一燈照隅

日本が好きな日本人です

英霊に感謝。

2013年08月16日 | 大東亜戦争
8月15日。
この日が来ると毎年のようにマスコミは反戦平和、戦争が如何に悲惨であるかをこれでもかと伝えます。

平和なことは良いことです。
しかし、何故大東亜戦争になったのか。
何故我が国と米国は戦う事になったのか。
このことを若者達に事実を伝えていく必要があります。

そして、英霊達が過酷な戦場でいかに勇敢に戦ったか。
南の戦場では暑い中、水も食料も無く、親・兄弟・我が子の事を思い戦いました。
今年の夏は猛暑が続いています。
水の無いことを想像すれば如何に過酷か想像ができると思います。

これら英霊達のお陰で今の我が国がある。
その歴史の真実を教える必要があります。

作家の津本陽が「泥の蝶・インパール戦線死の断章」と題してインパールからビルマでの戦いを書いています。
その本のあとがきを抜粋して掲載します。

ニューギニア、ガダルカナル、フィリピン、レイテと戦場の規模の大小はあるが、いずれも兵器、食糧において最悪の条件のもとで戦った日本の将兵は、信じられないほどに気力をふりしぼり、死ぬまで屈せず戦い、その勇猛な行動は変らなかった。
いま、世界の人口は七十億を超えた。経済社会のしくみも激変した。他国に企業の拠点を移し、貿易競争に勝とうとつとめている。
自分の生まれた国家を必要とする観念よりも、属する企業の利益共同体のなかでもがき、生きぬこうとする。
銃砲撃をうけ、敵が日本本土に上陸するときは、女子供も銃をとり死のうと思いきめていた、戦前の日本人の国家観念は消え去ったかのようである。
いまは金さえあれば世界のどこでも暮らせると思っている人も、多いようだ。そんな社会がほんとうにくればよいが、日本民族をどのような時代の激変があろうとも、最後までうけいれてくれる国家は、日本しかない。
国家がなくなれば、自分の存在はなくなったものも同様である。それならば天皇をいただき、勝敗を度外視しても敵に当って砕けようとしたのが、日本の若者たちであった。

いまは生活さえできれば、国家などなくてもどうでもいい。日本がアメリカ、イギリス、中国をはじめ世界じゅうを相手に玉砕を覚悟で戦ったのは、昔話と思っている。
アメリカと日本が戦った事実さえ知らない若者もめずらしくない。幕末から国運を賭けた戦いを幾度もきりぬけてきた英傑たちの行動も、ほとんどいまにいい伝えられていない。
過去の歴史のうねりが、いまの国民たちにおおかた伝えられていないのは、世界に類のない長い歴史をもつ日本にとって、嘆いてもつきない悲しむべき現実である。
私は民族の先輩達が命をなげうって日本国の永続を願い、戦いぬいてきた血涙に満ちた足跡を忘れたくないために、この一文をものしたのである。
生死をくりかえすなか、人は波のうねりのようにわが遺伝子を子孫に伝えてきた。
日本人はこのあと地球にいかなる足跡をのこすかわからないが、過去を知らない者に将来の発展はないと思うのである。


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