ウガンダと暮らす  

ウガンダと日本の、日々の暮らし

受かりましたぁ!!!!

2008-02-09 01:09:13 | 青年海外協力隊
実は、今日はJICAの二次選考の結果発表の日。

本当はインターネットで発表されると知っていたけれど、見間違えたりでもしたらヤなので知らん振りして、結果通知として届く郵便物を待ってよーっと思ってました。

でもね。。開いちゃったの。。
どうしても気になって、寝る前に。。
インターネットでの発表は受験番号でのはずだから(一次ではそうだった)、自分の受験番号覚えていないしきっと分かんないでしょって。
それなのに、わたしとしたことが「職種別応募状況表」というところをまず初めに開いてしまって、そこにはまさかで受験番号までは発表されていないものの、職種別に合格者の人数が!!前にも書いたので覚えてる方もいらっしゃるとは思うけど、わたしも承知しております。「医療機器」は、わたし一人だってこと。
人目でわたしの合否がわかってしまったわけですよ。。

タイトルにはきっぱりと結果を書いておいて、こんなにだらだらと前置きをしてしまいました、わたしってバカね。
「医療機器」合格者の欄に「1」という数字が並んでて、それを目にした瞬間、寒くて震えてるのかよく分からない状態で震えてて、鳥肌が立ってて、嬉しくて嬉しくて、正直本当に嬉しい!!!!

ちゃんとした書面上の合否通知が届くまで実感がわかないでいるけど、でも何度も何度も見ました。合格者の受験番号が発表されているページも職種別で書かれてる人数も、何度も何度も!!絶対この「1」はわたしです!!
「登録」でもなく、「健康条件付き」でもなく、「合格」の欄に「1」でした!!

こんなことなら、もっと早く見ておくんだったぁ(笑。

遅い時間だったけど、今伝えたくて、何年も前からいつも応援してくれてたともだちに電話で言いました。こうやって言える日を何度夢見たことか。。
JICAのことを考えるときはいつも思い出す、もうずいぶん前だけど、仕事が終わった誕生日の日に下駄箱を開けると、誕生日プレゼントと一緒にメッセージが。
「もうすぐJICAの試験だけどガンバッテネ。」

もう何年も言い続けてきたけど、やっと!一歩進んだよ!!

二次選考を終えて・後編

2008-01-12 16:43:37 | 青年海外協力隊
・個人面接(技術面接、人物面接)

人物面接:2対1
技術面接とは違って、応募の動機やボランティアに対する考え方などを簡潔に。
20歳のとき初めてのボランティア活動、インド・マザーテレサの施設での体験から始まり、タイへの留学、社会経験にいたるまで、自分は何を考えどのように変わっていったのか。
具体的に現地で活動をし始めて、例えば見たこともない医療機器に遭遇したときどうするか。わたしが応募用紙に書いた自分の弱点から、実際そのような現場に直面したとき(医療機器の修理業務において、経験が浅いことと不十分な点が考えられることを述べていた)どうするか。
この点はわたしの中でもひっかかっていて、実際派遣先の病院がどこまで求めているのか、現地のスタッフにどこまで知識や技術があるのか、設備はどうなのか、インターネットは使えるのか、自分はどこまでやるべきなのか、、
いろいろな観点から自分の考えを言い出したら、途中で何を言ってるのかわからなくなって躓きました。
おそらく、その国に行って、その国にあるもので、その国のニーズにあったことをするのだから、今のわたしには想像もつかないことで、結局はわたし一人では何もできないので、現地スタッフに相談したり話し合ったり、「輪」を大切にして活動することなんかが求められるんじゃないのかな。
最後に何か質問しておきたいことはありますか?と聞かれたけど何も思い浮かばずで、それでは最後に何か言っておきたいことはありますか?と言われて、
「楽しい2年間にしたいです!」
って言葉がとっさに出ました(笑。

・健康診断
一次選考時に提出した健康診断書をもとに診察。
健康診断は唯一自信ありで、今回もなんの異常も無くクリアのはずです。
ただ、同じくアフリカを希望していた子が、派遣先がアフリカの場合はいくら正常値で正常範囲内であったとしても、アフリカ対象の正常範囲が存在するんだって、ってことを教えてくれました・・マラリアとかとかね。
それでダメになる人が多いそうです。わたしの場合、アフリカの地以外に選択肢がないからね。。
前回指摘された歯科検診はありませんでした。。
虫歯も完治して3ヶ月毎に定期健診も受けてるからあってもよかったんだけどー。

わたしは全項目を午前中に終わっちゃったんだけど、再検査などがあるかもしれないということで全員が終了する17時くらいまでは解散できませんでした。

お昼はJICAのカフェでランチしました。
とてもインターナショナルな雰囲気で、もちろん食事もインターナショナル、店員さんもインターナショナルでしたよ。わたしは冒険もせずベトナムのランチセットにしました。アフリカのごはんも気にはなったんだけどね。

午後の空いた時間はJICAの図書館で、前任者の報告書を読ませてもらいました。
わたしの第一希望の病院は今回新規募集なのでそのようなものはなく、第二希望の病院は医療機器としてではなく他の保守操作部門の職種で、ようやく第三希望にしてニジェールの国立病院で活動されてた臨床工学技士の方の報告書が見つかりました。
実は、数年前に同じ職種で応募したとき、「医療機器」は保守操作部門だったのですが、今回は保健衛生部門になっていました。小さなことかもしれないけれど、わたしにはこの分類の変化だけで嬉しかったのです。
わたしは臨床工学技士ですもの!!
ただのエンジニアではないです。報告書を見ても感じたのですが、現地の病院で医療機器を担当しているスタッフはやはりエンジニアです。機械のことは分かっても臨床のことは分かっていないエンジニアです。きっとそれを使用する相手が患者さんであることを一番には考えていないと思います。
もし、わたしが現地の病院に行くことができたなら、そのことを伝えるのも具体的にやっていきたい活動内容の一つなんです。

具体的には、ニジェールのそれなりの国立病院でもそうですが、機器を点検したくても点検道具がありません。代用代用です。
あと機器の説明書もなく使い方が適当?で頻繁に故障したりするようです。その方は、インターネットから情報収集をしてフランス語に翻訳して写真も添えて作成していました。電気メス、人工呼吸器、輸液ポンプ・シリンジポンプなど。ある程度の機器はインターネットから容易に情報収集できると書いてあったので安心しました。
日本と全然違うところは停電の多さですよね。とにかくバッテリーの必要性が考えられるでしょう。日本みたいに無停電ってものは・・??
もう一つは電圧の違いですね。独製、伊製、仏製、日本製、、いろんな国から援助された機器を使っているので変圧なんかも考えないと、それだけで故障しちゃうことも頻繁だそうです。もったいない!って思っちゃいます。

向こうに行ったらいっぱいいっぱい課題がありそう!
2年間なんかじゃぜっんぜん足りない!期間延長とかってできるのかなあ??
って言ったらうちの人に反対されそうだけど、、
イヤっ、もっとその前に行くと決まったわけではないので、今目の前にある課題をやらなくてはね


そんな感じで久々のJICA試験は終了しました~
英語はどうしようもないけど、面接はあれも言っておけば良かったーこれもー、、ってあとから出てくることもあります。
席が隣だった沖縄から来てた理学療法士さんと、どうだった?こうらしいよ、へぇー、あーやこーやと話は膨らむ一方で、最後は絶対受かりたいよねー、行きたいよねーって。
彼はパプアを第一希望にしていましたが、合格してまた出会えるといいね!

二次選考を終えて・前編

2008-01-10 00:45:19 | 青年海外協力隊
本日、JICAの二次選考を終えて東京より戻りました。

面接ではそこそこ手応えを感じれたのもあって、語学試験が重要視されないならもしかしたら・・・っていうのが50%、
一方で、英語はまったくといっていいほどできなかったし、技術面接で聞かれた口答試験もすぐに答えられなかったし、人物面接でもあがっちゃって途中で何言ってるのか分かんなくなっちゃったしやっぱり・・・っていうのも50%。

これは受かったな!って自信も無ければ、絶対落ちたーっ!って諦めも無い。
やっぱり結果はどっちに転がっててもおかしくないと思うので、結果がでるまでの一ヶ月間ほど、半々の気持ちが行ったり来たりしてそう。。


今回の反省点と課題>>>
・語学試験(英語、マークシート式、65分)

最初に20分ほどヒアリング。ほとんど聞き取れなかった。わたしがアジアで聞いて話して通じてる英語は、英語じゃないってことがいまさらながら判明。まったく効果なし。中学で英検3級を取って以来の英語力は、明らかに低下。確実に勉強しなければいけないということは分かっているが、勉強法が分からない。

・個人面接(技術面接、人物面接、各15分程度)

技術面接:2対1
臨床工学技士免許のほかに、第2種ME技術実力検定試験に合格していたことがプラスになった。同時に第1種の取得もすすめられた。
これに関しては、日本の臨床ME専門認定士を目指すとともに第1種ME技術実力検定試験の合格が認定条件ともなるので、JICAに関わらず一番の課題としたい。
口答試験で、第2種でやった問題の中から一問出題された。第2種は学生のときに取得していて、ほとんど忘れかけてしまっている。復習が必要。
実際これまでにわたしが積んできた病院での実務経験は、派遣先の病院が求めているニーズにあっていると思われる。特に、手術室での経験がないことをネックに思っていたが、心カテ室の経験がかなり大きく評価された。
また、機器管理をする上での知識なんかも評価されたと思う。
おそらく、日本の発展した医療の中でどれだけ多く長く実務経験を積むかなんかよりも、どれだけ多く広い知識を積むかのほうが重要だと考えた。発展途上国では日本のように恵まれてはいない。便利なものはない。その中で日本とできる限り同じように業務を行うためには、基礎となる知識が絶対に必要となる。特に、電気・電子関係は避けては通れない分野だと思う。

語学に関して、わたしが希望している国はウォロフ語という現地語があるけど、公用語はフランス語となっている。フランス語は勉強したことがないので、語学を学ぶことに対するアレルギーはあるかという旨を聞かれたけど、そこではタイの留学経験も評価され、現在は中国語を学んでいることなんかもアピールした。
英語に関しては応募者調書に書いた英検3級取得という文字だけで、最低限できると判断されてたようですが、実際今日の語学試験の結果でどう思われるかはナゾナゾ・・・

後日、後半戦を追究してみます。

これ、なんの数字??

2007-12-26 23:41:08 | 青年海外協力隊
帰国後、初



要請数4人に対して応募人数1人。わたしです、、

また新たな挑戦の第一歩に、この秋海外青年協力隊(JICA)に応募しました。

もっちろん!合格すればアフリカ(希望をきいてもらえたとしても選択肢はアフリカ大陸の中から)に行く覚悟はできているし、タイ語、中国語を捨ててでもフランス語を勉強する気もありますよ。今はボンジュールしかしらないけど・・。

でも今回の応募の一番の目的は、今の自分の現状を知ることであって、それゆえにこれからどのように仕事をしていくのかとか、何を勉強していくのかとか、その過程を見つめなおすため。

実際、応募調書を書いたり資料をまとめながら、予想以上に手応えを感じたのも確か。
東京での実務経験4年、そのまま働いていればもう7年。
本職を離れ、留学、現地採用とタイで過ごした2年のことは、わたしは遠回りをしたもんだぁ~とずっと思っていたけれど、結局この2年のことをプラスにまとめることができた。自己PRにもつながったし、途上国の病院派遣を希望する以上、海外での社会経験は確かなものだと感じた。

夢を描き始めた高校卒業時から現在に至る約10年間のことを、わたしは一ヶ月近くかかって書き上げた。10年のことをA4用紙一枚裏表にまとめようと思ったら、それは大変だったけど、初めて就職試験を受けたときのことを思えばずいぶん成長したのかな?


追伸:
そんなんで、一次選考の合格通知が無事届きました
一次は以前にも合格したことがあるから、ここでつまづいていたら話にならないんだけどー。
二次でどれだけの手応えを自分が感じられるかが、本当の初めの一歩になるような気がいたします。

そして、世界は広がった

2007-10-18 00:33:50 | 青年海外協力隊
上記のタイトル、まさにわたしの夢舞台。
今回の協力隊のスローガンです

地元、姫路で青年海外協力隊の体験談&説明会があったので行ってきました。
東京に住んでたときも何度か行ったけど、こういうの地方都市でもプログラムを組んでくれるので助かります。
さすが!東京は参加する人も多かったし、有名人(バレーボールの大林選手とか)のトークショーなんかもありました。イベントみたいな感じ。
その点、地方都市での開催は会議室みたいなところでこじんまりと行われていたけど、参加者よりOB(JICA兵庫)の人のほうが多くて、ほぼ個別相談だったのでそれもそれでいいと思う!

やっぱりやっぱりこういうの行っちゃうとますます行きたくなるよね。夢は膨らむ一方だしー
現在活躍中隊員の映画「そして、世界は広がった」上映中も感動してウルウルしてたよ。今度はわたしが!!って強く強く思った。
一度はあきらめかけてタイに行っちゃったけど、また原点に戻ってきたから夢への再出発だーっ!!!!

ちなみに今季の募集要項ですが、「医療機器」で4件ありました。
すべてアフリカ大陸!!ときたよ・・
ジプチ、ニジェール、ウガンダ、セネガルね。
まったく現状医療の把握できない国ばかりで正直戸惑うね。
配属先概要や要請概要が分かっているので、それから自分の条件と合わせて考えて見ます。こればっかりは要請国がわたしを必要としてくれない限りは行けないからね。

プレエントリー

2007-10-10 00:20:22 | 青年海外協力隊
・・・と次回のお受験につながるものがあるかも、と思って過去2回の受験経験を振り返ってみたのだけどー。。。

今季秋募集の募集要項が発表されたというので見てみたら、応募方法や選考方法が変わってたー
いつから変わったのか分からないけど、わたしが最後の試験受けたのもかれこれ数年前だったし。

まずは、一次選考が会場に出向く必要なく、すべて書類選考に変わる。今までわたしが受けていた専門分野の試験、英語の試験がなく(二次である)、専門分野の試験に関しては、職種によって書類選考時に提出する課題がある。ちなみに「医療機器」にはない。
一次選考の合否を決めるのは、「書類」のみというわけで、応募書類に基づき、技術審査・健康診断審査が行われるらしい。

過去問とか気にしたりしてる場合じゃないね。
まずは応募→派遣までのプロセスを知らなきゃ。
年2回募集があるからいつでも出動できるよーに。

というわけで、本日はプレエントリーへGo

お受験失敗談。。

2007-10-09 21:39:17 | 青年海外協力隊
わたしはこれまでに、協力隊の試験を2回受けたことがあるのだけどー。

初めてのお受験は学生のとき。
まだ国家試験も受かってないのに、、
募集要項には実務経験2年以上とか、派遣先によっては5年のところもあったけど、受験票が届いたので受験。
そのあたり、今のわたしと変わってないでしょ??

そのまま日本の病院に就職して、こんな技士になりたい!とか、就職したらこんなことがやりたい!とか、そういうのがなかったのよね。やっぱり途上国の病院のエンジニアでありたい以上、そこにつながる病院で働きたかったけど、そういう病院にもめぐり合えなかった。自分の能力が足りないというのも十分にあるのだけど。
あと、在学中に行ったアメリカでの病院の研修と、日本での病院実習とのギャップも自分の中ではかなり大きなものだったし。

結果ですが、当然一次敗退。
当時の学校の先生もやれやれ、、といった顔。
でも、まだ一歩も社会に踏み出していない学生だったからこそできた行動、いい経験だったと思うんだけどなぁ~

フツーにわたしは総合病院で働き始めたのが6年前、海外行けないのならせめて上京してやるぅ~って。病院関係者の皆様、スミマセン。

2回目のお受験は就職して2年目のある日。
助産師で同じく海外の道を目指す旅ともだちのY子とY子の先輩と一緒に受験。これといって勉強しなかったのだけど、専門試験はわたしの得意問題が出てて全問回答。語学やその他もそこそこ手ごたえあり。この語学というのは高校程度のレベルでそんなに難しくないのです(当時は)。
このとき、ようやく一次選考突破!!
この次の二次選考がまた仕事も休んで一日がかりの行事だった。
面接!面接!面接!一般的な面接と専門分野の面接とに分けられていたと記憶しているのだけど、今覚えているのは、
「虫、食べれますか?」
と聞かれて、
「はい!食べれます!」
ってやりとりしたことぐらいかなー。
あと、健康診断と歯科検診をやったのだけど、虫歯のひどさは指摘されました。
この日、協力隊の制服合わせなんかもするのです。あの制服にも国の代表!って重みがあった。

結果、二次敗退。
いまだ、落っこちた理由が分からないのよねー。これ、一番問題かと思われますが、、
あのあと絶対コレのせいだーっ!!と思って歯医者通いしたのだけど、一年以上かかった。
うん、原因は絶対コレだ。。

あのとき受かってたら、わたしの派遣先はアフリカのジプチって国だったのよね。
みんな知ってる??
フランス語だよ。よーし、リベンジだ

得意分野?すべて人並み・・

2007-10-08 02:36:52 | 青年海外協力隊
昨日の『世界・ふしぎ発見!トンガ編』、見た人いますか??
わたし、この番組一番好きなんですけど、昨日はトンガで活躍中の協力隊員が出てました。職種は何かな?と思ったら珠算。
こうやって何百人の日本人が世界の約60カ国で活動してるんだぁ~、と思うとほんと自分の将来が楽しみになります。いつか自分もああやって・・(TV出演を狙ってるわけではありませんが、笑)って。

それはそうと、協力隊に参加するにはほんと様々な職種があるのですよね。
知ってます?おもしろいものに「きのこ」とかあるのですよ!
「きのこ隊員」とかって呼ばれちゃうのかしら?それはそれで奥が深そう(研究員という意味で)でかっこいい。

わたしが希望しているのは、やっぱり自分の仕事として認識のある「医療機器」。
今のところは他の職種で参加しようとは思っていないけど、選択肢として考えてみたの。昨日の珠算隊員を見てね。

わたしだってさー、珠算は得意なのよ。小学生のときずっと習っててさ、2級だったかな?小学生の中では優良者だったと思うのよ。
書道だってそう。小学生のとき習ってた。何段だったかな?それなりに毎年賞状もらってたのよ。
絵もそう。金賞もらうほどの出来ばえだったんだよ。
あと水泳も。スイミングスクール通ってたから一通りは泳げるよ。
部活もそう。卓球3年間、バドミントン3年間所属のおかげで運動音痴でもない。
あとなんだなんだ・・皆さんももうご存知かとは思いますが、人並み以上ほんの少しだけ自慢できるものは、ピアノ。
3歳の頃から高校生の途中まで弾いてました。母がうちでピアノの先生をやっていたので、母のおかげでTV出演(地元の)もさせてもらったし、オーケストラと共演もさせてもらったし、小中学の音楽会は9年間伴奏をして自分アピールにもつながったし、いろんな検定試験も取った。

んん~、こうやってみたら英才教育受けてきたみたい??
うちのおばあちゃんは小学校の先生だし、お母さんはピアノの先生だし、おじいちゃんも教育熱心な人だったと思う。わたしに算数(九九とか)教えてくれたのは学校でもなくおじいちゃん。おかげで数学は得意なの!

でも違うのよ。
苦手なものって特別ないけれど、ピアノを除いてはほんと人並みにしかできないの。それもすべて過去のはなし。小学生の頃のわたしが一番優秀だったかも。
わたしの苦手なもの・・
それは「持続」とか「継続」とか、そういったものかもね。
わたしを知ってる人は感じてるかもしれないけれど、わたしって流されやすいよね?!

唯一続けてきたピアノも辞めてしまった。実はそれまでにも何度も投げ出して辞めたよ。何度も討論した、母と先生と自分と。ピアノが大嫌いで泣きわめいて家出状態。母はなんであんなにうるさく言うんだろうね。わたしに何を望んだのかね?母と同じ道?
中学生ぐらいまでは「将来の夢」って聞かれたら成り行きで、「ピアノの先生になりたい」って言ってきたけど、本心から出た言葉だったのかな?
すべて今の自分には、本当のことが分からないまま。

結局、わたしは自分の意志で音楽の道を選ばず、医療の道を選んだのだから、これだけは流されずにいたい。
そしたらおじいちゃんやおばあちゃんも、両親も分かってくれるかな?きっと期待されてたであろう音楽の道に進まなかったことも許してくれるかな?

ちょっと真剣になっちゃいましたが・・
いちよぉ、誤解されないために言っておきます。
わたしはピアノ大好きですよ!!
専門学生の頃は、仲間とバンド組んでしっかりキーボード役務めさせてもらったし、友人の結婚式なんかでも何度か依頼を受けて伴奏させてもらってます。ありがたいことです。
タイでも勤めてたクリニックにピアノがあったので弾いていました。
友人のうちに招かれてもピアノやキーボードがあると弾いています。
そういう意味では、わたしの唯一の見せ場なのかも?!

ピアノ演奏に関する依頼はどしどし受け付けます!!
わたしとしては結婚式で、結婚式といったらの曲(ほらっ!結婚行進曲、2曲あるよね)を演奏、しかも独奏してみたいのです。

どなたか??次結婚する人~、いません??
自分はまだまだだから・・

はじめまして!!追記

2007-09-19 21:42:15 | 青年海外協力隊
このブログ開設のきっかけ。

これまでアメブロで旅ブログを書いてたのだけど、こっちはしっかりと夢を追っかけます!その意志をまっとうするために分けたんだよね。

いつか派遣国から活動日記を発信できればなぁ
アフリカ、中南米、アジア、、、
わたしの派遣先はどこでしょう??
残念ながらわたしの大好きなアジアは望めないだろうなー。
だって、わたしの職種でここ数年の要請国見てたら、アフリカ大陸の名も知らない国だったり、サモア、トンガ、ソロモン諸島、、、などなど。
フツーの旅ではなかなか行けそうもないところだから期待は高まる一方なんだけど。
初めてのお受験は、当時わたしが一番愛してたレゲエ国ジャマイカが派遣先だったので、受験資格条件満たしてないのに受験しました。
まっ、あっさり一次敗退しましたけど

もともとわたしの職種、医療機器では他の職種に比べて要請も少ないのです。さらに派遣先もあんな感じで、、

そんなこと言っても今から派遣先を期待しててもしょうがないね。
これっ!!きたぁぁーーーーーっ!!!
ってときにすぐ出動できるように、

はい、勉強します

あっ、英語の試験もあるのよね。
タイ語とか中国語とかしゃべってる場合じゃないわ。。
でもあした、中国語会話。
あさってから、タイとネパール。

なんて矛盾

意外?!

2007-09-19 00:11:50 | 青年海外協力隊
自分の意志をしっかり持ってて、その意思を人に伝えられる人って尊敬する。
さて、自分はどこまでできるのかな?

以下、うまく伝えられるか分からないけど、、

そうそう、わたしは高校生のころから海外青年協力隊に行くのが夢なのです!!
そもそも進路を考えてるときに、
「わたし、海外で働きたい!!」
と何気なく(本人は子供ながらに本気)言った一言に父親は、
「海外青年協力隊」という言葉を教えてくれたのです。
言った本人様はもう忘れてしまっていると思うけど、わたしは忘れていない。
あのときの一言は、今でもじんわりわたしの脳裏に停滞中。
いつかこれを実行しない限りはずっとずっと脳裏から消えない。

いつもいつも応援してくれてる周りの人には、これからも見守っていただきたいから、ヨロシクです

わたしの語る夢話を、さんざん聞かされた人も多いと思うけど、それが父親の一言だったってこと、知らなかったでしょお??