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高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

どこまで過保護に・・・

2012年05月04日 02時17分47秒 | ●雑記録
久々にブログを休んでしまいました。

体調をくずしたとか、旅行に行った訳ではありません。

夜中の打合せやお付き合いが続き、書くのが厳しかったのです。


一日書かないと野球の連続無失策記録が、途絶えたような気持ちになり、昨日も書かずじまい。

私のブログ根性?はこんなものです。

で、新たな気持ちで書こうと思って、ニュースを眺めていたら、こんなことを知りビックリ・・・


卒業式は別として、大学の入学式に親が出ることに、ずっと呆れていましたが、最近は入社式に親を招待する企業も出始めてるとか。

理由は会社の業務を理解してもらい、親からサポートを得る狙いがあるそうですが、過保護化を助長するとしか思えません。

昔、学校では親の総称を“父兄”といい、それが男女差別から“父母”に変えたところ、片親等の児童への配慮から“保護者”に。

この保護者がくせ者で、本来親の役割りというのは、子供が社会に出て挫折しないよう、鍛えるところにあった筈が、社会に文句を言うだけの立場に、いつの間にか変わったように思います。

鍛えるより、文句を言うだけの方が楽ですから。


情緒障害児のある研究者は言ってました。

過保護の本質は愛情ではなく、子供をアクセサリー視して、一種のモノとしてしか見ないに他ならないと。

“モノ”が反抗すれば、憎しみしか起きないので、虐待に走るのも分かります。


大学に哲学が先なのか、企業や親に哲学が先なのでしょうか、この国には?




Bob Seger - 『Still the Same』
コメント
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