「いっくら」は「いくら」や「何べん」や「どれだけ」の意。
例文1
「りゆう は いっくら でも ある」=「理由はいくらでもある」
「
いっくら なんでも そりゃー
ねー じ」=「いくらなんでもそりゃー無いですよ」
「いっくら でも すきなだけ もってって おくれ」=「いくらでも好きなだけ持って行ってください」
「
いっくら ただ だって
あんねに たべる かやー」=「いくら只だとはいえあんなに沢山たべますかね」
「
いっくら いいきかせても あいつぁー わから
ねー」=「何べん言い聞かせてもあいつは理解しない」
「
いっくら なんでも あの いいぐさ は
ねー よな」=「いくら何でもあの物言いは無いよな」
「いっくら ちゅうい しても あいつ は ききいれ なんだ」=「何べん注意してもあいつは聞き入れなんだ」
「
いっくら びじん でも せいかく が よく なきゃ だめ
せ」=「どれだけ美人でも性格が良くなきゃ駄目です」
「いっくら はらへってたって どろついた ままの にんじん くう かや」=「いくら腹が減っているとは言っても泥のついた人参を食べるでしょうか」
「
いっくら あつくたって おらー さむい ふゆ より なつ が すき
せ」=「いくら暑くても俺は寒い冬より夏が好きです」
「おらー
いっくら つらい
こん が あっても そ
んつど のりこえて きた」=「私はどれだけ辛い事が有ってもその都度乗り越えてきた」
「
いっくら べんきょう したからって
えれー ひと に なれる わけ
じゃー ねー」=「いくら勉強したからといって偉い人になれる訳では無い」
例文2
※豊臣秀吉の父親と母親の会話
母親 「とうちゃん ひでよしに きんじょのむすめ
しょうに ちょっかいださ
ねーよ―に いっと
くりやね。」
とうちゃんににちまって おんなずきでしょうねー
わい。
母親 「
いっくらいってきかせても わから
ねー だじ。」
父親 「そーいわれても おれのむすこ
だで どうしようも
ねーぞ。」
例文の標準語(?)訳
母親 「お父さん、秀吉に 近所の女の子達に 手を出さないように 言って下さいよ。
お父さんに似てしまって 女好きで仕方がありません。
近所の人達から 私の家の娘のそばに寄らないようにと 会う度に言われて とても恥ずかしくて 落ち着いて道も歩いていられません。」
父親 「なんだ そんなに娘たちに 手を出しているのか。」
母親 「何回言い聞かせても 分からないのですよ。」
父親 「そー言われても 俺の息子だから どうしようもないぞ。」