今日は健康推進委員会の行事で地元の歴史を学ぶ「歩け歩け大会」が開催されました。
運営する役員さんの多くが親しい方なので参加してきました。
明け方まで降っていた雨も上がり青空が広がり、気温も上がり暑いぐらいです。
一緒に歩いた皆様も一枚づつ着ているものを脱いで「もう脱げないじゃん!」と大笑い。
急な山道や階段もあり、歩いたことのない知らない場所を案内してもらいました。
この地域は良質の御影石が採れたので数十年前までは一大産業として雇用を生んでいました。
が、採掘の際の爆破音の公害や土砂崩れの心配などから反対運動が起きて廃止になった様です。
石材会社や携わっていた人と、反対住民の間には亀裂が生じて暫し不穏な空気がありました。今は普通にお付き合いが出来ていますが・・・
石を切り出していた場所は「裂石」という地名が付いています。
その由来はこの大きな岩にあります。雷で真っ二つに割れたとの事でした。
(観音様が現れると大石が二つに割れ萩の木が生えてきたとの伝説もあります)
この地域には上萩原、中萩原、下萩原と萩のつく名を持ち「萩原郷」と言われます。
亀の形をした丸石道祖神が祭られています。
江戸時代「柳屋」(手塚家)は旅籠を経営していました。今もその家で暮らしています。
軒先には甲州百匁の吊るし柿が綺麗に干してありました。
この季節、甲州市のあちらこちらで枯露柿を干す風景が見られます。
昔は、地域の町名にも歴史が感じれれました。白壁町・長塀町・瓦町・高丘町など、広い地域を「泉」でまとめ1丁目から3丁目まで地下鉄の2駅四方の街にしまいました。他とえば白壁1丁目といえば直ぐどのあたりかわかったのですが、今は分かりません。もっと地元の歴史を伝えていきたいですね。
人の一生のうちでどれだけのことに出会えるのか?
山梨も市町村合併で昔の呼び名が変わってしまいました。
今の市の名前で場所のイメージが湧かない所も多いです。
甲州市も昔は塩山市でした。
この時期の軒下の吊るし柿は風情があっていいものですが、それにしてもすごい量の干し柿。
出荷なさられるお家のものでしょうかねえ。
戦後疎開していた石和にも家のすぐ後ろに石を切り出していた山がありました。石山でトロッコ遊びをした思い出があります。
一家に一本「甲州百匁」という干し柿用の柿がありました。
わが家にも大きな柿の木がありましたが道路拡張の時に切ってしまいました。
塩山の松里地区が枯露柿の産地ですが、今年は不作の上に天候不順でカビが生えたりで苦戦しているようです。
この地域も切り出した石をトロッコで運んだそうです。
急に寒くなりました。