昨日は、きょうされん大会会場前で「しんぶん赤旗」販売に取り組みました。西村たかじ元市議や、山川あわら市議らとともに。参加者からは「載ってますか」と買っていく人、「家帰ってから読むよ」という人。会場にきたら、台風の影響で「もう帰ります」という人。台風の影響で予定を繰り上げて帰られた方、帰られなくなった方・・・・・。みなさん、お疲れ様でした。とくに、実行委員会、スタッフ、ボランティアのみなさんは雨のなか本当に、お疲れ様でした!
ホールでは、原発シンポ「それぞれの命みつめて」。福島・南相馬施設長の郡信子さん、タレントの藤波心さん、福井大学名誉教授の山本富士夫さんがパネラー。
福島からの報告では津波で大きく被災しながら、原発事故で打ち砕かれた施設や市民の生活に改めて憤りと無念を感じました。事故後、①バスで新潟へ避難するか、しかし行先はわからない、②ガソリン10L提供するから自分で逃げるか、③いつでも逃げられる健康な人なら残留するか、の選択をせまられた。しかし、市外にでるには検査で放射性物質に汚染されてないことを確かめなくてはならない・・・・
藤波さんは、3.11の日に塾から戻ったら家族が泣きながらTVをみていた。映画か、と思った。家族でなにができるか話あった、と。ブログに脱原発を書いたら300万アクセスで炎上した。しかし、励ましもありがんばることができた。原発は、いつ誰が被害者になるかわからない。絶対に第二の福島をつくってはいけない、と。
山本さんは、実態は事故というより、原発災害だ。原発は被曝労働に依存している。こんな奴隷的労働によらなければならない原発はダメ。日本政府は、日米安保・アメリカに支配されて原発やめるとならない。原発で平和的生存権が脅かされている。憲法を守らせることが大事、と強調しました。
司会をつとめた若狭町の河原さんも、「県議会議長が経済産業大臣に原発推進を申し入れにいったが理解しがたいことだ」と述べました。
その後はひきつづき、分科会で勉強。さいたま市の差別禁止条例の内容などをお聞きしました。金沢大学の井上教授は、「年齢とか障害でなく固有のニーズ、というとらえ方が大事だ。分断政策を乗り越えていこう」と強調されました。
大会会場では青年運動時代の仲間で大阪の施設でがんばっている方に出会えたり、連れ合いも学生時代の先輩と再会していました。来年の開催地は福島。日本の政府の被災者・障害者への政策がいっそう問われる大会となるでしょう。
総選挙・来年夏の参院選での争点でもあります。
ホールでは、原発シンポ「それぞれの命みつめて」。福島・南相馬施設長の郡信子さん、タレントの藤波心さん、福井大学名誉教授の山本富士夫さんがパネラー。
福島からの報告では津波で大きく被災しながら、原発事故で打ち砕かれた施設や市民の生活に改めて憤りと無念を感じました。事故後、①バスで新潟へ避難するか、しかし行先はわからない、②ガソリン10L提供するから自分で逃げるか、③いつでも逃げられる健康な人なら残留するか、の選択をせまられた。しかし、市外にでるには検査で放射性物質に汚染されてないことを確かめなくてはならない・・・・
藤波さんは、3.11の日に塾から戻ったら家族が泣きながらTVをみていた。映画か、と思った。家族でなにができるか話あった、と。ブログに脱原発を書いたら300万アクセスで炎上した。しかし、励ましもありがんばることができた。原発は、いつ誰が被害者になるかわからない。絶対に第二の福島をつくってはいけない、と。
山本さんは、実態は事故というより、原発災害だ。原発は被曝労働に依存している。こんな奴隷的労働によらなければならない原発はダメ。日本政府は、日米安保・アメリカに支配されて原発やめるとならない。原発で平和的生存権が脅かされている。憲法を守らせることが大事、と強調しました。
司会をつとめた若狭町の河原さんも、「県議会議長が経済産業大臣に原発推進を申し入れにいったが理解しがたいことだ」と述べました。
その後はひきつづき、分科会で勉強。さいたま市の差別禁止条例の内容などをお聞きしました。金沢大学の井上教授は、「年齢とか障害でなく固有のニーズ、というとらえ方が大事だ。分断政策を乗り越えていこう」と強調されました。
大会会場では青年運動時代の仲間で大阪の施設でがんばっている方に出会えたり、連れ合いも学生時代の先輩と再会していました。来年の開催地は福島。日本の政府の被災者・障害者への政策がいっそう問われる大会となるでしょう。
総選挙・来年夏の参院選での争点でもあります。