goo blog サービス終了のお知らせ 

ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

いつか行く道

2013-12-04 12:46:38 | 介護
高齢者住宅に住んでいる父の所へは、週に一度は様子を見に行くようにしている。

今回は隣の病院で診察もあった為、事前に何度も父に電話を入れておいた。

「今日は病院だからね。あとで行くから用意しててね」

何度もしつこく電話したら、父は「わかった、わかった」と面倒くさそうに言って電話を切られた。

実は、前に同じように診察があった時、「今、そっちに向ってる」と電話をしたのだが、父はそれを忘れてしまって、のんびりお風呂に入っていたということがあった。

そのときは、結局、予約した時間に間に合わなかったのだが、これからは、そういう事態はなるべく避けたい・・・

しかも今回は病院が終わったら、妹も連れて、人生初の「ねこカフェ」に行くことになっていた。

最近は日が短くなったので、あっという間に暗くなるし、気温の下がる夕方は道路の凍結も怖いので、できるだけ早い時間に帰りたい。

そのためにも、早め早めに動こうと思っていた。

しか~し・・・

これがまた、思うように事は進まずで、まず父がゆっくりとしか動けなくなってきた。

足が弱ってきたので仕方がないのだが、歩く速度も段差を上がるのも、まるでスローモーションを見ているようだ。

特に雪が降って道が凍っている場所などは、私が父の腕を組んで転ばないようにゆっくりと歩いたのだが、身体の大きな父がもしも転びそうになったら、私は支えられるだろうかという不安があるので、よりゆっくりと慎重になる。

父娘で一緒に転ばないように、慎重に歩いて行ったため、わずか数十メートルの場所にある病院だが、かなりの時間がかかった。

さて、やっと病院に着き、名前を呼ばれるのを待つ間も、父は頻繁にトイレに行きたがる。

義父もそうだったが、歳を取ると尿の出が悪くなって、すぐにトイレに行きたくなるようだった。

そして、その度に父をトイレまで送り届けるのだが、そうこうしているうちに、診察室から名前を呼ばれてしまったので、父をトイレに迎えに行き、荷物を抱えながら、あたふたと診察室に入った。

なんとか病院が終わり、今度は父を車に乗せて妹を迎えに行かなければいけないのだが、車に乗るという動作も、歳を取ると難しくなってくる。

段差がそれほど高くない車でも、筋肉の落ちた足を上げることが難しい。

車のシートに座っても、腰をずらして奥へ入ることが難しい。

父を介護しながら、数年前に無くなった義父の姿と重なっていた。

義父は同居する前からずいぶん弱っていたと思うが、それでも最後まで自分の足で歩いていた。

やはり超スローモーション的な動きで、義父が一歩進んでいる横を、私がまるで映画の早送りのように動き回っていた。

同居し始めた頃、歳を取るとどうなるのかよく分からなかった私は、「どうしてこんなにゆっくりなのだろうか?」と思っていた。

しかし、同じなのだ。

遅かれ早かれ、歳を取るとみんなそうなっていくのだ。

そして身体の衰えもそうだが、脳も老化してくる。

昔のことは覚えていても、今のことは覚えられなくなる。

「この前話したのに、どうして分からないの?」と怒っても、それは仕方がないことなのだ。

だって忘れちゃうんだから・・・

母が亡くなる前、当時80歳を過ぎていた母の母(私の祖母)が、娘の看病をしたいと行って、わざわざ遠方から来て、私と一緒に母の病室に泊まりこんでくれた。

80歳を過ぎていた祖母は、やはり身体が若い頃のように動かないし、物忘れもひどかったが、それでもできる限りのことはやってくれていた。

ところが、父はそんな祖母に冷たかった。

母がもう助からないと分ったショックもあったのだと思うが、いつもの父ではなくなっていた。

祖母がトンチンカンな質問をしたりすると、「なんだぁ?」と言ってにらみつける。

祖母に対する一言、一言にとげがあり、その度に祖母がオドオドしているのが分かった。

「もっと、おばあちゃんに優しくしてあげたら」と言うと、「そうだな。わざわざ来てくれたんだもんな」と言っていたが、まだ若くて元気だった父は、歳をとって物忘れをしたり、動きが悪くなった祖母にイライラしていたのだろう。

母が亡くなるまで、そばで看病してくれた祖母には、「ありがとう」の言葉をかけることはなかったと思う。

でも、今の父は、そんなことも忘れちゃってるんだろうな~

夫の年老いた両親と同居して、多少なりとも介護をして、また今、実父の介護をしてよかったと思えることは、いずれ自分も行く道だとはっきり認識できたことかもしれない。

いつか自分も同じようになるのだから、老人に対しては、けっして辛く当たったり、バカにしたりしてはいけないという事なのだ。

・・・というわけで、話は変わるが、人生初の「ねこカフェ」に行ってきました。



父が無類の動物好きなので、ねこと触れ合える「ねこカフェ」に連れて行ったら喜ぶのではないかと思ったのだ。

もちろん、父は喜んでくれたが、それ以上に喜んでいたのは、私と妹だったかもしれない。

妹など「心拍数あがる~~~っ!!」と言って興奮していた。

しかし、あれですね・・・

ねこちゃんっていうのは、寝ていることが多いんですね。

犬と同じような気分で迫っていくと、するりと逃げられて、高い棚の上とかで眠ってしまう。

「前にうちで飼っていたのと同じ毛色だ」と父は言うが、ねこを飼っていたのは、私が乳児の頃でほとんど記憶がない。

なので、ねこ慣れしていない私と妹は、どうもうまく猫ちゃんとコミュニケーションが取れず、ただただ寝姿を眺めていた。

そして、どうしても我慢できず、時々肉球などを触っては猫に嫌がられていた。

今度行く時は、もっと上手に交流を深めたいと思いながら、写してきた猫の写真を見て「やっぱり可愛い~」と興奮している。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも元気に

2013-10-21 15:31:19 | 介護
先日、朝の天気予報で「今日は暖かくなりそう」と聞いたので、高齢者住宅にいる父を連れて出かけようと思った。

最近、父ばかりを連れて歩いているようで、同居の義母に申し訳ない気持ちがするが、義母は休日に、一緒に買い物に行ったり、美味しいおそばを食べに行ったりしているので勘弁して頂こうと思う。

義母も軽度の認知症なのだが、深刻なのは実父のほうで、急に進んできたように感じるし、足も86歳の義母より83歳の父の方がずっと弱ってきた。

つい最近まで、父の方が元気で若々しかったのに、あっという間に逆転してしまうとは、日ごろの生活習慣というのは本当に大切なものだと思う。

義母は昔ほど色々な料理は作れなくなったが、それでも毎日、自分でご飯を炊き、おかずを作る。

義母はもともと料理好きで、歳をとっても億劫がらずに料理をしている。

それから、もうひとつ義母が好きなことはお裁縫で、昔は着物なども縫ったそうだが、今は小さな袋を何枚も作っている。

そして、出来上がった袋は家族や親戚に配っている。

私も、一生かかっても絶対に使いきれないだろうと思うくらいの数の袋を作ってもらった。

(その数は、今後も増えるだろう・・・)

でも、義母にとって、これはボケないためのリハビリなので、何枚でもありがたく頂いておく。

それにくらべて、父には趣味がない。

70歳半ばまで働いていたせいか、仕事が趣味の人だった。

しかし、仕事を辞めたら、あっという間に弱ってきてしまった。

今は、料理や裁縫はもちろんしないし、することといえばテレビを見て寝ることくらい。

歩かないし考えないから、足も頭も弱ってくるのは当たり前かもしれない。

というわけで、父に刺激を与え、足を鍛えるべく、なるべく連れ出そうと思っている。

そこで、今回行ったところは北海道神宮。

原生林の残る円山公園の隣にあって、広い境内もたくさんの木々に囲まれた神宮は本当に気持ちがいい。

父に「神宮へ行こう」というと、「なぜ神宮へ?」と怪訝な顔をされてしまったが、父にとって神社とは、年に一度新年に行くくらいの場所なので、何も無い普通の日に神社へ行くことは不思議に感じたのかもしれない。

しかし、北海道神宮へ着くと気持ちの良い空気と空間に、父はすぐに笑顔になって、さらに参拝後の父はとても元気になっていた。

妹も誘って3人に行ったのだが、参拝の後は神宮近くの豆腐料理のお店で食事をした。



このセットに小さなグラス1杯の豆乳と、食後のコーヒーがついて1100円。

上品な薄味でおいしかったです。

しかし、食がすっかり細くなった父には、この量は多すぎたみたい。

そこで、まだ40代と若い妹に、父の分も食べるように勧めたら「太るから嫌だ」と言われた。

せっかくのお料理を残すのはお店の人に悪いしなぁ。。。

すると、妹に「お姉ちゃんは、もっと太ったほうがいい」とそそのかされて、「では・・・」と、私が父の分もしっかり頂いてきました。

さて、ゆっくり円山の森を散歩して、今晩は実家へ泊まると言う父を家へ連れて帰ったのだが、その後が大変だったと妹から連絡が来た。

神宮へ参拝に行ったからかどうか分からないが、翌日はすっかりテンションがあがり、やる気モードにスイッチの入った父は、庭木の冬囲いをやり、かなり疲れているはすなのに、一人で歩いて買い物に行ったという。

ところが、疲れていて足がもつれたのか、途中で転び顔を強打して、顔中血だらけで帰ってきたというのだ。

すぐに病院へ行ったところ、幸い骨に異常はなく、傷の手当だけで済んだそうで安心した。

気持ちは元気になっても、足はすぐには元気にならないってことを、父は自覚していなかったようだ。

これから雪が降ってくると、なかなか外へ連れ出せなくなる。

これ以上、弱らないようにさせないとなぁ・・・と考えている。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごほうび

2013-10-07 17:11:54 | 介護
気がつけば、もう10月。

朝夕は、暖房をつけたいと思うこともあるくらい寒くなってきた。

毎日、家族の食事を作り、家事をして・・・と、ほとんど決まりきった日常生活を送る中(これは、本当に感謝すべき幸せなことですが)、時々、心から嬉しいな~と感じることがある。

それは、まるで思わぬごほうびをもらったような気持ちにしてくれる。

昨日は、高齢者住宅に入っている父を連れて市内のとある大きな公園に行ってきた。

暖かな日差しが気持ちのいい午後、ゆっくりと歩く父に合わせて、私もゆっくりと公園内を歩いてきた。

公園の中は、コスモスやダリアなどの花々が咲き、たくさんの人が犬を散歩させたり、寝転がってくつろいだりしていた。

久しぶりに父と過ごす時間は、いつもよりずっとゆっくりと流れているように感じた。

犬好きの父は、散歩している犬を見つけると、手を振りながら「こーい。こーい」と近寄っていく。

一緒に歩く私は、飼い主さんに「触ってもよいでしょうか?」と聞いて、「父が犬好きなもので・・・」と言いながら、犬を触らせてもらう。

父は目を細めて犬を撫ぜていた。

「あれっ、父のこの姿は・・・まさにわたしだわ」と思った。

私もジョギング中に犬の散歩に出会うと、よく飼い主さんにお願いして触らせてもらう。

あ~これは父からの遺伝だったのか。笑いがこみ上げてきた。

昼食に公園内の食堂に入って、父は幌加内そばを、私はカレーライスを食べた。

「幌加内(ほろかない)は、そばが有名なところなんだ。前は幌加内まで車を運転して、よくそばを食べに行ったんだよなぁ」と懐かしそうに父が教えてくれた。

食後、自動販売機で父がアイスクリームを買ってくれたので、並んで一緒にアイスクリームを食べた。

アイスを食べながら父が「今日はありがとう」と言ってくれた。

父の言葉、そして笑顔は、父からの贈り物、ごほうびのような気がした。

公園へ行った昨日のことは、これから先も父が居なくなったあとも、きっとずっと忘れないだろうなぁ。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

執着を手放して

2013-08-23 16:55:39 | 介護
今朝早い時間に電話が鳴ったので、父に何かあったのではないかと急いで電話を取ると、電話の相手はまさにその父からだった。

実は、父が昨日転んで大腿骨付近の肌の色が変わっていると妹から知らされていたので、よもや骨折でもしていないかと心配していた。

妹によると「多分骨折はしていない」とのことだったが、心配なので今日は様子を見に父の所へ行ってこようと思っていた。

その父からの電話だったので、内心、父が直接電話できたのなら大丈夫かとちょっぴり安心しながら「足はどう?」と聞くと、「あぁ大したことはない。みんな(職員さんたちのこと)大げさに騒ぎすぎるんだ」とのことだった。

きっと職員さんたちは、骨折でもしていたら大変だと心配して下さったのだろう。

とりあえずヨカッタと思ったが、やはり今日は行ってみようと思って、父に「今日行くからね」と言うと、父は妹から今日私が来ると聞いていたようで、今朝の電話の用件は私に持ってきてほしいものの注文だった。

「●●●という風邪薬を買ってきて欲しいんだ。30錠入ったのを2箱頼む」

父にそう言われ、私は返事をしぶった。

「お父さん、風邪薬は飲んじゃあいけないってお医者さんが言ってたでしょ。風邪の時はお医者さんに言えばお薬出してくれるんだから・・・」

そう言って父になんとか市販の薬を諦めさせようと思ったが、父は「いやいいんだ。大丈夫だ。頼む、買ってきてくれ」の一点張り。

こういう症状があるのかどうか知らないが、父はまさに「風邪薬中毒」だ。

ただしどんな風邪薬でもいいと言うわけではなく、決まった銘柄のものに固執している。

父によると、風邪の時にその風邪薬を飲むと、すぐに良くなるのだそうだ。

思うに、そもそも父が思っている症状は「風邪」ではない。

誰だって風邪じゃなくてもくしゃみが出ることはあるし、くしゃみをしたら鼻水が出ることもあるだろう。

父はそれら全てを風邪のせいだと思い込み、その度ごとに風邪薬を飲むものだから、風邪薬の無くなる早さと言ったら尋常ではない。

多分、箱に書かれた規定量以上の数を飲んでいる。

医師からも「風邪薬はあまり飲みすぎるとと害がありますからね。腎臓にも悪いですから飲まないで下さい」と言われている。

確かに父の腎臓の検査数値は良くないそうだ。

ダメだ、買えないとなんど言っても「頼む、頼む」と懇願された。

ついに根負けして「わかった。じゃあこれが最後だからね」と言うと、嬉しそうに「2箱あれば一年持つから大丈夫だ」と言う。

一年なんて持つわけない。

持って一ヶ月だろう・・・

そう思ったが、父の言うとおりに風邪薬を買って持っていった。

それを父は本当に嬉しそうに受け取ってくれた。

妹も父からずいぶん風邪薬を頼まれたようで、あとから妹に「頼まれて2箱持って行っちゃったよ~」と電話をすると「うん、それでいいんじゃない」とのことだった。

妹とも意見が一致したのだが、たとえ身体に悪くても父が懇願するほど飲みたがっている薬なら飲ませてあげてもいいんじゃないかという事。

風邪薬を飲むことによって他人に迷惑をかけるのでなければ、それで父の気持ちが納得するのなら、風邪薬を持って行ってやろうということになった。

これも父の執着なんだなぁ。

でも風邪薬に執着するってのも面白い。

思えば父の風邪薬に対する執着は、昔からだったかもしれない。

子供の頃、少しでも鼻をぐずぐずさせていると、父はすかさず風邪薬を飲ませてくれた。

だから「お父さんは薬屋さんのようだ」と思っていた。

ところで、同じく認知症の義父の介護をしている友人がこんなことを言っていた。

「認知症になると、その人が執着していたものがずっと強く現れるらしいよ」と・・・

ちなみに友人の義父の場合、それは「お金」だったそうだ。

もともと資産家でお金持ちだった友人の義父は認知症がひどくなるにつれて、お金に対する執着がますます強くなったそうだ。

「誰かに盗られたのではないか」などといつも言うの・・・と友人が疲れた顔で話していたことを思い出した。

私もこれから老人になって、そんな笑い話にもならないものに執着して生きるのは絶対に嫌だ。

余分なものは手放して、身も心も軽やかに生きたいものだと思う。











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父のつぶやき

2013-07-02 13:00:00 | 介護
父のところで、妹と二人であれこれ今後の用意などをしていると、それを見ていた父が急にこんなことを言った。

「しかし、お父さんは幸せだよなぁ」

てっきり娘二人(私と妹)が、いろいろなことをしてあげているので、それに対して「幸せだ」と言ったのかと思いきや違ったらしい・・・

そのあと父は続けてこう言った。

「お金があってよかったよ」

それを聞いた途端、なんだか力が抜けそうになった。

別に父に感謝されたくてやっているわけではなく、娘として当然のことをしているまでだが、お金を持っていたことが幸せだったとは、予想外の言葉でちょっとがっくりだった。

たしかにお金は無いより、有るにこしたことはない。

・・・が、子供がいてくれて幸せだと言ってくれたら、妹も私も嬉しかったのになぁ。

父はずっと元気だったし、幸いなことに年をとっても雇ってくれる会社があったため70代後半まで働いていた。

だから早々に定年退職した同年代の方に比べると、多少の蓄えはあるのかもしれない。

父が言うには、同年代の知り合いに「今度、高齢者住宅へ移る」という話をしたそうだ。

すると、その知り合いは「いいな。俺は金がないから、そんなところへ行きたくても行けない」とおっしゃったとか。

父はよく分かっていないので、お金がある人しか色々なサービスを受けられないと思っているようだったが、まず行政の窓口に相談し、そこで介護認定がされれば、お金がなくてもある程度のサービスは受けられる。

また高齢者住宅なども上を見ればキリがないが、安い金額でも良心的な施設はあると思うので、できるだけ多くの施設を見学に行って探すのがベストだと思う。

しかし、動くこともままならない一人暮らしの高齢者にそこまで出来るだろうか・・・

たぶん高齢者住宅どころか、介護認定のことなども知らないお年寄りが多いのではないだろうか。

父の知り合いの方は、80代でご夫婦で暮らしているが、お子さんはいらっしゃらないそうだ。

また最近、奥様にボケの症状が現れてきたともおっしゃっていたそうだ。

奥様の介護を一人でしながら、家事もやっているなんて本当に大変だろうと思う。

限界がくる前に、そういった制度があることを知らせてあげたいと、父の話を聞いて思っていた。

それにしても、日本の老人介護制度はすばらしいと思う。

お金があろうがなかろうが、この国では老人も、そして障害者もちゃんと生きていくことができる。

父が「幸せだよな」とつぶやいたのは、充実した介護のサービスに対しての言葉でもあったと思う。

さて、時にはため息も出てしまう父のお世話だが、自分があとで後悔したくないということと、育ててくれた父には「幸せだった」と思える最期を迎えてほしいから、出来る限りのことはしてあげようと思う。

だから今、こうして多くの方に助けられて、父が安心した老後を過ごせることには心から感謝です。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者住宅に入るために

2013-06-28 13:45:00 | 介護
独り暮らしをしている父の家へ行ってきた。

その日は、秋に入る予定の高齢者住宅の本契約をする日だった。

ケアマネージャーさんをはじめ、高齢者住宅の方、入所後新しく行く予定のデイサービスの方、そしてやはり新しく変わることなるヘルパーステーションと、今までやっていただいていた旧ヘルパーステーションの方々などが一同にいらっしゃった。

家にいらっしゃる何日か前には、やはりそれぞれ関係する事業所の担当者が集まって会議を開いて、今後の父の介護計画を話し合って下さったそうだ。

それが仕事とはいえ、本当にありがたいと心から思う。

どうしたら父にとっても家族にとっても、よい介護方法になるのかを考えてくれる事が伝わってきた。

利益優先の福祉事業者も多いと聞くが、少なくても今回お話をした方々は、そのような感じはしなかった。

さて父と妹そして私の3人が、各担当者から説明を受けて、次々と契約書にサインをしていかなければいけない。

父は、予想通りまったく話を聞く気なし・・・

父曰く「昔はちゃんと理解できた話が、最近は聞いてもよく分からなくなってきて、話を聞くのも面倒になったから、よろしく頼む」とのことだった。

まぁ仕方がないか・・・

脳が萎縮してきているので、話を聞いてという方が無理なのかもしれない。

たまにトンチンカンな質問を入れてくる父に相槌を打ちながら、各担当者からの説明を受けたが、聞いていて難しかったのは、介護サービスが受けられる単位と自己負担額。

単位数というのは専門的なことなので、それは聞き流しておいたとして、こちらとしては一ヶ月にかかる代金の総額を知りたい。

それぞれ別の事業者なので、書類も別で金額も別々に出してきていたため、ケアマネージャーさんが急遽計算をしてくれた。

「これ以上は他にかかるものはないですね!ファイナルアンサー?」と聞くと「ファイナルアンサー」と答えが返ってきた。

出た金額は、大体父の年金でまかなえる額になったので、ひとまず安心する。

特別養護老人ホームなどは分からないが、サービス付き高齢者住宅の場合、サービスや建物の違い、また地方によっての違いもあるだろうが、大体月額12万円から20万円~くらいの中で暮らすことができるのではないだろうかと思う。

父の場合は中堅クラスの高齢者住宅なので、大体その金額の真ん中くらいだった。

しかし中には歯科医院あり、理容室あり、近くにある大きな病院から医師の往診がある。

そして、食事に関しては持病によって減塩食やきざみ食などが配慮されている。

また近所の散歩にも職員が見守りで同行など、24時間対応できるようになっているそうだ。

これは父が住む予定の高齢者住宅の場合だが、それぞれの住宅によって仕組みが違うので、よくよく話を聞いたほうがよいと思う。

また、その住宅内でヘルパーさんにどのようなことをお願いするのかなど、父と関ってくださる関係部署とも細かい部分まで話をつめておかなければいけない。

実は期間は短かったが、以前やって頂いたヘルパーさんは、こちらがやってほしいといったことをほとんどやってくれず、上司に直接お願いしてみたものの改善がなかったという苦い思い出がある。

私も同じヘルパーとして仕事をしているが、なぜここまで言っても改善しないのだろうかと、ヘルパーさん個人に対してよりも、その事業所に不信感を持った。

そんなわけで、話し合いは4時間にも及んだ。

きっと父も疲れたと思う。

でもそんなそぶりはみせず、打ち合わせに忙しくしている娘達に話しかけても無駄だと思ったのか、話好きな父は空いている担当者の方を掴まえては、上機嫌で話しまくっていた。

やっと契約をすべて済ませ、担当者の方々がお帰りになって、ホッと一息ついていると、父が「やっぱり高齢者住宅へ行くのは、まだまだ先でいい」と言いだした。

じぇ、じぇ、じぇ!(←毎朝みているドラマのせりふ。驚いたときに使う岩手の方言)

私と妹でおもわず顔を見合わせる。

契約を交わしたばかりなのに、この場に及んで行きたくないとは・・・・

お父さん、もう一人暮らしは無理なんですよ。

・・・と言いたいのをがまんして「そうだ!部屋の中を、おとうさんがびっくりするくらい素敵にしてあげる!きっと快適に過ごせるからね」と言い、「そう、そう!」と妹も同意する。

長年暮らした住み慣れた家を離れなければならない父の気持ちは、痛いほどよく分かる。

ゴメンね、でも仕方がないんだよ。

「家はそのままにしておくから、時々帰ってきてもいいんだからね」

そういうと、「そうだな・・・」と父がうなづいた。

さて、しばらく父のことで忙しかったが、今日はひさしぶりにゆっくり過ごすことができた。

毎日作る3人分のお弁当も、ここしばらくは冷凍食品に頼って手抜きだったが、今朝はちゃんと作ることができた。



エビチリ・大根とさつま揚げのきんぴら・ブロッコリーとコーンのサラダ・梅肉とシソを挟んだかまぼこ

エビチリ用の海老は前夜にかるく味をつけて焼いておき、朝、混ぜておいた調味料をからめるだけ。

前日の準備があると気がラク~~






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老親とのつきあい

2013-05-27 15:24:49 | 介護
今日は、うちのお姑さんのばあちゃんがデイサービスへ行く日。

ばあちゃんはデイサービスへ行くことを、いつもとても楽しみにしていて、朝からにこにこ忙しそうに行く準備をしている。

ところが、今朝はいつもの笑顔が無くなんだか元気がない。

原因はわかっている。

昨日、息子である夫に厳しく叱られたから・・・

それは数日前のことだった。

「足が弱るから、すこし散歩をしたほうがいい」と夫がばあちゃんに言い、ばあちゃんが散歩に出かけたことがあった。

「迷ったら困るし、無理したら足に悪いから、近くのバス停まで行ったら戻っておいで」

そう言って夫は、ばあちゃんを散歩に送り出したのだが、これがいくら待っても帰ってこない。

「まさか迷っているわけはないよなぁ」

軽い認知症に罹っているばあちゃんなので、近所と言えども迷う可能性は無きにしも非ず・・・

夫が心配しはじめたので「私が見てこようか」と言うと「いや、いい。俺が行く」そう言って、ばあちゃんを探しに外へ出て行った。

しばらくして、ばあちゃんを連れて帰ってきた夫の顔は、明らかに不機嫌そうだった。

「ばあちゃん、どこに居たの?」と聞くと、なんと山に入っていたそうだ。

今の時期は山菜が顔を出し始めているので、それを採りに山へ入っていたらしい。

そして、ばあちゃんのエプロンのポケットには、「よもぎ」がたくさん入っていたそうだ。

「近くまで行ったら戻ってこいよ」と言い聞かせたていたにも関らず、山へ入っていたことで、まず夫の不機嫌スイッチがオンになった。

このあたりはキタキツネがよく出るので、我が家では地面の近くに生えている山菜は触ったり、食べないようにしている。

なぜなら、キツネから感染するエヒノコックスが心配だから。

エヒノコックスは、感染してから発症するまで長く、気がついたときには重大な症状を引き起こしている怖い感染症だ。

知り合いもエヒノコックスで亡くなっている。

まぁ、熱を通して食べれば大丈夫だろうが、心配しながら食べるくらいなら、最初から食べないほうがいい。

そんなわけで夫は「よもぎは食べないから捨てろ」と言ったそうだが、ばあちゃんは「せっかく採ったのだから」と捨てるのを拒み、結局うちへ持ち帰ってきた。

ここでスイッチの入った夫の不機嫌メーターが、やや上がった。

夫は仕方なく「うちの家族は食べないから、自分だけでなんとか処分しろよ」と言い残し、ばあちゃんの部屋を出たのだが、ばあちゃんはその後、採ってきたよもぎを使ってお団子を作っていたらしい。

そして昨日。

夫からよもぎは食べないと言われたので、ばあちゃんは夫に見つからないように、こっそりご近所のお宅へおすそわけしてきたらしかった。

私は、ばあちゃんがそんなことをしているとは全く気がつかなかったのだが、さすが夫は自分の母親の行動がどうも怪しいと感づいたようで、外から戻ってきたばあちゃんを問い詰めてご近所に配ったと言う事がわかったようだった。

これを機に、夫の不機嫌メーターは振り切れんばかりに上がった。

夫の怒りは大きく、窓を閉めても外に響き渡るんじゃないかと思うくらい大きな声で怒鳴っていた。

心配になってチェリーと一緒に、夫に叱られているばあちゃんの部屋へ行ったのだが「向こうへ行ってろ」と扉を閉められてしまった。

ばあちゃんに説教している夫の大声が延々と聞こえてくる。

なんだか、ばあちゃんがとてもかわいそうになった。

ばあちゃんだけではなく、老人になると、多くの人が若い頃からやってきたことを変えることが難しいのだろうと思う。

ばあちゃんは、若い頃 そうやってよもぎを摘んで子供達におやつを作ったのだろう。

そして、今よりずっと濃密な近所付き合いがあった昔は、作った料理のやりとりは普通のことだった。

時代と共に変わっていくという事が、なかなか理解できないのだと思う。

そして、悲しいかな歳を取ると「新しいことが覚えられない」という症状が現れるため、いくら「それはやってはいけない」と説明しても、また繰り返すのだと思う。

事実、同じようなことが、これまでも2~3度あった。

それにしても自分の親を叱るというのは、自分の子供を叱るより、ずっとエネルギーを使うのではないかと思う。

疲れた顔をしてばあちゃんの部屋を出てきた夫の顔を見てそう思った。

そんな私も介護で実の父と頻繁に会う機会が増える度、私が主導権をとって色々な事を決めていたことに気づく。

仕事ばりばり人間だった父が、まるで幼子のようになり、いつの間にか親子の立場が逆になってしまった。

実父のそばに住む妹の負担が少しでも軽くなるように、ヘルパーを頼んだり、デイサービスを申し込んだりと話を決めてきた。

それでも一応、父の了解は取っているが、あとで父が「本当はヘルパーが来るのが嫌なんだ」とか「デイサービスには行きたくない」などと妹に言うらしい。

「やってみたら、案外いいものだと思うかもしれないから試してごらん。嫌ならあとでいくらでもやめれるんだから」

そう言いつつ、どんどん決めていく娘(私の事)に反論したくてもできないのだろうか・・・

父にごねられて困った妹が私に電話をしてくる。

妹は、昔から父のいう事に反論することができないのだ。

「わかった。今度行った時に、お父さんにちゃんと話してあげるから」

そういって電話を切り、さ~てどうやって言いくるめようか・・・と思案する。

大きな声にならないよう(耳が遠いから無理か)、威圧的にならないよう、優しく説明してあげなければと思う。

子育てが 終われば次は ジジ育て








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝の心で掃除

2013-04-10 15:24:35 | 介護
一人暮らしをしている父の家へ久しぶりに行ってきた。

父は80歳を越えてから、物忘れが多くなってきて意味不明の言葉を話すことが起こったため、急遽、認知症を見てくれる病院で検査を受け、そして認知症を改善させる飲み薬を出してもらった。

その後、薬の効果が現れたのか、実家近くに住む妹によると、意味不明の言葉を話すこともなく、いつもの父に戻っているとのことで すこし安心していた。

ところが、先日 急に父の歩き方がおかしくなって道で転んでしまったと妹から電話があった。

妹によると、それは突然起こったそうで、前日まで普通に歩けていたのが、急に足が上がらなくなり、重心を踵に置いたような変な歩き方になったのだそうだ。

玄関の階段を上がろうとして、足を上げたときに転んだらしい。

幸い怪我はなかったが、その日以来、急に父の気力体力が落ちたような気がすると妹が教えてくれた。

父のことが心配だったが色々な用事が重なって、すぐに父の所へ行くことができなかった。

でも近くに住んでいる妹が、時々様子を見に行って報告してくれていた。

母が亡くなってから長い間一人暮らしをしていた父は、簡単な食事なら自分で作り、家の掃除も時々やっていたが、最近はそれもしなくなり、食事はずっと妹が運んでいる。

「毎日作る食事をすこしお父さんのところへ持っていくだけだから」と妹は言うが、やはり毎日は大変だと思う。

第一、高校や大学生の子供達と80歳を過ぎた父の食事の好みは違うので、子供の好みに合わせた時は、わざわざ父用にもう一品料理を作っているとか。

「でも食事を持っていくだけで精一杯で、掃除までは手が回らないの」と妹が言う。

妹に負担をかけている分、せめて父の家の掃除くらいは私がしなければ申し訳ない。

・・・で 父の家の掃除に行ってきたわけだが、これがまた凄いことになっていた。

部屋のあちこちに食べ残して半分くらいになったお菓子の袋が散乱し、飲み残しのお茶のペットボトルが何本も転がっている。

部屋の床は「工事中ですか?」と聞きたくなるくらい、そして靴を脱いで入るのを躊躇うくらいに、ほこりやゴミが溜まっていた。

家中がどんよりと暗い雰囲気に満ちていた。

そして、もっとも汚れていたのはトイレで、ここは妹がけっして戸を開けないというくらいの場所なのだが、真夏じゃなくてヨカッタと思ったほど臭いも汚れもひどかった。

父の名誉の為に書き加えておくが、以前の父はまったく違っていた。

綺麗好きで母が生きている時も自ら掃除をしたり、自分の服にアイロンをかけたりしていたほどだった。

違っていたと言えば我が家まで車で一時間の道のりを、父は自分で車を運転して来ていたのが、つい最近のように思える。

そして、同居するお姑のばあばが軽度の認知症と診断された時「お義母さんは大丈夫か?」と心配していた父だったが、今やそのばあばより弱っている。

2年前に亡くなった義父もそうだったが、老人になると何かのきっかけで、急激に弱っていくのかもしれない。

もうすでにお昼を過ぎているのに寝巻き姿のまま、ぼーっとテレビを観ている父を見て、こうやって人は人生を終えていくのだな、人の一生なんて短いものだと思った。

さっそく家の中の暗さや汚れを除くべく、感謝の言葉を心の中でつぶやきながら部屋中の掃除をした。

人の感謝の磁気は、たとえ悪い場所であっても、それを上書き修正することができるのだそうです。

それを知ってから、自分の家でも掃除をする時は、思い出せば感謝の言葉をつぶやきながらやっているのだけど、父の家は、更に強力かつ念入りに感謝の心を込めながら掃除をしていった。

そうやって感謝の言葉をつぶやきながら掃除をしていると、子供の頃から今まで、父が私にしてくれた色々なことが思い出されてきて、心から父に感謝の気持ちがこみ上げてきた。

私自身もう二度と後悔をしないように、出来る限りの親孝行をしようと思う。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする