ウガンダと暮らす  

ウガンダと日本の、日々の暮らし

あの国でこれがやりたい!

2008-06-07 20:45:04 | 訓練前の準備
今回、協力隊に応募する原点となったのは、この旅にありました。


(あの国でこれがやりたい!Vol.7 2001年夏号)

高校3年生のときから「人と同じことをするのがイヤッ!」と変わり者?!だったわたしは、漠然と海外の道を考えていました。当時は何も知識がなかったので、そのとき父が教えてくれた「海外青年協力隊」にすぐさま魅力を感じ、これだ!!って直感だったと思います。その道が、そう簡単なもんじゃない・・ということも知らず素直すぎたんだと思います。わたしを良く知る人は、一緒にいるとすぐ分かると思いますが、人一倍熱しやすくさめやすい・ですよね?!(笑。

実は、今の職業も進路を考える段階から興味があったわけではなく、協力隊に行きたいとはいえ何をすればいいかも分からず、大学進学も考えられずにいました。ただ、仕事をするにも何か専門的なことをしたい、「誰もができる仕事はイヤッ」と思っていたので、専門学校説明会に行きました。そのときに紹介されたのが今の職業、臨床工学技士でした。それも直感で決めました(笑。

・・・と前置きが長くなってしまいましたが、その専門学校時代。国家試験を控え、就職活動を控えた最後の夏休み。マザーテレサの施設でボランティアがしたい!!と、これまた直感。インドという国がどうこうよりも、意欲満々、期待に胸をふくらませて向かった初インド・一人旅でした。
そんな思いとは裏腹に、ボランティア二日目にしてぶつかった壁。人種を超えたコミュニケーションができなかったこと、本当にショックでした。思うようには何一つできない自分にジレンマを感じ、ホストファミリーに思わず涙を流してしまったりもしました。あのとき家族がいてくれたから、また頑張ろう!って気持ちになりました。最終日、わたしはシスターのところへ行き自分の気持ち、新たにふくらんだ夢を伝えました。

帰国後、しばらくして雑誌の取材を受けました。それがこの写真。どんな風に仕上がるのかと思ってたのですが、いい感じになってました!

・・・と話が随分それましたが、、
この雑誌を見ると、初めて異国で考えたことが甦り、初心に帰ることができるのです。

二十歳のわたしの夢・・・・・
「今年の春からは病院で臨床工学技士として実務経験を積んでいきます。将来は海外青年協力隊を目指して海外で技術を生かしたいです!」(本文より)

あれから8年の月日が流れて、ようやくその道を踏みしめようとしているのでした!!