大学生で家を離れていた長男パインと次女ピーチが帰って来てから家の中がまたにぎやかになっている。
階下からは「孫いのち?」の義母の大きな笑い声が聞こえてくる。
パインとピーチが義母の部屋にいるのだ。
夫の両親と同居を始めたのは今から11年ほど前だが、子どもたちは毎日一日に一度、必ず義父母の部屋に行って話をしてくる。
私たち親が行くようにと言ったわけではないが、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだった子どもたちが自主的に行くようになって、その習慣は大きくなった今も続いている。
「いつもいつも同じ話しかしないだろ?」と夫が子どもたちに聞くと「うん、まあね」と言葉を濁すが、同じ話を聞かされることは、子どもたちにとっては当たり前のことで、それほど嫌ではないようだ。
おばあちゃんの部屋で、おばあちゃんの昔話を聞きながらもらったおやつを食べ、それが子供たちには心安らぐ時間になっているのだろうと思う。
「年寄りっこは三文安い」とも言われるが、同居してよかったと思えることの一つが子どもたちに老人のいる生活を体験させることができたことで、お年寄りをいたわる優しさがすこしは身に着いたのではないかと思っている。
歩くのが遅い祖父母に合わせてゆっくりとした散歩に付き添ったり、話し相手になったりすることをごく自然にやっている子どもたちを見て、老人に優しくできる人になってくれたことが嬉しいなぁと思う。
ところで、今日は道が悪くてしばらく行っていなかった父の所へ久しぶりに行ってきた。
今日はパインやピーチも一緒で、食堂で車いすに乗ったまま退屈そうにしていた父を驚かせようと、「来たよー!」とみんなで一斉に顔を見せた。
すると父の顔がパッと輝いたように笑顔になった。
父がこんなにうれしそうな顔になったのを見たのは久しぶりで、レビー小体型認知症のためか、最近は顔の表情が乏しくなっていた父だったので本当にびっくりした。
また驚いたことはそれだけではなく「よく来たなぁ」と父が喋ったことも驚きだった。
父が声を出したことだけでも驚きなのに、孫たちが来ていることをちゃんと理解していた!
最近は親戚の人が来てくれてもまったく反応がなく、親戚が帰ってから「来てくれたことわかる?」と聞いても首をかしげて分からないようだったので、久しぶりに会った孫たちのことを覚えていたことはびっくりだった。
今日は調子のよい日だったのか、久しぶりに孫たちの顔を見たからなのか、それからは私たちと会話もすることができた。
これは最近の父の状態からは信じられないような出来事だった。
「もう卒業したのか?」と父がパインに向かって話しかけ、パインが「まだだよ。来年3月が卒業で、4月からは北海道で働くよ」と言うと「そうか、それはよかった」と父が笑顔で言った。
「外は雪で道が狭くなっていて大変だよ」と言うと、「そうか。家の周りも排雪はしていないだろう。あそこはいつも狭くなるんだ」と父が答えた。
また父の方から「おばあちゃんは元気か?」と義母のことを夫に聞いた。
夫が「元気ですよ。来年はもう90歳になります」と答えると「ほォ~」と言って父は驚いたような顔をしてから「それは、まだまだ生きるな」と言って「カッカッカ」と笑った。
豊かな顔の表情も会話の内容も、今日はすべてが元気だったころの父に戻ったかのようだった。
たまたまだったからなのか、久しぶりに会った孫の力なのか分からないが、こんなに元気になった父を見て今日はずっと嬉しい気持ちが続いている。
孫たちから元気をもらう義母や父、そして元気に明るくしている義母や父を見て嬉しいと思っている夫と私。
「家族」とはいなくなると絶対的に寂しいものであるが、また居ることが当たり前になって、近すぎる関係性ゆえに、時には煩わしくさえ思ったりもするものだが(あくまでも私の場合ですが)、家族の力はすごいなぁと思う。
互いにべったりと依存しあう関係はたとえ家族であっても私は望まないが、何かあった時には助け合ったり、またその存在が力となる家族の関係っていいなぁと今日はそんな思いが湧いてきた。
これが私が経験したかったことのひとつだったのかもしれない。
階下からは「孫いのち?」の義母の大きな笑い声が聞こえてくる。
パインとピーチが義母の部屋にいるのだ。
夫の両親と同居を始めたのは今から11年ほど前だが、子どもたちは毎日一日に一度、必ず義父母の部屋に行って話をしてくる。
私たち親が行くようにと言ったわけではないが、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだった子どもたちが自主的に行くようになって、その習慣は大きくなった今も続いている。
「いつもいつも同じ話しかしないだろ?」と夫が子どもたちに聞くと「うん、まあね」と言葉を濁すが、同じ話を聞かされることは、子どもたちにとっては当たり前のことで、それほど嫌ではないようだ。
おばあちゃんの部屋で、おばあちゃんの昔話を聞きながらもらったおやつを食べ、それが子供たちには心安らぐ時間になっているのだろうと思う。
「年寄りっこは三文安い」とも言われるが、同居してよかったと思えることの一つが子どもたちに老人のいる生活を体験させることができたことで、お年寄りをいたわる優しさがすこしは身に着いたのではないかと思っている。
歩くのが遅い祖父母に合わせてゆっくりとした散歩に付き添ったり、話し相手になったりすることをごく自然にやっている子どもたちを見て、老人に優しくできる人になってくれたことが嬉しいなぁと思う。
ところで、今日は道が悪くてしばらく行っていなかった父の所へ久しぶりに行ってきた。
今日はパインやピーチも一緒で、食堂で車いすに乗ったまま退屈そうにしていた父を驚かせようと、「来たよー!」とみんなで一斉に顔を見せた。
すると父の顔がパッと輝いたように笑顔になった。
父がこんなにうれしそうな顔になったのを見たのは久しぶりで、レビー小体型認知症のためか、最近は顔の表情が乏しくなっていた父だったので本当にびっくりした。
また驚いたことはそれだけではなく「よく来たなぁ」と父が喋ったことも驚きだった。
父が声を出したことだけでも驚きなのに、孫たちが来ていることをちゃんと理解していた!
最近は親戚の人が来てくれてもまったく反応がなく、親戚が帰ってから「来てくれたことわかる?」と聞いても首をかしげて分からないようだったので、久しぶりに会った孫たちのことを覚えていたことはびっくりだった。
今日は調子のよい日だったのか、久しぶりに孫たちの顔を見たからなのか、それからは私たちと会話もすることができた。
これは最近の父の状態からは信じられないような出来事だった。
「もう卒業したのか?」と父がパインに向かって話しかけ、パインが「まだだよ。来年3月が卒業で、4月からは北海道で働くよ」と言うと「そうか、それはよかった」と父が笑顔で言った。
「外は雪で道が狭くなっていて大変だよ」と言うと、「そうか。家の周りも排雪はしていないだろう。あそこはいつも狭くなるんだ」と父が答えた。
また父の方から「おばあちゃんは元気か?」と義母のことを夫に聞いた。
夫が「元気ですよ。来年はもう90歳になります」と答えると「ほォ~」と言って父は驚いたような顔をしてから「それは、まだまだ生きるな」と言って「カッカッカ」と笑った。
豊かな顔の表情も会話の内容も、今日はすべてが元気だったころの父に戻ったかのようだった。
たまたまだったからなのか、久しぶりに会った孫の力なのか分からないが、こんなに元気になった父を見て今日はずっと嬉しい気持ちが続いている。
孫たちから元気をもらう義母や父、そして元気に明るくしている義母や父を見て嬉しいと思っている夫と私。
「家族」とはいなくなると絶対的に寂しいものであるが、また居ることが当たり前になって、近すぎる関係性ゆえに、時には煩わしくさえ思ったりもするものだが(あくまでも私の場合ですが)、家族の力はすごいなぁと思う。
互いにべったりと依存しあう関係はたとえ家族であっても私は望まないが、何かあった時には助け合ったり、またその存在が力となる家族の関係っていいなぁと今日はそんな思いが湧いてきた。
これが私が経験したかったことのひとつだったのかもしれない。