高島平に住んでもう26年になりますが、その中心とも言える高島平団地の人口も、最盛期の3万人から2万人に減り、過疎化と住民の高齢化が急激に進んでいます。
都内でも有数の生活環境と自然環境が整っていながら、非常に寂しい現実を最近、知りました。
退職するまではデザイン業界の常で、毎日深夜に近い帰宅で地元との接点も限られた範囲でした。しかし馴染みのパブを中心にして、世代に関係なく友達が増えるにつれ、無機質な街がとても“愛しい街”に変わってきました。
元々、約1万戸の団地が出来た当時は、東洋一ともてはやされ高根の華でもありました。高度成長にも併せ優秀な人が移り住んだ街でもあります。
そんな現状を考え合わせ、何か地元に“恩返し”と“活性化”をする材料はないか?と考えた時に思ったのが“人”です。
限られた範囲ですが、馴染みのパブで“友達の輪”が広がり、地元で飲むお酒が格段に美味しくなりました。
“地元の人”がもっと交流ができる場があれば、地元に対して愛着が増し、“街が活き活き”するのでは?
そんな思いで“ファッションカフェ”に挑戦することにしました。
都内でも有数の生活環境と自然環境が整っていながら、非常に寂しい現実を最近、知りました。
退職するまではデザイン業界の常で、毎日深夜に近い帰宅で地元との接点も限られた範囲でした。しかし馴染みのパブを中心にして、世代に関係なく友達が増えるにつれ、無機質な街がとても“愛しい街”に変わってきました。
元々、約1万戸の団地が出来た当時は、東洋一ともてはやされ高根の華でもありました。高度成長にも併せ優秀な人が移り住んだ街でもあります。
そんな現状を考え合わせ、何か地元に“恩返し”と“活性化”をする材料はないか?と考えた時に思ったのが“人”です。
限られた範囲ですが、馴染みのパブで“友達の輪”が広がり、地元で飲むお酒が格段に美味しくなりました。
“地元の人”がもっと交流ができる場があれば、地元に対して愛着が増し、“街が活き活き”するのでは?
そんな思いで“ファッションカフェ”に挑戦することにしました。