まつちんの北海道周遊記

北海道内をあちこちドライブで出かけ、風景を中心に書き込んでいきます。たまに小ネタも混ぜますんで、ひまつぶしに見てね。

勝山館跡

2011年07月31日 | 檜山管内
前回からのつづき

夷王山の中腹にはかつて勝山館がありました。
勝山館は武田信広が15世紀後半に築いた山城です。



入り口を入りますと、中央に幅3.6メートルの通路が走っております。
両脇には住居や倉庫などが建てられ、
その周りを取り囲むようにして、堀や物見櫓が築かれました。


さらには館を守る兵士が集まる小屋なんかもあったようで、
厳重な守りがしかれていたようです。



こちらは館の裏手にある搦手。

館の両側は深い沢があって、天然の要害となっているも、
こちらはそうした地形ではないので、
空堀を掘った上に土塁を築き、そこに柵を設けたのだそうです。



搦手を抜けて、林の中をさらに進んで行きますと、


斜面に多くの白い墓標が立っておりました。

600以上もある墓は当時の人々のものだそうです。
武田信広もまた1494年にここで亡くなります。
やがて、後継者の蠣崎光広が拠点を松前に移しますが、
その間、ここが中世北海道の交易・行政・軍事の
重要な拠点となっていたのです。



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夷王山

2011年07月30日 | 檜山管内
前回からのつづき

昼食後は、腹ごなしに登山をしました。
果敢にもアタックした山は夷王山(いおうざん)。


道の駅から程なくの所にある山です。

夷王山はたったの標高159メートル。
それも車で山の中腹にある駐車場まで行けますので、
実際に歩いて登る高さはわずか数十メートル。
アタックして、ものの数分で山頂に到着です。
これじゃ、腹ごなしになりませんか(笑)



山頂からは上ノ国の町を見下ろす事が出来ました。

この山は、中世のエゾ地における総督であった松前候の
居館勝山館の天守閣だったとされている所です。
山頂にある神社には、後の松前氏の祖となった武田信広が祀られております。



彼が活躍したのは15世紀のこと。
小さな町の小さな山には古い古い歴史がありました。



<この日の走行距離>乙部からここまで40キロ(道の駅「上ノ国もんじゅ」から2キロ)


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道の駅「上ノ国もんじゅ」

2011年07月29日 | 檜山管内
前回からのつづき

江差からさらに国道228号線を南下し、
道の駅「上ノ国もんじゅ」に着きました。


この道の駅は入り口の造りが特徴的でして、
どことなく芸術的センスすら感じてしまいます。



建物の裏手は日本海を見下ろす高台となっております。

ところで、この道の駅の名に使われている「もんじゅ」は、
ここの近くにある文殊岩に由来しております。
その岩は知恵の仏「文殊菩薩」に似ているそうでして、
そう名付けられたんだとか。
どんな岩なのか見てみたいとも思いましたが、
どれだかさっぱり分からずじまい・・・



遠くに目をやりますと、先程一周しました「かもめ島」が見えました。

実際歩きますと、結構ハードでしたが、
こうして見ますと、思いのほか小さく見えるものです。


こちらは展望スペースにあった彫刻。

タイトルは「風の王」だそうです。
そう言えば、何年か前にJRAのCMで「カゼノオウ」という馬の話が
とりあげられた事がありましたね。
その馬は実際の競馬でもデビューを果たしたようなのですが、
活躍したと言う噂は聞いた事がないので、
なかず飛ばずで終わってしまったのかもしれません。
今はどこへ行ってしまったのでしょうか。




道の駅とは関係のない方向へと、話がそれてしまいましたが・・・

ここでは昼食をいただきました。
一番人気メニューのてっくい天丼(880円)です。


てっくいとは、ひらめの事です。
身はしまっており、衣もサクサクでおいしかったですよ。



112駅中49駅を制覇!


<この日の走行距離>乙部からここまで38キロ(かもめ島から11キロ)

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開陽丸

2011年07月28日 | 檜山管内
前回からのつづき

かもめ島から見えた船は開陽丸。
近くで見ると、その大きさに圧倒されてしまいます。


長さ72.8メートル、幅13メートル、高さ45メートル。
当時最新鋭のクルップ砲など大砲26門を搭載したこの軍艦を
幕末期に江戸幕府はオランダより購入します。
折しも、諸外国の船が続けざまに姿を見せていた時代で、
その脅威に対抗するためのものでした。




その後、時代は目まぐるしい変化を遂げます。
開陽丸が日本に到着してわずか半年後の
1867年(慶応3年)10月幕府は大政奉還し、
翌年4月には江戸城も明け渡します。



しかし、海軍副総裁の榎本武揚は
開陽丸をはじめとする艦隊を率いて北へと脱走。
10月には蝦夷地への上陸を果たし、箱館、五稜郭をも占領します。


さらに、松前城を奪った後、この江差へと向かいます。
開陽丸も江差沖に到着して、艦砲射撃による援護を行い、
11月14日には江差を占領いたします。
この日、開陽丸は沖合いに停泊したままとなりました。



ところが、翌日、この近辺は暴風雪に見舞われます。
開陽丸は座礁し、やがて沈没。
その後に待ち受ける新政府軍との
本格的な戦での切り札となるはずだった艦の最後でした。


主力艦を失った事により、
その後の戦局は新政府軍に流れがいってしまい、
その流れを取り戻す事は出来ぬまま、旧幕府軍は降伏。
箱館戦争の終結を迎えることになるのです。



この船が無事でいたならば、
ひょっとしたら歴史は大きく変わり、
今の北海道の姿も大きく異なっていたかもしれませんね。




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かもめ島(その3)

2011年07月27日 | 檜山管内
前回からのつづき

島を巡る遊歩道は、まだまだ続きます。



それにしても、アップダウンの激しい島です。
1周たった2キロ余りの島巡りに意外と体力を消耗します。



そして、見えてきた2つの水たまり。

これは弁慶の足跡です。
その名のとおり、これも義経伝説の一つで、
源義経と伴に江差へとやって来た弁慶の足跡だと伝えられております。

・・・にしても、でか過ぎるでしょ。これ。
一体、弁慶って、何メートルあったんだって言うの(笑)
ほんとにこんな弁慶がいたら、まさに無敵だったろうに。

満潮時には、水没してしまうそうなので、
そうとは知らずにやって来て見れた自分はラッキーだったかな。



その次に見えてきた高台にある草むら。
何の変哲もない、ただの草むら。


ところがここはキネツカ台場があった場所でして、
旧幕府軍は1869年(明治2年)、
攻め込んできた新政府軍の軍艦に対して、ここから砲撃を行ったそうです。
それから140年ちょっとの歳月が流れ、
当時の激しい戦を思い起こさせるようなものは、
全くと言っていいぐらい、残されてはおりませんでした。



やがて、島の下に大きな船が見えてきました。

復元された開陽丸です。
次は、あの船の近くへと行ってみましょう。




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かもめ島(その2)

2011年07月26日 | 檜山管内
前回からのつづき

島を巡る遊歩道はまだまだ続いて行きます。



階段を登りきりますと、そこには見晴らしのいい
ちょっとしたスペースがありました。


ここはテカエシ台場だった所だそうです。
江戸時代後期、諸外国の船が日本近海に現れるようになると、
鎖国中だった日本では、幕府や諸藩が海岸線に台場を設け、
大砲などを置くようになりました。
このテカエシ台場は、島の北側に位置します。



台場の下を見ますと、広い岩場が広がっておりました。

この場所は千畳敷と呼ばれております。

ちょうど、島の海側にあたるこの場所では、風や波により岩盤が削られ、
こうした地形がつくられたのだそうです。


江戸時代にはここに桜を運んで、宴なんかが催されたようですよ。
何とも優雅ですねえ。



さらに進みますと、今度は灯台が見えてきました。


こちらは鴎島灯台です。

現在の灯台は1951年(昭和26年)に建て替えられたものですが、
その前には木造の灯台が1889年(明治22年)に建てられたそうです。
さらにさかのぼると、江戸時代には地元の豪商関川家によって、
灯台の原形となった灯明台なるものが、
北前船の安全確保のために建てられていたんだとか。



そんな昔から、付近を航行する船のための目印があったんですね。


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かもめ島(その1)

2011年07月25日 | 檜山管内
前回からのつづき

江差の町へと入り、次に向かった先が「かもめ島」。


かもめ島は周囲2.6キロの小さな島ですが、
島を一周する遊歩道が整備されており、見所満載だったりします。



まず最初に見えてくるのが馬岩。
中央付近に白い岩が見えているのが分かりますでしょうか。


えっ、よく分からないって!?
そうですよね、私も肉眼で分かりにくかったですもん


じゃあ、拡大しましょう。

こちらが馬岩です。
首を上げた白馬のように見えるこの岩には、
いわゆる義経伝説が残されております。
奥州よりこの地へ逃れてきた源義経は、葦毛の愛馬をここへ残し、
さらに北へと向かって出発します。
ですが、馬はここを離れずに、義経を待ち続け、
やがて石となってしまったのだそうです。



さらに進みますと、とってもアンバランスな岩が見えてきます。

瓶子岩(へいしいわ)です。
かもめ島と言えば、よくこの岩の写真が使われており、
シンボル的存在となっております。


今から500年ほど前、一人の姥が神様から瓶を授かります。
その瓶の中にあった水を海に注いだところ、
江差にニシンの群れがやって来るようになったそうです。
この岩はその瓶が逆さまになって岩になったものなんだとか。


それにしても、いつ崩れ落ちてもおかしくない形をしているものの、
その割にはびくともしない雰囲気もあわせ持っていて、
思いのほか頑丈そうな気もする不思議な岩です。



さらに、島のそばにかかる橋を渡って行きます。


橋の下にある水面は光の加減で、青く光って見えました。

神の子池や支笏湖あたりでも、こうした青い水面を見たことがありますが、
きれいな水面が青い光だけを反射させると言う原理は、
きっと同じものなのだと思います。



橋を渡りきりますと、そこには古い木の杭が並んでありました。

かつて、ここは北前船の港として使われておりました。
この木杭に綱を渡して、船を係留したそうです。


きっと、明治の頃には、ここに北前船が何艘も並んでいたのでしょうね。

遊歩道はまだまだ続きますよ。

<この日の走行距離>乙部からここまで27キロ(道の駅「江差」から5キロ)

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道の駅「江差」

2011年07月24日 | 檜山管内
前回からのつづき

厚沢部から国道227号線を折り返し、日本海側へと向かい、
さらに国道228号線を南下。
次に立ち寄ったのが、道の駅「江差」。


非常に小ぢんまりとした道の駅です。
何せ左側の大きいほうはトイレでして、
道の駅の建物は右側の小さいほうですから。

お客さんが2~3人も入れば、いっぱいいっぱいです(笑)

そのそばにあるのが、このひょうきんな像。

「笑え わらえへば ええごとある」と書かれたこの像は、
江戸時代、江差に実在した「とんち」名人の繁次郎の像です。



今もって、その名が残っているという事は、
江差の町では、彼はよっぽどな人気者だったのでしょうか。
それとも、この顔に劣らず、よっぽどなインパクトを与える
とんちぶりを発揮したのでしょうか・・・
ちなみに、道の駅に入っているお店は繁次郎笑店と言います。


「笑」を入れているのがポイントですな。

目の前に広がる江差の海。

この日も天気は良さそうです。


112駅中48駅を制覇!


<この日の走行距離>乙部からここまで22キロ(道の駅「あっさぶ」から9キロ)


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道の駅「あっさぶ」

2011年07月23日 | 檜山管内
前回からのつづき
6月18日(土)
道南の旅、2日目のスタートです。



乙部の宿を出まして、国道229号線を南下し、
江差に入った所で、今度は国道227号線を東へと、
内陸の方へと進みました。
そして、最初に着いたのが道の駅「あっさぶ」。


まだ朝ですが、既に気温19℃。
釧路じゃ、うすら寒くて、上着さえ必要だったと言うのに、
えらい違いです。
当然、朝から半袖です。



裏の林では、うるさいぐらいにセミの鳴き声すら聞こえておりました。

さすが道南です。
同じ北海道とは思えん・・・



お土産に「こうれん」なるものを買いました。

米に、砂糖、しょうゆ、塩、ゴマを混ぜて練り上げ、
さらに、のし棒で薄く伸ばし、天日で乾燥させて出来たお菓子です。
油で揚げるか、オーブントースターで焼くかして、
いただくのだそうです。


112駅中47駅を制覇!


<この日の走行距離>乙部からここまで13キロ


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乙部温泉 光林荘

2011年07月22日 | 檜山管内
前回からのつづき

さらに国道229号線を南下して、
この日のお宿である「乙部温泉 光林荘」に到着。



さすがに着いたのは、ちょっと遅めの時間帯。
という事で、着いて早々に夕食となりました。


海の幸中心のお料理ですが、何とも豪勢です。


さらには、うになべ。


それから天ぷら。

最後はデザートにショートケーキとメロンまで付きました。
ちょっと食い過ぎ・・・たかな?



<この日の総走行距離>578キロ

次の日にそなえて、




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