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井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

竹内洋岳さんの講演を聴く!

2012-07-15 12:24:02 | その他
 8千メートル峰14座を今年達成した竹内さんが講演のため札幌市に来ました。
   
    ケイタイの写真のためボケています。

 6月13日(金)午後7時30分から
 場所 エルプラザ
 道警主催の「夏山遭難を防止するためのシンポジウム」において14座目となるダウラギリ登山の様子を中心にお話がありました。

 気取らない語り口で臨場感タップリのお話でした。
約1時間がアッという間に過ぎていきます。

高度順応をアイランドピークで行ったと聞いて私が昨年登ったあのピークで1夜を過ごしたのかと思うと一層の親近感が湧いてきました。

ダウラギリもアンナプルナサーキットの後半はいつも目にしていた山です。

8千メートル峰最後のダウラギリも簡単には登らせてもらえなかったようです。
山頂を極めた後にテントもなしにビバーク、でも、本人にはちゃんと計算が立っていたようです。

下山して初めて登山が完結する。
それは山の高低に関係なく一番心に留め置かなければいけないことを教えてくれました。


 この日は、道警の山岳遭難救助隊救助対策官の西村さんによる最近の遭難事例を統計から説明がありました。

 次ぎに、大野病院で登山者外来を開設している大城和恵さんが、熱中症と低体温症について予防と対象方についての解説もありました。

 全体を通してなかなか参考になるお話が聞けて良かったです。

故・星野道夫さんの作品のスライド上映会が・・・

2012-05-22 22:43:21 | その他
 故・星野道夫さんが撮影した写真のスライド上映会「星野道夫と見た風景」が札幌で開催されます。

 日  時: 6月18日(月曜日)午後6時30分から
 場  所: 札幌市教育文化会館
       住所~札幌市中央区北1条西13丁目
 主  催: NGO法人「ヒマラヤ圏サパナ」

 講演内容: 93年~96年に星野道夫さんが撮影した写真を100枚ほど
       スライド上映します。
       そして、撮影に同行した直子夫人が撮影の様子を解説します。

 入場券:  前売券は、1,500円 (当日券2,000円)
       取扱い場所は、道新プレイガイドの他
       詳しい内容はhttp://wasrenags.jimdo.com/をご覧ください。 


 さらに、このスライド上映会の前日にあたる6月17日(日曜日)午後4時から奥様の直子さんによる無料トークショーが紀伊國屋書店本店にて行われます。

 星野作品に興味のある方はぜひご覧になってください。

 私は都合を付けて両方とも行ってみようと思っています。

イグルー制作(冬山への準備)

2012-02-04 20:08:55 | その他
 2月4日 今日はイグルー制作を見に行きました。
 イグルーは、イヌイットの人達が冬の住居として作っていたものです。
北海道では、早くから北大の山岳部などが冬山の登山に有効活用して日高などで絶大な効果を上げていました。
この当時のテントは綿の布地を使っていたため濡れると凍り付き重量が増えて大変なことになったのです。
そこで、冬山登山にイグルーを使う方法を編み出して活用していました。
イグルーは、スコップとノコギリがあれば3~4人でも2時間ほどで作ることが出来ます。

 私は、雪洞を掘って冬山を登ったことがありますが、イグルーを作ったことはありません。
雪洞は雪庇などのようにタップリの深さがある雪が積もった所でなければ出来ません。
しかし、イグルーは雪のブロックを積み上げるため、それほど深い雪が積もっていない所でも作成できるという利点があります。

 今日は、秀岳荘白石店の裏にある駐車場が作成会場です。
作成するのは、日本山岳会北海道支部の方々です。
午後1時からだというのでその時間に合わせて会場へ行きましたが、そこにはほんの数人しかいないのです。
私は、作る過程を写真に写そうと思っていたのですが、これではそういうわけにもいきません。
人数が少ないのでブロックの切り出しをお手伝いすることにしました。
   
    まず、1段目を積みます。約15~6個でしょうか。

 1段目を積む前に大きさの目安となる円を描きます。
この円はストックを使って描きます。
ストックの長さは1メートルほどですので、約2メートル強の円が描かれます。
この大きさで4~5人が使える大きさになります。

   
    2段目が積み終わったところです。

 さらに、ドンドン積み上げます。
   

   
    このぐらいの高さになるとブロックを持ち上げるのも大変です。
この高さから内側へブロックをせり出すように積み上げ、開口部を小さくしていきます。
   
 
   
   内側から見るとこんな感じになります。

   
    外から見るとそんなに変わらないのですが・・・
 
   
    最後の1段を残したところです。
    青空が小さくなっています。
 
   
    最上部を塞いだところです。

 あとはブロックの隙間に雪を詰めて防ぎます。
さらに、内側に突き出ているブロックの角を削ります。
この作業を丁寧にやっておかないとイグルーの中で火を使い融けた雪が滴となって落ちてきます。
それを防ぐためにブロックの角を削るのです。

   
   完成です! 

 ここまでの作業に要した時間は、約2時間です。
これを山で行うには、まずブロックに適した固い雪を捜す必要があります。
それがなければ踏み固めてしばらく時間をおかないと作業に移ることが出来ません。

 私は、このイグルーを作る技術があれば雪洞を掘るのに雪が少ない場所でも、雪洞にイグルーを組み合わせてテント代わりに出来るのではないかと考えています。
一度、制作を体験しておけば、応用することが可能です。

 大人の雪遊びのような時間でしたが、貴重な技術を学ぶことが出来ました。



   

今日から3週間の・・・

2011-10-23 08:56:28 | その他
 今日から3週間、ネパールへ行って来ます。
今回は、カラパタール(5,545m)からエベレストを見ることとアイランドピーク(6,160m)に登るのが目的です。

 3年前のアンナプルナサーキット以来のネパールになります。
この3年間にネパールの国家体制が王制から共和制に変わったこともあり、この変化が感じられるか興味のあるところです。

 さらに、IT化の進み具合が都市と農村においてどのくらい違うのかにも興味のあるところです。

 帰国は、11月15日になります。
あまり気負わずに楽しんでこようと思います。


ダニに刺され死亡!

2011-09-19 06:30:05 | その他
 先日の『北海道新聞』に広島の男性がダニに刺され紅斑熱で死亡したとの記事が掲載されていました。

 記事によると、広島県福山市の70代の男性2人がダニに刺され、日本紅斑熱(にほんこうはんねつ)を発病、うち1人が死亡したそうです。
 日本紅斑熱による死者は2008年に宮崎市で70代の女性が死亡して以来のようです。

 ダニに刺されたお2人は、別々の場所で刺されたようです。
死亡した男性は、9月11日に発熱や発疹を訴え、福山市内の医療機関で受診、日本紅斑熱の疑いがあるとして入院しましたが、14日に多臓器不全で死亡したようです。

 日本紅斑熱は病原体「リケッチャ」に感染しているダニに刺されると2~8日で発病するようです。
頭痛や悪寒、高熱と発疹などが特徴で人から人への感染はしないとのことです。
きちんと薬を服用すれば回復するとのことですが、発見が遅れると重症化して最悪の場合、死に至るとのことです。


 さて、日高を歩いているとこのダニが身体に食いついている事があります。
私も、7月に歩いたエサオマンからカムエクの縦走で首の下、ちょうど胸の上部に食いついていたダニを発見。
札幌へ帰ってから妻に毛抜きで引き抜いてもらいました。

 幸いに頭も残らず綺麗に取れましたが、刺された後が5ミリくらい腫れ上がり、1週間ほど赤くなっていました。

 日高では南に下がるほどダニの被害が多いようです。
今回のコイカクからペテガリの縦走でも私達より先に下山したTさんがザックなどを調べると20匹以上のダニがついていたといいます。
私も「あえる」に向かって車を運転している時に腕に蠢いているダニを発見、直ちに車を止めて取り除きました。

笹藪に沢山いるようですので、笹藪漕ぎをする場合には首にタオルを巻くなど十分に注意した方が良いと思います。
そして、下山後に入る風呂などでは首筋、脇の下、そけい部など入念にお互いの身体をチェックするのが良いと思います。

参考のために解説HPのアドレスをお知らせします。
http://61.122.3.3/hec/hidsc/kansen_wadai/nihon_kouhannetu.html

山の本

2011-05-07 09:45:06 | その他
 4月下旬の朝、新聞の朝刊を見ていると薄野にある「石川書店」さんが閉店するとの記事が出ていた。
「石川書店」というのは、いわゆる古本屋さんなのですが、山岳関係図書の古書も沢山ある書店です。
私は、高校を卒業してから札幌に出る度にこの本屋さんにある山関係の本を見るのが好きでした。

記事によれば、経営者の石川昌治(64歳)さんの健康上の理由などから閉店を決断したとあります。


 私は40年近くのブランクを経て登山を再開していますが、昔持っていた本で気になっている本がありました。
それは、深田久弥さんの著書「日本百名山」です。
こう書くとおまえも百名山に登るつもりか?と思われるかもしれませんが、私は百名山ピークハントにはまったく興味はございません。

 この「日本百名山」の本は、昔、買って持っていましたが、誰かに貸したまま戻ってきていない本なのです。
そこで、石川書店にあれば買いたいと思ったしだいです。

4月のゴールデンウィーク前に行って来ました。
うず高く積まれた本棚の前の狭いスペースにお客さんが溢れています。
目的の日本百名山を見つけました。
昭和41年3月10日7刷の本です。
ほぼ、私が買っていた本と同じ刷に間違いありません。
ちなみに、初版は昭和39年7月20日発行です。

この本を買った当時、登山ブームの真っ盛りでしたが、この日本百名山を読んでピークハントをしようという人は少なかったと思います。
というより、まったく一般的な読者の話題になるほどの本ではなかったかと思います。
逆に、なぜあの山が百名山から漏れるのだ?という疑問の方が多かったような気がします。

北海道でいえば、阿寒岳には異論が多かったと思います。
ご承知のように阿寒岳なる山は存在しません。
雄阿寒岳、雌阿寒岳の二つの山をひっくるめて阿寒岳としたのはいかにも酷すぎます。
著者の深田久弥は雄阿寒岳には登りましたが雌阿寒岳には火山活動が活発な時期であったため中腹までしか登っていません。

阿寒の山が百名山にランクされる不思議と、芦別岳やニペソツ山が入っていないことの不満が多かったような気がします。
そんなことで、山に登る人でもこの本を買っていない人は沢山いたと思います。

私は、本州の山のことは何も知らないのでこの本を買い求めました。
そして北アルプスなどの山々の項目に目を通していました。
最近の百名山ブームなどは著書が考えもしなかったことでしょう。

こんな経緯があって、「日本百名山」を古書店で探そうとしていた矢先に石川書店の閉店ニュースを目にしたわけです。

    
    左の本が「日本百名山」、右の本は槇有恒著「わたしの山旅」です。

 一緒に求めた「わたしの山旅」はいい本だと思います。
日本山岳史上、創生期の事情からマナスル登山まで著者の経験した事柄が淡々と書かれており好感の持てる本です。
ぜひ、山に登っている若い人にも読んでもらいたい本ですね。

天候の悪いゴールデンウィークにこれらの本を読みながら山に対する「想い」を深めています。

 
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  石川書店

  住所:札幌市中央区南4条西4丁目

  電話:011-251-2357

  いつ閉店するか決まっていないようですので、
  行ってみたい方は、事前にお問い合わせした方がいいかと思います。

なお、セール価格として全商品50%offのようでした。
  気になっている本が絶版となっている場合は、
  ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
 

宮城県南三陸町へ・・・

2011-04-09 08:43:10 | その他
4月1日から7日までの1週間、宮城県南三陸町においてボランティア活動に参加してきました。

北海道から南三陸町へ行くには苫小牧から秋田へフェリーで渡り、そこからはバイクで南三陸町を目指しました。
行くだけで2日間を要するため実際にボランティア活動を行ったのは、3日から5日までの3日間です。

私が行ったボランティア活動は「思いで探し隊」という活動です。
この活動は南三陸町の佐藤町長の発案によるものです。

佐藤町長は、チリ沖の津波、東日本大震災などにより思い出の品を失った経験から写真やアルバムトロフィーや盾、表彰状などなど個人にとって思い出となる品を瓦礫の中から探し出し被災者の手元に渡そうという活動を提唱しました。

3月28日からこの活動を行っており、このことを新聞で知った私も参加したいと思ったわけです。

今回のボランティアは被災地で行う活動ということもあり、テントに食料を持参して参加しました。


隣町の登米市から南三陸町(志津川)へ山から海に向かって下がっていくと突然テレビで見た光景が広がります。
一面、瓦礫の山が広がります。
残っている建物は非木造のビルです。
しかしそのビルの屋上にも瓦礫が乗っており津波の高さが尋常でないことを示しています。

災害本部のあるベイサイドアリーナへ行かなければ行けないのですがどちらへ行けば分かりません。
道路に標識はないので、何となく車の流れに乗って志津川の港から北に向かい小高い丘へ進みます。
そこにベイサイドアリーナがありました。

アリーナは立派な体育館です。
駐車場には救急車、消防車、報道用の車、検診車などが所狭しと並んでいます。
その中に見慣れない国旗を掲げている真っ白なコンテナがあります。
イスラエルの医療団でした。
コンテナ6個を並べ、このコンテナで医療活動を行っています。

ベイサイドアリーナの体育館は災害復旧物資置き場になっています。
バスケットコート2面がいろいろな物資で埋まっています。

エントランスやロビーに被災者の方々が段ボールで区切り寝ています。
大半がお年寄りでした。

南三陸町は電気、水道などのライフラインがまだ復旧していません。
ベイサイドアリーナは高圧電源車のお陰で夜だけ電気を通しています。
町の方でやっと電柱を立て通電作業が始まったばかりでした。


さて、被害の様子を見ると港などがある海岸近くは壊滅的な有様です。
しかし、そこから少し離れた小高い丘に点在する民家は外見上はほとんど被害を受けている様子にはまったく見えず普通にその家で暮らしているようです。
(とはいえ、地震直後は家の中のタンスや戸棚が倒れ酷い状況になったと思います。)
しかし電気が通じてないので夜は真っ暗です。

この違いは、海面からの高さによるのはいうまでもありません。
ベイサイドアリーナも外見上は体育館の天井パネルが数枚落ちているだけです。


さて、「思いで探し隊」の活動について話したいと思います。
活動の中心は近畿ブロックから派遣されている社会福祉協議会の職員がリーダーとなって運営されてます。
彼らは1週間交代で南三陸町に派遣されています。

このリーダーの指示により瓦礫の中から写真などを探し出すのです。
足元は安全長靴を履きます。
これは瓦礫の中に多数ある木くずにある釘を踏まないようにするためです。
日本家屋は木造建築とはよくいったものです。
瓦礫のほとんどが木くずです。
その木くずに無数の釘がむき出しで牙をむいています。
この釘を不用意に踏んでしまえば破傷風などの恐れがあるのです。
そこで安全靴で足底を守ります。

瓦礫の中を注意深く歩き紙くずや衣類の散乱する中から写真やアルバムなどを探します。
思ったより数多く拾えました。
写真の中には結婚式の記念写真、学校でのクラスの集合写真、いろいろな写真が落ちています。
中でも赤ちゃんの写真を拾うとその愛らしい顔をまともに見ることができません。
幸せそうな顔に接するたび、この人達の無事を願わずにはいられません。

この作業を3日間続けましたが、2日目の午後には小雪がちらついてきました。
でも、誰も作業を止めようとする者はいません。
みなさんモクモクと瓦礫の山と戦っています。

私が拾った中で変わったものは棟上式に使って天井裏に掲げて置いたお札がありました。
それから香典帳、船舶免許証、など写真以外の物も沢山見つかりました。


今回、感動したことがあります。
それは、歌津という町で目にしたのですが、瓦礫の中で営業しているガソリンスタンドがありました。
スタンドの社屋は津波で流されています。
しかし、オイルを貯蔵している地下タンクは損傷を受けていないようで瓦礫を片づけた中で計量器を足踏みのポンプで営業しているのです。(数日後は電動になってました。)
ガソリンが買えず車を動かせないという話はあちらこちらで聞きました。
ガソリンスタンドの半数が被害を受け営業できないのですから仕方のないことです。

こんな状況の中で町民にガソリンを届けたいというこの姿勢は見習うべきです。
瓦礫の中で営業するガソリンスタンドの方達に復興への執念を感じ希望の光を見いだしたような気がしました。


書きたいことは山ほどありますが、生き残った方々は着の身着のままで避難生活をしています。
援助物資は届きつつあります。

でも、この避難生活から抜け出すには何よりお金が必要になります。

このブログを見ていただいているみなさんに再度のお願いがあります。
ぜひ、義捐金に募金してあげてください。

よろしくお願いします。

心よりお見舞い申し上げます!

2011-03-16 12:48:59 | その他
この度、「東日本大震災」の被害に遭われた方々に
心よりお見舞い申し上げます。

ご家族を亡くされた方、家を津波に流された方、あまりに大きな災害でしたので
今は放心状態で何も手が着かないことと思います。

東北地方はまだまだ寒く、その中で暖房も満足にない避難所暮らしは大変なことだと思います。
今しばらくは我慢しなければなりません。
でも、もうすぐ全国からの救援物資が届くはずです。
それまで何とか我慢してください。

被害に遭っていない地方の方にお願いがあります。
被害に遭われた方達にとって何より必要な物はお金です。
ぜひ、心ある方々は義援金を差し上げましょう。
その金が生活を立て直す原資になるはずです。


こんな中で私の息子に女の子が生まれました。
11日午後4時過ぎに産科医院に入院、6時27分に3千6百グラムの
女の子が誕生しました。

およそ1万人を超える方々が亡くなっているかもしれないときに
生まれた一つの命。

この命を大切に見守っていきたいと考えています。

しばらく更新してませんが・・・

2010-08-09 22:34:19 | その他
このブログもしばらく更新してませんが、登山の方は順調にあちらこちらの山へ出掛けています。

ゴールデンウィーク後に登った主な山は、

5月では、

 22日から23日にかけて、1泊して最後の山スキーにオプタテシケ山へ
 行って来ました。
  天気に恵まれ、十勝から網走方面は一面の雲海、頂上直下100メートル下まで
  スキーで登り、帰りは大斜面を思う存分の滑走でした。

 29日から30日にかけて、芦別岳本谷をツボ足で登ってきました。
  この山行も天気に恵まれましたが、本谷の三ツ股から先のルートを間違え
  右股から旧道に登ってしまいました。
  山頂直下の雪面を一気にグリセード、楽しかったです。


6月には、

 5日から6日にかけて、平山からニセイカウシュッペ山へアンギラスを越えての
 登山です。
  今年はいかに雪が残っているかを象徴した登山で、登山口から直ぐに雪が残っており
  いきなりから沢を登りました。
  大雪山も綺麗に見えた気持ちよかったのですが、一人で登っていましたので
  アンギラスを越えるときはちょっと緊張しました。

 12日から13日は、ニペソツ山へ行って来ました。
  残雪の残るニペソツ山の前天狗までテントを担ぎ上げ、夕日と朝日に輝く山頂の
  景観をほしいままに楽しむことができました。

 19日から20日は、日高にある札内岳のガケの沢の様子を見に行きました。
  エサオマントッタベツ川の水量が多いため、ここからの札内岳を諦めて
  急遽、十勝幌尻岳を登ってきました。
  カムエクの姿を見たかったのですが、山頂に着いた時は湧きだした雲に
  隠れていました。

 26日から27日は、日高山脈の南部にある野塚岳へ沢登りに行ってきました。
  本格的な沢登りは初めてでしたが、約3時間の沢登りは気持ちよく登れました。
  他にも沢山の人が登っており、人気のコースです。


7月に入り

 4日には、十勝岳から美瑛岳を日帰りで白金温泉望岳台から登りました。
  天候不順な7月を象徴するような山行で美瑛岳からの下りで雨に降られました。
  雷がゴロゴロとなる中を下山しましたが、最初はオプタテシケ方面で
  ゴロゴロ鳴っていたので安心して歩いていましたが、1発だけ頭上を
  シャッーツ、シャシャーと低く重い音がして雷が走り、
  思わずしゃがんでしまいました。

 16日から17日にかけて、エサオマントッタベツ岳へ行って来ました。
  初めて本格的な日高の沢への挑戦でした。
  一人で北東カールまで登りテントで1泊、翌日、稜線へ登ろうとしましたが
  残雪が多いため途中で敗退。
 
  下山中の沢の中で、越えようとした岩が滑り右眉の上をぶつけて出血、
  札幌へ帰ってきても血が止まらず、救急外来へ行くと縫った方が治りが
  早いとのことで2針縫いました。

 31日には、ノンビリ登山で大雪山五色ヶ原へ出掛けました。
  沼ノ原の湿原からトムラウシ山を見るのが目的です。
  湿原に咲く花の向こうに道道と聳えるトムラウシ山。
  大きくて形のいい山です。
  この山に3月の厳冬期に登ったことが信じられないくらい神々しく聳えています。

  昨年7月の遭難事故を思い、山に向かって手を合わせてきました。


8月に入り

  5日からエサオマントッタベツ岳からカムイエクエチカウシ山へ
 縦走しようとしましたが、天候の悪化が予想されたので主稜線から
 下山してきました。

  近々、この山行からブログに記録を残そうと思います。