一燈照隅

日本が好きな日本人です

会いたい。 話したい。

2012年05月20日 | 大東亜戦争
六十七年前のこの時期、沖縄を巡って最大の戦いが行われていました。

沖縄の戦闘では多くの二十歳前後の若者が特攻隊員として散華していきました。
その中の一人の遺書を紹介したいと思います。
陸軍第二十振武隊の隊員として、昭和二十年四月十二日知覧から飛び立った穴沢利夫少尉です。

穴沢少尉には許されぬ婚約者がいました。
その婚約者に宛てた遺書です。

『二人で力を合せて努めて来たが、終に実を結ばずに終った。
希望を持ちながらも、心の一隅であんなにも恐れていた"時期を失する"と言うことが実現してしまったのである。
去月十日、楽しみの日を胸に描きながら、池袋の駅で別れてあったのだが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。

発信は当分禁止された。(勿論、今は解除)

転々と処を変えつつ、多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書きたい。
書くことはうんとある。
しかし、そのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。
あなたのご両親様。兄様。姉様。妹様。弟様。
みんな、いい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、まったく月並みのお礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と、最期の純一なる心底から言って置きます。
今はいたずらに過去における長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
しかし、それとは別個に、婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない」
「いたずらに過去の小義にかかわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」
「あなたは、今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界には、もう存在しない」

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な、一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言うのである。
当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉(わかば)の候がここへは直きに訪れることだろう。
今更、何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり慾を言ってみたい。

一 読みたい本
  「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

二 観たい画
  ラファエル「聖母子像」芳崖「悲母観音」

三 智恵子 会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに、朗らかに笑って征く』
                     利夫
智恵子様



この遺書を読んだとき涙が溢れてきました。
軍人であるが故に愛する女性を残して(守るため)、特攻隊として散華していきました。
穴沢少尉の婚約は反対があり解消になりました。
それでも愛する人への思いを手紙にしたためていました。
それを最後に記したいと思います。

あの人があつたが為に純情一路に生き抜けたことを嬉しく思ひ乍ら征ける幸福者であることも。

最後に強く伝へて頂きたいことは、自己の意志一つで生きてゆくこと。
如何なることでも自己を幸福にする道と信ずる場合は恐れず進むこと。
要すれば、過去の利夫をきれいに忘れ去るべきこと。
賢明なる女性は良き妻となり良き母となるのを最上の道と利夫は考へ居ること。
将来の為には過去の一切を忘れ得るのが真に強き者であること。
以上呉々もおねがひします。

智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人問ほど幸福なものはない。
自分の将来は、自分にとつて最も尊い気持であるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによつて満たされるだらう。


「知覧からの手紙」水口文乃著 、「若き特攻隊員と太平洋戦争」森岡清美著より。
 






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1 コメント

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英霊に感謝しなくては (サファイア)
2012-10-01 08:44:46
はじめまして。調べ物をしていてここに来ました。
張作霖のことです。ふと目についたこの記事を読み涙しました。私も少し記事にしアメブロで書いています。
特攻の日、沖縄、硫黄島、忘れてはいけないことばかりです。読ませていただきありがとうございました。
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