今日は家事を早めに切り上げて買い物へ行ってきた。
買いたかったのは長女チェリーと次女ピーチへのクリスマスプレゼント。
我が家では、イヴの夜、子どもたちが寝静まった後にそっと枕元にクリスマスプレゼントを置くことが恒例になっている。
私も子供の頃に親からそうしてもらって、クリスマスの朝がとても楽しみだったので、同じことをしているのだが、この習慣、すこし長く続けすぎているかもしれないかな・・・とは自覚している。
長女はもう22歳、次女は20歳になった。
長男パインからは中学生の時に「もうクリスマスプレゼントは置かなくてもいいよ」と言われて止めたが、長女と次女へはまだ贈っている。
今でもサンタクロースが本当にいてプレゼントを置いていくとは、長女も次女もまさか信じていないだろうけど、クリスマスの朝に部屋に置かれたプレゼントの包みを開く時、二人はいつもとてもうれしそうな顔をしている。
私はこの嬉しそうな顔を見るのが楽しみで、いまだにクリスマスプレゼントを置くことが止められないのかもしれない。
ところでクリスマスプレゼントはいつも何にしようかと悩むだのだが、二人とも大人になったので最近は身に着けるものや化粧品などにすることが多い。
今年も悩んで、長女には暖かそうなパジャマを、次女には良い香りのハンドクリームとソックスを買った。
そして、このプレゼントはクリスマスの日、まだ夜が明けない頃に、それぞれの部屋の前に置いてくる。
これは二人に気づかれないように置くのだが、多少の物音では目を覚まさなかった小さい頃と違って、最近は少しの音でも目を覚ますようになったので、物音を立てないようにそ~っと忍び足で行かなければならないのがスリリングでもあり大変でもある。
毎年のことだが、夫からはあきれたように「ごくろうさん」と言われている。
もしかしたら二人とも目を覚ましているのかもしれないが、それについては何も言わない。
というか、知っていて母の毎年のクリスマスイベントに付き合ってくれているのかもしれないが・・・
私も幼いころは本当にサンタクロースがいて、プレゼントを置いて行ってくれるのだと信じていた。
プレゼントをもらった朝は、弟と一緒にサンタクロースを探しに家の外まで行ったものだった。
そして、新雪の積もった家の前の道に足跡を見つけて、弟とふたり「サンタさんの足あとだ!!」と言いながら興奮したことを覚えている。
今思えば、あの足あとは新聞配達さんのものだった。
だから、サンタクロースがいないことを知ってしまった時にはとても落胆した。
そして、サンタクロースが父母だと知った年から枕元にクリスマスプレゼントが置かれることはなくなった。
ただサンタクロースの存在を信じていた頃のことは、今でも私の中でとても大切な、まるで夢の中のような良い思い出になっている。
ところで「サンタクロースの部屋」(松岡享子さん著)の中にこのような文がある。
「幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。
わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力ゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」
最近は子どもへの誘拐や犯罪などがあり、簡単に人を信じてはいけないよと教えなければならない時もあるが、大きな意味で「信じる」という力はやはり大切だと思う。
幼いころに親からたくさんの愛情をもらって育った人は、まず親の愛情を信じ、それから周囲の人たちを信じるようになり、最終的に自分自身を信じる人になっていくのだそうだ。
これは一般論としてであって、親から十分な愛情を受けずに育った人であっても、ランドセルを養護施設に贈り続けた方のように、自分を信じて愛情深い行動する人になれるのだと思うが。
自分を信じられる人は強いと思う。
自分を信じて生きることのできる人間に育てることができるかどうか、子どもを育てるということの重大さをあらためて感じる。
さてと、クリスマスのプレゼントは買ったし、家族が久しぶりに揃う年末が今からとても楽しみです。
また忙しい日がやってきます。
買いたかったのは長女チェリーと次女ピーチへのクリスマスプレゼント。
我が家では、イヴの夜、子どもたちが寝静まった後にそっと枕元にクリスマスプレゼントを置くことが恒例になっている。
私も子供の頃に親からそうしてもらって、クリスマスの朝がとても楽しみだったので、同じことをしているのだが、この習慣、すこし長く続けすぎているかもしれないかな・・・とは自覚している。
長女はもう22歳、次女は20歳になった。
長男パインからは中学生の時に「もうクリスマスプレゼントは置かなくてもいいよ」と言われて止めたが、長女と次女へはまだ贈っている。
今でもサンタクロースが本当にいてプレゼントを置いていくとは、長女も次女もまさか信じていないだろうけど、クリスマスの朝に部屋に置かれたプレゼントの包みを開く時、二人はいつもとてもうれしそうな顔をしている。
私はこの嬉しそうな顔を見るのが楽しみで、いまだにクリスマスプレゼントを置くことが止められないのかもしれない。
ところでクリスマスプレゼントはいつも何にしようかと悩むだのだが、二人とも大人になったので最近は身に着けるものや化粧品などにすることが多い。
今年も悩んで、長女には暖かそうなパジャマを、次女には良い香りのハンドクリームとソックスを買った。
そして、このプレゼントはクリスマスの日、まだ夜が明けない頃に、それぞれの部屋の前に置いてくる。
これは二人に気づかれないように置くのだが、多少の物音では目を覚まさなかった小さい頃と違って、最近は少しの音でも目を覚ますようになったので、物音を立てないようにそ~っと忍び足で行かなければならないのがスリリングでもあり大変でもある。
毎年のことだが、夫からはあきれたように「ごくろうさん」と言われている。
もしかしたら二人とも目を覚ましているのかもしれないが、それについては何も言わない。
というか、知っていて母の毎年のクリスマスイベントに付き合ってくれているのかもしれないが・・・
私も幼いころは本当にサンタクロースがいて、プレゼントを置いて行ってくれるのだと信じていた。
プレゼントをもらった朝は、弟と一緒にサンタクロースを探しに家の外まで行ったものだった。
そして、新雪の積もった家の前の道に足跡を見つけて、弟とふたり「サンタさんの足あとだ!!」と言いながら興奮したことを覚えている。
今思えば、あの足あとは新聞配達さんのものだった。
だから、サンタクロースがいないことを知ってしまった時にはとても落胆した。
そして、サンタクロースが父母だと知った年から枕元にクリスマスプレゼントが置かれることはなくなった。
ただサンタクロースの存在を信じていた頃のことは、今でも私の中でとても大切な、まるで夢の中のような良い思い出になっている。
ところで「サンタクロースの部屋」(松岡享子さん著)の中にこのような文がある。
「幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。
わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力ゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」
最近は子どもへの誘拐や犯罪などがあり、簡単に人を信じてはいけないよと教えなければならない時もあるが、大きな意味で「信じる」という力はやはり大切だと思う。
幼いころに親からたくさんの愛情をもらって育った人は、まず親の愛情を信じ、それから周囲の人たちを信じるようになり、最終的に自分自身を信じる人になっていくのだそうだ。
これは一般論としてであって、親から十分な愛情を受けずに育った人であっても、ランドセルを養護施設に贈り続けた方のように、自分を信じて愛情深い行動する人になれるのだと思うが。
自分を信じられる人は強いと思う。
自分を信じて生きることのできる人間に育てることができるかどうか、子どもを育てるということの重大さをあらためて感じる。
さてと、クリスマスのプレゼントは買ったし、家族が久しぶりに揃う年末が今からとても楽しみです。
また忙しい日がやってきます。