北海道に住んでいるせいなのか、新聞やテレビなどで北方領土に関する報道を目にすることが多い。
特に最近では、プーチン大統領の訪日を前に普段よりも多くの報道がされていると思う。
そしてまた元島民の方々が数多く住んでいる北海道では「北方領土の返還」への関心が他県よりもずっと高いと思う。
以前、北方領土が見える町へ行った時、道路に設置されているスピーカーから「北方領土は日本固有の領土です。国民の総意で返還しましょう・・・」と言ったアナウンスが繰り返し流されていた。
たぶんこれは特別なことではなくて、日常的にこの町では流れているアナウンスなのだろうと思う。
ところで、前に北方領土で暮らしていたという90歳近い女性からお話を聞いたことがある。
ソ連が突然に侵攻してくるというので、着の身着のままで逃げた話だった。
当時は二十代とまだ若かったその女性はソ連兵からの暴行を恐れて、長い髪を切って坊主頭になり顔中に炭を塗って逃げたそうだ。
ほかの娘たちも皆、そのようにして逃げたという。
家財道具も大切にしていたものも、何もかもそのままに、北海道行きの船に乗るために港へ向かったそうだ。
港は避難する多くの人でごった返していたが、船に乗れるのは老人と女こどもだけ。
男はそのまま島に残るしかなく、その時、島に残った女性の父親とはそれっきり会うことはなかったそうだ。
「そりゃあ戻りたいよ。戻りたいけどもう無理でしょ・・・」と言っていた女性の言葉が、今も忘れられない。
ところで、かつて北方四島にも多くの神社があり、旧ソ連侵攻後の混乱の中、元島民たちが決死の思いでご神体を持ち出していたことはあまり知られていない。
北方四島に祀られているのは金比羅神社(ことひら神社)が多く、かつて江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛が1806年に北洋漁業の守護神を祀ったのが始まりとされている。
1945年8月から9月にかけて旧ソ連軍の侵攻が始まり、島々では「ご神体を守ろう」と神社から持ち出す動きが起きたそうだ。
ご神体は鏡や剣など神社によって様々だったが、ご神体を持ち出すときの様子が調書にまとめられているそうだ。
調書によると、歯舞群島水晶島の「水晶島金刀比羅神社」では、日本人が島から強制退去させられる日に氏子総代夫婦が「大人だとソ連兵の監視を逃れられないだろう」と思い、二人の幼い娘に持ち出させたとある。
姉妹は監視のすきに神社に忍び込んだが、持ち出すことに時間がかかり、船の出航時間が迫る中、夫婦が気をもんだと調書には書かれている。
また、一方では持ち出せなかったご神体も多くあり、別の金刀比羅神社では、島民が社殿に近づくとソ連兵に銃口を向けられ、持ち出すことができなかったと書かれている。
このように元島民たちが必死に持ち出したご神体は、現在、根室の金刀比羅神社で「仮住まい」をしているそうだ。
根室の金刀比羅神社では、日課の祭事に続き、「いつか大切に預かっているご神体を元にもどしたい」という想いで北方領土返還の願いを込めた祝詞を毎朝読み上げているそうだ。
元島民の方々も高齢になり、徐々にその数も減っている。
生まれ育った地へ帰りたいという想いはきっとまだまだ強く持たれているのだろう。
できることなら返還してもらえれば、こんな嬉しいことはないのだけど、実際はどうなのだろう・・・
私も通りがかりに返還の署名活動を見れば署名をしたりもするのだが、いくら署名をしたところで返還はなかなか難しいのだろうという気はしている。
ただ、ソ連軍が侵攻する中、神社のご神体を必死に持ち出した島民の姿を知り、とても感動している自分がいる。
これからの北方領土問題に注目したいと思う。
特に最近では、プーチン大統領の訪日を前に普段よりも多くの報道がされていると思う。
そしてまた元島民の方々が数多く住んでいる北海道では「北方領土の返還」への関心が他県よりもずっと高いと思う。
以前、北方領土が見える町へ行った時、道路に設置されているスピーカーから「北方領土は日本固有の領土です。国民の総意で返還しましょう・・・」と言ったアナウンスが繰り返し流されていた。
たぶんこれは特別なことではなくて、日常的にこの町では流れているアナウンスなのだろうと思う。
ところで、前に北方領土で暮らしていたという90歳近い女性からお話を聞いたことがある。
ソ連が突然に侵攻してくるというので、着の身着のままで逃げた話だった。
当時は二十代とまだ若かったその女性はソ連兵からの暴行を恐れて、長い髪を切って坊主頭になり顔中に炭を塗って逃げたそうだ。
ほかの娘たちも皆、そのようにして逃げたという。
家財道具も大切にしていたものも、何もかもそのままに、北海道行きの船に乗るために港へ向かったそうだ。
港は避難する多くの人でごった返していたが、船に乗れるのは老人と女こどもだけ。
男はそのまま島に残るしかなく、その時、島に残った女性の父親とはそれっきり会うことはなかったそうだ。
「そりゃあ戻りたいよ。戻りたいけどもう無理でしょ・・・」と言っていた女性の言葉が、今も忘れられない。
ところで、かつて北方四島にも多くの神社があり、旧ソ連侵攻後の混乱の中、元島民たちが決死の思いでご神体を持ち出していたことはあまり知られていない。
北方四島に祀られているのは金比羅神社(ことひら神社)が多く、かつて江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛が1806年に北洋漁業の守護神を祀ったのが始まりとされている。
1945年8月から9月にかけて旧ソ連軍の侵攻が始まり、島々では「ご神体を守ろう」と神社から持ち出す動きが起きたそうだ。
ご神体は鏡や剣など神社によって様々だったが、ご神体を持ち出すときの様子が調書にまとめられているそうだ。
調書によると、歯舞群島水晶島の「水晶島金刀比羅神社」では、日本人が島から強制退去させられる日に氏子総代夫婦が「大人だとソ連兵の監視を逃れられないだろう」と思い、二人の幼い娘に持ち出させたとある。
姉妹は監視のすきに神社に忍び込んだが、持ち出すことに時間がかかり、船の出航時間が迫る中、夫婦が気をもんだと調書には書かれている。
また、一方では持ち出せなかったご神体も多くあり、別の金刀比羅神社では、島民が社殿に近づくとソ連兵に銃口を向けられ、持ち出すことができなかったと書かれている。
このように元島民たちが必死に持ち出したご神体は、現在、根室の金刀比羅神社で「仮住まい」をしているそうだ。
根室の金刀比羅神社では、日課の祭事に続き、「いつか大切に預かっているご神体を元にもどしたい」という想いで北方領土返還の願いを込めた祝詞を毎朝読み上げているそうだ。
元島民の方々も高齢になり、徐々にその数も減っている。
生まれ育った地へ帰りたいという想いはきっとまだまだ強く持たれているのだろう。
できることなら返還してもらえれば、こんな嬉しいことはないのだけど、実際はどうなのだろう・・・
私も通りがかりに返還の署名活動を見れば署名をしたりもするのだが、いくら署名をしたところで返還はなかなか難しいのだろうという気はしている。
ただ、ソ連軍が侵攻する中、神社のご神体を必死に持ち出した島民の姿を知り、とても感動している自分がいる。
これからの北方領土問題に注目したいと思う。