一燈照隅

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教育勅語謹解

2006年04月26日 | 日本の教育
前回、「教育勅語」の発布に至る理由から廃止までのことを記事にしましたが、「教育勅語」について昭和45年に刊行された「みんなの教育勅語―若い人々のために―」渡辺正広著 洋販出版 に解りやすく「教育勅語」の解説が書かれています。
教育勅語が決して堅苦しいものでない、当たり前のことを述べているだけなのがわかると思います。


教育勅語謹解

わたくしたちの祖先が、この日本の国の基礎を確立されたのは、遠い昔のことです。そして、徳をもって、生活の信条とされてきました。日本の国民は、昔から、忠孝一致の精神を道徳の根本として、心をいつでも一つにしてりっぱな成果 をあげてきました。これが、日本の国柄の一番よいところです。そして、わが国 の教育の根本も、この道徳の精神なのです。

皆さん、先づ両親に孝行をすることです。また兄弟姉妹は仲良くしなければなりません。夫婦は円満に、友だち同士はお互いに信じ合うことです。自分自身に対してはいつもつつしみ深く厳格にし、他人に対してはなるべくゆるやかにしてあげて、愛情をもつようにしましょう。よく学び、自分の仕事は一生懸命覚え、そして知識、才能を積みかさね、人格を完成させて下さい。更に自ら進んで自分の生まれたこの社会に奉仕し、まじめに自分の仕事に喜びと誇りとをもつて下さい。常に憲法の根本精神を大切に生かし、法律をよく守るようにしましょう。もし、万一、わが国になにか非常事態が起きたら、愛する祖国と家族のため喜んで勇気をふるって身を投げだし、そして、未来永遠につづく日本の国の生命を守る気概をもちましょう。

以上述べた徳目をよく守れば、それが日本人として忠良な国民となるわけで、またあなた方の祖先の実行されたことと一致するわけです。この道徳観はわたくしたちの祖先の遺された教えで、そしてまた現在ばかりでなく、子供達とか孫まで伝えて実行すべきことです。この考え方は昔も今も、また洋の東西を問わず正しいものと思います。私もあなた方国民と共に進んでこの教えを守り、そして皆で、この徳を身につけて実行するようにしましょう。

明治二十三年十月三十日
御名御璽


-朕-
「朕」とは、わたくし、という意味です。
英語で、わたくしという表現はI(アイ)しかありません。仏語ではje(ジュ)、独語ではich(イッヒ)です。男であろうと女であろうと、大人でも子供でも、都会の人でも田舎の人でも、欧米ではたった一つしか言い表わす方法がありません。 ところが日本語ではわたくしという表現がたくさんあるのです。私、僕、俺、吾輩、小生と何十もあります。、それによって男か女かがわかります。言い方によっては生まれ故郷までわかってしまいます。オイドンと言えばああ鹿児島の人だなあというわけです。ワラワと言ったら昔のお姫様ですし、拙者と言えば侍で す。皆さんも自分という言い方がどの位あるか勘定してごらんなさい。随分ある でしょう。日本は誠に表現方法が豊富な国で、「言霊の幸う」国ともいわれます。 その日本で、自分のことを「朕」と表現される方は、たった一人です。天皇だ けです。ここでは明治天皇が、私はこう思う、とおっしゃっておられるのです。

-唯フニ-
「私はこれから述ぺることを確信しています」という意味です。惟うというのは単に思うという意味ではなく、絶対間違いないと確信しているという強い表現です。 日本は温帯と寒帯の間に位置して、春、夏、秋、冬の区別があります。四季各々その良さがあり、雨も程よく降ってくれます。山の幸といわれる動・植物もあり、海の幸である魚貝、藻類も豊富です。人間が暮らすのには最もよい気候と環境に恵まれているところなのです。この島に住む私たち大和民族は、たいへん幸福なわけです。その上単一の民族であり、同じ言葉を話します。島国なので、外国の人が海を渡ってくることも昔は困難でした。従って、人種問題も起きません。この島に住む私達の祖先は皆、温和な、人情味ゆたかな、勤勉な入々でした。



-我力皇組皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠二-
「私たちの祖先が日本の国の基礎を確立されたのは昔々のことです」という意味です。
この大自然の恵みを受けた私達の祖先は、縄文文化や弥生文化を生みだし、やがて日本の国の礎を確立しました。その当時の文化が如何に素晴らしかったかは、あちらこちらの遺跡から発見されたものを見てもわかります。それは遠い遠い昔の話です。西洋紀元よりもっと前だったかも知れません。 長い歴史をもつ私達の国日本は、数々の語り伝えられた神話や伝説をもつ国なのです。 古い歴史をもつということは民族として一つの誇りです。喜びです。この伝統と文化を大事に、温かく保っていきたいものです。



-徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ-
「そして徳をもつて生活の信条とされてきました」という意味です。
このような文化と歴史をもった民族は、ますます栄えました。そして、みんな明るく楽しく暮し、徳をもって生活の信条としてきました。お社をつくり祖先を大事におまつりして守ってきました。自分がこの世にあるのは父や母のおかげであり、さらにお父さんもお母さんも、おじいさんおばあさんのおかげで生をうけたからです。 日本民族は、祖先の恩を忘れず楽しい事も辛い事も、うれしい事も悲しい事も、何でも祖先に報告し安心感を持つ民族なのです。それが連綿として今の世 までも伝えられ、信仰となり心のよりどころとなっているのです。



-我力臣民克ク忠二克ク孝二-
「日本の国民は昔から忠と孝を道徳の根本にしてきました」という意味です。
私達日本人は、皇室を日本民族の総本家としてあがめ、道徳の中心として敬ってきたのです。 現行の日本国憲法第一章第一条で、天皇は「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」であられますが、この規定はこの歴史的事実によったものです。日本国憲法によってはじめてこういう考え方が出てきたのではありません。長い長い歴吏的事実をふまえて、それを文章化したものがこの規定なのです。現在の憲法の解釈は、いろいろあるようですが、どういう解釈をするにせよ、この基本 線を忘れてはいけません。 日本民族は皇室に対しては忠、親に対しては孝という考えで何千年も続いてきたのです。この忠、孝の一致が日本の道徳の根本中の根本です。



-億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ-
「一億の日本人が心をいつでも一つにして、りっぱな成果をあげてきました」
という意味です。 日本民族が単一民族で同一言語を話す国民であることは前に書きました。しかもそれが何千年と続いているのです。日本人全部が同じ心を持てるのも少しも不思議ではありません。種々の民族が集まってできている国では、その各民族が異った歴史慣習をもっているので、国民全体が心を一つにすることはなかなか出来ないわけです。
ところが日本ではなんでもないことなのです。これが日本の特徴です。その団結の固さ、美しさは、歴史上何回も発揮されました。元寇の時もそうです。当時、欧亜大陸を征服して、世界を圧する勢いの元の軍隊が、こんな小さな島の一つや二つと思って攻めて来たのです。この元の大軍をこの小さな島国の人人が、億兆心を一にして防いだのでした。そしてりっぱにまもり通しました。今度の大東亜戦争の時もそうです。負けたのは事実ですが、その敗戦に際しての態度は、億兆の日本人が心を全く一にした好例です。終戦の時、天皇が詔書を出されますと、全国民にはそのお心がピーンとわかり、一糸乱れず終戦処理がスムーズに行なわれました。これは世界から、世紀の奇跡といわれましたが、私達には少しも不思議ではありません。民族の親である天皇が、戦火によって日本国民が苦しむのは自分の体が裂かれるように辛いとおっしゃり、戦い敗れて外国軍が来るけれど恥をしのびなさい。自分は耐え難きを耐え、しのび難きをしのぶと言われたわけです。天皇が辛い思いをされるのなら、私達はどんな苦しいことでもがまんしますと心に誓ったわけです。私達にとって億兆心を一にすることはなんでもない ことで、ごく自然なことなのです。これが日本の伝統であり、土壌なのです。
現在、公害が大問題となっています。これも単に批難や攻撃ばかりしていないで、政府が、企業家が、学者が、一般の私達が心を合せて解決するよう前向きに努力すべきです。十年以内に東京は美しい青空におおわれ、隅田川には魚が泳ぎ 、紺碧の海田子浦から富士の白雪が見えるようにしようではありませんか。億兆心を一つにすれば日本の科学技術と日本人の勤勉性は必ずなしとげることができます。



-此レ我力國體ノ精華ニシテ-
「これが日本の国の本質の一番よいところです」という意味です。
日本民族が、古来何干年も同じ心になって続いてきたということは前にも述べた通りです。ですから我が国は外国のように、ファシズムで専制政治になったこともありませんし、共産主義のように独裁的になったこともありません。
日本の国の政治のあり方は、たいへんデモクラティクであったのです。遠い神代の時代に、素戔嗚尊を追放する時も「安河原に神集いに集いて」決めておられますし、聖徳太子の十七条の憲法第一条に、「和を以て貴しとなす」、第十七条に 「大事をば独り断ずべからず、必ず衆とともによろしく論ずべし」とあります。 また、大化の改新の時にも「独り制むべからず」とあります。 日本の歴史上、権力をもった人は何人もいました。が、自分が天皇に代ろうと思った人は一人もいません。これは歴史的事実です。王朝の断絶は勿論、更迭もありませんでした。国のはじめから今日に至るまで万世一系の天皇が国の中心と仰がれてきました。これが、日本の国体で、日本の特徴なのです。このことは、将来も永遠につゞくでしょう。



-教育ノ淵源亦實二此二存ス
「そして我が国の教育の根本もこの徳を中心とした精神です」という意味です。
日本の教育の根本は、日本の国の歴史、伝統、土壌から出て来たものなのです。日本の特徴は、何千年もの日本古来の伝統に、中国、印度、あるいは西欧のよいものをとり入れてうまく日本化して来たことです。文字通り東西文化融合の国なのです。これは恐らく世界中で日本だけではないでしょうか。歴史のない国は淋しいものですし、また、過去の栄光の感傷のみに浸っているのもいけません。forgotten cuntry(忘れられた国)になってしまったら大変です。精神はあくまでも日本古来のもので、その上に最新の技術や科学をとり入れましょう。
明治天皇がこの教育勅語をお出しになった時は丁度現在の日本のように、歴史伝統を忘れ、思想が教育が、主義が混乱している時だつたのです。そこで根本をはっきり正されたわけです。


教育勅語謹解Ⅱ

教育勅語謹解Ⅲ

教育勅語発布の由来




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