前回からのつづき
五稜郭の中央付近には、
今年7月に復元・公開されたばかりの箱館奉行所が建っておりました。

1854年、日米和親条約の締結によって開港された箱館に奉行所が設置されました。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、
港湾から近く防衛上に問題があったことから、
1864年にこの地へと移転することとなります。

やがて、旧幕府脱走軍によって五稜郭は占拠され、箱館戦争の地となります。
その後、脱走軍は降伏し、奉行所も新政府へと明け渡されますが、
1871年に開拓使本庁舎の札幌移転に伴い、
建物は解体されてしまいます。
この地に建物があったのは、わずか7年間でした。

それから140年後、奉行所はこうして復元される事となりました。
復元されたのは全体の3分の1にあたるおよそ1000平方メートル。
主要な部分のみの復元とは言うものの、それでもかなりな規模です。

中はと言いますと、まずは畳の間が続きます。
特に72畳もある大広間はひたすら広いの一言です。
こちらは大広間の奥にあった表座敷。
奉行の執務室だったそうです。

さらに中庭を見ながら進みます。

明かりとりの目的もあったようです。
上のほうには太鼓櫓もあります。

この後は箱館奉行所や五稜郭、箱館戦争について解説した展示物や
奉行所の復元工事の模様を紹介するハイビジョン映像へと続いていきます。
ただ、個人的には映像のほうは、奉行所が置かれた時代背景や
箱館戦争の流れについてと言った当時の状況を紹介したもののほうが
もっと興味を持って見れたのになと思いました。

奉行所の裏手では何やら工事が行われているようでした。

まだ、何か新しいものが出来るのかもしれません。
・・・・・・
これで五稜郭散策を終えて、
次へと向かいましょう。

↓一日一回ポチッとクリックしてね

(北海道部門120位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
↓こちらもよろしく
五稜郭の中央付近には、
今年7月に復元・公開されたばかりの箱館奉行所が建っておりました。

1854年、日米和親条約の締結によって開港された箱館に奉行所が設置されました。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、
港湾から近く防衛上に問題があったことから、
1864年にこの地へと移転することとなります。

やがて、旧幕府脱走軍によって五稜郭は占拠され、箱館戦争の地となります。
その後、脱走軍は降伏し、奉行所も新政府へと明け渡されますが、
1871年に開拓使本庁舎の札幌移転に伴い、
建物は解体されてしまいます。
この地に建物があったのは、わずか7年間でした。

それから140年後、奉行所はこうして復元される事となりました。
復元されたのは全体の3分の1にあたるおよそ1000平方メートル。
主要な部分のみの復元とは言うものの、それでもかなりな規模です。

中はと言いますと、まずは畳の間が続きます。
特に72畳もある大広間はひたすら広いの一言です。
こちらは大広間の奥にあった表座敷。
奉行の執務室だったそうです。

さらに中庭を見ながら進みます。

明かりとりの目的もあったようです。
上のほうには太鼓櫓もあります。

この後は箱館奉行所や五稜郭、箱館戦争について解説した展示物や
奉行所の復元工事の模様を紹介するハイビジョン映像へと続いていきます。
ただ、個人的には映像のほうは、奉行所が置かれた時代背景や
箱館戦争の流れについてと言った当時の状況を紹介したもののほうが
もっと興味を持って見れたのになと思いました。

奉行所の裏手では何やら工事が行われているようでした。

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