関東に住む友人から定期的に送られてくるメールを読んで嬉しくなった。
メールの文面がずいぶん明るくなった。
友人のお父さんが昨年亡くなったのだが、一人暮らしになったお母さんに認知症の症状が出てきたため、友人は実家に泊まり込んでの介護を始めた。
お母さんは以前はとても物静かな人だったそうだが、お父さんが亡くなってからまるで人が変わってしまったのだそうだ。
暴力こそはないものの、娘である友人に対する暴言がひどくなり、友人は精神的にずいぶん参っているようだった。
聞くところによると、お母さんは自分でどこかにしまったものの行方が分からなくなることが度々あり、それを自分の娘が盗んだと思い込むのだそうだ。
そして「泥棒!」「あんたが盗んだでしょう!」というような暴言を浴びせる。
あとからそれが出てきたとしても、けっして自分が置き忘れたとは思わず、「あんたが盗んでここへ置いた」と言う始末。
「いくらなんでも盗んだなんてヒドイでしょ?自分の娘を泥棒扱いするなんて信じられない」と友人が電話でこぼしていた。
「すこし離れた方がいいんじゃない?」と助言したのだが、友人によると、母親と距離を置きたくても、一人にすると何をするのか分からないという心配があり、いつも一緒にいなくてはならないのだそうだ。
お母さんは物忘れはひどいそうだが、なぜか公共の乗り物は一人で乗っていくことができるそうだ。
だから目を離した隙に遠い場所へ行ってしまう恐れがあるのだという。
「母は北海道へ帰りたいといつも言っているから、もしかしたらひとりで飛行機に乗って帰ってしまうかもしれないの。それができる人だから、余計に目が離せない」と友人は言う。
そういわれてみると、今の高齢者は公共の乗り物に乗り慣れているから一人で何でも乗れてしまうのかもしれない。
また運転もできるから車を運転してどこかに行ってしまう恐れもある。
友人が心配するのもよく分かった。
その後、友人からのメールや電話は、どうしようもなくなった時や追い詰められた時に届いた。
連日届くこともあれば、一か月に一度の時もあったが、その文面には「助けて」という文字は無かったが、私には「助けて」と叫ぶ友人の声が聞こえてくるようだった。
義母や父の介護を友人より先に経験した者として、一人で抱え込まず行政に相談してみることをすすめたのだが、友人の腰はなぜか重たかった。
また、明らかに認知症の症状が出ているのに病院で診察を受けていないということも聞いたので、ではまず先に病院へ連れて行った方がよいとも話したが、それについても腰が重たかった。
友人がお母さんを病院へ連れて行くことをためらっていたのは、出される薬に対して不信感があったからだと、私が病院へ連れていく様に勧めるメールを何回か送った後に、友人からの返信メールで知った。
またそれ以外にも、友人自身に自分の母親が認知症だと認めたくない思いもあったようだ。
(病院で認知症と診断されてしまうことに抵抗感があった)
「今の状況を変えるためにも、やはり病院へ連れて行った方がいいと思うよ。薬で不信に思っていることを全て医師に質問してみては?」と何度か勧めた結果、ついに友人はお母さんを病院へ連れて行った。
そこで薬について質問をして、医師のお話に納得し、漢方薬を出してもらうことになったそうだ。
後日、薬を飲み始めてから機嫌のよい日が増えたと、すこし嬉しそうな文面のメールが来た。
それから介護認定を受け、必要なサービスを受けることになり、そして今日のメールは「母が楽しそうにデイサービスに行きました」というものだった。
友人のほっとした様子が手に取るようにわかるようなメールだった。
よかった。私も自分のことのように嬉しい。
いつかは必ず終わることだが、それでもまだ先は長いかもしれない。
「イライラせずのんびりかまえて行きましょうね。どうしようもない時は周りに助けを求めてもいいんだよ」と返信した。
これは友人に対してだけではなく、自分自身に対しても言い聞かせるようなつもりで書いたと思う。
そう・・・周囲に「助けて」と言うことは決して恥ずかしい事でもなんでもなく、みんなで助け合えばいいのだ。
助ける方も、別に大げさなことをしなくても、自分のできることをすればよいだけ。
これからは、自分のできる範囲で困っている人を助けることが自然にできる社会になっていくのだろう。
そうなって行けばよいなぁという期待も込めて・・・
メールの文面がずいぶん明るくなった。
友人のお父さんが昨年亡くなったのだが、一人暮らしになったお母さんに認知症の症状が出てきたため、友人は実家に泊まり込んでの介護を始めた。
お母さんは以前はとても物静かな人だったそうだが、お父さんが亡くなってからまるで人が変わってしまったのだそうだ。
暴力こそはないものの、娘である友人に対する暴言がひどくなり、友人は精神的にずいぶん参っているようだった。
聞くところによると、お母さんは自分でどこかにしまったものの行方が分からなくなることが度々あり、それを自分の娘が盗んだと思い込むのだそうだ。
そして「泥棒!」「あんたが盗んだでしょう!」というような暴言を浴びせる。
あとからそれが出てきたとしても、けっして自分が置き忘れたとは思わず、「あんたが盗んでここへ置いた」と言う始末。
「いくらなんでも盗んだなんてヒドイでしょ?自分の娘を泥棒扱いするなんて信じられない」と友人が電話でこぼしていた。
「すこし離れた方がいいんじゃない?」と助言したのだが、友人によると、母親と距離を置きたくても、一人にすると何をするのか分からないという心配があり、いつも一緒にいなくてはならないのだそうだ。
お母さんは物忘れはひどいそうだが、なぜか公共の乗り物は一人で乗っていくことができるそうだ。
だから目を離した隙に遠い場所へ行ってしまう恐れがあるのだという。
「母は北海道へ帰りたいといつも言っているから、もしかしたらひとりで飛行機に乗って帰ってしまうかもしれないの。それができる人だから、余計に目が離せない」と友人は言う。
そういわれてみると、今の高齢者は公共の乗り物に乗り慣れているから一人で何でも乗れてしまうのかもしれない。
また運転もできるから車を運転してどこかに行ってしまう恐れもある。
友人が心配するのもよく分かった。
その後、友人からのメールや電話は、どうしようもなくなった時や追い詰められた時に届いた。
連日届くこともあれば、一か月に一度の時もあったが、その文面には「助けて」という文字は無かったが、私には「助けて」と叫ぶ友人の声が聞こえてくるようだった。
義母や父の介護を友人より先に経験した者として、一人で抱え込まず行政に相談してみることをすすめたのだが、友人の腰はなぜか重たかった。
また、明らかに認知症の症状が出ているのに病院で診察を受けていないということも聞いたので、ではまず先に病院へ連れて行った方がよいとも話したが、それについても腰が重たかった。
友人がお母さんを病院へ連れて行くことをためらっていたのは、出される薬に対して不信感があったからだと、私が病院へ連れていく様に勧めるメールを何回か送った後に、友人からの返信メールで知った。
またそれ以外にも、友人自身に自分の母親が認知症だと認めたくない思いもあったようだ。
(病院で認知症と診断されてしまうことに抵抗感があった)
「今の状況を変えるためにも、やはり病院へ連れて行った方がいいと思うよ。薬で不信に思っていることを全て医師に質問してみては?」と何度か勧めた結果、ついに友人はお母さんを病院へ連れて行った。
そこで薬について質問をして、医師のお話に納得し、漢方薬を出してもらうことになったそうだ。
後日、薬を飲み始めてから機嫌のよい日が増えたと、すこし嬉しそうな文面のメールが来た。
それから介護認定を受け、必要なサービスを受けることになり、そして今日のメールは「母が楽しそうにデイサービスに行きました」というものだった。
友人のほっとした様子が手に取るようにわかるようなメールだった。
よかった。私も自分のことのように嬉しい。
いつかは必ず終わることだが、それでもまだ先は長いかもしれない。
「イライラせずのんびりかまえて行きましょうね。どうしようもない時は周りに助けを求めてもいいんだよ」と返信した。
これは友人に対してだけではなく、自分自身に対しても言い聞かせるようなつもりで書いたと思う。
そう・・・周囲に「助けて」と言うことは決して恥ずかしい事でもなんでもなく、みんなで助け合えばいいのだ。
助ける方も、別に大げさなことをしなくても、自分のできることをすればよいだけ。
これからは、自分のできる範囲で困っている人を助けることが自然にできる社会になっていくのだろう。
そうなって行けばよいなぁという期待も込めて・・・