長女の仕事の休みが、6月まで延長されることになった。
3月から徐々に長女の仕事が少なくなり、4月は通常の半分になり、5月からはついに完全に休みになっていたのだが、そろそろ仕事再開かと期待した6月もまた休みになってしまった。
もし今月中に緊急事態宣言が解除されたとしても、解除前の仕事量に戻るのはまだ先になるということで、来月も休んでほしいということだった。
会社から「6月も休みになります」という電話を私が受けて、途中から長女にも説明したいとおっしゃるので長女に電話をかわったのだが、普段は相手の話が理解できてもできなくても、恥ずかしそうに小さな声で「はい、はい」としか受け答えしない長女が、めずらしく何度も繰り返し質問していたのには驚いた。
「5月は休みでしたが、6月も休みですか?いつから仕事に行けるんですか?仕事が始まる時に、また連絡をもらえますか?」などなど、長女なりになんとか状況を把握しようとしていた。
そうだよね。そろそろ仕事に行きたいよね。
いくら休業補償が出ると言っても、毎日家にいるのは退屈だよね。
・・・というわけで、ひまな長女を連れてニセコへドライブへ行ってきた。
まだ自粛中なので、(一応書いておきますが)車からはほとんど出ないで走るだけ。
それにしても途中で見た羊蹄山の美しかったこと!
これだけでもニセコへ来た甲斐があった。
羊蹄山を中心に畑が広がる、のどかな農村風景があった。
思えば昔のニセコは、どこもこうだった。
高校生の頃、友人たち数名でニセコにスキーをしに来たことがあった。
当時、安くて若者に人気だったユースホステルに泊まり、昼間はニセコの山でスキー三昧、夕食の後はみんなで喫茶店に行こうと外に出た。
ところが・・・喫茶もねえ、集いもねえ、車もそれほど走ってねえ~♪
夜のニセコは店の灯りもなく、真っ暗な田舎道がただ続いているだけだった。すぐ宿にUターンしたのは言うまでもない。
あれから40年以上。
今やニセコはスキーリゾートで世界的にすっかり有名になってしまった。
高校生がちょっと来てスキーをするような雰囲気ではなくなったほど、高級でおしゃれな店が増えた(らしい)
まるで外国に来たのではないかと錯覚するほど多くの外国人(主に欧米人)が住む町に変わった。
ところが、コロナが流行ってから一変したようなことが報道された。
実際に久しぶりに行ったニセコは、三密どころか40年前のようにまばらにしか歩く人が居なくて、外国人の姿も数名しか見かけなかったのだが、報道では職を失った外国人も多く、帰国したくても航空券が高騰して帰国できず生活に困っている外国人が多数いるそうだ。彼らを「ニセコ難民」とも呼ぶらしい。
ニセコは、またのどかな農村に戻って行くのだろうか・・・
こうしてコロナは、これからも世の中のいろいろなことを変えていくのかもしれない・・・なんてことを思ったりしている。