています。ただ、詳細はまだ分かっていないのです。藍藻が主体の様ですが、粘菌(変形菌)の可能性はないのでしょうか。
そのずっと右に高社山。左にMウェーブが見えます。高社山を境に、北と南で天候が激変します。麓の白い所は、葡萄、桜んぼ、桃、林檎などの果樹園です。
昨秋は、柿が大豊作だったので、柿酢を仕込みました。桶に入れて和紙で蓋をし、たまにかき混ぜるだけです。年を越して熟成したので絞りました。白いゼリー状のものができるのですが、なんでしょうね。これは、酵母菌のコロニーだそうです。柿酢は2リットルほど出来ました。柿酢は、高血圧や心臓病、二日酔いや生活習慣病に非常に効くというので、料理はもちろん、色々利用してみようと思います。
最後に、昨日の埼玉スーパーアリーナでのベビーメタルのライブ◆BABYMETAL <LEGEND“2015”~新春キツネ祭り~> は、内外から2万人の大観衆を集め、大成功だったようですね。彼女達の今後の活躍に期待します。
◉[BABYMETAL] 矢沢もヒッキーも成し得なかった世界へのハードルを軽々と超えてしまった美少女達(この記事へのアクセスが増えていることでも、注目度の高さが分かります)
妻女山招魂社奥の広い駐車場に車を止め、右手の林道を登ること15分。長坂峠まで来ると南面はほとんど雪がありません。陣場平に向かって凍結した林道を歩いて行くと、突然檜林の中からシュッ!という威嚇音が。ニホンカモシカです。シロの双子の子供の兄妹の兄のプレット(黒)でした。妹のブランカ(白)は、夏毛になると、ヤギのように白くなりますが、プレットは冬でも夏でも顔だけが白く、対照的です。それにしても大きくなりました。もうパートナーを見つけて交尾する年齢でしょう。昨年の10月に、長野市のサイトで妻女山で熊の目撃情報がありましたが、彼でしょう。向こうを向いて地面の何かを食べていると、熊に見えます。10月に熊は、この辺りには出没しないからです。私も、ドキッと驚かされたことが幾度もあります。
彼と別れて堂平大塚古墳へ。古墳の南斜面に、そろそろ福寿草が咲く頃と思いやって来ました。咲き始めのものがいくつか見つかりました。満開になると、パラボラアンテナの様に、太陽に向かって花びらを開きます。死に至る毒草なので、注意が必要です。誤って食べると、呼吸困難や心臓麻痺を引き起こします。
最も早く蕗の薹(とう)が出る林道へ行ってみましたが、やはりまだでした。1月下旬でしょう。でも、裏の畑の一角では、もう出始めました。おしぼりうどんに合わせる天ぷらの材料にと、11個ばかり採りました。春の山菜の苦味は、熊やニホンカモシカも食べるデトックス(解毒)の食べ物です。帰りに斎場山(旧妻女山)へ。斎場山古墳ともいうという標識があり、五量眼塚古墳とあるのですが、斎場山古墳が正式名称で、五量眼塚古墳は、数ある俗名のひとつに過ぎません。丸い円墳の山頂は、上杉謙信が川中島合戦の時に、本陣にした場所と云われています。近年は、歴史マニアや歴女がよく訪れます。山頂からは、獣害対策で除伐されたために、飯縄山や戸隠連峰が見えるようになりました。眼下には、千曲川と川中島が広がっています。
そこから西へ下ると、林内に落葉松の倒木の穴に出来た猪の巨大なヌタ場があります。凍結していました。猟で追われると、冬でもこの氷を割って体を冷やすのですが、140キロのオスが捕まってしまって、今は小さなメスと子供しかいないので、氷風呂は使われていないようです。その先の御陵願平へ。ここは、武田信玄に焼かれるまで、古代科野国の産土神である会津比売命を祀った神社があったと伝わる場所です。現在は、この下の薬師山トンネルの裏にひっそりと佇んでいます。山を下ります。6番目のカーブはこんな感じで、轍は完全にアイスバーンになっています。ここに降雪があるとまた滑ります。春先に溶けて凍結して雪が降ると、キャタピラーでも滑るほどです。
妻女山展望台奥の招魂社。正式には、「妻女山頭鎮座松代招魂社」といいます。明治の村誌には、そう記されています。ここは日当たりがいいので、雪はほとんどありません。左後方には、茶臼山も見えます。夏には、神社の瓦屋根にオオムラサキがたくさん留まって昼寝をしています。時には、塩分を求めて汗をかいた指先に留まることもあります。
帰路に撮影した陣場平。斎場山の後で、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。100m四方はあるでしょうか。ここは昔薬草畑だったので、4月中旬すぎには編笠百合(貝母)が咲き乱れます。しかし、林道の50mぐらい奥なので、知る人はわずかです。ここも藪になって絶滅しそうだったのですが、私が2年ぐらいかかって除伐し、蘇らせたものです。野生動物の溜まり場でもあります。
中は妻女山展望台後背の赤坂山古墳。善光寺大地震の慰霊碑があります。妻女山展望台は、私が長野市に要請して、周囲の高木を切ってもらいました。なにせ大きくなりすぎて何も見えなくなっていて、観光客からたびたび苦情を言われていたのです。コナラは、かなり上で伐採されているので、蘖(ひこばえ)が盛んに出てくるでしょう。樹木は、必ずしも伐採がその木の終わり(死)ではないのです。
展望台から見る長野パルセイロの新スタジアム。千曲川の堤防上を走っていても、このスタジアムと二階席はよく見えます。2月末に完成の予定で、内覧会も行われるそうです。なでしこジャパンの国際親善試合も決まって、あとは完成を待つばかりです。
展望台から見る戸隠連峰。標高は低くても有名な蟻の戸渡りなど、修験の厳しい山です。戸隠忍者発祥の地でもあります。ちびっこ忍者村には、息子達が小さい頃連れて行きました。忍者屋敷が面白かったですね。
その右には飯縄山。ここも山岳信仰の修験の山で、飯縄権現は高尾山の薬王院がそうですね。烏天狗というのは、古代にイスラエルからいなくなった11部族のひとつが流れ着いたものとも云われています。飯縄権現は、上杉謙信も武田信玄も信仰した、戦の神様です。皆自分に都合のいいように祈ったわけです。また、飯縄山では修験者がこれで飢えをしのいだという「天狗の麦飯」が有名なんですが、中部地方の火山地帯に産生する微生物の塊のことで、藍藻・細菌・菌類の複合体といわれています。ただ、詳細はまだ分かっていないのです。藍藻が主体の様ですが、粘菌(変形菌)の可能性はないのでしょうか。
そのずっと右に高社山。左にMウェーブが見えます。高社山を境に、北と南で天候が激変します。麓の白い所は、葡萄、桜んぼ、桃、林檎などの果樹園です。
昨秋は、柿が大豊作だったので、柿酢を仕込みました。桶に入れて和紙で蓋をし、たまにかき混ぜるだけです。年を越して熟成したので絞りました。白いゼリー状のものができるのですが、なんでしょうね。これは、酵母菌のコロニーだそうです。柿酢は2リットルほど出来ました。柿酢は、高血圧や心臓病、二日酔いや生活習慣病に非常に効くというので、料理はもちろん、色々利用してみようと思います。
最後に、昨日の埼玉スーパーアリーナでのベビーメタルのライブ◆BABYMETAL <LEGEND“2015”~新春キツネ祭り~> は、内外から2万人の大観衆を集め、大成功だったようですね。彼女達の今後の活躍に期待します。
◉[BABYMETAL] 矢沢もヒッキーも成し得なかった世界へのハードルを軽々と超えてしまった美少女達(この記事へのアクセスが増えていることでも、注目度の高さが分かります)