湘南鉄道研究会

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路線開通図(名古屋市電)

2008-08-23 01:56:32 | トラム、TRAM、とらむ
名古屋市電の路線開通図です。
以下が、路線開通図に記された、各線の開通年月です。
1.笹島町~県庁前・明治31年5月 6日(県庁前とは現中区役所付近)
2.柳橋~志摩町・明治34年2月19日
2.那古野町~押切町・明治34年2月19日
3.久屋町~西裏・明治36年1月31日
4.栄町~熱田駅前・明治41年5月3日
5.熱田駅~熱田伝馬町・明治41年9月17日
6.新栄町~上前津・明治43年2月23日
7.熱田駅前~築地口・明治43年3月16日
8.内田橋~東築地・明治43年7月15日
9.上前津~門前町・明治44年6月9日
10.柳橋~洲崎橋・明治44年6月24日
11.北畑~覚王山・明治44年8月19日
12.洲崎橋~山王橋(さんのうばし)・明治44年11月2日
13.築地口~港本町・明治45年1月11日
14.西裏~千種駅前・明治45年4月1日
15.千早(ちはや)~八事・明治45年4月21日
16.尾頭橋(おとうばし)~船方(ふなかた)・明治45年5月6日
17.西裏~北畑・明治45年5月22日
18.山王橋~古渡橋(ふるわたりばし)・明治45年5月23日
19.今池~大久手・明治45年5月25日
20.熱田伝馬町~内田橋・大正1年9月1日
21.古渡橋~尾頭橋・大正1年11月8日
22.笹島警察前~中村公園前・大正2年10月17日
23.志摩町~御園御門・大正2年11月12日
24.尾頭橋~下之一色(しものいしき)・大正2年12月20日
25.御園御門~名古屋城・大正3年8月20日
26.名古屋城~東片端(ひがしかたは)・大正3年11月5日
26.東新町~長塀町三(ながへいちょうさん)・大正3年11月5日
27.長塀町三~赤塚・大正4年3月17日
28.赤塚~徳川邸前・大正4年4月26日
29.徳川邸前~大曽根・大正4年5月30日
30.明道橋~江川町・大正4年10月10日
31.江川町~浄心前・大正4年11月4日
31.東片端~新栄町・大正4年11月4日
32.築地口~西稲永(にしいなえ)・大正6年6月16日
33.港本町~築港・大正7年9月21日
34.平田町(へいでんちょう)~赤塚・大正8年4月16日
35.那古野町~名古屋駅前(現笹島付近)・大正10年12月7日
36.菊井町~明道橋・大正12年1月16日
37.小針~牛巻・大正12年1月25日
37.高辻~滝子・大正12年1月25日
38.東新町~鶴舞公園・大正12年9月20日
39.門前町~岩井町・大正12年11月13日
40.岩井町~水主町(かこまち)・大正12年12月22日
41.栄町~大津橋・大正13年7月20日
42.明徳橋~西稲永・大正14年7月1日
43.鶴舞公園~小針・大正14年12月23日
44.下之一色~明徳橋・大正15年5月31日
45.牛巻~堀田駅前・昭和2年4月17日
46.押切町~浄心前・昭和2年7月10日
47.滝子~桜山町・昭和3年10月25日
48.矢場町~千早町・昭和5年5月9日
49.桜山町~市民病院前・昭和7年12月30日
50.大津橋~市役所前・昭和8年8月24日
51.六反小学校前~水主町・昭和9年9月11日
52.覚王山~東山公園・昭和12年2月27日
53.日比野~築地口・昭和12年3月11日
54.笹島町~笹島警察前・昭和12年3月14日
55.笹島町~名古屋駅前・昭和12年4月16日
56.大曽根~大曽根・昭和14年5月15日
57.笹島町~六反小学校前・昭和15年5月28日
58.南陽通八丁目~東橋・昭和16年5月1日
59.市民病院前~新瑞橋(あらたまばし)・昭和16年5月16日
60.大曽根~東大曽根・昭和17年6月25日
61.名古屋駅前~那古野町・昭和18年3月31日
61.名古屋駅前~退避線・昭和18年3月31日
62.新瑞橋~笠寺西門・昭和18年10月1日
63.八熊通~沢上町・昭和18年12月30日
64.沢下町~高辻・昭和19年3月1日






(以下編集中!)
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思い出の市電と黄電

2008-08-23 00:16:03 | トラム、TRAM、とらむ
[チンチン電車] ブログ村キーワード
思い出の市電と黄電(展示物より引用)

 市民の皆さんから「チンチン電車」として親しまれた市電は、明治31年(1898年)に笹島から県庁前(現在の中区役所付近)間2.2キロに、民営会社によって誕生しました。
 京都に次いで日本で2番目の電気鉄道の誕生です。その後、次々に路線が延長され、乗客数も順調に伸びていきました。
 大正11年(1922年)8月に創設された名古屋市電気局(交通局の前身)に、経営が移され市電となりました。電気局が民営会社から引き継いだのは、10路線、42.5キロ、車両235両でした。
 昭和6年(1931年)から満州事変、日中戦争、太平洋戦争と日本は長い戦争の時代に突入しました。太平洋戦争終盤には、空襲によって車両・施設も大きな損害を受けました。
 しかし、こうした困難な状況の中でも、市電は市民の足を守って一日たりとも休むことなく走りつづけました。
 そした、戦後、焦土と化した名古屋の街で、極端な電力不足・資材不足に直面しながら、主要な交通機関としての役割を果たし、名古屋の産業・経済の復興に大きく貢献しました。
 昭和20年代、30年代初期が、市電の黄金時代でした。昭和30年(1955年)度には1日平均68万人余の乗客を輸送し、昭和33年(1958年)度には営業キロが106.3キロまで伸びました。
 しかし、その後の地下鉄の登場、伊勢湾台風による打撃、市域の拡大に伴うバス路線の拡充、昭和40年代からの急速なモータリゼーションなどに押されて乗客が次第に減少し、事業内容も悪化の一途をたどりました。経営改善のため、ワンマン化・路線の縮小などさまざまな努力をしましたが、結局建て直しにはいたらず、昭和49年(1974年)3月民営会社時代も含め、77年間走り続けた名古屋の市電は、その姿を消しました。
 一方、「黄電」と呼ばれた地下鉄100形車両は、昭和32年(1957年)11月名古屋・栄町間2.4キロに、東京、大阪についで日本で3番目の地下鉄の開業とともに誕生しました。それから40年余が経過し、地下鉄は5路線78,2キロまで伸び、名古屋の大動脈として1日平均113万人の乗客を輸送しています。
 この車両は、安全(Safety)、迅速(Speedy)、静粛(Silent)、の3Sを基本方針に設計されました。特に騒音を少なくするために、市電車両で培われた技術をもとに、ゴム入り弾性車輪を採用するなどの工夫がされました。
 また、地下鉄車両のシンボルカラーとなった黄色(ウィンザーイエロー)は、杉本健吉画伯により、暗い地下鉄のトンネル内を明るく走り抜けるようにと選定されたものです。
 まだまだ走ることはできましたが、冷房車に改造することができませんでしたので、昭和63年(1988年)に100形はその役割を終えました。そして、それ以外の黄電たちも平成12年(2000年)4月までにすべて新型車両に置き換えられました。

(レトロ電車館の展示物を再掲させていただきました)

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