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モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

堂平大塚古墳の福寿草。妻女山陣場平の貝母。上杉謙信の陣用水の泉。最初の本陣の斎場山。謙信陣場平布陣図(妻女山里山通信)

2023-02-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 激寒の週末からいきなりの春。予報は最高気温8度でしたが10度を超えました。色々雑用をこなしてから山に登りました。とりあえず妻女山奥の陣場平までは車で。撮影機材や山仕事の道具も積んで行きました。

 2月4日に訪れたときは数輪咲いていただけでしたが、今回は100以上は咲いていました。福寿草は花期が長いのです。3月に入るとミツバチが花粉を求めて訪れます。福寿草は蜜はないのですが、大量の花粉を出します。

 パラボラアンテナの様な花びら。福寿草や水仙、タンポポ、ロウバイにダンコウバイと春の花には黄色が多いですね。啓蟄を過ぎても昆虫はまだ少なく、その虫たちは黄色い花に集まりやすいという習性があります。

 福寿草が群生する斜面。向かい側の堂平大塚古墳の斜面にも群生があります。フクジュソウ(福寿草、献歳菊、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。死亡例もある毒草です。同じ春の水仙とともに要注意の植物です。

 オオイヌノフグリもあちこちで咲き始めました。大犬の陰嚢と書きますが、実の形が犬のタマタマに似ていることからの命名です(実はハート型で似ていない)。天人唐草や瑠璃唐草という別名のほうが優雅ですね。ヨーロッパ原産の帰化植物。

 堂平大塚古墳の紅梅のはちきれそうな蕾(つぼみ)。3月に入ると平年より暖かくなるというので開花も今年は早いかも知れません。

 古墳から西に鹿島槍ヶ岳。眼下に千曲川。

 林道を登ってみました。森林組合が間伐した杉林。明るくなりました。切り捨て間伐で材は搬出しない様です。スギ花粉はまだ飛び始めていません。

 樹間から松代方面。真田信之入部400年で盛り上がった真田十万石の城下町。我が家は秀吉についた真田昌幸の家来だったのですが、なぜ徳川についた信之の松代に定住することになったのか、謎です。武田四天王のひとり、山県昌景の家来だった祖先もいた様です。

 林道の上から陣場平を見下ろしたところ。川中島の戦いで上杉軍が陣地とした平地です。貝母(編笠百合)の群生地は、落葉松林の中と、その向こうの広いギャップです。

 その貝母(ばいも)の芽吹き。毎年のこととはいえ、胸がときめく季節です。今年も大勢の人が訪れてくれることでしょう。満開時にはできるだけ現地にいて説明をしたいと思っています。

 2月最終日はなんと最高気温が17度になりました。4月中旬の気温です。最低気温がマイナス4度なのに。温泉の帰りに堂平大塚古墳へ。その先の谷にある上杉謙信の陣用水と伝わる蟹沢(がんざわ)の泉。昔は沢蟹がたくさんいて祖母に唐揚げにしてもらって食べたものです。しかし、人間は蟹の外骨格のキチン質は分解できないのです。わずかな身とミソが栄養だったのでしょうか。エビ・カニアレルギーの人はアナフィラキシー・ショックを起こす可能性があるのでコオロギと同じく絶対に食べてはいけません。国はコオロギ入をアミノ酸表示やアレルギー表示でごまかそうとしています。補助金を出して国民にコオロギやウジ虫を食べさせようとしています。大量の牛乳を毎日捨てさせて乳牛を殺処分させているというのに。自公政権は狂っていますね。昆虫食に関しては2つ前の記事の最後に詳しく書いています。

 そこから斎場山(旧妻女山)へ。途中から見る陣場平。中央の杉林の右奥に樹高のある落葉松が見えますが、そこが陣場平です。

 川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる斎場山(512.8m)。二段の墳丘裾をもつ古代科野のクニの古墳です。

 円墳なので山頂は丸く平らです。ここに盾を敷き陣幕を張って本陣とし、謡曲を吟じたといわれています。

 武田軍が全軍を海津城に入れてしまったので、本陣をこの陣場平にしたと伝わっています。陣小屋は布陣したときから建て始めていたと思います。上杉謙信はたった3日の布陣でも陣小屋を建てたそうです。前回の撮影からたった一日ですが、貝母はこの暖かさでかなり芽吹いてきました。

川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした斎場山と陣場平へ(妻女山里山通信)『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。(東北大学狩野文庫所蔵:許可を得て掲載)

 スギ花粉はまだ飛んでいません。この杉ぼっくり一つに40万個の花粉が入っています。妻女山の杉は花粉のついた木が少ないので、在京時代の様な酷いことにはなりません。今年はここ10年で最大の飛散量とかで、東京の人は大変ですね。ご自愛ください。

 カラフトししゃもの南蛮漬け。小麦粉をつけて焼きます。人参、大根、玉葱、豆苗にキッコーマンの「しぼりたて生ポン酢」をかけて。半月前に鰯の丸干で作り玉葱ではなく胡瓜にしましたが、ししゃもより丸干しの方が美味でした。豆鯵の唐揚げも美味しいと思います。このポン酢は、柚子、カボス、シークワーサー、すだち、ダイダイなど複数の果実が使われています。種類が多いほうがポン酢は美味ですね。リンゴ酢使ってるのもいい。これを使って酸辣湯麺を作っても美味しい。

 友人にもらったリンゴがボケてきたので、バナナと赤ワインのコンポートにしました。赤ワインに水、キビ糖、蜂蜜、シナモンパウダー多め、レモン汁で弱火で20分ほど煮ます。シンプルですが驚くほど美味です。バニラアイスと合わせると最高。ちなみにリンゴがボケるって信州の方言ですね。以前は親戚から12月初めに3月までもつぐらい大量のリンゴをもらったので、春にはボケるのです。売り物にならないリンゴなどが大量廃棄されます。ジュースやシードルやジャムやスウィーツやドライフルーツに加工してもなお大量に余るのです。蒸留酒のカルバドスを作るとか、なにか考えないともったいないですね。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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晴天の北アルプス絶景。妻女山陣場平の貝母。クスサンの繭。妻女山松代招魂社(妻女山里山通信)

2023-02-23 | アウトドア・ネイチャーフォト
 20日から21日にかけて降雪がありましたが、妻女山山系は1センチほど。すぐに解けました。翌日はピーカンの晴天。北アルプスが美しい姿を見せてくれました。

 左に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。かくね里もよく見えます。手前には青く澄んだ千曲川で泳ぐ鴨たち。こんな風景を毎日見たくて信州に移住する人もいます。田舎に馴染めるかは本人次第ですね。無理に全員に好かれる必要はないのです。自然体でいいと40年在京のUターンの私はそう思います。移住組の方が信州の遊び方や魅力を分かっていたりします。アウトドアスポーツや農作業が好きな方にはパラダイスですね。

 妻女山展望台からの白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。右手前は茶臼山。レッサーパンダとオランウータンで有名な動物園や植物園、恐竜公園があります。右奥は神話の山、虫倉山。あそこまでが松代藩の領地でした。

 松代方面。右奥に根子岳と四阿山。左手前は奇妙山。山頂には古い山城の跡があります。中央の麓はあんずの里の東条。春にはピンクに染まります。拙書では、私も一度しか登ったことがなく金輪際登ることがないだろう奇妙山の厳しいコースも載せています。

 北方には戸隠連峰と飯縄山。飯縄権現は白狐にのった烏天狗で、上杉謙信が兜の前立てに使っていたことでも有名です。高尾山薬王院は飯縄権現を祀っています。長野市民なら一度は登る山で、花の山としても有名です。次男は保育園の年長組の夏休みに登っています。拙書では3つのコースを載せています。

 翌日は曇りでしたが陣場平へ登りました。5日前はまだ陣場平の中心部は芽吹いていませんでしたが、探してみるとあちこちで枯れ葉が盛り上がっています。どけてみると芽吹いていました。まだまだ小さくもやしみたいに黄色いものもあります。

 セリバオウレンも雨で葉が艶々しています。3月の中旬すぎには純白の小さな花を咲かせるでしょう。

 貝母(ばいも)が芽吹き出したので中を歩くのは止めにしました。強い野草なので、一度踏まれたぐらいでは枯れませんけれど。見頃は4月10日から20日頃です。ここが一面貝母の花で埋め尽くされる様は壮観です。開花状況は、このブログでアップしていきます。

 山蕗もあちこちに出始めましたが、まだ小さいので採りませんでした。スギヨのビタミンちくわとかき揚げにするのが楽しみです。

 クスサンの繭(まゆ)。6センチぐらいあります。主は羽化していませんが、成虫は翅を広げると10センチ以上あります。大きな毛虫は6月頃に栗の木で見られます。8月に飛び始めますが、寿命は1週間ほどです。

 天城山(てしろやま)への登山口近くからの眺め。左奥に高社山が見えます。祝日ですが連休ではないので高速やPAの車はそう多くはありません。

 その近くの杉林。ここも伐採されています。あちこちの所有者が異なる杉林が伐採されているのも可怪しい。後日、持ち主に確認したところ森林組合からこの山域の杉林の整備をしたいというハガキが来て了承したそうです。安心しました。普通は林道入口に作業をするという掲示がされるのですけど、どうしたのでしょう。

 蟹沢の泉の上部。赤松が折れて倒れています。巻き添えになった木も何本かあるようです。急斜面過ぎるので、これはこのまま放置します。

 妻女山松代招魂社に戻ってきました。戊辰戦争以降の戦没者を祀っています。左には戊辰戦争から日清日露、太平洋戦争までの戦没者の名簿を載せた石碑があります。小さな松代町だけでもこれだけ大勢の人が戦争で亡くなったのだと驚かされます。シベリア抑留で亡くなった方もいます。統一教会カルト自民党は、防衛予算倍増と戦う気満々ですが、そういう輩(やから)は絶対に戦地には行きません。戦争はアメリカの巨大な軍需産業を育成するために世界各地で絶えることが無いのです。その奴隷で言いなりの日本。この長野の空も米軍の横須賀空域で、日本の航空機は米の許可がないと飛べません。いまだに植民地ということですね。そしてウクライナ戦争は、プーチンが止めると言えば終わるのです。戦争で幸せになる人はいません。
 信濃町と赤倉温泉の間にいもり池があります。池の畔に与謝野晶子の歌碑があります。私は旅順口包圍軍の中に在る弟を歎いた「君死にたまふことなかれ」を思います。「あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、 末に生れし君なれば親のなさけはまさりしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せとをしへしや、 人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや。」戦争の最中に、戦争に反対する気持ちを詩に表した彼女の強い想い。

 上信越自動車道。2月28日から4月25日まで、更埴JCTから坂城ICまで工事のため対面通行や車線規制が行われます。信州に来られる方は情報を確認してください。先に見える薬師山トンネルは、トンネル内がS字に曲がっているためか事故が多いのです。ご注意を。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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妻女山陣場平の貝母(編笠百合)の芽吹き。ああ、春が来る。ゴヨウアケビの実生。ウスタビガの繭。豚足中華煮。昆虫食について(妻女山里山通信)

2023-02-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温が10度の予報の週末(実際は9度)。そろそろ貝母も芽吹いている頃と妻女山陣場平まで登りました。林道の雪は消えていました。軽トラの轍がありました。猪狩りはほぼ終わっているので、林業関係者でしょう。
 最近昆虫食で推されているコオロギの重大な問題については、分量が多くなったので最下部に移しました。

 陣場平西面の貝母(ばいも)が毎年真っ先に芽吹く場所へ。出ていました。10以上の株が芽吹いていました。最低気温がそう低くないのでアントシアニンによる赤紫のものは少ない。積雪があると地面が凍結しないので、芽吹きは早くなります。雪を自分の体温で溶かしながら芽吹いてきます。今年は例年並みです。満開は4月の10〜20日頃でしょう。初めて見た人は感嘆の声をあげるその様子は毎年の4月のアーカイブを御覧ください。実際に見る光景はそれ以上です。
松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング2022」。斎場山や堂平大塚古墳、貝母満開の陣場平を案内しました。楽しんでいただけた様です(妻女山里山通信):満開の貝母と万葉集の歌。カスミザクラやヤマザクラ、オオヤマザクラも満開です。

 陣場平入り口。貝母に加えて山蕗も出ていましたが、まだ小さく数も少ないので採りませんでした。ここで一年ぶりに土口のYさんと邂逅。しばらく立ち話。予報より曇りがちで気温も上がらない様です。ただ北風がないので寒くはありません。鳥の鳴き声がします。月日星?サンコウチョウがいるのかしら。

 陣場平。注意深く探しましたが、ここはまだ芽吹いていません。週明けにまた寒気が来るので芽吹くのは来週末以降でしょう。そろそろ鏡台山から餌を求めてツキノワグマが下りてくる頃です。子連れの熊は要注意です。年末に生まれた子熊は5キロもありません。熊鈴を鳴らしていても母熊は逃げられないと判断すると待って襲います。遠くからホイッスルを鳴らしてこれから行くことを知らせるべきです。
 川中島の戦いでは、上杉軍がここに七棟の陣小屋を建て本陣としました。その絵図や記事はたくさん掲載しているのでブログ内検索してみてください。

 今夜から雨が降るので育つでしょう。これから最低気温はマイナス5度以下にはならないでしょうし、最高気温が少しずつ上っていくので成長を即します。

 先っぽに節の様なものが見えます。すでに花芽の用意ができているのでしょうか。

 ゴヨウアケビの実生(みしょう)は、あたり一面に見られますが、大きくなれるのは極わずかです。

 ウスタビガ。ヤママユガ科(山繭蛾科)。夜行性の蛾。成虫よりもこの美しい繭の方が有名ですカマスの形をしているのでツリカマスなどとも呼ばれます。上部に羽化用の出口、下部に雨水の排出のための穴があります。これは穴が空いていますが、この位置からは羽化しないので何かに食べられてしまったのでしょうか。天敵はカラスや野ネズミです。

 枯れ葉を押し上げて芽吹くのですが、枯れ葉に隠れているので取り除いて撮影しています。もう一つは誤って踏まれないようにするためです。強い野草なので一度踏まれたぐらいでは枯れませんが。

 こんな風に枯れ葉を突き破って芽吹いてきます。咳止めの薬草として奈良時代に入ってきました。江戸時代以降は全国各地の里山に栽培地があったようです。現在は日本中でもこれだけの群生地はここだけです。

 杉が伐採されています。皆伐ではなく間伐の様ですが、この山の持ち主を知っているので、その近所の方に出会ったので伐採を森林組合や業者に頼んだか確かめてくれるように頼みました。最近ニュースにもなった違法伐採、盗伐でないといいのですが。ロシアから木材が入らなくなり国産材が値上がりしています。後日、持ち主に確認したところ森林組合からこの山域の杉林の整備をしたいというハガキが来て了承したそうです。安心しました。

 長坂峠へ。陣場平の文字が陣馬平と間違えていますね。N氏に修正するよう頼まないといけません。

 長坂峠から見上げる斎場山(旧妻女山)。川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣とした場所で、山頂は古代科野のクニの古墳(円墳)です。

 現在の妻女山展望台から善光寺平と戸隠連峰、飯縄山の眺め。春めいてきたというにはまだまだ寒々しい冬の景色です。3月に入ると気温は高めの予報なので、風景も一変するでしょう。啓蟄(けいちつ)。今年は3月6日(月)ですが、それを過ぎると妻女山山系でも越冬したヒオドシチョウが舞い始めます。

 スーパーで沖縄フェアをやっていて茹でた豚足があったので買いました。酢味噌をつけて食べるように書かれていましたが、それを中華風に煮込みました。中国醤油、牡蠣油、五香粉、中華スープ、ホタテパウダー、味醂、長葱、大蒜、生姜、干し椎茸、紹興酒で煮込みました。食べる時は両手を使って豪快に。指が脂とコラーゲンでベトベトになります。この汁を使って豚バラと中華おこわにすると絶品です。

 翌日は春雨だったのでサンドウィッチを作りました。メンチカツとアボガドとゆで卵のアルフレッド・トリュフソースとフムス、シェフマヨネーズのライ麦パンサンド。パンはトーストしてエキストラヴァージンオリーブオイルをぬり、更にフムスをぬります。アボガド、ゆで卵をアルフレッド・トリュフソースとシェフマヨネーズ、コショウで和えます。ソース類は業務スーパーのもの。アルフレッド・トリュフソースは、3種のチーズと生クリームの濃厚なパスタソースですが色々に使えます。フムスは中近東のもので、ひよこ豆に胡麻ペースト、ニンニク、レモン汁、オリーブ油を練ったペースト。これも色々応用が効きます。ボリュームがありすぎて半分食べて満腹でした。

最近、昆虫食で異常なほどにコオロギが推されていますね。変だと思いませんか。酪農家が廃業寸前なのに。信州は昆虫食が伝統的にありますが、イナゴ、蜂の子、ザザムシとか限られています。加えて安全な採取や調理法も長い歴史で確立されています。ところが、イナゴやバッタと違いコオロギはゴキブリに近い(生物分類学上の話ではありません)。外骨格のキチン質を人間は分解できない。長期的に摂取した際の治験も全くありません。エビ・カニアレルギーの人が摂取すると重大な症状が出る恐れがあります(死亡例も)。さらに発がん物質が含まれるという説も。キノコにも可食と毒キノコがある様に、食べてはいけない昆虫があるのです。このブームは根底に非常に悪意があると思われます。長い歴史の中で中国人も日本人もコオロギは食べませんでした。知っていたのです。中国では、古代よりコオロギは中国の薬学上、妊婦にとって『禁忌』とされ、有毒ということで食されてきませんでした。安易な昆虫食ブームは非常に危険です。これに大手企業や大学やマスコミがのっていることに絶対に騙されてはいけません。ビル・ゲイツに代表されるグローバリストの人口削減計画かも知れません。じわじわと病人が増えると世界の巨大な製薬会社が莫大な利益を得るのです。私達はその辺の国の国家予算より遥かに多い売り上げを得る巨大企業の傘下にあるのです。しかも彼らは利益にしか興味がない。世界人民の健康や幸福には全く無関心なのです。

 昆虫食には旬があって、常食していたわけではないのです。千曲川は昔は大量に鮭が上ってきたし、鯉の養殖も古い。飢饉の時は別にして、旬の自然の恵みを楽しむという側面が強かったのです。それは今でもそうでしょう。昔、従兄弟が夜バイクの横に網をつけてあぜ道を走ると、ライトと音に驚いたイナゴがたくさん捕れました。しかし、強い農薬を使うようになってそれも止めました。有機リン系のホリドール(パラチオン)などです。現在はベトナム戦争の枯葉剤とほぼ同じ成分の浸水性神経毒のネオニコチノイド系農薬が使われています。欧米ではすでに製造も使用も禁止されている猛毒です。ラウンドアップや草退治がそれです。私はスーパーでも加工食品はほとんど買いません。原材料名の成分の/(スラッシュ)以下が食品添加物です。そこにどれだけ危険なものが含まれているか知っていますか。毎日食べるものです。あなたが将来それが原因で癌や病気で苦しんで死んでも、その原因は誰も究明できません。死に損です。なるべく無農薬や無化学肥料の野菜、ネオニコ農薬や放射能汚染のない野草や山菜、海藻や発酵食品を食べることが大事です。外食も気をつけるべきです。大手のファミレスやファストフードは、遺伝子組み換え食品を使っている可能性が高い。それがあなたの健康をじわじわと蝕むのです。私達は非常に難しい世界に生きていることを自覚しないといけません。

 地蜂の子のヘボやザザムシは、今や超高級品で自分で捕らないかぎりは、高価でなかなか口には入りません。それでも好きな人は、直売所で買って楽しんでいます。平安時代の薬物辞典「本草和名」(深根輔仁・918年)にはイナゴを食べていた記述が残っていますが、バッタはありません。先人たちはその危険性を身を以て知っていたのです。

欧州食品安全機関(EFSA)、新食品としてのヨーロッパイエコオロギについてリスクプロファイルを公表
(1)総計して好気性細菌数が高い。
(2)加熱処理後も芽胞形成菌の生存が確認される。
(3)昆虫及び昆虫由来製品のアレルギー源性の問題がある。
(4)重金属類が生物濃縮される問題がある。
 この情報は、内閣府の食品安全委員会の食品安全情報システムのページで公開されているものです。詳細は上のアンダーラインのあるタイトルをクリックしてください。世界的な昆虫食推進の流れには、非常に問題があると思います。何か地球規模の新たな利権拡大や人口削減計画が隠されている様な気がします。タンパク質の不足には豆類でもカバーできるはず。肉を生産するより容易で環境にもやさしい。豆類にも毒性がありますが、納豆やテンペなどの食品は問題ありません。煮豆や豆腐なども適正に調理され、日常的な量の摂取ならば無問題です。人工肉やゲノム養殖魚にも重大な問題があります。薬もそう。人類が何百万年もかかって獲得した自然免疫力の方が、治験もあやふやなワクチンや薬より強く安全なのです。免疫力を高める食生活や行動が大事です。特にほぼ全てをお金に頼る都会では難しいですね。そんなで、地方に移住する人が増えているのも分かります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

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春の兆しを求めて、約2ヶ月ぶりに妻女山陣場平へ。福寿草が咲きはじめ。善光寺平パノラマ(妻女山里山通信)

2023-02-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温が8度の予報の週末(実際は10度まで上がりました)。春の兆しを求めて、約2ヶ月ぶりに妻女山陣場平まで登りました。ただし山中は2度。日陰は0度。靴の中敷きにホッカイロを入れていきました。そうでないととても歩けません。

 福寿草が咲き始めました。花期が長いので3月末ぐらいまで芽吹いて咲き続けます。フクジュソウ(福寿草、献歳菊、学名:Adonis ramosa)は、キンポウゲ科の多年草。現在4種に分類されていますが、死亡例もある毒草です。春の水仙とともに要注意の植物です。

 蜜は無いのですが、大量の花粉を出すため、暖かくなるとハナアブやミツバチがたくさん訪れます。福寿草や水仙、タンポポ、ロウバイにダンコウバイと春の花に黄色が多いのには理由があります。啓蟄を過ぎても昆虫はまだ少ないのです。その昆虫は黄色い花に集まりやすいという習性があるのです。植物の生存戦略です。

 妻女山駐車場から長坂峠までは北面なので残雪があります。イノシシ狩りのハンターの轍が凍結しています。途中でバードウォッチングの人が遠くに見えました。ルリビタキが近くの枝を飛んでいきました。

 長坂峠の先から斎場山(旧妻女山)。上杉謙信の最初の本陣で山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。手前の明るいところは、年末に妻女山SDPで灌木やノイバラを伐採したところです。これでイノシシの隠れ場所もなくなります。オオムラサキの幼虫が生息するエノキ(榎)の保護にもなります。

 陣場平入り口。向こうの西向きの斜面は、我々が保護活動をしている最初に貝母(ばいも)が最初に芽吹くのですが、さすがにまだです。2月の中旬過ぎには芽吹くでしょう。3月4月は例年より温かい予報が出ています。春は一気に進むかも知れません。

 川中島の戦いの際に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てて本陣としたと伝わる陣場平。「甲陽軍鑑」の編者の小幡景憲がここに七棟の陣小屋がある絵を描いていて東北大学の狩野文庫に所蔵されています。当ブログでは大学の許可を得て掲載しています。
川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした斎場山と陣場平へ(妻女山里山通信):『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の川中島合戦絵図。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。

 向こうに見える小山は高句麗人の積石塚古墳。その手前に昨年、仲間と貝母の球根を100株近く移植しました。この春が楽しみです。満開の時期は、4月の10日から20日頃です。それは美しく見事です。日本でこれだけの群生地はここだけです。開花状況はこのブログでお知らせしていきます。

 杉にからみつくフユヅタ(冬蔦)。実がなっています。ナツヅタは紅葉し枯れますが、冬蔦は年中緑です。

 タヌキの足跡。ニホンカモシカやイノシシ、ノウサギは見られませんでした。ちょっと気がかりです。

 陣場平の菱形基線測点の上に何かの糞。テンの高糞というのでテンかもしれません。赤いのですが何を食べたのでしょう。種を見ると柿ではなさそうです。なんでしょうね。有毒のヒヨドリジョウゴでしょうか。不明です。

 山を下って仲間とやっている椎茸のホダ木栽培の現場へ。倒木とか落枝もなくて安心しました。

 翌日は温泉の帰りに妻女山展望台に立ち寄りました。やや雲は多めで戸隠連峰や飯縄山の稜線は雲の中です。眼下の長芋畑では春掘りがそろそろ始まります。冬越しの長芋は適度に水分が抜けて甘さが増しているので美味です。

 北東の方角には拙書でも紹介の名峰の高社山。その向こうは木島平や飯山の豪雪地帯で、風景が一変します。ただこの冬は積雪が少ないのです。高社山麓の白く見える部分は葡萄畑です。左手前にはエムウェーブとホワイトリングが見えます。

 東の松代方面。左の大きな山塊は奇妙山。山頂は古い山城でハイカーに人気の里山です。右奥には根子岳と四阿山も。昨年は真田信之入部400年で賑わいました。徳川についた信之公ですが、我が家の祖先は、真田昌幸、信繁(幸村)親子についたので、ちょっと微妙です(笑)。その前には小笠原長時に使えていたのですが、塩尻峠の急襲で武田信玄に敗れ、村上義清を頼ってその系列の清野氏の当地に土着したと伝わっています。1548年のことです。ただ我が家には1552年に桔梗ヶ原の戦いで戦利をあげ山縣三郎(武田の四天王)より褒美をもらった感状があるのです。戦国時代は兄弟親子が一族存続のために敵味方に別れたのは普通ですから。ちなみに真田信繁についていた林源次郎寛高は、幸村の7人いたといわれる影武者のひとりで、大阪夏の陣で討ち死にしています。今日の最高気温は6.5度。これから三寒四温で春になって行きますが、おそらく2、3度はなごり雪が降るでしょう。

 ここのところ英国プレミアムリーグのブライトン所属の三笘薫選手の活躍がもの凄いですね。往年のサッカー小僧としては目が離せません。技術レベルはもちろんですが、知的レベルと落ち着きが凄い。あれだけ前傾姿勢で懐が深かったらディフェンスも迂闊に飛び込めない。しかも相手の重心を見てというか重心を誘って逆をつく。もうこれは対処ができません。しかもおごっていない。まだまだ伸びるでしょう。他にも刺激されて欧州で大活躍している選手が多数います。楽しみです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

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数十年ぶりの大寒波の北信州。窓に氷の結晶。最低気温マイナス9度。最高気温マイナス4度(妻女山里山通信)

2023-01-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 気象庁は当初十年ぶりの大寒波といっていましたが、あらためて2013年の記事を見ると確かに厳冬でしたがそれほどではありませんでした。で、いつの間にか数十年ぶりの大寒波と言い直されていました。気象庁あるあるなので驚きませんが。長野市南部・千曲市北部は、最低気温マイナス9度。予報で最高気温マイナス4度でしたが、実際はマイナス6.5度。冷蔵庫の中のほうが暖かいです。ありとあらゆるものが凍っています。翌朝は更に冷え込みました。朝起きたら室温がマイナス2度。外はマイナス12度。寒さに慣れているはずの信州人でもこれはきつい。ただこの厳寒もあと一週間の我慢。2月4日以降には春の兆しが訪れそうです。

 二階の暖房を入れていない北側の窓。アルミサッシで内側は障子です。見事な氷の結晶ができていました。ちなみに起床したときの室温は0.6度でした。

 別の窓。網戸があるだけでこれだけ違いが出るのです。なんでもカーテンとレースのカーテンの間に、100均で売っているシャワーカーテンを掛けておくだけでかなりの暖房効果があるそうです。

 散歩にでかけて撮影した斎場山(旧妻女山)。暴風雪だったので樹木に着雪はありません。雪の粒が大きく見えるのは、かなりの望遠レンズで撮影しているためで、実際はかなり小さなパウダースノーです。気温はマイナス7度。

 千曲市河川事務所のライブカメラの画像をアップしておきます。ここと長野県国道事務所のライブカメラは、仕事や観光で来る際に非常に役に立ちます。積雪は多くありませんが路面は凍結しています。雪がないところもブラックアイスバーンで非常に危険。スピードは半分に。車間距離は2倍に。安全運転で。通行止情報にも注意。迂回路は大渋滞します。燃料は満タンで。災害装備品を忘れずに。









 降雪があったことで我々が保全活動をしている陣場平の貝母(ばいも)も芽吹きが始まります。雪がないと地面が凍結して発芽できません。雪が布団となって地温が上がり貝母の芽吹きが促進されるのです。今月いっぱいは偏西風の影響で厳冬が続きそうですが、偏西風の流れが変わると一気に春めく可能性もあります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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ピーカンの特異日。妻女山展望台へ北アルプスや戸隠連峰、飯縄山、根子岳と四阿山の撮影に(妻女山里山通信)

2023-01-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 9日は朝から快晴。北アルプスや戸隠連峰がくっきりと見える晴れの特異日でした。さっそく望遠レンズを持って妻女山展望台へ向かいました。

 仁科三山の爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。雷鳥も生息します。

 鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというかくね里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。かくね里上部は、鹿島川最上流部の標高1800〜2200mにあり傾斜もきつく、雪崩や落石も多くとても人が住めるようなところではなさそうです。もし落人が住んでいたとしても、もっと下流の方かも知れません。

 白馬三山の左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)、杓子岳(2812m)。手前の里山は、右へ15分ほど登ると茶臼山南峰(699m)。左には信里小学校とJAの建物や民家が見えます。林檎畑が広がります。標高の高いところではサンフジ、低いところではシナノゴールドや秋映などが作られています。

 白馬岳(2932.24m)。右へ長い尾根をたどると、朝日岳などを経て栂海新道は、親不知の日本海へと続いています。フォッサマグナの成り立ちと深い関係があります。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムは必見です。手前の里山は、茶臼山南峰(699m)。山頂は地滑りで崩壊しました。

 別名を戸隠富士と呼ばれる高妻山(2,353m)。奥には乙妻山。手前に戸隠連峰。一番手前は富士ノ塔山の尾根です。

 飯縄山(1917m)。山頂は右の頂きです。左の南峰には飯縄神社の奥宮があり、上のカットではその建物が見えます。祭神の飯縄権現(飯綱大明神)は、管狐(くがきつね)を使って術を行う飯縄遣(いいづなつかい)の仏神。山岳信仰が発祥といわれる神仏習合の神です。その姿は白狐に乗った烏天狗で、大日如来の化身の不動明王のさらなる化身といわれています。冬山登山は雪がしまる2月中旬以降がおすすめです。もちろん冬山装備は必須。アイゼンも必要です。

 東方には根子岳(2207m)。根子岳のある場所には、県の天然記念物のミヤマモンキチョウも生息します。当ブログでアップしています。古くは禰固岳と書きました。天意に適うように精進し、お参りすれば願い事がかなうという意味。別名はその丸い山容からか猫岳とも。ウメバチソウ、マツムシソウ、マルバダケブキ、ハナイカリ、エゾリンドウなどが咲く花の山です。

 四阿山(2354m)は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。麓の神社には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。拙書では四阿山と真田の関係を詳細に記しています。菅平牧場から四阿山、根子岳をまわるループコースは拙書でも紹介していますが、大人気です。

 土を喰らう十二ヶ月の冬の一品は、甘い冬越しキャベツ、信州豚、明太子、餅、チェダーチーズ、松代産長芋、幻の小麦・伊賀筑後オレゴンのお好み焼き。生地にとろろを入れると軽くふわふわになりもたれません。とんかつソースにマヨネーズ、明太子マヨネーズ、アオサ海苔、花鰹をたっぷりとかけて。馬鹿旨です。

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妻女山の陣場平へ。アニマルトラッキング。土を喰らう十二ヶ月の滋味豊かな郷土料理(妻女山里山通信)

2023-01-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 成人の日の昼近くに妻女山の陣場平へ陣場平まで車で登りました。最高気温は8度でした。暖かすぎるのが不安になる様な3月上旬の気候。この先どうなるのでしょう。

 長坂峠までの林道は北面にあるので積雪があります。これはクリスマス寒波で積もったもの。それ以降は晴れの日が多く目立った降雪はありませんでした。下がアイスバーンになっていないのでスタッドレスで登れます。

 日が当たる長坂峠まで来ると雪は全く見られません。斎場山も北面以外雪はありません。

 陣場平入り口。象山から林道倉科坂線を歩いて、これから鞍骨山に登り象山に戻るという拙書の読者と邂逅。林道で熊の足跡を見たとか。こんな冬にいるんですかと言うので、ツキノワグマはヤマネの様に完全冬眠ではなく、冬ごもりで、暖かかったりすると出てきて餌を求めて歩き回ることもあると説明。痩せ尾根を超えるときや小尾根を回り込むとき、狭い岩稜地帯を歩く時は、これから行くよとホイッスルや爆竹で知らせることが大事です。予期せぬ突然の遭遇が最も危険です。拙書のコラムではツキノワグマと遭遇して追い払ったときのことも書いています。

 陣場平。ここは東に傾斜しているので、暖かくなる午後に西日が当たらないのです。よって春雨によって解けるまで根雪になります。1月末か2月上旬には雪の下から貝母(編笠百合)が発芽します。満開は4月10〜20日頃です。同じ頃にカスミザクラ、ヤマザクラ、オオヤマザクラも咲きます。貝母の開花情報は、このブログでアップしていきます。貝母は奈良時代に中国から入ったとされる薬草(毒草)ですが、現在、里山でこれだけの群生地があるのはここだけです。妻女山里山デザイン・プロジェクトで保護活動をしています。満開の様子は、毎年の4月のアーカーイブを御覧ください。
川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした斎場山と陣場平へ(妻女山里山通信):第四次川中島合戦の布陣図(「甲陽軍鑑」編者の小幡景憲彩画)

 陣場平近くにあるギャップ。ここを刈り払って里山保全のベース基地を作れないか検討中です。芽吹くと周囲からは見えなくなるのでそれも作業するには好都合です。

 陣場平の菱形基線測点。地理史の重要な文化遺産です。

 陣場平にはそこら中に動物の足跡があります。多いのはタヌキ。キツネやノウサギもあると思います。

 解けかかっていてはっきりしませんが、ニホンカモシカだと思います。イノシシなら副蹄が見られます。

 古代に帰化した高句麗人の積石塚古墳。昨年はこの周りにも貝母の球根をたくさん移植したので春が楽しみです。

 ゴヨウアケビの実生。大きくなれるものは稀です。

 シロヤブケマンの葉。春の兆しはあちこちに見られます。

 右上はリョウメンシダ。左下がヤブソテツ。どちらも食料の少ない冬にニホンカモシカの餌になります。

 下山して妻女山展望台から北の飯縄山。見ているスキー場は閉鎖されてレジャー施設になっていますが、右の斜面にスキー場があります。

 松代方面。麓ではあちこちで果樹の剪定が行われていて、その枝を燃やす煙があちこちで立っています。ついで温泉へ。馴染みの人と、このまま春になるわけないよねと。2014年の2月の上雪での大豪雪が頭をよぎります。

 冬の旧埴科郡と更級郡だけで食べられる古代からの郷土料理「おしぼりうどん}。激辛の後にあまもっくらという甘さと旨さを感じます。うどんはもちろん地粉で手打ちうどん。右は乳酸菌がたっぷりの野沢菜漬けと冬野菜の人参と地大根を炒めた炒飯。野沢温泉とかのスキー場のレストランでも食べられます。子供の頃から大好きで、食べすぎるのが問題です。まさに土を喰らう十二ヶ月の滋味豊かな郷土料理です。

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2023年元旦の北信五岳(斑尾・妙高・黒姫・戸隠・飯縄)。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート(妻女山里山通信)

2023-01-02 | アウトドア・ネイチャーフォト

 2023年元旦の北信五岳(斑尾・妙高・黒姫・戸隠・飯縄)。斑尾はずっと右手になります。

 右が斑尾山。その右奥は信越トレイルで向こうは新潟県。

 飯縄山(飯綱山)1917m。左奥に戸隠連峰。

 黒姫山。標高2,053 mの成層火山。野尻湖方面から見た姿は信濃富士とも呼ばれます。

 妙高山。新潟県妙高市にある標高2,454mの成層火山で、北信五岳の一つでもあります。

 ケサランパサラン。なんの植物の種でしょう。アザミかガガイモでしょうか。

 夜は鹿肉や猪肉のジビエと、豚のモツなどの焼き肉。冬の根菜と天然キノコ5種の味噌汁など。我が家恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートを観ながら夜が更けていきます。

 今年は新曲が多かったり、ウィーン少年合唱団と少女合唱団が初めて出演したり、楽団員にも女性の演奏者が数多くいたりと改革が進みました。最後は恒例の「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」で終わりました。その後、映画『土を喰らう十二ヶ月』の監修をされた土井善晴さんの正月料理の歴史の番組を観ました。
 今回は喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます。どちら様もいい年になります様にお祈り申し上げます。

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ほぼ快晴の青空。今年最後の妻女山へ。北アルプスと戸隠連峰のパノラマ。会津比売(あいづひめ)神社へ先参り(妻女山里山通信)

2022-12-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 仕事納めの28日は朝からほぼ快晴の青空。昼頃に妻女山へ登りました。まず高速をくぐって上杉謙信槍尻ノ泉の急カーブへ。ここが登れないと上には行けません。なんとか行けそうです。雪が溶けて凍結してアイスバーンになったらスタッドレスでは登れません。毎年スタックして動けなくなる車がいるので要注意です。妻女山で12月の積雪は珍しいのですが、もし1月にかなりの降雪があれば春の訪れは早いかも知れません。

 妻女山展望台から西北の眺め。北アルプスの白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。これらの名称は白明治になって帝国陸軍陸地測量部が地図を作るにあたり地元につけさせたものです。それ以前は、西岳とか岳山とかいって正式な名称はありませんでした。右手前が茶臼山。その右奥は神話の里山・虫倉山。

 左にそびえるのは仁科三山。左から爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳。気温は0度。麓は午後に7.5度まで上がりました。鹿島槍ヶ岳の右の深い谷には、長野県で初めて認定された氷河があります。また下の谷は「かくね里」といって、古くは平家の落人が隠れ住んだ里ともいわれています。

 左手前には(旧妻女山)。川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所で、古代科野国の古墳(円墳)。展望台から歩いて20分ぐらいです。4月に貝母が咲く陣場平へは峠をひだりへさらに10分ほど。国道に雪はありませんが、午前中はブラックアイスバーンになっていて非常に危険です。

 南を見るとその陣場平の山が見えます。展望台は老朽化が激しく危険な状態なので来年度修繕するそうです。大きな石碑は、松代藩が建てた善光寺地震の供養塔です。

 飯縄山(飯綱山)。拙書ではその歴史を詳しく記しています。飯縄権現を祀る飯縄神社。上杉謙信にも武田信玄にも尊崇された神社です。東京の高尾山の薬王院は飯縄権現を祀っています。標高1917mなので低いなと覚えるのですが、伝説と夏のお花畑が魅力的な長野市民の愛する山です。

 戸隠連邦と、戸隠富士と呼ばれる高妻山と左奥に乙妻山。蟻の塔渡りで有名な戸隠。標高は低いのですが、初心者が登る山ではありません。手前の千曲川は渇水期なので一年で最も水位が低い季節です。

 東の松代方面の眺め。清滝から林道経由で尾根に登り、30mの崖を奇妙山へ登るコースは拙書でも紹介しています。奇妙山は行基にまつわる歴史の深い里山で、古い山城の遺構もあります。根子岳と四阿山はまだ雪が少ない様ですね。

 新しく買ったスノーブーツに装着するスパイクアタッチメントを試すために林道を少し登ってみました。すっかり落葉したため樹間から北アルプスもよく見えます。

 降雪してから4,5日経っているのでアニマル・トラッキングには不向きです。タヌキとニホンカモシカの足跡がありました。先週末には猪狩りのハンター達が入った様です。

 帰りに会津比売(あいづひめ)神社へ先参りに。会津比売神社は諏訪社系の神社なんですが、御柱はありません。全国でたった一社という非常に珍しい神社です。会津は福島の会津と関係があります。
 崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道へ、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道へ遣わせた。日本海側を進んだ大彦命は越後から東に折れ、太平洋側を進んだ武淳川別命は南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(會津、会津)という。『日本書紀』
 相津と想定される会津坂下町青津。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等がある。(会津学研究会サイトより引用)
 この会津と、会津比売命の関係やいかに・・。大彦命は東征の後で、長野市篠ノ井の茶臼山動物園の下の長者窪という所に住み、薨去したと伝えられています。彼の功績を讃えて父出速雄命は娘に会津比売とつけたのではないでしょうか。
 この会津比売神社の祭神、会津比売命(會津比賣命)ですが、東北の大震災以降、知られるようになった貞観地震の記述がある『日本三代実録』貞観8(866)年6月甲戌朔条(最初の行)に、「授信濃國-無位-會津比賣神 從四位下」と出てきます。官位のない会津比売命に従四位下の位を授けますよということです。かなり高い位を授かっています。
 その理由なんですが、会津比売は、諏訪大社の祭神、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の子、出速雄命(いずはやおのみこと・伊豆早雄)の子といわれているからなのです。しかも、神武天皇の子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫といわれる、大和王権より初代科野(信濃)国造に任ぜられた武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]の室(妻)といわれているからなのです。
■科野国造 武五百建命(たけいおたつのみこと)と妻 会津比売命(あいづひめのみこと)の家系図(諸説あり)
 神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
           大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)

 つまり、出雲系の出速雄命一族は、娘の会津比売命が、天皇系(大和系)の科野国造 武五百建命と結婚したことにより、官位を授与され、後に諏訪に戻って大祝(おおほうり)家となったわけです。貞観年間に、無位となっていた出速雄命、会津比売命の官位授与を申請したのは、当時の埴科郡の大領であった金刺舎人正長といわれています。金刺氏は諏訪系統の流れで、貞観4年(862)に、埴科郡大領外従7位金刺舎人正長とあります。『日本三代実録』[信濃史料] 無位にあった自分の先祖の復権をすべく申請したということでしょう。古代科野国は、出雲系と大和系が結ばれてできたといえるのです。
 本年もご高覧いただきありがとうございました。どちら様も良いお年を。

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クリスマス寒波の北信濃。白銀の世界へ。千曲川河川事務所と長野国道事務所のライブカメラ映像。冬を喰らう(妻女山里山通信)

2022-12-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 クリスマス寒波が襲来。それまでの猛烈な西風から北風に変わるということで、今まで降雪のなかった北信濃の平野部にもかなりの雪が降りました。気温が高かったためかパウダースノーではなく湿雪。10センチほどですが、重くて雪かきが大変です。湿雪は春先が多いのですが12月は稀です。落枝や倒木を招くので心配です。

 望遠レンズで見る斎場山(旧妻女山)。川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所で、古代科野国の古墳です(円墳)。展望台までは車で登る人がいるでしょうけれど、斎場山へ登る人はさすがにいないでしょう。けれども晴れるとスノーハイクをする人やファットバイクなので登る人がけっこういます。私は動物の足跡を探してアニマル・トラッキングをします。休日には猪狩りのハンター達も入ります。

 千曲川河川事務所のライブカメラ映像。朝とお昼過ぎの比較です。道路状況や交通状況は、千曲川河川事務所と長野国道事務所のライブカメラで確認する様にしています。初雪の時はまだ慣れていないので、スリップ事故や追突事故が多発します。スピードは控えめに車間距離はいつもより長く。急発進や急ブレーキをしない。
 スコップ、手袋、スノーブーツ、雪かき(スクレーパー)、氷解スプレー、脱出用チェーン、バッテリーケーブルは必須です。寝袋や毛布、飲み物、食料も。シガーライタージャックからスマホなどに充電できるケーブルも必須です。暖房カイロに携帯用トイレや乾電池式のランタン、ガスコンロと鍋もあると便利。ほとんど車中泊の装備です。そして、これが重要なんですが、車の屋根に雪を積んだまま走るのは非常に危険です。長野県条例に違反で検挙されることも。ブレーキでフロントグラスに落ちると視界が無くなります。後ろに落ちると事故を誘発することも。絶対にしてはいけません。











千曲川河川事務所のライブカメラ映像
長野国道事務所のライブカメラ映像


 ツルヤの商品券をいただいたので久しぶりに行きました。なんと殻付きの生ホッキ貝(200円弱)がありました。もちろん生きています。どれくらいぶりか思い出せないほど。さばいて昆布締めにしました。酢ダコはツルヤオリジナルの無着色でリンゴ酢に漬けたもの。やさしい味です。柿酢で作った自家製の寿司酢で酢飯を作り丼に。これは熱燗が進みます。殻付き生ホッキ貝のさばき方は説明が難しいのでYouTubeで見てください。締め付ける力が凄く包丁では刃こぼれする危険性があるので洋食ナイフで貝柱を切ります。あとは内蔵とか黒いところを取ればOK。

 これはAコープ松代で買った青森産のワタリガニ。なんと6脚で300円しません。ワタリガニと野沢菜炒めの酸辣湯麺を作りました。参考にしたのは、戸倉上山田温泉の本格中華料理の店、大上海(町中華ではない。オーナーはホテルオークラの桃花林で修行したとかなんとか)のワタリガニの酸っぱ辛いラーメン。スープは創味のシャンタンに貝柱出汁(本当は金華ハムと干し貝柱)。酸味は柿酢と生ポン酢。辛味は青柚子胡椒、豆板醤、飯田辛味噌。味見をしながら少しずつ加えていきました。なによりワタリガニから極上のスープが出ます。かなり理想に近い味になりました。余ったスープは翌日に卵おじやに。この冬は寒ブリ、蟹、海老、鮭、タコは高めです。安いのはタラ、白子、牡蠣、ワタリガニでしょうか。Aコープ松代は最近リニューアルしてグレードがかなり上がりました。地産コーナーは県内随一の大きさで充実しています。なんとあの久世福商店も。肉類は国産信州産が充実。魚介類も多品種で鮮度もいいです。原信とか綿半ともいい勝負ですね。山国信州では活魚や鮮魚は手に入らないというのはもう過去の話です。夜捕った魚が同じ日の朝には信州のスーパーに並びます。さばき方とか料理法はネットで調べれば分かります。できれば鹿や猪などのジビエも揃えて欲しい。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

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積雪前に妻女山山系の長坂峠、斎場山、陣馬平へ。現状の撮影をして春との比較に役立てます。北アルプスのパノラマ(妻女山里山通信)

2022-12-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ワールドカップ・カタール大会がやっと終わりました。メッシ・アルゼンチンの劇的な優勝。日本の9位という世界も驚いた進撃。VARよる公正なジャッジ。PKが時の運などではなく、実力とメンタルの勝負というのも理解されたのではないでしょうか。往年のサッカー小僧の私も充分満喫しました。しかし、キックオフが0時と4時という地獄のスケジュール。酷いW杯時差ボケに苦しみました。それもやっと終わりです。というわけで、本当に久しぶりに妻女山へ登りました。

 斎場山方面から見た長坂峠。前回伐採や除草をしたので清々しています。中央の榎の根本には枯れ葉の布団の下にオオムラサキの幼虫がいるはずです。昨年は18日、一昨年は14日に初積雪があったのですが、今年はまだです。それどころか21日現在、豪雪地帯の飯山に積雪が無いのです。冬型だと日本海の筋雲は縦にできるのですが、この冬は猛烈な西風で東西に水平に流れています。そのため普段は雪の少ない新潟の海岸部の柏崎でも豪雪になりました。クリスマス寒波では北風に変わるという予報なので、北信濃も積雪するかも知れません。妻女山も圧雪で凍結したらスタッドレスでは登れません。チェーンかスパイクアタッチメントが必須です。

 斎場山(旧妻女山)。川中島の戦いで上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所で、古代科野国の古墳です(円墳)。15年前にある大学と教育委員会などで発掘調査をしました。その研究結果のレポートの写しを持っています。

 古墳の上部は円形で平らです。落葉したので川中島が望めます。上杉謙信の気分で見渡すのも一興かと。

 そこから西へ100mほど下ると御陵願平(竜眼平)の東の端にイノシシのヌタ場(泥浴び場)。イノシシの足跡はありませんでした。猟師に追われて逃げ切ると火照った体を冷やすために氷を割って飛び込みます。右奥の泥のついた樹はイノシシが体を擦り付けた跡。これをたどるとどこへ逃げたか塒(ねぐら)も分かります。

 その西に広がる御陵願平の平地。往古はここに会津比売神社があったという伝説もあります。上杉謙信が庇護していたため、武田信玄の兵火で消失。後に麓の現在の場所にひっそりと再建されたとか。ここは西に向かって二段に低くなっています。神社は西向きだった可能性。会津比売命の父は出速雄命。その父は諏訪大社の祭神・建御名方命。その父は大国主命。神社が西向きなのは理解できます。さらに出雲族のルーツであると思われる春秋戦国時代の呉の国は、さらに西へ海を渡って長江の倭人の国。会津比売命の夫は、神社御由緒には崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたけのみこと)と記されています。つまり、古代科野クニは、大和系と出雲系が結ばれてできたというわけです。

 長坂峠へ戻る途中から望む天城山(てしろやま)と陣場平。右の枯れ葉はヤマコウバシ。若葉が出るまで落葉しません。

 コムラサキ(小紫)の小さな実。毒性はないのですが味もなく小鳥も食べない様です。

 川中島の戦いの際に上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平へ。山蕗の葉がもう出ています。

 陣場平の北東の角にある菱形基線測点。地理史の貴重な文化遺産です。眼下に千曲川が見えます。

 霧や霜が降りているため倒木の苔もみずみずしい。

 陣場平全景。妻女山SDPが、貝母(編笠百合)の保全活動をしている場所です。前回の里山保全の作業で立ち枯れ木を伐倒しました。貝母は2月中旬から下旬にかけて芽吹きます。雪があっても出てきます。

 北西の角にある高句麗帰化人の積石塚古墳。今年はこの向こうの藪を伐採し貝母の球根をたくさん移植したので、来春が楽しみです。貝母が咲き始める4月上旬にまた保全作業をします。

 陣場平の一角にあるセリバオウレンの小さな群生地。貝母より早く開花します。西風があまりに冷たいので下山します。

 妻女山展望台から北アルプスの白馬三山。右手前が茶臼山。その右奥は神話の里山・虫倉山。

 北には戸隠連峰と戸隠富士の異名を持つ高妻山。右に長野市民の山・飯縄山。

 北西を見るとたかやしろと呼ばれる高社山。その向こう側は豪雪地帯の木島平と飯山なんですが、雪がありません。週末のクリスマス寒波で積もるかも知れません。手前にホワイトリングとエムウェーブ。

 東には松代の城下。最高気温は8度ですが、西風の寒風が堪えます。手前の広葉樹林が大きくなって葉が茂ると松代城が全く見えなくなるので、10年ぶりに長野市に伐採をお願いしました。寒いので帰ります。

 前の記事で紹介したオニグルミとヒメグルミですが、殻が硬くて割るのが大変な割には実が少ないので面倒と思っていたら、テレビでリキュールにすると非常に美味しいというのを聞き、さっそく作りました。半年一年するとダークブラウンの香ばしい酒ができると思います。楽しみです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。地形図掲載は本書だけ。山の歴史や立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。10本のエッセイが好評。掲載の写真やこのブログの写真は、有料でお使いいただけます。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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初冬の妻女山陣場平と堂平大塚古墳へ。里山の恵み、最後のムキタケとホダ木の椎茸。長野えびす講煙火大会(妻女山里山通信)

2022-11-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 前の記事から1周間が経ち、前回以上に小春日和の好日になりました。最低気温は4度、最高気温は14度ですがほぼ無風。来週、妻女山里山デザイン・プロジェクトの里山保全作業と納会があるので、妻女山陣場平やログハウスを回りました。

 まず堂平大塚古墳へ。まだ緑が少し残る楓の黄葉。

 前回真っ赤に紅葉していた楓はほとんど散りました。ドウダンツツジの葉も色づき始めています。左の杉にはナツヅタが色づいていました。

 ログハウスの裏山の落葉松もかなり落葉しています。

 前回小さいので残してきたムキタケが大きくなっていました。もっと大きなものも。6枚ぐらい採れました。氷点下になったらもう大きくなりません。

 陣場平もかなり枯野になってきました。ヒヨドリの甲高い鳴き声が響きます。日本の里山でここにしかない貝母(編笠百合)の群生地の保護活動をして13年。毎年4月の満開の季節には、大勢の方が訪れてくれます。保護活動でいちばん大変なのは帰化植物の除去です。オオブタクサやハルジオンは毎年何百本と抜いています。それでも絶滅しません。ベトナム戦争の枯葉剤とほぼ同じ成分のラウンドアップは絶対に使えません。ここでは使いませんが、除草剤を使うならアルテア根エキスが原料の安全な「アルテア」をお勧めします。
松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング2022」。斎場山や堂平大塚古墳、貝母満開の陣場平を案内しました。楽しんでいただけた様です(妻女山里山通信):今年の満開の様子です。

 長坂峠の旧東風超えあたりからの斎場山。ここが地元では江戸時代から妻女山と呼んでいた山です。斎場山は本名で、妻女山は江戸時代につけられた俗名です。『信濃宝鑑』中巻には、下のように記されています。
【妻女山】
 まことは斎場山なるべし、上古県主及び郡司(或は田村将軍東夷征伐の際とも云ふ)などの天神地祗を祭れる壇上の意ならん。今岩野・清野・土ロの三村に跨りて峠立せり、即ち、岩野は、斎野(いはひの)・清野は須賀野にて清く須賀須賀しき野の意なるべし、然して土ロは祭壇への登りロの意ならん。現今、古墳やうのもの多きは、皆祭壇にてこれ穿てば祭器古鏃*を出だすを以ても上古の斎場たる事知る可きなり、後永禄年中甲越合戦の際上杉謙信の陣を張れる処たり。

 クヌギはほとんど落葉。春の芽吹きまで枯れ葉が残っているのは、ヤマコウバシ。散らない落ちないということで受験生のお守りになったりします。
妻女山の真実「妻女山は往古赤坂山であった! 本当の妻女山は斎場山である」:長野郷土史研究会に載せていただいた小論文の元となった記事です。

 長坂峠から善光寺平方面の眺め。落葉して戸隠富士と呼ばれる高妻山(左)と右の飯縄山も見えるようになりました。手前は千曲川。

 山を下って仲間と椎茸のホダ木栽培をしている場所へ。前回残してきた椎茸が大きくなっています。来週の納会で焼いて食べようと思います。向こう側のホダ木は今年菌を打ち込んだので、発生するのは来年の秋からです。

 わりと雨が降ったので割れてどんこにはならず上にめくれています。かなり肉厚です。酒蒸しやバター醤油炒めがお勧めです。ひき肉や海老と長芋のシンジョを詰めてフライや天ぷら、蒸し物も美味です。

 四阿から観る北アルプスの白馬三山の雄姿。先週と比べると白さが増しました。

 温泉へ向かう途中で仁科三山。白いススキの穂。大きな木はドロヤナギやハリエンジュ(ニセアカシア)です。

 右奥にはチュウサギか。手前には十数羽のマガモでしょうか。次は望遠レンズを持ってきましょう。

 三週間干していた干し柿ができあがりました。渋柿ではないので白い粉はふいていませんが充分に甘く仕上がりました。野沢菜の溜まり漬けも美味しくなりました。野沢菜に加えて大根と青大根、人参、白菜も入れました。野沢菜の収穫と野沢菜漬けの繁忙期です。私は少し早めに漬けました。乳酸発酵したものとか古漬けが好きだからです。野沢菜のじゃこ炒め、おやき、炊き込みご飯、福建炒飯など、絶品の料理が作れます。水上勉原作、沢田研二さん主演の映画『土を喰らう十二ヵ月』の様な暮らしです。信州の小谷村が舞台の四季の映像が美しい染み染みといい映画でした。「沢田研二さん演じる主人公の暮らしや食べ物は、まんま私と同じ。自分の毎日を観ているみたいだった。違うのは私には犬と松たか子さん演じるまちこさんがいないことかな。」とツイートしたら、映画の公式ツイートからリツイートとライクが。そしてライクが55も続きました。

 23日は「長野えびす講煙火大会」でした。あいにくの雨だったので写真は滲んでいます。これが終わると信州には冬が来ます。初雪もまもなくでしょう。
3年ぶりに開催の「長野えびす講煙火大会」。「遠花火 人妻の手が わが肩に」寺山修司(妻女山里山通信):昨年の3年ぶりの花火大会の記事です。

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小春日和の好日に妻女山と茶臼山恐竜公園と自然植物園へ。キノコ狩りと銀杏拾い。ヒオドシチョウ舞う(妻女山里山通信)

2022-11-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
 小春日和の好日に妻女山と茶臼山恐竜公園と自然植物園へ出かけました。晩秋の森の貴婦人・ムラサキシメジと森の男爵・シモフリシメジを探したのですが出ていませんでした。

 妻女山奥の堂平大塚古墳の鮮やかな紅葉。妻女山山系では赤い楓は少ないので貴重です。最低気温が5度を切るようになって一気に進みました。

 落葉松も色づきかなり落葉しています。両側が落葉松林の林道は、オレンジ色に染まっています。枯れ葉は滑ります。特にイチョウは油分が多いので滑りやすい。山村の人は知っています。

 長坂峠の紅葉。右少し奥の緑は斎場山(旧妻女山)。512.8m。山頂は円墳です。上杉謙信が最初に本陣としたと伝わる場所です。

 峠の陽だまりでアキアカネが交尾をしていました。アキアカネの交尾で検索すると分かるのですが、通常はオスがメスの首根っこを捕まえ、メスは体をオスの方に曲げてオスの体をつかむのですが、これは一直線。初めて見ました。しかもこれは地面の上の枯れ葉上なのです。朝晩冷え込んで天敵のトカゲやカナヘビに襲われる危険がなくなったからでしょうか。

 クヌギの太い倒木に大きなヒラタケ。反対側にももっと大きな株がありました。

 妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーで栽培しているホダ木に椎茸が出ていました。十数本を採取。干し椎茸にします。

 上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平。枯れ葉が厚く積もっています。信濃柿の実もほとんど食べられていました。右のクマノミズキの実もかなり鳥に食べられています。

 妻女山展望台は、長野市の怠慢で老朽化が激しく危険なので、うしろにある四阿から茶臼山と北アルプスを撮影しました。帰郷した十数年前と比べると麓の長芋畑は6割ぐらいに減少しています。農家の高齢化でどんどん耕作放棄地が増えています。このままでは自給率は落ちていくばかり。食糧危機が来るかもしれません。軍事力よりも食料の安全保障の方が遥かに重要ということを政府もマスコミも言わない。腹が減っては戦はできぬ。戦争以前の問題です。茶臼山へ向かいます。

 茶臼山の恐竜公園へ。イチョウの黄葉が眩しい。

 ここに来たのは銀杏を拾うためでした。ものすごい数が落ちています。以前は拾いに来る人がけっこういたのですが。臭いのを我慢して100粒ほど拾いました。帰りの車内がもの凄い臭いで閉口しました。
 よく知られていると思いますが、ギンナンには、ビタミンB6と構造の似た4'-メトキシピリドキシンを含んでおり、摂取するとビタミンB6の働きを阻害し、数時間のうちにビタミンB6欠乏症となり、中毒になると考えられています。症状は、主に嘔吐と痙攣、呼吸困難、めまいや意識混濁、便秘、発熱など。許容量は、大人で1日10粒、子供はその半分といわれていますが体質によっては少なくても出る人も。6歳以下には食べさせないほうがいいでしょう。

 プロントザウルスのハリボテ。息子達が小さな頃に帰省すると訪れました。不具合がある様で立入禁止になっていました。遠く笠ヶ岳や横手山、竜王スキーパークが見えています。

 茶臼山の東斜面は林檎畑が続きます。現在真っ赤に実っているのはサンフジ。麓の共和園芸農協りんご直売所で、お安く買えます。少量ならば篠ノ井のAコープで買えます。

 登って茶臼山登山道入り口へ。クヌギもかなり散っています。この山にもキノコはありませんでした。

 北アルプス白馬三山の絶景。この一週間でかなり降雪がありました。横手山・渋峠スキー場もオープンしました。スノーモンキーで有名な地獄谷野猿公苑の猿たちも温泉につかっていることでしょう。

 茶臼山自然植物園の上部へ。シロガネヨシは、イネ科シロガネヨシ属の多年生植物。英語ではパンパスグラス。東京の調布市の深大寺の公園にはもっと大きな株があります。

 ノコンギクにヤドリバエ(寄生蠅)の仲間。コガネオオハリバエでしょうか。幼虫は他の昆虫などに捕食寄生します。

 やはりノコンギクで吸蜜するヒオドシチョウ(緋縅蝶)。成虫のまま越冬し、春一番に舞い始めます。ノコンギクは園芸種かもしれません。

 冬のグルメ。幻の小麦粉イガチクオレゴンに松代名産の長芋のとろろ、地卵、出汁粉を大量に入れた大阪風お好み焼き。キャベツと豚バラ肉をたっぷりと。アオサ海苔と花鰹をたっぷりかけてソースと明太子マヨネーズを。とろろを入れると軽くなりたくさん食べられます。また冷めても固くなりません。

 信州の冬といえば野沢菜漬け。添加物を一切入れない本漬けです。野沢菜に粗塩、煮干し、干しアミ、唐辛子、柿の皮、昆布で漬けました。今年は溜まり漬けも。醤油漬けとも。醤油、本味醂、キビ糖、自家製柿酢、塩昆布、煮干し粉、鷹の爪を適当に。野沢菜だけでなく大根、人参も入れました。今夜は冷え込むので、大根、ヤリイカ、天然ムキタケ、ヒラタケの煮物を作りました。粕汁や鍋が恋しい季節です。

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松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」が行われ天城山へ、私がガイドをしました。問題の妻女山展望台(妻女山里山通信)

2022-11-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 松代夢空間主催の「妻女山 紅葉と歴史のハイキング」が行われ、私がガイドをしました。春は貝母(編笠百合)が満開なので、陣場平の貝母見学に時間を多くとったためコースは短めでした。今回は天城山(てしろやま)までの紅葉狩りなのでコースは長め、急登も二ヶ所ほどあります。

 ほぼピーカンの晴天ですが冷え込みました。9時の集合時間の気温は4度ぐらいでした。日陰にいると本当に寒いです。挨拶して注意事項を少し。出発です。

 ガマズミ(莢蒾)の赤い実。抗酸化作用のあるガマズミ酒の話をしました。所々で植物や昆虫や歴史の話などをしながら登ります。

 アオツヅラフジ(青葛藤)の青い実。有毒ですが薬草でもあります。つる植物なのでこのつるを集めて工芸品を作る人もいます。万葉集では黒葛(つづら)という名で登場します。
「駿河の海 おしへに生(お)ふる 浜つづら 汝(いまし)を頼み 母に違(たが)ひぬ」東歌
(駿河の海に生えている浜つづらのように、長くいつまでもそなたを頼りにしていて母と仲違いしてしまった)

 ゆっくり歩いて20分ほどで長坂峠。黄葉は榎(えのき)。国蝶のオオムラサキの幼虫の食草であることなどを説明しました。遠くに目的地の天城山方面が見えます。見えているのは芝山です。この20mほど左に清野から土口に抜ける東風越えという旧道がありました。洪水時には松代藩の大名行列が超えたという斎場越し。例えば善光寺街道は道幅二間(3.6m)、松本藩の差切峡の旧道も1.5間(2.4m)で、けっこう広いのです。人ひとりがやっと歩けるような登山道では無かったのです。
 さらにここでは、妻女山でも深刻な松枯れ病の原因の多くが排気ガスであることや、松枯れ病対策のネオニコチノイド系農薬の空中散布で昆虫が絶滅したことや、ネオニコの散布を止めさせた話、復活まで何年もかかった話などをしました。ベトナム戦争の枯葉剤とほとんど同じ成分のラウンドアップやグリホサート剤の危険性も。当ブログでも何度も記事にしています。

 記事でも何回か紹介している見晴らしのいい場所。山座同定などを。戌ケ瀬や猫ケ瀬など戦国時代の地名や千曲川の流れを解説しました。

 天城山林道を歩いて、芝山と天城山の鞍部で急登をこなして尾根で休憩です。南面はケヤキが多く黄葉が光っています。篠ノ井の地名のもとになった高句麗の帰化人の話なども。

 ここから東へ急登をこなして天城山山頂へ。今回の最高地点です。標高は694.6m。登りはじめの妻女山の駐車場が411mですから、標高差284mとなります。山頂は坂山古墳という円墳で天井の石は失われており盗掘もされています。明治時代に、塚掘り六兵衛(北村六左衛門)という不届き者がいて盗掘しては出土品を売り払い酒代に替えていたそうです。

 妻女山方面へ下ります。かなりの急斜面です。これを下るとダンコウバイの美しい黄葉の間から白馬三山が見えました。

 堂平大塚古墳へ。ちょうど持ち主のKさんご家族がいらしたので見学をお願いしました。みなさんには古墳の中まで入って見学してもらいました。Kさん一家の話や、戦前に住んでいた乃木希典の軍隊で軍曹をしていた山岸義十郎(漢字不詳)やここに住みたいと打診してきた川島芳子の話や、皇太子時代に見学に来た大正天皇の話などをしました。

 最後は陣場平へ。川中島の戦いで上杉軍が七棟の陣小屋を建てて本陣としたと伝わることや一基だけある高句麗人の積石塚古墳の話し、貝母の話しなどを。貝母を発見するきっかけになった菱形基線測点も紹介しました。貝母の見頃は、4月の10〜20日頃であることや、当ブログで開花状況を発信していることなども。帰化植物の除去などの大変さも。そして、下山しました。予定より30分オーバーでしたが、満足いただけたのではないでしょうか。

 温泉に入って再び妻女山に戻りました。戊辰戦争の戦没者を祀る松代妻女山招魂社(妻女山松代招魂社)。劣化が激しく瓦が落下したため、危険なので現在は参拝できなくなっています。奉賛会も高齢化している様ですし、クラウドファウンディングを始めるとかなにか対策が必要でしょう。

 問題の妻女山展望台へ。樹木が大きくなり松代城が見えなくなってしまいました。複数の県内外の観光客や歴史マニアに苦情を言われました。加えて老朽化で階段や展望台の木材の塗装が剥げ割れています。大勢の人が訪れる場所なのに長野市の管理が杜撰すぎます。偶然であった引っ越してきた女性が展望台へ登り始めたら怖くなって戻ったとか。直後に私が登っていたので行けるのねと登ってきた。話をすると、これは本当に酷いですねと。別の女性は床板が無いことに気づかず登ってきて転びそうになったことも目撃しています。本当に危険です。

 加えて展望台の川中島合戦図が、あまりにもデタラメで間違いだらけの上、実際の風景と全くリンクしないため、どこがどこやら全く分からないのです。これも度々苦情を言われています。夢空間の代表もこれは酷いなと。戦国時代の地名ならば現在地は妻女山ではなく赤坂山です。また戦国時代には妻女山という名の山はありません。斎場山です。鞍骨城の位置も完全に間違っています。長野市にメールをして担当課長の返事を待っています。この様なメールを出したのは初めてではありません。約10年前に同様の苦情が出て市に伐採してもらいました。しかし翌年にはひこばえが出て、10年後にはまた同様の事態になってしまったというわけです。課長や職員も代わったでしょうから全く問題が継承されていないのでしょう。いわゆるお役所仕事というものですね。それでは、訪問者の安全は守れません。

 展望台から左に茶臼山。右奥に虫倉山。そこまでが松代藩の領地です。右へ陣場平山。富士ノ塔山と続きます。眼下の長芋畑ではつる壊しやつる燃やしが始まり、長芋掘りも始まっています。

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錦秋の聖山へ紅葉狩り。360度のパノラマを堪能。北アルプス仁科三山、白馬三山の雄姿。舞茸の栽培開始(妻女山里山通信)

2022-11-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
 文化の日は朝からこれ以上無いほどの秋晴れでした。聖山は長野県の小学生が遠足で最も多く登る山で、33校が登ったそうです。今回の三和峠には大きな駐車場がないので、大岡村の聖山パノラマホテルから登るのでしょう。私も出会って、昆虫や花の説明をしてあげたことがあります。山頂までは40〜60分ぐらい。

 三和峠の登山口。すでに車が3台。近くの空き地にも4台、奥の路肩にも2台。紅葉も見頃とテレビで紹介されていましたが、さすが人気の山です。登山口から風越(1308m)まで標高差100mの急登が始まります。二番目の急登は特にきつい。短いけれどきついのです。体調がもうひとつだったので、度々休みながら登りました。普通は山頂まで50〜60分ぐらいですが、今回は脇道に入ったり森に入ったりしたので2倍かかりました。その分紅葉も楽しめました。

 風越に登ると、聖峠まではこんなアップダウンの少ない散歩道が続きます。右側(北面)は緩斜面で別荘地があります。左側(南面)は崖上の急斜面です。北側は落葉松林が多く、南側は広葉樹を中心とした自然林です。白樺も見られます。

 落葉松も黄葉しています。ちょっと強い風が吹くとチリチリと音を立てて黄土色の落ち葉の雨が降ってきます。

 コバノガマズミの実。以前紹介しましたがルビー色の綺麗なお酒ができます。抗酸化作用が強く老化防止にもいいという酸味の強いリキュールです。

 ハウチワカエデの紅葉。やや色が薄いのは冷え込みが緩いからでしょう。

 近づけないのではっきりしませんが、アブラツツジ(油躑躅)ツツジ科ドウダンツツジ属でしょうか。

 ウメノキゴケ科でしょう。排気ガスに弱く、大気汚染の指標となる菌類です。地衣類は、大部分は子のう菌に属する菌類なんですが、光合成ができないため菌糸で作られた構造の内部に藻類が共生して、藻類が光合成で作り出す合成産物によって生活しています。両者の間には高度な共生関係が成立しているのです。

 ヒメギフチョウの幼虫の食草ウスバサイシン。昨年の5月に撮影してブログにアップしました。邂逅できる確率はかなり低いかも知れません。

 聖峠から山頂への登りが始まります。山頂のアンテナが見えます。南北を結ぶ登山道は塩の道といわれた古道です。山ガール二人とすれ違いました。若い登山者が増えるのは嬉しいですね。ぜひ拙書を買って下さい(笑)。

 ウバユリの実。開くと中からプレパラートの様な薄い種がたくさん飛び出し舞っていきました。ただ発芽率は低い様で、大きな群生地というのは見たことがありません。若葉は山菜ですが、発芽してから花が咲くまで7年もかかるので採らないようにしています。

 大きなブナが見えたら山頂はすぐそこです。昨年の5月にこのあたりで下の藪から月の輪熊が登ってきて、大声と大きな音を立てて追い払ったことがあります。姿は見えませんでしたが20mぐらいでしょうか。バキバキと枝を踏みつけて登ってきました。イノシシはブヒブヒいうので分かります。ニホンカモシカやシカは音を立てません。根子岳でも追い払ったことがあります。30m位で目があったら静かに後退りすることです。背中を見せて逃げると襲われます。熊鈴にホイッスルは必携。山では音に敏感になって下さい。

 山頂には10人ぐらいいました。途中ですれ違った人を含めると30人以上が登ったと思います。左は大林山。右の台形の山は拙書の表紙になっている子檀嶺岳(こまゆみだけ)。その奥が独鈷山。いずれも拙書で紹介している魅力ある里山です。遠くの山は金峰山とか奥秩父の山々。雲取山は見えているでしょうか。谷の奥の修那羅峠の石仏群は必見といえます。

 眼下に麻績村と長野自動車道。その後背にそびえる四阿屋山。右奥のアンテナは美ヶ原の王ヶ頭。左に富士山の様な蓼科山。その右奥は南アルプスでしょう。

 善光寺平の眺め。眼下に千曲川の流れ。右(南)から伸びる妻女山から鏡台山への戸神山脈。何本もの尾根が北に向かって伸びています。奥は焼額山や岩菅山などの奥志賀高原の山々。

 右は飯縄山。左に下がって瑪瑙山。中央に双耳峰の様に見える右側が黒姫山、左は御巣鷹山。左の富士山の様にみえるのは妙高山。手前の里山山脈は、陣場平山や富士ノ塔山。手前は長野市七二会の集落。中腹を小川村まで集落を結ぶ道路は、絶景のサイクリングルート。

 北アルプスのパノラマは山頂からだとアンテナや樹木が邪魔になります。北西に舗装路(アンテナの巡視路)を100mほど下るとこの様な絶景が見られます。左に仁科三山。右に白馬三山。右へ続く栂海新道を下ると親不知で日本海。

 仁科三山。左から爺ヶ岳、長野県初の氷河があるカクネ里の鹿島槍ヶ岳、武田菱の雪形で有名な五竜岳。

 白馬三山。白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳。白馬五竜スキー場や白馬八方尾根スキー場が見えます。栂池高原へ濡れると透明になるサンカヨウを撮影に行った記事もあります。ブログ内検索でどうぞ。

 下山します。聖峠近くのマユミの実。近くに桂の木が何本かあり、甘い香りが充満していました。

 逆光に光るハウチワカエデの紅葉。

 聖湖の紅葉。多くの太公望がへらぶな釣りをしています。展望台は拙書で紹介の三峯山。1131.4m。「風林火山」や「ペルセポネーの泪」のロケ地となった大池から登るコースもお勧め。息子と待ち合わせているので妻女山へ急ぎます。

 舞茸菌糸を培養した「榾木」を彼が頂いたので埋め込みます。絶対に分からない場所二箇所に埋めました。最後の一つはプランターに。赤玉土を敷き、鹿沼土で覆います。最後に腐葉土を3センチの厚さで敷いて完成。来年の秋に出る予定。4〜6年は収穫できるそうです。楽しみです。

 その後キノコ狩りを少ししたのですが、見たことのないキノコを発見。匂いはいいのですが。図鑑やネットで調べましたが同定できません。とりあえず澄まし汁にしてみました。味はムラサキシメジの様です。食感もムラサキシメジそっくり。美味です。少し食べて半日以上経って元気なので毒キノコではない様です。何なのでしょう。と思っていたら夕食に全部食べて3時間後に吐きました。微毒でしょうが毒キノコでした(笑)。猛毒のキノコも一度は食べられますが二度目はありません。ご注意を。
 右は、ウスヒラタケ、クリタケ、ハタケシメジ、ムキタケの天然キノコに信州人のソウルフード・ビタミンちくわと松代一本葱の小田巻き蒸し(苧環蒸し)。調べて色々研究したのですが、またまたすが入ってしまいました。まあ、味に影響はないのでいいのですが。巨大な茶碗蒸しを作るノウハウを知りたいです。次は牡蠣とか紅ズワイガニのを作りたいですね。

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