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「検察側の最終弁論中の法律論の反駁」高柳賢三(東京裁判9)

2006年07月03日 | 東京裁判
東京裁判で、高柳賢三弁護人の冒頭陳述が全文却下されたことを“兎の手品”で書きましたが、昭和23年3月3日の弁護側最終弁論においては全文朗読が許可されました。
内容は2部に分かれていて、第1部は最初の陳述文であり、第2部は検察側最終弁論の後に新たに起草した文になっています。
その事によって、検察がどのようにこの裁判で裁こうとしていたか、また法律をどのように利用していたかが分かります。特にケロッグ・ブリアン条約(パリ不戦条約)をよりどころにしていたように見えます。しかしその事も弁論に書かれています。ケロッグ・ブリアン条約(パリ不戦条約)についてローガン弁護人も最終弁論で述べています。(この部分はいずれUPします)
この高柳賢三冒頭陳述の第2部を記載してみたいと思います。

第二部 検察側の最終弁論中の法律論の反駁

以上は首席検察官の冒頭陳述中の法律論に対する反駁である。
以下検察側最終弁論で提出された新たな法律論にたいし答へようと思ふ。

一 「戦争犯罪人」

降服文書中におりこまれたポツダム宣言中の戦争犯罪人と云ふのは諸種の点から論じて通常の戦争犯罪人と解すべきことは既に述べた通りである。
(一)Bー二節に於いて検察側は木戸日記を引用して日本政府は該字句が「戦争勃発責任者」を意味するものなることを認識して居たと云つてゐる。日本語の「戦争責任者」と云ふ言葉は休戦前には「戦争勃発責任者」のみならず「戦時中に於ける責任者」をも意味したのである。
而して木戸被告は後者の意味でこれを使用してゐた様である。天皇の御意見として表示されてゐる記事も戦争責任者を後者の意味と解釈しても何等矛盾はないのである。即ち天皇の信任されてゐた将軍や提督に累が及びうることもあるからである。
日本政府に戦争法規違反者の裁判を委任すると云ふ提案の良い先例は第一次世界大戦後ドイツ政府のなした要求であつて、これは日本政治家の熟知してゐたところである。右の歴史的事例に於て裁判をうくべき者は戦争勃発責任者でなく戦時中の戦争犯罪人であつた。
裁判所よりの質問に対する東郷被告の答も後の解釈を確認したのである(記録○〇〇頁)。そして兎に角木戸の日記の右条件提案に関する記事は伝声に過ぎないのである。
仮に百歩を譲つて戦争責任者は「戦争勃発責任者」を意味するものとしても、日本当局者が通例の戦争責任者以外にも及ぶのではないかと考をめぐらしてはならない理由はない。
本件の如き重要な事件に於ては些細なそして不明確な言葉は被告人に有利に解釈さるべきは当然である。
(二)検察側は「当時幾分でも疑があつたならば質問を発することに依つてこれを明かにすることが出来た筈である」といふ。これに対しては、右に立証した如く、第十項の字句の自然的意味は極めて明瞭であつて、この点に関しては疑を抱く余地はなかつたのであることを指摘する。
(三)検察側は又言ふ「弁護側が本裁判所条例又はそれに基く起訴状の各項目を攻撃せんとするならば―かかる攻撃がこの時期に許されるとしても―解釈上ポツダム宣言の字句は戦争勃発責任者を含み得ないといふことを立証する必要がある」。然し弁護側は既に戦争犯罪の自然的且一般に理解され意味と七月二十六日のポツダム宣言発表に伴ふ事情とに鑑みポツダム宣言に使用された字句は二様の意味を持ち得ないことを立証したのである。然らばこの自然的且一般に理解された意味がポツダム宣言に使用された字句の意味でないことは検察側において立証すべきである。然し検察側の提案した唯の証拠は次の二つである。(一)カイロ宣言。これは論点の解明について何等価値なきものである。(二)木戸日記の漠然たる記事。
連合国政府を代表する検察側は、ポツダムにあつた連合国政治家が右字句の使用により何を意味したかを明確にするためにそれら政治家の宣誓供述書を提出することは極めて容易であつた筈である。
斯かる証拠は勿論それ丈で決定的といふわけではないが検察側の有力なる証拠として役立ち得たであらう。検察側として特に容易に取り得たかうした措置を採られなかつたとの事実は検察側の主張を深い疑に投げこむものである。
しかしのみならず本件の如き歴史的事件に於て、この重大なる論点を訴訟技術的な挙証責任の規則に委する如きは軽率且不当である。この論点は真理性と正義の見地から必要ある場合には裁判所の職権によつても明確にすべきである事を主張する。
(四)検察側がなす様にドイツの戦犯被告人に関する八月八日ロンドン協定及び裁判所条例についての議論をその儘本件に適用することは出来ない。なぜならば日本が条件付降服の条件を受諾したときはドイツの場合とは異つた取扱を受けることを必然的に予期してゐたからである。又第七頁の議論も右の議論と同様価値なきものである。なぜなら、ニユルンベルグ法廷が侵略戦争とへーグ条約違反との非道性の軽重に関する意見は此処ではなんら問題ではなく、問題は本件の被告が「戦争犯罪人」なる辞句をどう解釈する権利をもつかである。
弁護人側の主張では戦争犯罪といふのは戦場に於ける軍隊の行動と戦時中に起つた同様の行為に関する戦時法規の犯罪的違反をいふのである。今迄で一般に了解されてゐたかうした解釈を拡大することは圧制的であるといふのである。
(五)(B―七節)B一一四頁に於てドイツ皇帝は専制君主であつたと言はれてゐる。これは承認しえない。ドイツ帝国憲法が聯邦憲法であつたことによつてもさうでないことが明かである。ドイツ各邦の君主又は国務大臣は起訴されなかつた。B―一五頁において未遂に終つたドイツ皇帝訴追(この訴追が不成功に終つたのはそれが良心に違反する種類のものであつたからである)は「権利を確立した」と言ふ主張は、排斥さるべきである。
(六)戦争勃発責任を通常の戦争犯罪人と同視すること(B―九節、B―一五貢)は早計
且つ無根拠である。後者に対する取扱は長年に亙つて確立し、その罰則もきまつてゐる更にその処理は復仇に依つて制約されてゐる。然るに前者には復仇による制約がない。
T・A。ウーカー博士は其の『国際法学』に於て、氏は、十六世紀の宗教戦争の際交戦
法規を全面的に廃止して見た、然るに覆仇が断然増加して困つたので「古来の習慣を憧憬(しょうけい)」するに到り戦争法規が復活したと我々に教へてゐる。然るに交戦国が侵略者を処罰せんとする場合には、これに対し自らの感情以外何等制約がないのである。この点丈を考慮しても検察側がなんら差別なきものとしてゐる二者の問には劃然たる区別あることが分るのである。
(七)B-一五項、B-二一貢に於て検察側は被告人の信じたところには相当な根拠がなければならないといふことを根本的要件の一つに数へてゐる。それは一般刑法理論として行き過ぎである。この議論で行くと真面目であつても馬鹿な又は思ひ過ぎた錯覚の為死刑に該当する罪に問はれることになる。これは不合理であつた事丈で人を犯罪人とすることである。

ニ パリ条約と自衛権

パリ条約と国家の自衛権関してはすでに十分云ひ尽して居る。然し乍ら検察側から新しい議論が提出されたのでそれに対し答へて置く必要がある。
(一)検察側はB-一〇節、及び一二節において許容さるべき自衛権とは領土侵入に対してのみであると云ふ。これはケロツグ国務長官が上院外交委員会で明確に説明して居る点、上院外交委員長ボラー氏が上院でなした陳述、更にオースチン・チエンバレン卿がケロツグ・ブリアン条約受諾に際しなした声明に暗黙にふくまれるところと全く相反するものである。これ等諸言明は既に引用したところである。自衛権は支那満洲に駐屯した日本軍の防衛に及ぶものでありそれは米国パナマ海峡地帯駐屯のアメリカ軍隊防衛に及ぶのと同様である。此処で一九三二年五月二日に締結された仏ソ相互援助協約に言及しておく。これは両国いづれかが他の欧洲諸国より挑発なき侵略を受けたるときは或る条件のもとに他の一国は直に其の援助をなすことを規定した条約であるが、この場合の侵略はフランス又はソ聯の国土を侵された場合に特に限定してゐる。これは明かに侵略行為に対する自衛権発動が領土侵略に対する防衛に限らないことを証明してゐるのである。
(二)B-一四節、B-一二頁には自衛なりやいなやは裁判所の決定すべき事項であるとする。これは米国の最高政治家が繰返し声明したところと矛盾するものである。彼等は各国はなにが自国の自衛権の発動であるかを決定しうべきで、米国も其他の国々もこれをいかなる裁判所に〔もこれを〕附託することには応諾しないと述べてある。そして国家の自衛行為にたいし輿論は或はこれを喝采し或は非難するであらうとして居る。彼等のいはんとしたのは其の言明通りである。自衛行為は国際法上唯一の制裁である一般の非難を受けるといふことのみである。彼等の言はんとしたのはこれ以外ほ及ばず、又及ぶものとすべきでない。中米に於けるモンロー主義擁護の為めアメリカは戦争する権利ありと主張したジェームズ・ブレインは若し敵にたとえらへられた場合アメリカの指導者は裁判にかけられて生命の危険に曝されるといふ意味だと聞いたら、果してどう思ふことであらう。
著者の個人的な理論上の立場からの主張であるオッペンハイムのごとき学者の意見は自国政府の行動に対して抑制を加へんとしてなした提言であるかも知れない。日本法律家の意見書などは、条約の解釈の第一原則は各締約国の真意を確かめるにあること、そしてかうした真意は単に条約の辞句のみならず、其れに関聯ある外交文書その締約の際又はそれ以前に指導的政治家のなした声明等に照して探究せねばらぬといふ国際法の確定原則を変更しえない。又この根本原則が変更したことを示す証拠はなんら提出されて居ない。
国際法は確かに各国民の合意により進歩成長して行く。而し乍ら条約は締約国全部の同意なくして其の内容を拡大又は変更することは出きない。これはパリ宣言や一九二九年のジエネバ条約や不戦条約のやうな国際法の一般規定を締結した多辺的条約の場合でも又二国家間の条約の場合でも同様である。
(3)B-一四節、B-二一貢に於ける検察〔側〕の主張は自衛権の発動は相当に予想される武力的領土侵入の場合のみで武力包囲とか況や経済包囲の場合には及ばないと主張する。これはケロツグ国務長官が上院外交委員会でなした声明に背反する。このことについては他の弁護人より詳論することになっている。更に我々は既に引用した上院外交委員長が各国は何が自国に対する攻撃であるかを決定する権利をもつと言明した点につき再び裁判官各位の注意を促すものである。

三 共同謀議

(一)「共同謀議」と云ふ言葉がすこぶる曖昧であるといふ事実は、国内法から類推して国際法上の犯罪を創造せんとすることがいかに危険であるかといふことの引証になることを裁判所は了解せられるであらう。英米法に依れば共同謀議は一つの軽罪に対する特殊な罪名で非合法的行為を合同して企んだ場合を云ふのである。そして首席検察官はその冒頭陳述に於てこれに関する聯邦裁判所の判例を引用したのである。これは所謂「ミスデミナー」であつて英法では最長期ニケ年の刑に処せられる罪である。この意味に於て是れは英米法独特の罪であらうと云うたのである。
しかし一般的にはこの言葉は最も極悪な犯罪、即ち暴力を用ひて政府を倒壊するを目的とする共同計画を指して用ひられる。即ち端的にいへば叛逆罪である。検察側はこの言葉を用ひて訴追して居ない。何故か、それは本裁判の被告達はこの罪名の下に到底有罪となり得ないことは誰にでも分ることになるからである。けだし叛逆の対象たる世界国家なるものは存在しないからである。
斯くして検察側は特殊な軽罪たる共同謀議罪を以て国内法中最も重大なる罪を問ひ極刑を求めて居ることになるのである。これは軽罪たる共同謀議罪の類推ではなく、叛逆罪陰謀の類推である。然るに被告は叛逆罪に問はれて居ない。刑事訴訟の伝統は検察側は常に最も明瞭且つ簡明な方法で立証をなしコジツケ的論法を絶対に排除することにある。従て検察側は国際的に適用されねばならぬと想像し希望するだけでなく、それが適用さるべき理由を示さなければならない。弁護側は適用なきこと明白なことを確信するが、ここに積極的に国際社会と国家との本質的差異によつてその適用が排除さるべきことを論証する。
(二)叛逆罪の場合にはこれに関係する人々は充分に確立した社会の組織員である。そしてその社会は彼等の生活のあらゆる部面で彼等に面接する。又彼等のなす行為、そのとる食物についてもこれに依拠するのである。それが彼等の属する国家である。大叛逆罪はその国家を結び付けて居る組織を破壊して暴力によつて彼等の好む組織をもつて之に代へんとする企図である。従つて之に対する危惧の念に刺戟されて或る国又は恐らく多くの国に於て、かゝる計画を極悪非道の犯罪とする。これに対する強い恐怖心から更に進んで計画に少しでも関係した者又はこの計画を知らなかつた者をも等しく責任あり有罪であるとしたことは、さほどあやしむに足りない。かうした場合罪の軽重を問はず又計画が実行されたと否とは問題としない。従つて総てが抱く叛逆罪であり総てが均しく有罪であるとする。
然し本件では右の場合とは全然その趣を異にする。世界国家は存在しない。他国の便益を顧慮しないでその輸出品にたいし関税を課し、又は将来他国に対して使用される可能性のある軍備を具へる国を抑制し又はこれを処罰する世界政府は存在しない。全世界の教育家が若人の心のうちに世界社会の観念を育成することは結構なことである。しかし世界社会の観念は今なほ弱い。そして世界政治は今なほ主権国家から成る国際社会の前提の下に運営されてゐる。われわれはこの事実を悲しむかも知れない。しかしそれが事実であり現実である。そして国際の規範はかうした現実を前提として成立するのである。
国際戦争は誠に恐るべき害悪であり又その害悪は増加してゐる。何人もこれを嫌ひ、これを恐れる。戦争をしないやうに国家間に条約が締結された。何人もかゝる条約に価値を置き、条約が遵守されることを希望する。然し、その叛逆者と他国に対する戦争、所謂「侵略戦争」をなす共謀者とを同列に置くことができるか。叛逆者は社会の全機構を破壊しその中枢神経に触れるものである。戦争の計画者は獅子と小羊との共存する敬度な希望をうらぎつてゐる丈である。われわれはかうした敬度な希望を嘲笑する意図のないことは勿論である。われわれの殊に指摘せんとするのは只、一方で戦争の準備を行ふことと他方で大逆罪の陰謀をなすことを同列に置くべきではない、叛逆罪の陰謀に伴ふ惨虐な刑罰を独立国の政治家軍人の行為に新奇且つ驚くべき方法で適用することを正当化するやうな類似性はその問にないと云ふ点である。
(三)共同謀議の名のもとに叛逆罪を導入せんとすることは忠誠の誓に基いた封建的のイギリス法の惨忍な規則即ち少しでも叛逆罪に関与した者にたいし最大の罪を無差別的に帰せしめる法理を国際法に導入せんとする試みである。然しこれは自然法及び国際法によつて排除せらるべきであることは明白である。国際法が個人の罪を認める場合があるとすれば、それは個人の行動に依つて個人の罪を計らねばならぬのである。
(四)検察側の最終弁論において初めて提出された共同謀議論に関してはわれわれが次のことを付け加へることを許され度い。共同謀議が「起訴及び責任立証の形式」であるとの議論は論拠頗(すこぶ)る薄弱である。手続の仮装のもとに国際犯罪たることの立証されてないやうな死刑該当の罪に対し、これを起訴し、これに対して責任を負はせんとすることは驚くべきことである。
弁護側の主張によれば、比較刑法によつて共同謀議は国際犯罪たることを立証せんとした検察側の試みは、完全なる失敗である。検察側は共同謀議罪は文明国によつて承認された法の一般原則として国際法の規則であることを立証する目的で諸国の刑法典を引用する。そして法の一般原則は国際刑法の淵源をなすものであるとする。検察側のこの提言は英米法における四つの事項を注意深く識別することによつて容易に論駁することができる。
(イ)叛逆罪の陰謀。これはその実叛逆罪なのである。犯罪中最も重い叛逆罪においては、この罪に少しでも関与した何人をも逃さず又これに対して極刑が科せられるかも知れない。然し継べての国家に於いて、国家の安全とその基本的制度との安定が、総ての国家によつてそれが侵略者に対する極刑によって保証されてゐると云ふ事実は、本件に於いて何ものをも立証することにはならない。けだし叛逆罪の陰謀を含む叛逆罪の成立の基底となるべき世界国家が存在しないことは明白であるからである。
(ロ)共同謀議罪。これはある違法な行為(ある場合良俗に反する行為)をなす共同計画をその本質とする。これが既に述べたやうに裁判官、法学者の猛烈な非難の対象となつてゐる犯罪である。共同謀議罪に関する英米のやうな広汎な理論はわれわれの知る限りローマ法系に於いては認められてゐない。ローマ法系の諸国中ある国では重罪の陰謀を罰し、他の国ではこれを罰してゐないことは検察側もこれを容認する。従つてこの場合に於ては、文明国の認める法の一般原則は存在しない。
(ハ)刑事代位責任。もしも数人が共同の不法計画をなす場合には、この計画の遂行中行はるる犯罪、計画されたる犯罪に対してのみならず、行はれたる犯罪に対して責任を負ふ(その行為が計画されたる犯罪より重い罪であると否とに拘らず)と云ふ珍奇な原則、これは刑事代位責任の原則と名づけ得るであらう。この原理は歴史的理由に基いて成立する英米法独特のものである。検察側は多数刑法学者から非難をうけてゐる日本大審院の共犯に関する判例を引用するが、これも検察側の主張するやうな英米法の共同謀議罪程広汎ではない。それは兎に角、英米法の刑事代位責任の原則が普通であることは検察側によつて少しも立証されてゐない。しかのみならず、この原則は明白にわれわれの正義心に背反するものである。とにかくそれが文明国の承認する法の一般原則とは看倣し得ないことは明かである。
(ニ)民事代位責任の原則。これによれば使用者はその使用人又は代理人(機関)の職務執行中なした民事違法行為に対し責任を負ふ。この近代的英米の無過失責任の原則が現在(一九四八年)各国の民事立法に採用された程度を述べることはわれわれとして困難である。大多数の立法例は多分古典的な過失責任主義を今なほ固守してゐることであらう。この原則は英国及米国に於てさへも刑法には適用しない。唯極めて微罪の場合に於てのみ使用者はその部下の犯罪に対して刑罰を科せられる。この原則は閣員の刑事責任を支持するために検察側によつて援用されて居るやうであるから(B、一七節以下)こゝに触れておいたのである。
(五)検察側が「法の一般原則」に頼らざるを得ないと云ふ事実そのものが、その主張は国際法上何等の根拠なきものであることを明瞭にする。けだし右の国際法の法源は実定国際法が見出されない場合にのみこの法源を援用する趣旨であるからである。それはフーヴアー判事の有名な言葉「不明瞭の袋小路」に対して備へる趣旨即ち裁判所が適用すべき法がないと云ふ理由で裁判を拒否することを防止する趣旨である。それは国際法によつて国家間の紛争を処理するため或る場合有用な法源であらう。そしてそれが一九二〇年常設国際司法裁判所の条例起草者の目的であつた。それは国際刑法に於ては援用しえない法源であり又援用してはならない法源である。これが援用は明白に文明国の通則たる罪刑法定主義に違反する。
検察側はヒツトラー立法の下におけるが如く、その主張は類推のみに基くのであることを明言する。然し国内法における叛逆罪の陰謀の類推は世界国家が現実の存在となるまでは常にあやまった類推である。
続く

東京裁判日本の弁明「却下未提出弁護側資料」小堀桂一郎編


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